クリスチャン・ディオール

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クリスチャン・ディオール
Christian Dior
生誕 1905年1月21日
フランスの旗 フランスマンシュ県グランヴィル
死没 1957年10月23日(満52歳没)
イタリアの旗 イタリアモンテカティーニ・テルメ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 ファッションデザイナー
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クリスチャン・ディオールChristian Dior, 1905年1月21日 - 1957年10月24日)は、1950年代に活躍したフランスファッションデザイナーである。彼が創立したファッションブランドも「クリスチャン・ディオール」もしくは「ディオール」と呼ばれる(ブランドについてはディオールを参照)。

人物[編集]

マンシュ県にあるクリスチャンの生家。その後、クリスチャン・ディオール博物館となる。

1905年、クリスチャン・ディオールはフランス北西部ノルマンディーマンシュ県グランヴィルで実業家の家庭に生まれた。1920年から1925年12月までフランスのパリ政治学院に学ぶ。彼の両親の願望に応じて外交官になる望みがあったが、ディオールは芸術に強い興味を持っていた。

1928年に彼が小さなアートギャラリーを親からの出資で持ち、パブロ・ピカソマックス・ジャコブなどの絵を置いた。だが、家庭の財政的な問題により2年でギャラリーを閉鎖する事になる。1930年代に、ディオールはオートクチュールハウスのためにスケッチデザインをやることによって、生計を立てた。1938年に、彼はロバート・ピゲと仕事をして、後にリュシアン・ルロンのファッションハウスのデザイナーとして仕事に加わった。そこで、ディオールとピエール・バルマンは主要なデザイナ-であった。

1945年、ディオールは彼自身で事業を始めた。ディオールのファッションハウスは1946年12月マルセル・ブサック(綿のファブリック王)の援助もありパリ、アヴェニュー・モンテーニュ30番地に設立され、翌1947年2月には最初のファッションショーを開催。この1947年の春夏コレクションにディオールが採用したラインが、いわゆる「ニュールック」である。これはアラビア数字の8にも似た、細く絞ったウェストとゆったりしたフレアスカートを特徴とするもので、戦時中の資材不足によりフランスのクチュリエたちが1着の服に使える布の面積に厳しい制限を抱えていたのに対し、贅沢に布を使用した点にも特徴を持っていた。『ハーパース・バザー』誌の編集長であったカーメル・スノウはこのコレクションに衝撃を受け、「ニュールック」と呼んだ[1]

戦後のファッションの指針を示したディオールは47年から57年までの11年間、パリオートクチュール界の頂点に君臨する。彼は毎シーズン、ラインというテーマに沿って作品を発表した。

略歴[編集]

企業としてのクリスチャン・ディオール[編集]

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  1. ^ FASHIONPRESS.NET