おしろい

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
舞妓の首筋に塗布された白粉

おしろい白粉)とは、本来は女性が首筋などに塗布してを色白に見せるために使用する化粧品で、その種類に応じて、粉おしろい、水おしろい、練りおしろいなどに分類される。

概要[編集]

日本でファンデーションといった油性化粧が一般化する前はベースメイクとして普及していたが、現在ではファンデーションを塗った上に仕上げとしてはたくルースパウダー、化粧直しに用いるプレストパウダーとして使用されている。また舞台俳優舞台化粧で使用したり、芸者舞妓が化粧に使用したりする。ファンデーションの肌に対する負担や害悪を低減させる目的で、白粉だけを使用したベースメークをする者もある。

歴史[編集]

白色顔料をベースメイクにした最古の例として、メソポタミアの遺跡から白紛が発掘されている[1]。自然な肉体美が賛美された古代ギリシアでは、ヘタイラと呼ばれる娼婦が専ら白粉を使っていたが、古代ローマの時代になると多くの女性が白紛を利用した。

ローマ帝国以後、化粧の文化は一旦衰退したが、中世後期からルネサンス期にかけてイタリアを中心に、顔に白紛を塗り、その上に頬紅を加えるメイクが流行した。このメイク法は18世紀にかけてヨーロッパ全域の王侯貴族に男女問わず広がった[1]。貴族の時代が終わり市民の時代になると、多くの女性が白紛を利用するようになったが、白紛に含まれる亜鉛華の毒性が健康上の問題となった。20世紀中ごろから、ベースメイクの主流は白紛からファンデーションに移っていった。

日本では、7世紀ごろに中国から「はらや」(塩化第一水銀)、「はふに」(塩基性炭酸鉛)という白紛がもたらされ、国産化された[1]。 白粉に鉛白が使用されていた時代、鉛中毒により、胃腸病、脳病、神経麻痺を引き起こし死に至る事例が多く、また日常的に多量の鉛白粉を使用する役者は、特にその症状が顕著であった(五代目中村歌右衛門など)。また、使用した母親によって胎児が死亡や重篤な障害を蒙る場合もあった(大正天皇の脳症も生母宮中の女性が使用していた鉛白が原因との説がある[2])。胸元や背中に至るまで、幅広く白粉を付けるのが昔の化粧法として主流であったからである。1934年(昭和9年)には、鉛を使用した白粉の製造が禁止されたが、鉛白入りのものの方が美しく見えるとされ、依然かなりの需要があったという。

分類[編集]

粉白粉
粉白粉は、カオリンタルク炭酸マグネシウム酸化亜鉛コーンスターチ澱粉などを粉末状にし、混合した物。スキンクリームなどを化粧下地にパフ刷毛で刷くか、水か化粧水に溶いた物を塗る。パウダーファンデーションにあたる物。
水白粉
粉白粉を化粧水、もしくは乳液に溶かした物。リキッドファンデーションにあたる物。
練(煉)り白粉
粉白粉と油、もしくはグリセリンと練り合わせた白粉。水もしくは化粧水で溶いて塗り、舞台化粧などの濃厚な化粧に用いられる。ファンデーションケーキにあたる物。
紙白粉
白粉紙とも。練り白粉、もしくは水白粉を紙に塗り、乾燥させた物。外出先の化粧直しを目的とした携帯用。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 福井 2013, pp. 91-93.
  2. ^ 森岡清美『華族社会の「家」戦略』索引p.399-400

参考文献[編集]

  • 福井寛 『美肌の科学』 日刊工業新聞社〈おもしろサイエンス〉、2013年ISBN 9784526070921 

関連項目[編集]