実録外伝 大阪電撃作戦

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実録外伝 大阪電撃作戦
監督 中島貞夫
脚本 高田宏治
出演者 松方弘樹
梅宮辰夫
渡瀬恒彦
片桐夕子
丹波哲郎特別出演[1]
音楽 津島利章
撮影 増田敏雄
編集 堀池幸三
製作会社 東映京都撮影所
配給 日本の旗 東映
公開 日本の旗 1976年1月31日
上映時間 92分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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実録外伝 大阪電撃作戦』(じつろくがいでん おおさかでんげきさくせん)は、1976年日本映画。主演:松方弘樹、監督:中島貞夫、製作:東映

概要[編集]

1973年の『仁義なき戦い』の大ヒット以降、東映は実録ヤクザ路線と銘打ち[2]各地の暴力団抗争をモデルとした映画を製作した[3][4]。特に同年『山口組三代目』が大ヒットし、山口組の全国進攻は実録路線の元ネタとしては最適であったため[5]、これを題材とする映画を次々製作したが、このうち明友会事件をモデルとして山口組側から描いたものが前年に製作された『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』で[6]、逆に明友会側から描いたものが本作となる[6][7][4]。両者は同じ題材を扱っており、1974年の『山口組外伝 九州進攻作戦』も明友会事件が一部含まれる[8]

あらすじ[編集]

昭和35年大阪ミナミの盛り場は、石村組と南原組が勢力を二分していた。南原組の高山敬は獰猛なチンピラが揃う双竜会の安田寿行に話を持ちかけ、彼らを実行部隊に仕立て上げる。しかし大阪進出を企てる日本最大のやくざ組織・神戸川田組の組長・川田利明に双竜会のチンピラがクラブで絡んでしまう。川田組の逆燐に触れ、殲滅作戦「人間狩り」が開始される[3][9]

出演[編集]

スタッフ[編集]

製作[編集]

企画[編集]

中島貞夫1969年の『日本暗殺秘録』の後に、次は徹底的に暴力をテーマにした映画を作りたいと明友会事件を真正面から描いた『暴力団抗争 殲滅』という脚本を書き[7][11]、当時の岡田茂映画本部長に提出したが、「こんなもん、映画になるか!」と却下された[7]。しかし1973年以降、山口組関係の映画がヒットすると岡田茂社長(当時)が『実録外伝 大阪電撃作戦』という本題名を思いつき企画が再浮上[7]、中島ではなく、脚本の高田宏治に企画が持ち込まれ脚本が書かれた[7]

1975年2月19日東映本社で、岡田社長が東映上半期のラインナップを発表し[12]、「実録アクションをムードのあるものに持ってゆきたい」と説明。「"日本暴力列島シリーズ"として『京阪神暴力ファミリー』(『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』)に次ぐ"日本暴力列島シリーズ"第二弾『日本暴力列島・北九州電撃戦』を渡哲也主演作として1975年8月公開を予定している」と話した[12]。しかし渡が長期入院したためか、北九州を舞台にした映画はこの段階では製作されず。同年8月27日の岡田社長による今後の予定作品発表では[13][14]菅原文太主演作『日本暴力列島大阪電撃作戦』として告知していた[13][14]。菅原は「会社の酷使が過ぎる」などと東映に造反し[15][16]、この年春から夏にかけて出演予定のあった映画を数本キャンセルしていた[16]

脚本[編集]

実録"外伝"、と微妙なタイトルを付けているが大筋やエピソードは大半が実話である[6]。高田は「(中島脚本の)『暴力団抗争 殲滅』は、終始弱いものいじめでドラマがない。それを俺がドラマにした」「明友会事件をやられる側から描いたのが本作」「フィクショナブルでなおかつ実録的な構成」「演出は抜群で中島監督の最高傑作の一つなんじゃないかと思う」[7]、「私と中島はやられる側から描くことにこだわった。叩かれる側からの視点で作りたいという思いは共通していた。出世物語を書いてもつまらない。滅びていく側の物語こそドラマがある」[6]、などと述べている。

撮影[編集]

車に引き摺られるシーンをスタントマン無しで演じる渡瀬恒彦を始め、『仁義なき戦い』以降の実録路線勃興で意気上がる役者がむせ返るような熱い芝居を見せる[6][17]。『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』は在日問題が表立ってあったが[11]、本作は松方弘樹渡瀬恒彦というチンピラが大組織に立ち向かうという中島貞夫の得意とする若者の話になっている[11]。「人間狩り」と凄惨なリンチシーンを撮影したのは、この頃からエログロ映画を量産する助監督の牧口雄二[3]

逸話[編集]

予告編のBGMには、『殺人拳2』、『新仁義なき戦い 組長の首』、『狂走セックス族』、『山口組三代目

同時上映[編集]

日本では『必殺女拳士』(志穂美悦子主演、小平裕監督)と併映された。

  • 1975年暮れに発表された東映1976年正月番組予定では、この年正月第二週枠は深作欣二監督、北大路欣也主演、渡瀬恒彦松平純子出演の『はみだし刑(デカ)事』と発表されていた[18]。『必殺女拳士』は1976年2月14日からの上映予定だったが、『はみだし刑(デカ)事』は製作されず『必殺女拳士』が一つ前に出て本作『実録外伝 大阪電撃作戦』との併映になった[18][19]

関連映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 特別出演のクレジット表記はなし。
  2. ^ 「『仁義なき戦い』製作発表」『キネマ旬報』1973年1月新年特別号、177頁。 キネマ旬報』1973年2月決算特別号、39頁。 
  3. ^ a b c 「実録やくざ映画大全」『映画秘宝』、洋泉社、2013年5月、122-123、130-135頁。 
  4. ^ a b 東映実録路線中毒 ANARCHY & VIOLENCE/ラピュタ阿佐ケ谷
  5. ^ 高田宏治『東映実録路線 最後の真実』メディアックス、2014年、71頁。ISBN 978-4-86201-487-0 
  6. ^ a b c d e 高田宏治「作品紹介:高田宏治」『東映実録路線 最後の真実』メディアックス、2014年、80-81頁。ISBN 978-4-86201-487-0 
  7. ^ a b c d e f 「対談:中島貞夫vs高田宏治」『東映実録路線 最後の真実』、82-82頁
  8. ^ 「作品紹介:高田宏治」『東映実録路線 最後の真実』、78-79頁
  9. ^ 実録外伝 大阪電撃作戦/東映チャンネル
  10. ^ 特別出演のクレジット表記はなし。
  11. ^ a b c 中島貞夫『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』ワイズ出版、2004年、264-276頁。ISBN 4-89830-173-8 
  12. ^ a b “岡田東映社長新方針発表四ジャンルで衣替え活劇”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1975年2月22日) 
  13. ^ a b 「東映、半期四五億円を目標に大進撃 岡田社長、陣頭指揮の企画作品発表」『映画時報社』1975年8月号、映画時報社、19頁。 
  14. ^ a b “太秦映画村製作方針などで東映岡田社長記者会見獅子吼”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1975年8月30日) 
  15. ^ 「もう仁義はきらないぜ 東映実録トリオ、会社に造反」『週刊朝日』1975年6月27日号、朝日新聞社、36-37頁。 
  16. ^ a b “なになにッ!『資金源強奪』空中分解文太、監督、東映三すくみ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年5月17日) “不死身の文太、オーバーホール きょう入院"いい骨休みさ"”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年6月4日) “不死身の文太、オーバーホール きょう入院"いい骨休みさ"”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年6月4日) “~アンタ!あの娘の何なのさ~ 爆発人気"ダウン・タウン" 文太もシビレタ お忍び拝聴の東映重役さんもOK”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年6月11日) 
  17. ^ 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、318頁。ISBN 4-1637-68-10-6 
  18. ^ a b “従来の東映色+アルファでさらに増収へと邁進の陣容”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1976年1月1日) 
  19. ^ “東映二月以降番組漫画入場料検討中”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2. (1976年1月17日) 

外部リンク[編集]