井上純一 (俳優)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いのうえ じゅんいち
井上 純一
生年月日 (1958-08-14) 1958年8月14日(65歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区代田
民族 日本人
ジャンル 俳優声優
活動期間 1974年 -
テンプレートを表示

井上 純一(いのうえ じゅんいち、1958年8月14日 - )は、日本俳優声優。また、かつてジャニーズ事務所に所属し、男性アイドルグループジュニア・スペシャルの元メンバー。

東京都世田谷区代田出身。(株)NLT所属。早稲田大学高等学院卒業。早稲田大学第一文学部中退。アイドル時代の愛称は「ジュン」。元妻は女優・声優の戸田恵子

ジャニーズ時代の参加ユニット[編集]

略歴[編集]

  • 1958年に一流出版社で管理職を務める父のもとに生まれ、早稲田大学高等学院1年生在学中の1974年ジャニーズ事務所へ入所し、ジャニーズJr.になる。一時期は「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」のメンバーにも選ばれたが、すぐに脱退した。1975年コロムビアレコードから『恋人ならば』でソロレコードデビューしたが、高校の校則が厳しかったため、デビューは夏休み中の同年8月1日となった。当時のキャッチフレーズは「ポストひろみ」、「クリーン・エイジの白い恋人」。同年にはニッポン放送主催の『銀座音楽祭』にも出場したほか、レコードデビューと同時に草刈正雄との共演映画『俺たちの恋人』の撮影もクランクイン(後にお蔵入り)。さらには、映画『はつ恋』にて主演も果たすなど、ふんわりした独特のパーマヘアと爽やかなキャラクターで人気を博した。その後も、テレビドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』や『池中玄太80キロ』などに出演し、歌手活動よりは俳優活動の方が目立っていた。
  • アイドル歌手としての華々しい活動は少なかったが、数々の人気ドラマへのレギュラー出演もあり、若手俳優としての認知度および知名度は高かった。川崎麻世と共に、1970年代後期からたのきんトリオ出現前のジャニーズ事務所低迷期を支え、たびたび雑誌グラビアを飾り、プロマイドの売れ行きも好調だった。
  • テレビドラマで長らく恋人役を演じてきた藤谷美和子との交際もあったが、後に舞台『踊れ艦隊のレディたち』で共演した女優声優戸田恵子1990年に結婚。戸田とは都内に画廊をオープンしたりもしたが、2006年12月に離婚。離婚についてはほとんど公表されておらず、2007年7月頃の週刊誌にて初めて発覚した。なお、戸田とは離婚後も仲が良いとの噂があったが、離婚後は井上の親の葬儀以外では会っていないという。

人物[編集]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

連続ドラマ[編集]

単発ドラマ[編集]

歌番組[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

  • 新・麻雀放浪記3 死闘編(2000年)

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ [編集]

  • 地球へ…(1980年) - ジョミー・マーキス・シン 役

吹き替え[編集]

広告・CM[編集]

舞台[編集]

ステージ[編集]

  • 第53回ウエスタン・カーニバル〜ばらとみかんとバイオリンと(1975年3月28日 - 3月31日、日本劇場
  • 第54回ウエスタン・カーニバル〜ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル(1975年8月27日、日本劇場)

ラジオ番組[編集]

その他[編集]

  • ビーストウォーズ情報テレフォン(ビッグコンボイの声)

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  1. 恋人ならば(1975年8月1日)
  2. ボク達の出会い(1976年3月1日)
  3. みちづれ(1976年7月1日)
  4. 心の風(1979年4月1日)
  5. 見失いかけた愛〜クライング・イン・ザ・レイン〜(1979年10月1日)
  6. 野あざみの君に c/w オン・ザ・ストリート(1980年5月1日)日本テレビ系ドラマ『あさひが丘の大統領』挿入歌
  7. アトランチス c/w 月灯りの中で(1980年6月)
  8. 脱走特急 c/w マインド・スクリーン(1980年8月1日)
  9. ブリキの星 c/w 朝のピエロ(1981年8月1日)
  10. 地図のない旅 c/w 夢みる頃はふたたび(1983年)…井上純一&石田えり
  11. 涙嫌い c/w あなたに逢いたい(1983年)
  12. セルリアンブルー c/w ジェラシー(1984年)

アルバム[編集]

  1. TRY(1979年12月25日)
  2. マインド・スクリーン(1980年)

受賞歴[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]