小林古径

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
小林古径
Kobayashi Kokei photographed by Shigeru Tamura.jpg
1953年頃
生誕 小林 茂
(1883-02-11) 1883年2月11日
日本の旗 日本 新潟県高田(現上越市
死没 1957年4月3日(1957-04-03)(74歳)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
教育 青木香葩、梶田半古
著名な実績 日本画
受賞 文化勲章(1950年)
文化功労者(1951年)
従三位、贈勲二等旭日重光章(没時叙位叙勲)
活動期間 1883年 - 1957年

小林 古径(旧字:古、こばやし こけい、1883年明治16年)2月11日 - 1957年昭和32年)4月3日)は、大正~昭和期の日本画家。 本名は茂(しげる)。

1883年(明治16年)、新潟県高田(現上越市)に生まれる。早期に家族を亡くし[* 1]、16歳の1899年(明治32年)に上京して梶田半古に日本画を学ぶ。39歳の1922年(大正11年)より前田青邨と共に渡欧留学。翌1923年(大正12年)、大英博物館で中国・東晋の名画「女史箴図巻」(じょししんずかん)を模写している。「の吐く糸のような」と評される線描が特色のこの中国古典を研究することによって、古径は東洋絵画の命である線描の技術を高めた。代表作「髪」は、このような古径の線描の特色をいかんなく発揮した名作である。簡潔に力強く描かれた線と単純な色彩で、髪の毛一本一本や美しく縁取られた顔の輪郭、半裸の女性の体温や皮膚の柔らかい感触まで、繊細に描き出している。「髪」は、裸体画として、日本で初めて切手のデザインとなった。1935年(昭和10年)、帝国美術院会員。1944年(昭和19年)、東京美術学校教授に就任。同年7月1日帝室技芸員となる[2]1950年(昭和25年)、文化勲章受章。1957年(昭和32年)4月3日、死去、贈従三位、贈勲二等旭日重光章(没時叙位叙勲)[1]

古径の住居として東京都大田区南馬込に建築された小林古径邸は新潟県上越市の高田公園内に移築・復原され、国の登録有形文化財に登録されている。古径は、「私が好きになるような家を建ててください。」と言っただけで一切注文を出さなかった、古径邸ができあがってもすぐには移り住まずに通ってきては眺めて楽しんだというエピソードが残っている。 また、古径は絵画における写生の重要性を認識しており、庭の植物や庭で飼育した鳥などを写生したという。

代表作[編集]

『鶴と七面鳥』 1928年(昭和3年)紙本彩色 財団法人永青文庫蔵 『鶴と七面鳥』 1928年(昭和3年)紙本彩色 財団法人永青文庫蔵
七面鳥』 1928年(昭和3年)紙本彩色 財団法人永青文庫蔵
『髪』
1931年(昭和6年) 絹本彩色
『白華小禽』[* 2]
1935年(昭和10年) 絹本彩色


脚注[編集]

[ヘルプ]
註釈
  1. ^ 1887年(明治20年)4歳の頃 母:ユウ、1895年(明治28年)12歳の頃 兄:弘、1896年(明治29年)13歳の頃 父:株 死去[1]
  2. ^ 初夏の泰山木と夏鳥の大瑠璃が描かれている
出典
  1. ^ a b 小林古径年譜”. 小林古径記念美術館 上越市. 2016年2月閲覧。
  2. ^ 『官報』第5239号、昭和19年7月3日。

外部リンク[編集]