カモフラージュメイク

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カモフラージュメイクは、顔のアザや手術痕などキズを自然に隠すメイク方法。

兵士が戦場で目立たないようカモフラージュするために、顔・首筋・耳や腕といった露出する肌に施す化粧の方法を指すこともある。

概要[編集]

痣(アザ)や傷、その他の皮膚の状態を化粧で覆い隠すだけではなく、心理的にケアする目的のメイクアップである。

日本の資格[編集]

美容師法(昭和32年法律第163号)「美容師は「美容を業とする者」をいい、美容師法に基づき厚生労働大臣の免許を得なければならない。美容師の免許を持たないものは美容を業として行うことはできない。なお、業とは反復継続の意思をもって行うことで、有料・無料は問わない。」

顔に化粧を施すことは美容行為であり、美容師法に該当する。メイク施術者は、その行為が有料無料に関係なく、業務独占資格である美容師免許取得者でなければならない。したがって、美容師でなければ、メイクボランティアもすることができない。

セラピーメイク、メイクセラピー、リハビリメイク、フェイシャルセラピスト、フェイスプランナー、メンタルメイクセラピスト、メディカルメイク、カバーメイク、化粧療法士などは、日本の様々な団体が独自に名称を付けた民間資格である。単なる商標及び資格ビジネスも存在し、美容師法とは無関係であり国家資格の免許ではない。

美容師免許を取得するには、美容師養成施設を卒業し、美容師国家試験に合格しなければならない。

歴史[編集]

歴史は1928年米国のリディア・オリリーによって皮膚変色をカバーして見えなくする化粧品が開発されたことから始まる。

日本では1955年、広島のいわゆる「原爆乙女」たちがニューヨーク市マウントサイナイ病院においてケロイド痕治療を受けたが、その際に5番街カバーマーク相談室を紹介された。ここでカモフラージュメイクの施術をうけ、オリリー婦人からプレゼントされたカバーマーク化粧品を持って帰国した。

一方、社会事業家、沢田美喜ニューヨークに滞在中に、顔にアザのある女性、リディア・オリリーが開発した化粧品「カバーマーク」を知り、自身が関わる皮膚の黒い子供たちのために必要とピアス化粧品の阪本社長に紹介し、日本への輸入を依頼した。

1960年(昭和35年3月)日本医学皮膚科学会で、米国カバーマーク社のアーティスト、クラフト夫人がデモンストレーションを行い広く知られるようになった。この年ピアス化粧品の出資でジャパンオリリーが設立されて日本でのカバーマーク化粧品安定供給が可能となった。化粧指導員の多くが、顔にアザなどの疾患のある女性だった。各地で、カバーマークの使い方をデモンストレーションして普及させていった。

カバーマークの他に、資生堂からも医療用化粧品は販売されている。

欧米のカモフラージュメイク[編集]

欧米ではコスメティックカモフラージュ、カモフラージュメイクアップ、またはカモフラージュセラピーと呼ばれる。

英国赤十字ではスキンカモフラージュ(Skin camouflage)とよばれ、消えない傷跡、刺青、酒皶、あざ、皮膚変退色、その他皮膚疾患の患者に対するソーシャルケア(Social Care)の一環として年5日間の研修を受けたボランティアによる化粧の指導が行われている。[1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 英国赤十字のWebサイト 'Skin camouflage' を参照