IMFによる韓国救済

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IMFによる韓国救済は、1997年12月3日、韓国通貨危機(国家破綻の危機)を経験し、国際通貨基金 (IMF) からの資金支援の覚書を締結した事件である。IMF経済危機・IMF通貨危機・IMF管理体制・IMF時代・IMF事態と呼ぶこともある。

年表[編集]

1997年[編集]

1998年[編集]

1999年[編集]

2000年[編集]

  • 2月18日:起亜自動車、法的管理手続きを終結。
  • 11月6日:大宇自動車が1次不渡り。

2001年[編集]

  • 8月23日:IMF支援体制からの脱却(195億ドルを全額返済)。

IMFとの合意[編集]

合意内容には、「財政再建」「金融機関のリストラと構造改革」「通商障壁の自由化」「外国資本投資の自由化」「企業ガバナンスの透明化」「労働市場改革」などが盛り込まれた[1]

金融セクター再編

  • 韓国銀行の海外支店について、貸付状況監査と不採算支店の閉鎖
  • 全ての銀行がBIS規制を満たすよう、実現スケジュールを策定
  • WTOコミットメントの準拠
    • 貿易補助金の廃止
    • 輸入ライセンス規制の廃止
    • 輸入多様化プログラムの廃止(日本製品を対象にした輸入制限規制)
  • 資本勘定の自由化
    • 外資による国内銀行の株式4%以上購入規制の緩和
    • 国内市場において、外国人投資家による金融商品購入の全面解禁
    • 社債市場における外国投資の全面解禁
    • 企業が、外国より融資を受ける事に対する規制の廃止
  • コーポレート・ガバナンスと企業体質
    • 銀行の融資判断を尊重し、政府は銀行運営・個別融資に対して介入しない。政府による現行の融資指示は直ちに撤回する。政策融資(農業・中小企業融資)は維持するが、利子補給は政府予算から支出する。
    • 個別企業救済のための、政府による補助金支援・減税支援の禁止

主な影響[編集]

政権交代[編集]

大統領選挙にて、与党候補の李会昌が野党候補の金大中に敗北した。


財閥解体[編集]

1999年、韓国で二番目に大きなコングロマリットである大宇財閥は約800億ウォン(8430万米ドル)の負債を抱え倒産、グループは解体された。

1998年7月1日、政府は公的企業の民営化案を発表し、9の公的企業が民営化された。KTBネットワーク、浦項総合製鉄(現在のPOSCO)、斗山重工業(韓国重工業を斗山グループが買収)、KTKT&Gなどが民営化された。


解雇規制緩和[編集]

アジア経済危機後の98年2月に派遣労働制が導入された[2]

IMFによる韓国救済後、常用雇用者についても、1998 年2月、政府・企業・労働組合の三者協調路線の下、真にやむを得ない経営存続上の理由がある場合には常用雇用者の解雇も認めるという内容の合意が行われた[3]

産業政策の変化[編集]

保護主義的な国内民族資本財閥が競う状態から、関税障壁の撤廃・投資の自由化を通じて、財閥の合併・再編が相次いだ。

現代起亜大宇の大手財閥自動車メーカーと三星双竜の準大手の財閥自動車メーカーが市場で争っていた[4]

2016年頃には民族資本の現代・起亜自車車グループが韓国自動車販売シェアのおおよそ70%、続いてアメリカ資本の韓国GM(大宇)、フランス資本のルノーサムスン(三星)、インド資本の双竜と大きく変化した。

また、IMFによる経済引き締めの結果、財閥より体力の無い多くの自動車中小部品メーカーのキャッシュフローが滞った結果、倒産に至った。

脚注[編集]

  1. ^ 国際通貨基金 1997.
  2. ^ 世界経済白書 -IT時代の労働市場と世界経済- 第3節 経済危機と労働市場の柔軟性”. 経済企画庁. 2017年3月31日閲覧。
  3. ^ 経済危機以降の韓国労使関係”. 大原社会問題研究所. 2017年3月31日閲覧。
  4. ^ グローバル化する韓国の自動車産業 部品メーカーの随伴立地を中心に, J-STAGE, (2009-04-06), https://www.jstage.jst.go.jp/article/sisj1986/2007/22/2007_22_29/_pdf 2012年8月16日閲覧。 

参考文献[編集]

関連項目[編集]