土曜ショー

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土曜ショー
TV Asahi 1961.jpg
「土曜ショー」の生放送が行われたNET社屋(写真は番組開始前の1961年のもの)
ジャンル ワイドショー
出演者 高島忠夫
児玉清
ほか
製作
制作 日本教育テレビ(NET)
放送
放送国・地域 日本の旗 日本
土曜ショー 午後をあなたに
→土曜ショー(第1期)
放送期間 1966年4月9日 - 1972年9月30日
放送時間 土曜 12:00 - 12:55
放送分 60分
土曜ショー(第2期)
放送期間 1974年10月 - 1975年9月
放送時間 土曜 12:00 - 12:55
放送分 55分

土曜ショー』(どようショー )とは、1966年4月9日から1972年9月30日1974年10月から1975年9月まで日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)系列局で毎週土曜日正午から1時間放送されていたワイドショーである。

なお、1966年内のタイトルは「土曜ショー 午後をあなたに」(どようショー ごごをあなたに)だったが、1967年以降はタイトルから「午後をあなたに」が取れ、単に「土曜ショー」となった。

概要[編集]

土曜ショー(第1期、1966年4月 - 1972年9月)[編集]

日本教育テレビは1964年4月に日本初のワイドショー『木島則夫モーニングショー』を、翌年4月に『ただいま正午・アフタヌーンショー』をスタートさせて成功を収めていたが、これに味を占めた同社は12月、当時未開拓の分野だった土曜正午の時間帯に3つ目のワイドショー番組『ウィークエンドショー』(毎日放送同名番組とは無関係)をスタートさせた。それをリニューアルしたのが当番組である(『ウィークエンドモーニングショー』が毎日放送制作によりスタートするのはそれから4か月後である)。

放送開始から1971年3月頃までは先発2番組と同様に主婦向けのニュースショーであった[1]が、カラー放送化された同年4月頃から公害天皇制自衛隊沖縄といった、当時としては絶対タブーの話題を取り上げるなど硬派の報道番組となり、郵政省(現在は総務省)が問題視するほどの番組となっていった。そして1972年8月12日に放送された「禁止!禁止!それでも歌う!!」が仇となり(内容は下記参照)、同年9月30日を最後に当番組は打ち切り、担当ディレクターは配置転換されてしまった。

「禁止!禁止!それでも歌う!!」事件の詳細[編集]

1972年8月12日に放送された「禁止!禁止!それでも歌う!!」は土曜ショーの打ち切りを決定的としたもので、その内容は「特定の歌を自主規制コードを作って放送禁止にしている業界のナンセンスぶりを皮肉ることで表現の自由について考えよう…」というものであった。

しかし、この日出演したフォーク歌手の泉谷しげるが暴走し、すでに禁止となっている「戦争小唄」を一部歌詞を変えて歌い、さらに放送禁止歌を審議する日本民間放送連盟の放送音楽審議会の関係者の目前で(この時点ではまだ禁止に指定されていなかった)「先天性欲情魔」を歌った。しかも生コマーシャルに対して「くだらねぇ!!やるんじゃねぇ!!!!」と暴言を吐いた上、その商品[2]を「うめぇわけねぇだろぉっ!」と罵倒し、スタジオを凍りつかせた(ディレクターは左遷され、泉谷も出演禁止になった[3])。結局これが引き金となって打ち切りが決定し、同年9月30日に放送された最終回では「ああ、愛しき哉テレビジョン」と題し、民間放送各局の問題番組のディレクターを集めての座談会が行われた(この内容も相当物議を醸した)。

土曜ショー(第2期、1974年10月 - 1975年9月)[編集]

第1期終了後、1974年10月より再び『土曜ショー』のタイトルで放送開始。

しかし1975年9月で終了、これを以て、10年弱続いたNET土曜昼のワイドショーは、事実上消滅した(「テレビ朝日」改名後は皆無)。

司会[編集]

  • 高島忠夫 - 1970年12月で降板。後継の『土曜奥様ショー』→『土曜ショー』(第2期)で復帰。
  • 児玉清 - 1971年1月〜最終回までのメイン司会者。
  • ザ・ドリフターズ - スタート時〜1967年3月までのレギュラー。
  • 藤村俊二 - 1967年4月〜1971年9月までのサブ司会者。初代メイン司会者の高島とともに『土曜奥様ショー』にも引き続き出演。毎回オープニングなど、そのテーマに関連したツッコミを入れるコメディー・リリーフ的な役割も持っていた。
  • 野末陳平 - 1971年〜最終回?
  • 十朱幸代 - スタート時〜1967年3月までのアシスタント。
  • いしだあゆみ - 1967年4月〜1970年3月までのアシスタント。
  • 由美かおる - 1970年4月〜1971年9月までのアシスタント。
  • 光本幸子 - 1971年10月〜最終回までのアシスタント。

ネットしていた局[編集]

なお、提供クレジットは各局で送出していた。

脚注[編集]

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  1. ^ 番組開始時のメインキャスター・高島忠夫がオープニングに「それではゲストをご紹介しましょう」とゲストを出迎える時、テーマソングを生で歌っていた。
  2. ^ 岩波書店発行のブックレットNo.357「戦後史に見るテレビ放送中止事件」によると、その商品は「鶏肉の缶詰」(焼き鳥)だったという。
  3. ^ 泉谷の出演禁止はその後解除され、1979年にテレビ朝日系で放送されたスペシャルドラマ『戦後最大の悲劇 吉展ちゃん殺人事件』では犯人・小原保役を演じた。これ以外では主に、2000年4月〜9月放送の『週刊ワイドコロシアム』で司会を務めたほか、CS放送テレ朝チャンネルでは冠番組泉谷しげると翼なき野郎ども』が放送されている。

関連事項[編集]

NET系列 土曜正午枠
前番組 番組名 次番組
土曜ショー 午後をあなたに

土曜ショー(第1期)
(1966年4月 - 1972年9月)
土曜ショー(第2期)
(1974年10月 - 1975年9月)
【当番組までワイドショー】