社会進化論
社会進化論(しゃかいしんかろん、英: Social Darwinism)または社会ダーウィン主義(しゃかいダーウィンしゅぎ)とは、ダーウィンの生物進化論に立脚して、社会過程を説明し、社会進化の観点から社会変動を解釈しようとした、19世紀後半に現れる社会思潮のこと[1]。今日では「社会は次第に進化し進歩するという理論」とは区別するのが一般的で、Wikipedia記事では社会文化的進化で扱う。
概要
[編集]本項で取り扱う社会ダーウィン主義はダーウィンの『進化論』に直接影響を受け、その理論を比喩的に採用することで理論立てられた議論であるが、「社会そのものは徐々に変化していく」という観念は比較的古くから存在しており、古代ギリシャでは政体循環論が論じられた。14世紀、北アフリカのイスラム学者イブン・ハルドゥーンは、『歴史序説』に、王朝は普遍的な原理として、誕生、成長、成熟、衰退、死のサイクルを繰り返す有機体であると記述している[2]。
15世紀の英国のホッブズや17世紀のロックらは「自然状態」なる古典的概念を発掘して、人間固有の理性により社会契約が行われ政府や国家が形成されると説き、ここには人間社会の進化を暗黙の前提として措定している。1798年に匿名で公表されたマルサスの人口論では人口増加問題の消極的解決として戦争・飢饉・疫病などの存在を指摘し「人類の悪徳は人口減少の積極的かつ有能な助っ人である[3]」と表現した。ジャネット・ブラウンによればこの本には「常に増加する人間に食糧生産は追いつかないものの、社会でもっとも貧しく、健康に恵まれない、弱き人々が人口の調整役を果たしている、したがって弱者に慈善を施せば、自然な人口減少はかなわず、さらなる食糧の欠乏をもたらす」との論理が含まれているという[4][5]。
19世紀初頭に活躍したドイツのヘーゲルは(キリスト教的)観念論から歴史の発展を説明する際に、一つの精神が対立する精神と合同するとき社会の変化をもたらすと記述した[6]。彼はローマ社会のように精神が成熟し衰退しても、ゲルマン的治世によりまた誕生するものとして世界史を解説しようとした。
ヘーゲルより1世代後のフランスのコント、英国のスペンサー、米国のモーガンらは、それぞれ哲学的、博物学的、フィールドワーク的手法によって、独自に社会進化の観念に到達していた。ダーウィンの『進化論』が衝撃を持って受容されたのは彼らの世代である(コント本人はダーウィン「進化論」に間に合わなかった)。社会進化を生物学的観点から説明しようとする思潮が登場したのである[7]。
社会ダーウィン主義はコントやスペンサーらの議論をベースに、生物学において広まりつつあったさまざまな進化論の概念を比喩的に採用することでつくられた社会理論として発展してゆく。ドイツのニーチェもまた社会的ダーウィン主義に言及したが、ニーチェは人為淘汰の重要性に言及し、社会の進化には(社会的)「病気」が時には必要だと論じ[8]、スペンサーやダーウィンの自然淘汰説には同意しなかった。
これ以降も社会ダーゥイン主義と「社会進化」の議論は明晰に区別されることなく、比較的最近まで両者の区別は存在しなかった[9]。現代では社会的ダーウィニズムと社会文化的進化の議論は別物であるとの暗黙の了解がある[10]、とされる。
社会ダーウィン主義という語
[編集]Social Darwinism(社会ダーウィン主義)という語は1877年に、イギリスの歴史家ジョセフ・フィッシャー、ドイツの動物学者エドゥアルド・オスカー・シュミットによって、ほぼ同時期に独立して使用されていることが確認できる。あるいは1879年にフランスのアナキストエミール・ゴーティエによって造語されたとの主張もある。1900年頃には社会学者により使用され始めたというが、影響力があったのはアメリカの歴史家リチャード・ホフスタッターで、彼の1944年の博士論文『アメリカ思想における社会ダーウィニズム、1860-1915』において今日知られる「社会ダーウィニズム」という概念が実質的に提示された。すなわち、ファシズムに対するイデオロギー戦争における、競争的な戦い、人種差別、排外主義を促す反動的信条、を指して「社会ダーウィニズム」概念を使用した。また、後には「ダーウィニズム集団主義:Darwinist collectivism」なる概念も提示し、(ダーウィン主義あるいはその他の進化論の思想が)集団主義的な見解を持つ人々に及ぼしている影響を、こう表現した。現代、社会ダーウィニズムという用語は、そのイデオロギーや思想の支持者によって使われることはほとんど無く、その思想の反対者によって軽蔑的に使われていることがほとんどである[11]ので使用には注意を要する。
思想史
[編集]コント
[編集]オーギュスト・コントは著書『実証哲学講義』で、上述の社会状況を研究するために、当時大きな発展を遂げていた生物学(生理学)を根拠にした、社会動学と社会静学という二つの社会学を構想した。ダーウィンの『種の起源』自体は発表されていなかったが、ラマルクなどの進化論が知られており、進化についてのアイデアを取り込み、社会静学は有機体としての社会を研究し、社会動学は三段階の法則に従って発展してきた社会発展を研究する学問と位置づけた。こうした考えはジョン・スチュアート・ミルを通じてイギリスにも伝えられることとなった。
スペンサー
[編集]社会進化論は19世紀のハーバート・スペンサーに帰せられる。思想史的に見れば、目的論的自然観そのものは古代ギリシア以来近代に至るまでヨーロッパには古くから見られる。しかし、人間社会が進化する、あるいは自然が変化するという発想はなかった。
しかしラマルクやダーウィンが進化論を唱え、スペンサーの時代にはそれまでの自然観が変わり始めていた。スペンサーは進化を自然(宇宙、生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教をも貫く第一原理であると考えた。
スペンサーは進化を一から多への単純から複雑への変化と考えた。 自然は一定した気温でなく寒冷と温暖を作り、平坦な地面でなく山や谷を作り、一つの季節でなく四季を作る。社会も単純な家内工業から複雑化して行き機械工業へと変化する。イギリス帝国が分裂してアメリカが出来る。芸術作品も宗教の形態も何もかもすべて単純から複雑への変化として捉えるのだが、単に雑多になるのではなくより大きなレベルでは秩序をなすと考えるのである。未開から文明への変化は単純から複雑への変化の一つである。その複雑さ、多様性の極致こそが人類社会の到達点であり目指すべき理想の社会である、と考えられた(ホイッグ史観)。従って、こうした社会観に立つあるべき国家像は、自由主義的国家である。このような考え方が当時の啓蒙主義的な気風のなかで広く受け入れられた。
帝国主義・優生学
[編集]スペンサー以後、社会進化論はスペンサーの自由主義的なものから変質し、適者生存・優勝劣敗という発想から強者の論理となり、白色人種のキリスト教徒に都合の良い解釈が行われて、帝国主義国による侵略や植民地化を正当化する論理になったとされる。
エルンスト・ヘッケルは国家間の競争により、社会が発達していくという内容の社会進化論を唱えた。ゴルトンは、人為選択(人為淘汰)によって民族の退化を防ぐために劣った遺伝子を持つものを減らし、優れた遺伝子を持つものを増やそうという優生学を提唱した。これは、人種差別・障害者差別の正当化に使われた。
また本来社会進化論的観点から言及されたものではなかったが、ニーチェ思想が与えた影響も無視できない。ルサンチマン、超人、力への意志といった概念であるが、遺稿『権力への意志』は妹エリーザベトの反ユダヤ主義による恣意的な編纂の面が大きい。これらは後世のナチズムによって原義とは違った解釈がなされ、優生学的政策の他、ドイツの「生存圏」を拡げ維持する理論として展開された。
マルクス
[編集]その一方で、共産主義もまた社会進化論のパラダイムに則っていた。現にカール・マルクスは、進化論が唯物史観の着想に寄与したとしてダーウィンに資本論の第一巻を献本している。マルクスは、あくまで社会進化論が資本主義の存続を唱う点と一線を画し、資本主義自体が淘汰されると説いた。
マルクスにおける社会進化論については、社会学者のアンソニー・ギデンズやマイケル・マンらによる批判的評価がある[12][13]。その詳細については、マルクス主義批判を参照。
日本
[編集]日本においては明治時代に加藤弘之・穂積陳重らによって社会進化論が紹介され、優勝劣敗を説く論理として思想界に大きな評判を呼んだ。またその自由主義的な性格から、「進歩的思想」として受け止められ、自由民権運動にも一定の反響を与えた。ただ、国体主義者からの視点では日本の国体の変更を示唆するものとして緊張関係にあり[14]、一方で天賦人権説の立場からは受け入れられない思想であった[15]。大日本帝国憲法は国家有機体説から執筆され、これは社会ダーウィン主義の反映であるが、日本独自の『国体』の「進化」に言及することはある種のタブーであった。一方で「優勝劣敗」「生存競争」の概念はさかんに主唱され、富国強兵策の概念的基礎を形成した。社会政策においては優生学の中核をなす思想として受容され「人種改良論」がさかんに論じられた。法律学では穂積から「法律進化論」が提唱されたが、これは本人の死亡により未完のままとなり、膨大に残された遺稿は後に長男により公表されたが学問領域として継承する学者は登場せず、民族学や法制史、比較法学の領域に発展的に継承された。
大正・昭和期になると、国家や民族、文化を有機的な生命体と捉え、これらが他と競争的に闘争し、優勝劣敗を決するという「世界観」は日本でも盛んに議論され、山田孝雄は『大日本国体概論』において「国体は国の体なり。喩えば、人の体あるが如し。人とは何か。之を物理学的に見れば、一個の有機体なり。之を科学的に見れば、各種元素の組織体なり。之を生理学的に見れば、幾多の細胞の組織せる有機体なり」と記し、時事新報は「ペストやコレラの病毒の如き」「無政府共産主義の如きものゝ伝来に接し仮初にも之に感染するの偏狂」と表現し、井上哲次郎が「破壊思想の源流」と題して「病気で衰弱した身体にバチルスの入り易い様に毒は直ちに食ひ込んだ」「日露戦後の世間が疲弊した弱身にくひ込んだ病気である」と記し、有機的な国家身体から排除される側であった幸徳秋水ですら「所謂愛国心は実に之が病菌たり、所謂軍国主義は実に之が伝染の媒介たる」ゆえ「愛国的病菌は朝夜上下に蔓延し、帝国主義的ペストは世界列国に伝染し、二十世紀の文明を破毀し尽さずんば已まざらんとす」[16]と同様の比喩を用いた。このように社会を生命体あるいは病原菌ととらえる<比喩>は20世紀初頭の日本でも猛威を振るっていたのである[17]。石原莞爾の『世界最終戦論』『戦争史大観』などは学会で議論の対象となった。
戦後は生物進化論自体に対する批判(ホパーらによる反証可能性の議論)があり、また「弱肉強食」「優勝劣敗」の考えが優生思想やファシズム、人種差別を正当化するなどと批判され、いずれの立場からも「未完成の議論」「すでに終わった議論」として意図的に排除され黙殺されることとなる。生物学や進化論の用語を流用して社会や文化を比喩的に表現することで、一見非常に華やかに現実世界を描いて見せることができたとしても、その比喩には科学的根拠はなく、学問的に真偽が問えないのである。杉山あかしは「自然淘汰」「選択」「適応」「進化の段階」「分化」などダーウィニズムの用語がシステム(社会)論で使用されるさい、論証的に逆に使用されたり、概念的に混同されたり、論証されていない事から結論を得たりと「はなはだ問題の多い」使用法がされる事を指摘する。一方でダーウィニズムそのものは「システムのための社会進化論」としてではなく「人間のための再生産論」再生産過程からの疎外のために活用され得る可能性を指摘する[18]。
一方で「生物学的進化論」の比喩で論じるのではなく、人間社会を個々の要素すなわち言語や文化、情報伝達などの観点などから「進化的」に解析・記述しようとする学問領域が文化人類学や民俗学の領域で再び着目されている(→社会文化的進化、ネオ進化論、国際開発論、脱工業化論など)。
優生保護法とらい予防法は1996年まで残り、社会ダーウィン主義は現在も大きな傷跡を残している。
外部リンク
[編集]- 杉山あかし、「ダーウィニズムと社会進化論」『理論と方法』 1989年 4巻 2号 p.2_77-2_92, doi:10.11218/ojjams.4.2_77, 数理社会学会
- 木戸美幸、「アメリカ社会進化論で読む『お国の慣習』」『京都光華女子大学研究紀要』 2008年 46巻 p.55-76, NAID 110006977011
脚注
[編集]- ^ 小学館日本大百科全書(ニッポニカ)「社会ダーウィン主義」[1]
- ^ 『歴史序説(一)』第3章、P.493
- ^ 第七章
- ^ Browne,Janet."Darwin’s Origin of Species A Biography." New York: Grove Press,2006.P.43-4 直接の引用は木戸美幸「アメリカ社会進化論で読む『お国の慣習』」『京都光華女子大学研究紀要』 2008年 46巻 P.57
- ^ なおダーウィンは1838年に本書を読んでいる。木戸美幸(2008)
- ^ 『歴史哲学』"Vorlesungen uber die Philosophie der Geschichte",1832/1845
- ^ 北垣徹「社会ダーウィニズムという思想 (総特集 ダーウィン--『種の起源』の系統樹)」『現代思想』第37巻第5号、青土社、2009年4月、175-189頁。
- ^ 『人間的、あまりに人間的』§224
- ^ 平凡社改訂新版世界大百科事典「社会進化論」[2](米本昌平)
- ^ 平凡社改訂新版世界大百科事典「社会進化論」[3](米本昌平)
- ^ Hodgson, Geoffrey M. (December 2004), “Social Darwinism in Anglophone Academic Journals: A Contribution to the History of the Term”, Journal of Historical Sociology 17 (4): 428–463, doi:10.1111/j.1467-6443.2004.00239.x, hdl:2299/406 2010年2月17日閲覧, "Social Darwinism, as almost everyone knows, is a Bad Thing".
- ^ アンソニー・ギデンズ『社会の構成』門田健一訳、勁草書房、2015年,p275-280.
- ^ マン, マイケル 森本醇・君塚直隆訳 (2002), ソーシャル・パワー:社会的な<力>の世界歴史 I 先史からヨーロッパ文明の形成へ (原著1986), NTT出版
- ^ 田中友香理「明治国家と「優勝劣敗」の思想」(日本思想史学54、2022)[4]
- ^ 中園嘉巳「加藤弘之と社会進化論」(青山スタンダート論集)[5]
- ^ 「廿世紀の怪物帝国主義」1901年 警醒社書店。
- ^ 西野厚志「有機的<国体/国語>論の本義」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』2013年9月。
- ^ 杉山あかし「ダーウィニズムと社会進化論」(理論と方法Vol.4,No.2、1989)下部にリンクあり。