隈取

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歌舞伎十八番押戻1896年5月。市川團十郎 (9代目)

隈取(くまどり)とは、歌舞伎独特の化粧法のことである。初代市川團十郎が、坂田金時 の息子である英雄坂田金平役の初舞台で紅と墨を用いて化粧したことが始まりと言われる。芝居小屋などにおいて遠くの観客が役者の表情を見やすくするために主に使われる。中国古典劇の京劇にも臉譜(れんぷ)と呼ばれる独特の隈取があり、両者には色彩によって個性を強調するなど共通点が多い。

隈取の意味[編集]

隈取は初代團十郎が人形浄瑠璃の人形のかしらにヒントを得て創作したものといわれ、顔の血管や筋肉を誇張するために描かれたもので、役柄により、施される隈取や色が異なる。

最も荒々しい紅色の太くはっきりした「筋隈」やそれよりは大人しいが力強い「一本隈」は、共に若く正義感にあふれた英雄に用い、一つの劇で場面によって使い分けることもある。『菅原伝授手習鑑』の梅王丸やの主人公が有名。

同じ紅色系統でも水も滴るような美男子には下瞼に沿って紅を塗る「むきみ」を用いる。『助六』などの曾我五郎時致が有名。

黒・藍色系統では、「公家荒」と呼ばれる国家転覆を狙う大悪人(『菅原伝授手習鑑』の藤原時平)の隈や、嫉妬の鬼と化した女性の「般若隈」(『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子、その本性は清姫)、女妖怪に使う「鬼女隈」(『紅葉狩』の鬼女紅葉や『戻橋』の女に化けた鬼など)、荒れ狂う悪霊の怨念を表した「亡霊隈」(『船弁慶』の平知盛)など猛々しさは紅色の隈取に匹敵するが、冷酷であったり妖力を使う悪役のものである。

代赫色(茶色)は土蜘蛛など、老獪で非情な役に用いられるが種類は少ない。

以上のように大体の型はあるものの、隈取は役者が自分で書き入れるものなので一人一人形が違う。歌舞伎の贔屓の中には、楽屋に絹本を持ち込んで役者に隈取を写し取ってもらったものを蒐集する者もいる。

歌舞伎の「隈取」は人間の顔かたちを想定したものなので基本的には人間にしか用いない(『義経千本桜』に登場する源九郎狐の「火炎隈」などもあるが動物の隈取というより神秘的な力を現す隈取)が、京劇の「瞼譜」は有名な孫悟空の隈取をはじめ動物役を想定した隈取が何種類も存在する。

瞼譜を含め、アジアの舞台化粧は赤や黒のほかにも緑や黄色などが加わり、表情を強調するものというより異常性を際立たせることに主眼が置かれ、そのルーツである仮面劇の仮面のような役割を果たす。

隈取の発展[編集]

初代市川團十郎が坂田金平を主人公にした人形浄瑠璃の台本を舞台用にしたものを上演する際、人形からヒントを得て、紅と墨で描いたのが最初の隈取だった。この時点での隈取は、派手な荒っぽいものであったと考えられる。

隈取の特徴である「ぼかし」の技法は、二代目市川團十郎が牡丹の花を観察して考案したものと言われ、以後の隈取はより一層洗練されていくことになる。

江戸の荒事の中で隈取が発展する際に参考となったのが、仁王像などに代表される仏像の誇張された筋肉表現と能面の洗練された表情の表現だった。

一方、上方の和事を中心とした凝った筋書きの芝居の影響によって、隈取も荒々しいだけでなく色気を意識するようになる。歌舞伎の色男の代表格『助六』の主人公で「むきみ」の隈取も色っぽい花川戸助六は、現在こそ威勢のいい江戸男として知られるが、もともと上方歌舞伎で創成された役どころである。

今日伝わる隈取の多くは九代目市川團十郎の門弟・ 三代目市川新十郎により残された。古今東西多くの隈取を熟知していた新十郎は、太田雅光の協力で研究書『歌舞伎隈取』を著した。その弟子の中村秀十郎は、臨終時の新十郎の顔に隈が浮かび現れいくら洗っても消えなかったと述懐している。

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関連項目[編集]