国際通貨基金

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国際通貨基金
Headquarters of the International Monetary Fund (Washington, DC).jpg
ワシントンD.C.のIMF本部
概要 専門機関
略称 IMF
代表 クリスティーヌ・ラガルド専務理事
状況 活動中
活動開始 1945年12月27日[1]
本部 アメリカ合衆国ワシントンD.C.
公式サイト IMF(英語)
コモンズ International Monetary Fund
国際連合の旗 Portal:国際連合
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国際通貨基金(こくさいつうかききん、英語: International Monetary Fund, IMF)は、国際金融、並びに、為替相場の安定化を目的として設立された国際連合専門機関である。国際通貨基金(IMF)の本部は、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.に位置する。2014年現在、国際通貨基金(IMF)の加盟国は、188か国である。

加盟国の経常収支が著しく悪化した場合などに融資などを実施することで、国際貿易の促進、加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、為替の安定、などに寄与する事を目的としている。 また、為替相場の安定のために、経常収支が悪化した国への融資や、為替相場と各国の為替政策の監視などを行っている。各国の中央銀行の取りまとめ役のような役割を負う。世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成す。

沿革[編集]

ブレトン・ウッズ体制[編集]

1929年世界恐慌は世界の経済システムに大打撃を与え、金本位制はほとんどの国で放棄された。国際金融や為替を管轄する国際機関は存在せず、これが経済混乱を助長する一因となった。各国間では通貨の切り下げ競争が起こり、一部の国は経済混乱を乗り切るために軍拡と侵略へと走り、第二次世界大戦が引き起こされた。こうしたことから、連合国の戦後構想の一環として、国際金融や為替について各国間の協力と調整を行う国際機関の設立が構想された。この組織をめぐってはイギリスのジョン・メイナード・ケインズの案とアメリカのハリー・ホワイトの案の二つが提出されたが、最終的な組織はホワイトの案に近いものとなった。

1944年7月アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ブレトンウッズにおいて、国際金融並びに為替相場の安定を目的として、国際連合の「金融財政会議」が開催された。この会議において調印されたブレトン・ウッズ協定によって、第二次世界大戦後復興策の一環として、安定した通貨制度を確保するための国際通貨基金の設立が国際復興開発銀行と共に決定され、1945年12月27日に29か国で創設された[2]1947年3月にIMF協定が発効し実際の業務を開始し、国際連合と協定を結び、国際連合の専門機関となった。一方、ソビエト連邦はブレトン・ウッズ会議には参加したものの結局批准せず、ソ連および社会主義諸国は1949年経済相互援助会議(COMECON)を設立してブレトン・ウッズ体制の枠外に立つことになった。こうしたことからIMFの本部はアメリカの首都であるワシントンD.C.に置かれることになり、他と懸絶した経済力を持つアメリカの発言権が強い組織となった。

発足当初は外為市場で交換される通貨を物理的に輸送していた。これを見かねた欧州経済協力機構が1950年にヨーロッパ支払同盟をつくった。これは各月末で決済する外為取引用の手形交換制度である。1958年、十分なキャッシュフローを備えるかたちでヨーロッパ通貨協定に改組された。業務の遂行に欧州各国の承諾がいらなくなり、かわりに経済協力開発機構が指揮を担った。協定は1972年に終了し、IMFがその業務を継承した。

国際通貨基金は戦後の経済秩序の根幹をなし、IMF体制(ブレトン・ウッズ体制)と呼ばれるこの経済体制下で西側諸国は徐々に繁栄していくようになった。この体制の根幹はアメリカが金1オンスを35USドルと定め、そのドルに各国がペッグして固定相場制を取るという変則的な金本位制によってなりたっていた。金本位制を取るアメリカ・ドルに各国通貨がペッグしていることから、この時期の通貨体制を金・ドル本位制とも呼ぶ。この時期のIMFは参加各国の為替自由化を主要な目標とし、国際収支の赤字を理由に為替制限ができるIMF14条国から、それができないIMF8条国への参加各国の移行を目指していた。この目標は西ヨーロッパ諸国においては1961年に、日本においては1964年に達成された。しかしこのころには、西ヨーロッパ諸国や日本の急速な経済成長とそれに伴うアメリカの相対的な経済優位の喪失によって、アメリカからの金の流出が続き、この体制の維持が困難になり始めた。こうした状況を改善するため、IMFは1969年に仮想の準備通貨である特別引出権(SDR)を創設し、加盟国はそれまでのIMFに対する直接借入れに加え、緊急時には他の加盟国からドル・ポンド・ユーロ・円という通貨バスケットにある通貨を融通してもらうことが可能になったが、アメリカの貿易赤字と信認の低下は続いた。そして1971年8月15日にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が電撃的にアメリカ・ドルと金との兌換停止を発表したことで金・ドル本位制は崩壊した。これは同時にブレトン・ウッズ体制の崩壊をも意味していた。これを受けて新たな国際通貨体制が模索され、1971年12月18日にはドルと各国通貨との交換レート改定を柱とするスミソニアン協定が締結されて固定相場制の維持が図られたが、ドルの暴落は止まらずに固定相場制は維持不可能となったため各国は相次いで変動相場制に移行し、1973年にはスミソニアン体制は完全に崩壊した。この固定相場制の崩壊は、IMF体制にとどめを刺し、以後通貨は変動相場制が一般的なものとなった。

ブレトン・ウッズ体制崩壊後[編集]

IMF体制が崩壊したことによって、安定した通貨制度を確保するという設立当初の目的は弱まっていき、加盟国の国際収支から国内金融秩序安定へその監視助言業務の比重を次第に移した。また、発展途上国の経済・債務問題への対処がIMFの大きな目的の一つとなった。これは戦後の復興が一段落ついたために開発資金援助へと特化していた国際復興開発銀行および世界銀行グループとの業務の重複を生むこととなった。折から、第二次石油ショック後の資源価格の下落や1970年代の無理な産業開発戦略の影響で、1980年代に入ると中南米諸国やアフリカ諸国において債務危機が多発するようになった。これを受け、IMFは発展途上国に救済融資を行った。この融資を行うに当たり、IMFは問題の根源は支払い能力ではなく資金の流動性にある、すなわち債務支払い能力がないわけではなく、一時的に資金繰りがショートしているだけであると考え、当該国の政府に緊縮政策を取らせて経常収支を改善することを目的とした付帯条件をつけた。こうしてIMFの勧告の元、増税や政府支出削減、民営化、経済自由化、通貨切り下げなどが行われた[3]。こうした政策を総称して、構造調整と呼ぶ。この構造調整政策はラテンアメリカやアジア・アフリカの発展途上国を対象として広く行われたが、特にアフリカにおいては経済成長をもたらすことはなく、逆に経済の停滞を招いた。

1980年代後半に入るとソビエト連邦の衰退が明らかになり、ペレストロイカの流れの中でIMFと東側諸国との関係は改善に向かった。そして1989年東欧革命が勃発し社会主義体制が崩壊すると、これら諸国の市場主義経済化を支援し、経済的に立ち直らせることもIMFの重要な職務の一つとなった。1990年以降はソビエト連邦からの支援要請も相次ぐ様になり、1991年末にソ連崩壊が起きると、ロシア連邦をはじめとする独立国家共同体(CIS)諸国への支援がこれに加わった。IMFはこうした旧ソ連・東欧諸国に対し急進的な市場経済化、いわゆるショック療法を提案したが、ロシアにおいてこの政策は失敗し、1998年ロシア財政危機を起こす原因の一つとなった。

1997年7月にタイでの通貨危機が起き、それをきっかけにアジア通貨危機が発生すると、特に被害の大きかったタイ・インドネシア韓国の3か国の経済は破綻し、IMFの支援を要請することとなった。IMFはこれに対し、中南米諸国やアフリカ諸国と同じように救済融資の条件として緊縮政策を強制した。しかしこれらの諸国の経済の基礎的条件はいずれも健全であり、ただ信用収縮が起こっている状態、すなわちまさに流動性こそが問題であったのに緊縮財政を取ってしまったため信用収縮はさらに拡大し、この3か国は深刻な不況に見舞われた[4]。これを受けてIMFは政策を緩め、各国が景気刺激策を取ることを容認したため危機は収束に向かった。結果的に、IMFはこのアジア通貨危機に対しなんら有効な手を打つことができず、混乱と経済危機を深刻化させただけで終わった [5]

1964年、8条国移行に関する外為法改正について、通商産業大臣閣議を求めることに関する通商産業省の決裁文書。

2008年、各国の投票権等の基礎となる出資額(クォータ)の更新が議論された。

2010年、ギリシャ経済の先行きについて試算を出した(#ギリシャ経済の先行き)。

なお、日本との関係は年譜のとおりである。

これ以降は日本の財務省との関係を参照されたい。

主要会議[編集]

毎年秋に年次総会と呼ばれる世界銀行と合同の総務会を開催。また年2度の国際通貨金融委員会の開催も行っている。

総会英語: World Bank IMF General Assembly)は、毎年秋に1回、世界銀行と合同で開催される。

国際通貨金融委員会英語: International Monetary and Financial Committee、IMFC)は、年に2回開催される。

構成[編集]

意思決定機関として総務会と理事会がある。

英語: Board of governors(一般的に総務会と訳される)」は、各国につき1人の総務(財務大臣中央銀行総裁など)と1人の総務代理で構成される最高意思決定機関で、年1回開催される[8]。投票権は出資金の支払い比率に応じて与えられる。この出資金がIMFの財源であり、経済規模に応じて定められている。

英語: Executive board(一般的に理事会と訳される)」は、24名の理事によるIMFの通常業務に関する執行機関。

幹部[編集]

任命理事と選出理事は現在24名で構成されている。

英語: managing director(一般に専務理事と訳される)」は、理事会の議長と国際通貨基金の代表を務める。世界銀行の総裁に米国出身者が選出されているのと同様、国際通貨基金の専務理事には欧州出身者の就任が不文律となっているが、かつてカムドシュの後任として日本の榊原英資元財務官が、またストロスカーンの後任にメキシコ中央銀行のカルステンス総裁の起用が検討されたことがある。

専務理事 就任 退任
1 Replace this image JA.svg カミーユ・ガット英語版 ベルギーの旗 ベルギー 1946年5月6日 1951年5月5日
2 Replace this image JA.svg イヴァル・ルース英語版 スウェーデンの旗 スウェーデン 1951年8月3日 1956年10月3日
3 Replace this image JA.svg ペール・ヤコブソン スウェーデンの旗 スウェーデン 1956年11月21日 1963年5月5日
4 Replace this image JA.svg ピエール=ポール・シュバイツァー英語版 フランスの旗 フランス 1963年9月1日 1973年8月31日
5 Johan Witteveen.jpg ヨハネス・ヴィトフェーン英語版 オランダの旗 オランダ 1973年9月1日 1978年6月16日
6 Replace this image JA.svg ジャック・ド・ラロジエール英語版 フランスの旗 フランス 1978年6月17日 1987年1月15日
7 Replace this image JA.svg ミシェル・カムドシュ英語版 フランスの旗 フランス 1987年1月16日 2000年2月14日
8 Horst Köhler.jpg ホルスト・ケーラー ドイツの旗 ドイツ 2000年5月1日 2004年3月4日
代行 Anne O. Krueger (2004).jpg アンネ・オズボーン・クリューガー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 2004年3月4日 2004年6月7日
9 RODRIGO RATO RT-8 01.JPG ロドリーゴ・ラト英語版 スペインの旗 スペイン 2004年6月7日 2007年10月31日
10 Strauss-Kahn, Dominique (official portrait 2008).jpg ドミニク・ストロス=カーン フランスの旗 フランス 2007年11月1日 2011年5月18日
代行 Lipsky, John (IMF).jpg ジョン・リプスキー英語版 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 2011年5月18日 2011年7月5日
11 UMP regional elections IlM 2010-02-18 n07.jpg クリスティーヌ・ラガルド フランスの旗 フランス 2011年7月5日 (現職)

クォータ改革[編集]

2008年3月28日、クォータの改革について、理事会において決議案が合意された。クォータ改革の最大の目的は、世界経済における加盟国の相対的地位をクォータ・シェアにより反映させることであり、この改革によって新興国市場でのIMFの役割と責任は高められるとされている。

IMFでの議決権は一国一票ではなく、上記のクォータによる。各加盟国は基礎票として250票を持つほか、自国に割り当てられた特別引出権(SDR)100000ごとに1票が与えられる。

出資比率は2012年現在下記の通りだが、BRIC諸国の比率は高められ、今後中国が3位、インド、ロシア、ブラジルがそれぞれ8位、9位、10位になる予定。IMFへの出資額が世界第2位の日本が債務不履行になり、IMFの管理下におかれて財政自主権が失われることは、財政運営が極度に困難となり財政の自由度が失われる状況であると財務省は定義する[9]。また、財務省は、日本のような自国通貨建てで国債を発行していて、かつ通貨発行権を有する国が債務不履行になることを否定する意見書を出している[10]

2010年度における割り当ての上位30か国と票数[11])
順位 割り当てSDR(100万ドル) 割合 票数 総投票数に対する割合
1 アメリカ合衆国の旗 アメリカ 42,122.4 17.69 421,961 16.74
2 日本の旗 日本 15,628.5 6.56 157,022 6.23
3 ドイツの旗 ドイツ 14,565.5 6.12 146,392 5.81
4 フランスの旗 フランス 10,738.5 4.51 108,122 4.29
5 イギリスの旗 イギリス 10,738.5 4.51 108,122 4.29
6 中華人民共和国の旗 中国 9,525.9 4.00 95,996 3.81
7 イタリアの旗 イタリア 7,882.3 3.31 79,560 3.16
8 サウジアラビアの旗 サウジアラビア 6,985.5 2.93 70,592 2.80
9 カナダの旗 カナダ 6,369.2 2.67 64,429 2.56
10 ロシアの旗 ロシア 5,945.4 2.50 60,191 2.39
11 インドの旗 インド 5,821.5 2.44 58,952 2.34
12 オランダの旗 オランダ 5,162.4 2.17 52,361 2.08
13 ベルギーの旗 ベルギー 4,605.2 1.93 46,789 1.86
14 ブラジルの旗 ブラジル 4,250.5 1.79 43,242 1.72
15 スペインの旗 スペイン 4,023.4 1.69 40,971 1.63
16 メキシコの旗 メキシコ 3,625.7 1.52 36,994 1.47
17 スイスの旗 スイス 3,458.5 1.45 35,322 1.40
18 大韓民国の旗 韓国 3,366.4 1.41 34,401 1.36
19 オーストラリアの旗 オーストラリア 3,236.4 1.36 33,101 1.31
20 ベネズエラの旗 ベネズエラ 2,659.1 1.12 27,328 1.08
21 スウェーデンの旗 スウェーデン 2,395.5 1.01 24,692 0.98
22 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 2,117.1 0.89 21,908 0.87
23 オーストリアの旗 オーストリア 2,113.9 0.89 21,876 0.87
24 インドネシアの旗 インドネシア 2,079.3 0.87 21,530 0.85
25 デンマークの旗 デンマーク 1,891.4 0.79 19,651 0.78
26 ノルウェーの旗 ノルウェー 1,883.7 0.79 19,574 0.78
27 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ 1,868.5 0.78 19,422 0.77
28 マレーシアの旗 マレーシア 1,773.9 0.74 18,476 0.73
29 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 1,753.2 0.74 18,269 0.72
30 ポーランドの旗 ポーランド 1,688.4 0.71 17,621 0.70
残り158か国計 47,907.0 20.15 595,704 23.63

ギリシャ経済の先行き[編集]

ギリシャ経済の先行きについてIMFが2010年に試算を出したが、その経済予測は現実のギリシャ経済の動向とは大きくかけ離れるものとなった。IMFの予測ではギリシャの実質GDPは2011年を境に上昇に転じるはずであった[12] 。現実にはギリシャ経済は落ち込みをつづけ、2013年には実質GDPが2008年時の76パーセントにまで減少した。

                     IMFによる予測されたギリシャの実質GDP(2008年時を100とした場合)[12]                      現実のギリシャの実質GDP(2008年時を100とした場合)[13]

この問題について、2010年に公表したギリシャの経済指標の予想値は極めて楽観的であったことをIMF自身が認めた[14]。2010年にIMFはギリシャに強いる緊縮財政政策を、その他のユーロ圏の脆弱な国を守るファイアウォールを築くための時間作り政策と評していた。だがその2年後にギリシャの失業率が25%にまで上昇してしまう。IMFの予測では14.8%にとどまるとしていたが[12]、その予測は大きくはずれた[14]。ギリシャに課した財政緊縮プログラムについても、その政策がギリシャ経済に与える打撃を過小評価していたとIMF自身が認めたのである[15]。ギリシャ政府の負債についても、早期に債務減免を検討すべきであったとIMFは声明をだした。

ノーベル賞経済学者ポール・クルーグマンは、このIMFの経済予測を批判し、IMFのように財政緊縮が経済に対してどれだけダメージを与えるかを考察できない機関が他者に経済の講義をするべきではないと示唆する[16]

日本の財務省との関係[編集]

日本はIMFへの第2位の出資国である[17]。副専務理事は4人いるがこのうち1人は日本人で、財務省財務官を退職した後の指定ポストとなっている[17] 。2015年時点で、副専務理事ポストへの日本からの選出は4代連続となっている[18]。日本はこのほかに理事ポストを確保し、財務省からの出向者が務めている[17]。理事室には理事のほかにも財務省からの日本人スタッフが多くいる[17]。日本の新聞のIMFに関する記事は、ワシントン駐在の日本人記者が理事室を取材して書いていることが多い[19]。元内閣参事官で嘉悦大教授の高橋洋一によれば、日本の財務省からの出向者がIMFの資料を要約し説明するため、IMFには財務省の意向が入りやすいとのことである[19]

2010年7月14日、IMFが日本に対し「消費税15%」を提言するレポートを発表した[20]。「消費税率を15%に引き上げれば、国内総生産(GDP)比で4-5%の歳入増が生じる」「当初は、成長率を0.3-0.5%押し下げるが、老後のための貯蓄が消費に回り、日本経済への信用度が増すことで海外からの投資が増えるなどの結果、毎年0.5%ずつ成長率を押し上げる」としている[21]

しかし、この提言について経済学者の相澤幸悦は「IMFには各国の財政政策を指導する権限があるが、それは財政危機に陥った国などに対して資金支援を行なった場合に限ってのことであり、アメリカに次いで2番目の出資国である日本に対してこんな指導を出すのはあまりにも不自然である。」と指摘している[21]。また産経新聞ワシントン駐在編集特別委員の古森義久は「この提言も財務省の意向を十分に反映しているものであることは間違いない」と指摘している[21]

経済学者の浜田宏一は2010年8月時点に「政府の信用状態を正確に把握するには、粗債務ではなく純債務を見るのが常識である。純債務であれば日本政府の負債はGDP比60%以下にもかかわらず、同レポートでは粗債務の数字(日本政府の負債はGDP比約180%)を用いている。またレポートは日本円へのソブリンリスクを懸念しているが、日本は世界最大の債権国であり、円に対する市場の信任は高く、リスクが高いとは到底いえない。さらにこれまで金融緩和などの対策を講じていないことに言及せず、デフレの危険が伴う消費税増税を求めるのにも無理がある」と指摘している[21]

IMFは、2014年5月30日にも、2015年10月に消費税率の10%引き上げを行うとともに、最低でも15%に引き上げることを重ねて求める声明を出した[22]。一方で、安倍政権が進めている法人税率の引き下げについて「財政リスクの高まりを防ぐための財源確保が必要だ」とした上で「法人税の税率引き下げは段階的に実施することで、財政リスクの上昇は抑えられる」との声明を出している[23]

構造調整[編集]

1980年代に入ると発展途上国の債務危機が深刻化し、これを改善するためにIMFおよび世界銀行は救済融資を大規模に行うようになった。この際、融資の効果を阻害するような政治状態の国には、政策改善を条件とした。この際に、対象国に課せられる要求のことを「構造調整プログラム(Structural Adjustment Program)」と呼ぶ。構造調整プログラムは新自由主義に基づいており、これに沿った経済の自由化や補助金の削減、国営企業の民営化、関税の引き下げなどが途上国に求められた。このIMFの構造調整プログラムにより、アフリカや南米、アジアなどの発展途上国では、雇用や教育、医療などにおいて後退や停滞が発生し、1987年には国際連合児童基金(UNICEF)がこれを厳しく批判している[24]。また、この構造調整はIMFや世界銀行が行った勧告に沿った政策を当該国政府が実行するという形を取ったが、両機関からの救済融資は当該発展途上国への融資の大部分を占めることが多く、勧告を受け入れないことは当該国への融資の大部分が停止することを意味するため、各国政府は両機関の勧告を受け入れざるを得なくなった。さらに先進各国も援助実施の条件として構造調整プログラムの実施を前提とすることが多くなった[25]ため、この勧告は事実上強制的な通告となり、IMFと世界銀行が多くの発展途上国の経済政策を事実上意のままにできることとなってしまい、内政不干渉の原則にはずれるとの批判の声も上がった[26]。一方、こうした構造調整に伴う痛みの大きさやそれに見合わない成果、既得権益との兼ね合い、そして当該国の行政能力そのものの低さなどから構造調整が遅々として進まない、あるいは政府ができる限り形式的な改革で済ませようとする事例も、特に1980年代には頻発した[27]。しかしこうした抵抗に対し、1991年ケニアのように、IMFは構造調整の遅れた国に新規融資を差し止めるなどの措置を行い、構造調整の実施を強制した[28]

不祥事[編集]

他方でIMF国際通貨基金トップのドミニク・ストロス=カーン氏が女性強姦未遂容疑で米当局に逮捕され、この事は米国メディアで連日大きく取り上げられた。トップのストロスカーン氏の逮捕とあって、IMFの政策運営に空白が生じれば、財政危機が深刻化し国債利回りが急上昇しているギリシャ問題、原油高騰を招いている中東・北アフリカ情勢への対応など、重要課題への対応が遅れることなどへ大きな懸念が高まった。なおストロス・カーン容疑者は事件について否認している。

脚注[編集]

  1. ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p405 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
  2. ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p405 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
  3. ^ 「国際経済システム読本 国際通貨・貿易の今を考える」p134 野崎久和 梓出版社 2008年4月20日第1刷
  4. ^ 「国際経済システム読本 国際通貨・貿易の今を考える」p153 野崎久和 梓出版社 2008年4月20日第1刷
  5. ^ 「国際経済システム読本 国際通貨・貿易の今を考える」p153 野崎久和 梓出版社 2008年4月20日第1刷
  6. ^ 第49回国会『衆議院大蔵委員会第2号議事録』、1965年8月6日。
  7. ^ 第51回国会『衆議院本会議第1号議事録』、1965年12月20日。
  8. ^ 「世界地理大百科事典1 国際連合」p405 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店
  9. ^ 衆議院議員城内実君提出財政破綻リスクに関する質問に対する答弁書 2011年2月10日
  10. ^ 外国格付け会社宛意見書要旨
  11. ^ IMF Members' Quotas and Voting Power, and IMF Board of Governors”. Imf.org (2015年12月20日). 2015年12月20日閲覧。
  12. ^ a b c Greece:Staff report on request for stand-by arrangementIMF, Country report No. 10/110 (2010)
  13. ^ OECD, National Accounts of OECD Countries detailed tables 2006-2013, Volume 2014/2
  14. ^ a b IMF admits mistakes on Greece bailoutBBC News, Business, 5 June 2013
  15. ^ IMF concedes it made mistakes on GreeceM. Steves and I. Talley, The Wall Street Journal, Europe, 5 June 2013
  16. ^ Breaking GreeceP. Krugman, The Conscience of a Liberal, The New York Times, 25 June 2015
  17. ^ a b c d 高橋洋一の自民党ウォッチ IMF「日本の消費税15%が必要」報告 実はこれ財務省の息がかかった数字なのだ(1/2)J-CASTニュース 2013年8月8日
  18. ^ IMF副専務理事に古沢満宏氏 日本から4代連続朝日新聞デジタル 2015年2月6日
  19. ^ a b 連載:「日本」の解き方 IMFの記事で増税が強調されるワケ(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)ZAKZAK 2012年4月24日(2012年4月26日時点のアーカイブ
  20. ^ 日本の消費税15%をIMF提言 来年度から段階的に asahi.com(朝日新聞社)2010年7月16日9時13分
  21. ^ a b c d 「大新聞は国民の敵だ② これこそ『世論誘導』ではないのか IMF 国際通貨基金 『消費税15%提言』報道に財務省のヤラセ疑惑」 週刊ポスト、2010年8月6日号41頁-42頁。
  22. ^ IMF、消費税「最低15%必要」 軽減税率はコスト増大と指摘日本経済新聞 2014年5月30日
  23. ^ IMF、法人税下げ「財政リスクの高まり防ぐため財源確保を」日本経済新聞 2014年5月30日
  24. ^ 「アフリカ経済論」p103 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷
  25. ^ 「ケニアを知るための55章」pp136 松田素二・津田みわ編著 明石書店 2012年7月1日初版第1刷
  26. ^ 「アフリカ経済論」p102 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷
  27. ^ 勝俣誠「現代アフリカ入門」第1刷、1991年11月20日(岩波書店)p119
  28. ^ 「ケニアを知るための55章」pp137-138 松田素二・津田みわ編著 明石書店 2012年7月1日初版第1刷

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯38度54分00秒 西経77度2分39秒 / 北緯38.90000度 西経77.04417度 / 38.90000; -77.04417