上越市

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じょうえつし
上越市
Takada castle ruins.JPG
Flag of Joetsu, Niigata.svg
上越市旗
Symbol of Joetsu Niigata.svg
上越市章
市旗:1972年昭和47年)12月23日制定
市章:1971年昭和46年)12月10日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
団体コード 15222-6
面積 973.81km²
総人口 196,383
推計人口、2015年5月1日)
人口密度 202人/km²
隣接自治体 柏崎市十日町市
糸魚川市妙高市佐渡市
長野県飯山市下水内郡栄村
市の木 サクラ
市の花 ツバキ
市長 村山秀幸
上越市役所
所在地 943-8601
新潟県上越市木田一丁目1番3号
北緯37度8分52.3秒東経138度14分9.9秒
Joetsu city hall.JPG
外部リンク 上越市

上越市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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上越市(じょうえつし)は、新潟県南西部(上越地方)に位置する都市である。特例市に指定されており、新潟県内では第3位の人口を擁する。

概要[編集]

直江津地区周辺の空中写真。
1975年撮影の3枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
高田地区周辺の空中写真。
1975年撮影の9枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

新潟県上越地方で古くから相互補完の関係を築いてきた高田市直江津市が、1971年(昭和46年)4月29日付で新設合併して発足した。2005年(平成17年)1月1日付で市域周辺の13町村を編入合併し、市域は合併前と比較して面積が4倍となり佐渡市佐渡島)を超えた。市町村の合併の特例等に関する法律(合併特例法)に基づく地域自治区制度を初めて導入した市で、現在は地方自治法に基づく28の地域自治区を設置している(詳細は地域の節で後述)。

新潟県内の市町村で3番目の人口規模を有し[注 1]、前述の13町村の編入合併時には人口約21万人を擁していた。だが近年は少子高齢化と社会減による人口減少が著しく、合併以降は年間1000人前後の減少が継続しており[1]、推計人口は2013年(平成25年)4月1日時点で20万人を割り込んでいる[2]。加えて安塚区浦川原区大島区牧区吉川区板倉区清里区三和区名立区の9自治区が編入合併前から過疎地域に指定されるなど過疎化が進んでおり、過疎地域促進特別措置法特例措置の条件を満たしていることから、過疎地域(いわゆる「みなし過疎」)に指定されている。上越市は過疎地域に指定されている全国の市町村の中で、最も人口が多い自治体でもある。上越市ではこの9自治区について、地域の自立促進や市域発展の均衡化などを目的とした「過疎地域自立促進計画」を策定し運用を行っている[3]

東の新潟市まで133km、西の富山市まで139kmの場所に位置する。日本海に面しており、夏には内陸の長野県方面からの海水浴客が多く訪れる。

律令時代には越後国国府が置かれ、戦国時代には長尾景虎(上杉謙信)に代表される長尾氏上杉氏)が春日山城を居城としたため城下町として盛えた。江戸時代には高田藩の藩庁高田城が置かれた。

市名[編集]

由来[編集]

新潟県内では古くから、越後国(新潟県の本土側)を上方(現在の京都市など)に近い南側から順に「上越地方、中越地方下越地方」と3つに分けており、上越地方の中心都市にあたることから、1971年(昭和46年)の新設合併の際に「上越市」を市名とした。

上越」はこれとは別に、中越地方の上越線沿線を表す際にも用いられているが、それぞれ指す地域が異なっている。

市名変更運動[編集]

上越市と周辺13町村が合併する際に行政側が新市名を上越市に決めた理由とする市内530団体へのアンケート(4割が回答)[4]では意見不足とする考えを持つ市民団体の「住民自治と合併問題を考える会」が北陸新幹線の着工を契機として、この市を通らない上越新幹線や上越線と、この市とが混同されることを避けるために、「上越市」の市名の改称を求めようと呼びかけている。「住民自治と合併問題を考える会」が2007年に実施した住民アンケート(回答者数70人複数回答)によると、新市名に「頸城」関連が36件に対し「上越市」は1件も無かった[5]。「市名を考える市民の会」が発刊した小冊子「上越市でいいんですか?市民が誇れる市名を!」の出版記念講演会において、地名研究家の楠原佑介は「決めるのは市民のみなさん」とした上で「頸城野市は十分、検討に値する案」と述べた[6]

地理[編集]

市内の大部分の地域は豪雪地帯対策特別措置法に基づき特別豪雪地帯に指定されている。

気候[編集]

市内のアメダスの観測点は、高田地区中心部の大手町に所在する高田特別地域気象観測所内をはじめ、大潟観測所(大潟区潟町)、安塚観測所(安塚区和田)、川谷観測所(吉川区川谷字宮田)、筒方観測所(板倉区筒方)の計5箇所に設置されている。市内で最初に気象観測が開始されたのは1921年(大正10年)12月に県が開設した高田測候所で、以後86年間にわたって有人観測が行われ、敷地内には桜の開花宣言を行うための標準木も植栽されていた。気象庁ではその後合理化等に伴って2007年(平成19年)9月30日を以って有人による業務を終了し、無人観測に切り替えられている。

当時の高田測候所では1945年(昭和20年)2月26日に、377cmの最深積雪を記録した[注 2]。高田での積雪量は1986年(昭和61年)2月6日に324cmを記録して以降、最深でも1mに満たないシーズンも多くなっていたが、2012年(平成24年)2月10日には26年ぶりに2mを越え、222cmを観測した。

市内全域では積雪量に大きな差があり、高田などの内陸部や安塚などの山間部は多く、直江津や大潟などの沿岸部は比較的少ない。

高田(1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 19.4
(66.9)
21.9
(71.4)
25.8
(78.4)
32.3
(90.1)
33.1
(91.6)
36.4
(97.5)
38.9
(102)
39.5
(103.1)
37.8
(100)
33.3
(91.9)
27.7
(81.9)
23.7
(74.7)
39.5
(103.1)
平均最高気温 °C (°F) 5.9
(42.6)
6.3
(43.3)
10.3
(50.5)
17.5
(63.5)
22.2
(72)
25.4
(77.7)
29.1
(84.4)
31.3
(88.3)
26.8
(80.2)
21.2
(70.2)
15.3
(59.5)
9.5
(49.1)
18.4
(65.1)
平均最低気温 °C (°F) −0.6
(30.9)
−1
(30)
1.0
(33.8)
5.8
(42.4)
11.2
(52.2)
16.5
(61.7)
21.0
(69.8)
22.4
(72.3)
18.2
(64.8)
11.6
(52.9)
5.9
(42.6)
1.8
(35.2)
9.5
(49.1)
最低気温記録 °C (°F) −10.7
(12.7)
−13.2
(8.2)
−10.3
(13.5)
−6.5
(20.3)
−0.4
(31.3)
6.4
(43.5)
11.6
(52.9)
13.0
(55.4)
8.3
(46.9)
1.2
(34.2)
−2
(28)
−7.8
(18)
−13.2
(8.2)
降水量 mm (inch) 419.1
(16.5)
262.0
(10.315)
194.2
(7.646)
96.1
(3.783)
95.7
(3.768)
145.3
(5.72)
210.6
(8.291)
150.4
(5.921)
206.2
(8.118)
210.8
(8.299)
342.0
(13.465)
423.1
(16.657)
2,755.3
(108.476)
降雪量 cm (inch) 247
(97.2)
193
(76)
86
(33.9)
9
(3.5)
- - - - - - 3
(1.2)
92
(36.2)
635
(250)
 % 湿度 78 76 72 67 71 77 80 77 79 77 77 76 75
平均月間日照時間 65.4 79.6 120.7 181.1 196.3 150.9 153.8 195.0 129.4 134.5 104.1 80.0 1,591.7
出典 1: 気象庁
出典 2: 観測史上1 – 10位の値(年間を通じての値)

歴史[編集]

上杉謙信公の銅像(春日山城跡)

前史[編集]

古墳時代
水科古墳群宮口古墳群に代表される群集墳が見られる。
飛鳥時代
越国が建国され、後に分割されて成立した越中国の管轄となる。
702年大宝02年) - 所属する頸城郡が越中国より越後国に譲られる。
奈良時代
越後国の国衙が置かれる(越後国府)。
1207年建永02年) - 親鸞が国府に配流される。
室町時代
越後守護上杉氏の城館(上杉館)が置かれ、永正の乱後は守護代長尾氏春日山城を居城とする。
1497年明応06年) - 長尾能景林泉寺を建立する。
1507年永正04年) - 長尾為景上杉房能を自害に追い込む(永正の乱)。
1562年永禄05年) - 上杉政虎(上杉謙信)が五智国分寺を再興する。
1567年(永禄10年) - 上杉輝虎(上杉謙信)が浄興寺を招聘する。
安土桃山時代
1578年天正06年) - 御館の乱が起こる。
1598年慶長03年) - 上杉景勝が会津に移封され、堀秀治が入府する。
江戸時代
高田城三重櫓
幕藩体制の成立により、春日山藩が立藩される。
1607年(慶長12年)- 堀忠俊福島城を築き、春日山城は廃城となる(福島藩の立藩)。
1610年(慶長15年) - 越後福嶋騒動によって堀氏は改易となる。
1614年(慶長19年) - 松平忠輝高田城を築き、福島城は廃城となる(高田藩の立藩)。
1616年元和02年) - 牧野忠成長峰藩を立藩する(1618年に廃藩)。
1681年天和元年) - 越後騒動によって越前松平氏は改易となり、高田藩の領地は天領となる。
1684年貞享元年) - 江戸幕府により川浦陣屋が置かれる。
1685年(貞享02年) - 稲葉正往が高田藩を再度立藩する。
1751年寛延04年) - 高田地震が発生する。
1868年慶応04年) - 明治維新により、 旧天領・旗本領は柏崎県の管轄となる。
明治以降
1869年(明治02年) - 旧天領・旗本領の主管自治体が柏崎県(第1次)、越後府水原県、柏崎県(第2次)と変遷する。
1871年(明治04年) - 廃藩置県により高田藩は高田県となる。高田県は柏崎県に編入される。
1873年(明治06年) - 柏崎県が新潟県に編入される。
1883年(明治16年) - 高田事件が発生する。
1886年(明治19年)- 信越本線が開業する。
1897年(明治30年)- 北越鉄道(現信越本線)が開業する。
1901年(明治34年) - 春日山神社が建立される。
1908年(明治41年) - 大日本帝国陸軍第13師団高田に入城する。
1911年(明治44年) - テオドール・エードラー・フォン・レルヒ金谷山において、日本で初めてとなるスキー指導を行う。
1914年10月01日 - 頸城鉄道線が開業する(1971年に全線廃止)。
1949年03月30日 - 名立機雷爆発事件が発生する。

上越市成立後[編集]

1971年04月29日 - 高田市直江津市が新設合併し、上越市が発足する。
1978年10月01日 - 上越教育大学が開学する。
1983年11月09日 - 北陸自動車道が延伸開通する。
1994年04月01日 - 新潟県立看護短期大学が開学する(2005年に廃止)。
1997年03月22日 - 北越急行ほくほく線が開業する。
1997年10月16日 - 上信越自動車道が延伸開通する。

平成の大合併後[編集]

2005年01月01日 - 東頸城郡安塚町浦川原村大島村牧村中頸城郡柿崎町大潟町頸城村吉川町中郷村板倉町清里村三和村西頸城郡名立町を編入合併する。
2007年04月01日 - 特例市に移行する。
2012年07月01日 - 上越火力発電所が営業運転を開始する。

人口[編集]

Demography15222.svg
上越市と全国の年齢別人口分布(2005年) 上越市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 上越市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
上越市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 217,679人
1975年 214,309人
1980年 216,320人
1985年 216,348人
1990年 212,248人
1995年 212,060人
2000年 211,870人
2005年 208,082人
2010年 203,869人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

市行政[編集]

  • 上越市は、日本経済新聞社2001年に行った全国住民サービス番付の行政革新度の総合で、全国1位になった。

国の行政機関[編集]

  • 法務省
    • 新潟保護観察所上越駐在官事務所

議会[編集]

市議会[編集]

会派の構成(定員32人)

会派名 議席数
新政 8
創風クラブ 8
市民クラブ 4
みらい 3
日本共産党議員団 3
公明党 2
無所属 4

(2016年4月28日任期満了予定)

県議会[編集]

上越市選挙区(定員5名)を構成する。

選出議員

議員名 会派 当選回数
小山芳元 社会民主県民連合 5
小林林一 自由民主党 3
梅谷守 民主党 2
楡井辰雄 自由民主党 2
矢野学 自由民主党 1

(2015年4月29日任期満了予定)

国会議員[編集]

産業[編集]

市域に本社を置く主な企業[編集]

国際石油開発帝石傘下で、石油製品の物流等を手掛ける子会社。かつて大潟区で石油精製を行っていた「帝石トッピング・プラント」等を前身とする。

市域に製造拠点等を置く主な企業[編集]

鉱業[編集]

上越市周辺では明治時代初期から原油の採掘が盛んに行われていた。横浜市から高田へ移住した油商の瀧沢安之助が1875年(明治8年)に石油掘削業を興し、翌1876年(明治9年)に採掘に成功、1877年(明治10年)7月から本格的な機械掘を開始した。

その後は石油開発が進み、1901年(明治34年)11月にはアメリカのスタンダード・オイルの日本法人「インターナショナル石油」の直江津製油所(現在の信越化学工業直江津工場付近)が操業を開始した。だが埋蔵量が乏しく、その僅か5年半後の1907年(明治40年)6月、インターナショナル石油は新潟県内の全資産を日本石油(のちの新日本石油、現在のJX日鉱日石エネルギー)に売却して撤退、日本石油も1923年(大正13年)1月をもって直江津製油所の操業を停止した。

1951年(昭和26年)、頸城区西部の明治地区を皮切りに周辺各地で油田・ガス田が相次いで発見され、1963年(昭和38年)には帝国石油(現在の国際石油開発帝石)が大潟区渋柿浜で頸城製油所の操業を開始した。しかし国産原油の生産量減少や施設の老朽化などにより、油田は2001年(平成13年)に、製油所は2012年(平成24年)にそれぞれ操業を停止した。なお製油所跡地には2013年(平成25年)、同社の太陽光発電所「INPEXメガソーラー上越」(最大出力 2Mw)が整備された。

2000年代前半、直江津港北東沖で海底表面にメタンハイドレートが露出している海域が発見された。海底面上にあるメタンハイドレートが発見されたのは東アジア周辺海域では初めての事であった。その後2004年(平成16年)7月に実施された共同調査では、日本海側で初めてメタンハイドレートの天然結晶サンプルが採取された。

姉妹都市・友好都市等[編集]

日本国内[編集]

海側の上越、山間部の上田という自然環境の違いを補完し合うように、古くから盛んに交流を続けてきた。上田市の新設合併に伴い、旧4市町村が締結していた友好・協定都市の関係を継承する調印式が2006年(平成18年)8月18日に開催された。
上越・米沢は共に上杉謙信にゆかりが深く、1978年(昭和53年)に米沢で開催された「謙信公四百年祭」を契機に交流が盛んとなり、小学生の交歓事業や、祭事の相互訪問などの交流が続けられている。
佐渡汽船直江津港 - 小木港間航路で連絡している縁から締結された。このほか佐渡市とは集客プロモーションパートナー都市協定を締結しているほか、後述の「越五の国」でも連携プロジェクト事業を実施している。
旧高田市が清水市と1954年(昭和29年)2月から中学生の交歓事業を通じて長年交流を図っていた縁を契機に、1995年に姉妹都市を締結した。この交歓事業は半世紀にわたって継続され、2003年(平成15年)に清水市が静岡市と新設合併する際、静岡市側が「現行通りの事業継続は困難」としたことなどから同年限りで終了したが、姉妹都市としての関係は継承され、その後も後述の集客プロモーションパートナー都市協定や災害時相互応援協定を締結している。
  • 室蘭市北海道):1995年(平成7年)10月22日締結
  • 岩内町(北海道):1995年(平成7年)10月22日締結
1990年(平成2年)に東日本フェリーの直江津港 - 室蘭港・岩内港間航路が開設されたのを機に、上越と両市町との間で交流が開始され、岩内町との間では毎年夏休みに小学生の交歓事業が実施されている。同航路は東日本フェリーの経営悪化により2000年(平成12年)に運航休止となり、その後再開されぬまま2007年(平成19年)に廃止されたが、交歓事業は現在も継続して実施されている。

編入市域13区の姉妹都市等は上越市が継承し、現在も交流事業が継続されている。

連携都市[編集]

観光連携[編集]
集客プロモーションパートナー都市協定

「集客プロモーションパートナー都市協定」とは、協定を締結した都市間が観光広報活動の活性化や市民交流の促進を通じ、交流人口の拡大と地域活性化を図ることを目的としたもので、上越市は協定を締結している上記5市のうち長野、甲府、静岡の3市との間で「4市協定」を締結している。

まず上越と長野は、海と山をテーマにした都市間交流を目的として2005年10月に協定を締結した。その後「川中島の戦い」を共通のテーマとして、上杉謙信の城下町の上越、武田信玄の城下町の甲府、両氏の戦いの場となった長野の3市連携が実現し、2007年9月に長野市八幡原史跡公園で開催中の「川中島古戦場まつり」に於いて「古戦場の誓い」と銘打ち、3市協定の締結式が開催された[7]。さらに2010年7月、徳川家康の城下町で、上越が姉妹都市として、甲府が連携交流都市としてそれぞれ協定を締結している静岡を協定都市に加え、戦国の世の戦いにまつわる縁と、上信越自動車道と現在建設中の中部横断自動車道によって南北間が結ばれている地理条件を縁とした、4市による観光連携事業が進められている[8][9][10]。また4市間では観光連携協定に加え、2012年7月20日付で災害時相互応援協定を併せて締結している[11]

上越市ではこの4市協定とは別に、佐渡市と、上信越自動車道の起終点という共通点を有する藤岡市の2市とも観光連携事業を実施している。

上越・妙高・糸魚川観光連携実行委員会

北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間延伸開業に合わせ、上越地方の3市が観光資源の連携と情報発信を目的に2010年(平成22年)に発足した。

越五の国

前掲の北陸新幹線延伸開業に合わせ、上越妙高駅周辺の各種施策の検討を目的として、上越市と妙高市が中心となって2012年(平成24年)4月28日に発足させた「新幹線まちづくり推進上越広域連携会議」に柏崎、十日町、佐渡の3市が参画し、2013年(平成25年)4月に5市間の連携プロジェクト「ようこそ。越五の国へ。」を開始した。5市間では観光誘客など多岐にわたる連携事業が実施されている。

海外[編集]

地域[編集]

周辺13町村編入以前の上越市[編集]

2004年12月31日までの上越市(青)と、編入された13地域自治区(緑)

2005年(平成17年)1月以前の旧市域は、大きく分けて旧高田市にあたる高田地区と、旧直江津市にあたる直江津地区の南北2地区となっていた。高田地区は江戸時代には高田城が築城され、明治以降も国や県の出先が設けられるなど、政治と行政の中心としての歴史が長く、一方の直江津地区は古くは北前船、明治以降は鉄道と道路など陸海交通の要衝として発展するとともに、港湾に面する立地と、原油や天然ガスなどの地下資源を活かして工業立地が進むなどし、旧市域は両地区を中心とした相互補完の関係の下で発展を遂げてきた。

1971年(昭和46年)4月29日付で両市の新設合併により上越市が発足した。合併に際し、歴史や特性の異なる2つの地区を融和する必要性から、双方の中心部のほぼ中間点に位置する旧高田市北部の春日地区に市役所、ホール、体育館等の公共施設を整備し、新たな都市核の形成を目指す方針が取られた。このうち市役所については、合併後はまず旧高田市庁舎(1914年8月竣工、1977年6月撤去)を本庁舎、旧直江津市庁舎を分庁舎として5年間運用した後、新しい本庁舎(現在の木田庁舎)を春日地区に建設し、1976年(昭和51年)3月に竣工、同年4月10日に開庁した。以後、春日地区は市の行政機能の集積地となり、併せて都市基盤整備が著しく進み、複数の都市核を有する「複核型都市」となった。

上越市では高田・直江津双方の中心部を「中心市街地」としており、公文書等では「中心市街地(高田地区)」などと、いずれかの地区を明記している。また市内の道路に設置された案内標識も、どちらの市街地であるかを明記するため「上越市街(高田)」「上越市街(直江津)」という標示が用いられている。

だが近年の上越市は概要で頭書したとおり、全域で人口減少傾向が著しくなっている。高田・直江津の両中心市街地も例外ではなく、高田地区では中心部の核店舗とも言える存在でもあった総合スーパー「長崎屋高田店」が2002年(平成14年)2月に、百貨店大和上越店」が2010年(平成22年)4月25日にそれぞれ閉店するなど、空洞化も顕著となっている。上越市では両中心部の空洞化を抑制するため「中心市街地再整備計画」などの施策を進めている。

その一方で、春日地区では前掲のように市役所木田庁舎や春日山駅北陸自動車道上越インターチェンジなどを中心に市街地化が進み、且つ市域南北を縦貫する国道18号上新バイパス、上越大通り、山麓線などの幹線道路沿線にあたる地区でも、道路交通の利便性を活かして大型ショッピングセンターやロードサイド型店舗が数多く出店し、住宅地開発も進捗している。2005年の編入市域合併以降、市内28自治区で人口が増加しているのは春日区・新道区・有田区・金谷区・三郷区の5区のみである。

地域自治区[編集]

上越市には計28の地域自治区が設けられている。これは2005年(平成17年)1月1日付で周辺13町村を編入合併した際、当時の合併特例法で定められた同制度を導入したもので、全国初の導入例となった。

地域自治区制度とは地域住民の声を行政に反映させるための制度で、住民の意見を集約する地域協議会が各区域ごとに設置されているほか、住民から選ばれた委員(ボランティア)が、市の施設運営や予算などについて協議し、市長に意見を伝えることができる。また行政側は地域活動のとりまとめなどを通じて住民を支援する。なお政令指定都市行政区とは異なり、行政権限は有さない[注 3]

前掲のとおり、まず2005年1月1日付で編入合併した13町村に新設され、13区の旧町村庁舎には「総合事務所」が設けられ、所長が配置された。また、この編入市域13区の地名・町名には自治区名が冠されるとともに「大字」の表記が廃止された。

さらに、編入合併前の旧市域についても地域自治区設置の検討が進められ、2009年(平成21年)3月の市議会で「上越市における地域自治区の設置に関する条例」の一部改正の承認を経て、同年10月1日付で昭和の大合併以前の市町村区域に基づく15区が新設された。この旧市域15区の地名・町名の表記には自治区名を冠さないほか、住居表示や町名変更が施行されていない地域の一部では「大字」の表記が存続されている。また総合事務所に代わる事務機能として、南部(高田地区南部の4区)、中部(高田地区北部の5区)、北部(直江津地区の6区)の3地区ごとに、各自治区の協議会に関する事務等を行う「まちづくりセンター」が設置されている[12]

なお地域自治区制度は2008年(平成20年)4月から合併特例法に代わり、地方自治法に基づいて運用されている。

2005年1月設置(編入市域13区)[編集]


2009年10月設置(旧市域15区)[編集]

南部まちづくりセンター管内
中部まちづくりセンター管内
北部まちづくりセンター管内


教育[編集]

総合大学はないが、上越教育大学新潟県立看護大学の2単科大学がある。

スポーツ[編集]

スキー[編集]

日露戦争に勝利した日本の軍事研究を目的に来日したテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が、1911年に、陸軍第13師団が置かれた高田に赴任し、金谷山で日本で初めてとなるスキー講習を行ったことから、上越市は「日本スキーの発祥地」としても知られる。

姉妹都市の一つリリエンフェルト市(オーストリア)は、「アルペンスキーの父」ことマティアス・ツダルスキーが、オーストリア・ハンガリー陸軍将校レルヒにスキーを指導した地である。

本拠地を置くスポーツチーム[編集]

施設[編集]

日本スキー発祥記念館(新潟県上越市金谷山)

主な市営施設[編集]

  • 上越市総合体育館
  • オールシーズンプール
  • リージョンプラザ上越(屋内スタジアム・スケートリンク・プール)
  • 金谷山公園BMXコース
  • 直江津海岸ビーチバレーコート

高田公園

  • 上越市高田公園弓道場
  • 上越市武道場
  • 上越市高田公園陸上競技場
  • 上越市高田公園ゲートボール場


文化施設[編集]

図書館

  • 上越市立高田図書館
  • 上越市立直江津図書館

美術館

博物館・科学館

学習施設

文化財


防衛施設[編集]

研究施設[編集]

マスコミ[編集]

新潟県内で唯一、テレビ東京の受信点を持っており、1986年の設立時から、同局のアナログ放送区域外再放送を開始。2011年3月1日から2014年7月24日まで地上デジタル放送の再送信を行っていた。

  • 上越タイムス社(新聞社)
  • エフエム上越放送株式会社(ラジオ局)
  • 上越市有線放送電話協会(有線放送)
  • ジャックランド(雑誌編集社)

交通[編集]

上越妙高駅

鉄道[編集]

市内の鉄道路線は東日本旅客鉄道(JR東日本)、西日本旅客鉄道(JR西日本)、北越急行えちごトキめき鉄道の4社により運行されている。

2015年(平成27年)3月14日には北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間が延伸開業し、市南部の和田地区に上越妙高駅が設けられた。新幹線開業に合わせて駅周辺整備や土地区画整理が実施され、それらの一環として信越本線の脇野田駅は2014年(平成26年)10月19日、新幹線駅西側へ移設され、新幹線開業に際して現在の上越妙高駅に改称した。

このほか直江津駅は、上越地方の在来線の拠点駅として機能している。なおJTB時刻表などでは、高田地区中心部の高田駅を「市の中心駅」として表記している。

バス[編集]

市域内の路線バスは、直江津地区に本社を置く頸城自動車と同社の地域子会社による頸城自動車グループ(マルケーグループ)各社が運行している。

道路[編集]

上越市は新潟県南部の交通の要衝のひとつで、北陸各地や東北地方などの日本海側から、甲信地方などの内陸部や、関東地方や東海地方などの太平洋側とを結ぶ経路の結節点となっている。

高速道路[編集]

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

一般県道[編集]


道の駅[編集]

港湾[編集]

市域の海岸部のうち、直江津地区から頸城区にわたる地域が直江津港の港域となっている。重要港湾特定港に指定されているほか、日本海側拠点港のうち液化天然ガス部門の拠点港として新潟港と共に指定されている。

航路[編集]

かつてはカーフェリーのほか全没翼型水中翼船(ジェットフォイル)による運航が行われていたが、2015年(平成27年)4月21日から波浪貫通型双胴高速カーフェリー「あかね」により運航されている。

観光[編集]

観桜会ライトアップ

観光地[編集]

文化[編集]

祭事・催事[編集]

越後・謙信SAKEまつり

食文化[編集]

  • おぼろ
  • 魚の煮物(深ざめの煮こごりほか)
  • ぴりっ子 神楽南蛮(ししとうがらし)を使用した、歴史が古い辛味調味料
  • 上越コシヒカリ(
  • くびき
  • えだまめ
  • 越の丸なす

上越市が舞台の作品[編集]

上越市にゆかりのある有名人[編集]

政官界・軍人[編集]

学界・言論界・実業界[編集]

芸術・マスコミ[編集]

スポーツ[編集]

電話番号[編集]

市内の加入電話市外局番は下記の通り。2002年7月20日、上越市の市内局番は逼迫対策のため三桁化された。県内には市外局番「025」を使用している地域が複数あるが、現在は市内局番500~540番台及び590番台が上越市域に割り当てられている。

2006年1月現在、上越MAと安塚MAの相互通話は未だMAの統合はされておらず隣接扱いのため、市外局番025が必要である。

  • 025(510-549、但し517局は天気予報のため使用されない。) - 下記以外の地域(上越MA)
  • 025(500-509、590-599) - 安塚区、浦川原区、大島区(安塚MA)
  • 0255(70-89) - 板倉区・中郷区(新井MA)

なお、これらとは別に、糸魚川市に550・560・600番台が割り当てられているが、上越市との相互通話は市外局番025が必要である(上越、新井MAから隣接扱い)。

外部リンク[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 上越市は2004年末まで新潟市、長岡市に次ぎ県内3番目の人口を有する自治体だったが、2005年1月に13町村を編入合併した際、人口は県内2番目となった。なお長岡市が同年4月、2006年1月の2度にわたり周辺の計9市町村を編入合併したため、以後は再び3番目となっている。
  2. ^ 日本国内の気象観測史上における歴代最深は、滋賀県の伊吹山測候所で1927年(昭和2年)2月14日に記録された1182cm、アメダスの観測地点での最深は、青森県酸ケ湯で2013年(平成25年)2月26日午前4時に記録された566cmである。
  3. ^ 一例として、市町村が発行する住民票や印鑑登録等は、政令市の行政区では「区長」が事務処理の名義人となっているが、上越市は政令市ではないため「市長」となっている。

出典[編集]

  1. ^ 上越市第6次総合計画【第1章】上越市を取り巻く三つの共通課題(第1部)人口減少の進行”. 上越市. 2015年3月27日閲覧。
  2. ^ 上越市の人口統計資料”. 上越市 (2015年3月9日). 2015年3月27日閲覧。
  3. ^ 上越市過疎地域自立促進計画”. 上越市 (2014年12月18日). 2015年3月16日閲覧。
  4. ^ 「上越市」でいいですか(3/8)YOMIURI ONLINE
  5. ^ 上越市でいいんですか? 北陸新幹線めぐり市名変更運動 産経新聞 2008年12月10日
  6. ^ 市名考える冊子発行 上越タイムス 2008年12月5日
  7. ^ 集客増へ三市が協定 「川中島の戦い」縁に”. 上越タイムス (2007年9月5日). 2015年3月27日閲覧。
  8. ^ 上越市の観光のページ”. 上越市 (2015年3月25日). 2015年3月26日閲覧。
  9. ^ 集客プロモーションパートナー都市協定について”. 長野市 (2013年8月20日). 2015年3月26日閲覧。
  10. ^ 静岡市を加えた集客プロモーションパートナー都市における協定の締結について”. 甲府市 (2010年7月1日). 2015年3月26日閲覧。
  11. ^ 静岡市、長野市及び甲府市との「災害時相互応援に関する協定」の締結について”. 上越市 (2015年3月25日). 2015年3月26日閲覧。
  12. ^ 上越市 地域自治区(地域協議会)(上越市)