木村一八

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きむら かずや
木村 一八
本名 木村 一八
生年月日 1969年11月17日(47歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府摂津市
身長 181cm
血液型 B型
ジャンル 俳優
活動期間 1983年 - 現在
活動内容 俳優
著名な家族 横山やすし(父)
木村ひかり(妹)
主な作品
毎度おさわがせします』 など

木村 一八(きむら かずや、1969年11月17日 - )は、日本俳優。大阪府堺市堺区生まれ。大阪府摂津市出身。身長181cm

来歴・人物[編集]

父は漫才師横山やすしエステティシャンで漫才師さゆみ・ひかり木村ひかりは、妹(異母妹)。漫才師の横山やすしの長男として生まれる。摂津市立第四中学校在学中の1983年に『やすきよの笑って日曜日』でテレビ初レギュラー出演。翌1984年、やすしが主演した『唐獅子株式会社』で映画デビュー。

名前の由来は、父やすしが、「“人生一か八かや!”ということで名付けた」、「1と8でカブ(おいちょかぶ)だから」、やすしがきよしとコンビを組んだのが8人目で、七転び八起きを経験して一番になったことに由来してなど様々な説がある。

「やすしの息子」から人気タレントへ[編集]

幼少の頃よりバラエティ番組にたびたび出演する。多くが父と共演であった。花王名人劇場などで西川きよしの次男西川弘志(後に『毎度おさわがせします』パートIIでも共演)とコンビで漫才を披露したり、パソコンのテレビCMに出演していた。中学校卒業後に俳優となる。テレビドラマの『毎度おさわがせします』(1985年TBS)の主役に抜擢され、中山美穂と共演。一躍アイドルとして人気者となる。

やすしは「親の七光りでも何でも使ったらいい」と公言していたが、「人気芸人の息子」という背景だけではなく、恵まれた風貌や不良っぽい言動などで、人気・知名度ともに一気に高まった。映画『シャコタン☆ブギ』の主役に抜擢されるなど、吉本興業としても若手俳優として飛躍の機会を得た木村に期待を寄せていた。

1986年1月には、シングル「オレたちだけの約束」(フォーライフ・レコード)で歌手デビュー。オリコン週間チャート最高位8位を記録した。同年には人気歌番組「ザ・ベストテン」の“今週のスポットライト”のコーナーにも出演。

運転手暴行事件、吉本との契約解消[編集]

1988年11月、俳優として順風満帆だった19歳の時、遊び仲間と飲酒後、タクシー運転手が脳挫傷になるまで一方的に暴行を加え続け、傷害容疑で逮捕された[1]。当時交際していた飯島直子相楽晴子ら遊び仲間と飲酒後、六本木の路上でタクシーを停めようとしたが、乗車を拒否されて立腹。直後に停車した別のタクシーに八つ当たりをし、車体を傷つけた。驚いて声をあげた運転手(先に乗車拒否した者とは全くの別人である)に因縁をつけ、路上に引き摺り出し暴行を加える。仲間が嘲笑しながら煽った言葉に高揚し、執拗なまでの暴行を加え続け、運転手を脳挫傷に至らしめた。一八は勝ち誇った表情で「こいつが死んだら俺がムショ(刑務所)へ行ったらええんやろっ!大したことあらへん!」と叫び、仲間は歓喜の声を上げ、拍手までしていたとの目撃情報が多数あり、マスコミはそれを報じた。未成年者の一八が逮捕されたこの事件は、父親・横山やすし吉本興業をも巻き込むだけに留まらず、社会問題にまで発展した。

父親のやすしは、暴行事件報道直後にマスコミの取材を受け「教育方針が間違っていたのではないか。しつけが甘かったのではないか」と質問してきたテレビ局の女性レポーターに対し、「ちょっと待てや姉ちゃん。俺は子供のしつけに厳しかったぞ」、「男は喧嘩するぐらいが丁度ええ」と開き直り、謝罪の姿勢は見られなかった、この時点でやすしは詳細を詳しく知らなかったものの、直後に吉本興業に抗議の電話や手紙が殺到し、他の業務に差し支えが出るほどだったという。その後ようやく喧嘩ではなく一方的な暴行であったと知り、父親として「いくらかわいい息子がやったこととはいえ、人を生きるか死ぬかの目に合わしてしまって、ホンマにすんまへんでした。スンマヘン」、「自分の教育が間違っていた」と謝罪した。

事件当時の一八は未成年者であり、一般的には少年法により実名報道は避けられるところだが、一八は20歳を迎える直前(事件当時は19歳と11ヶ月であった)に事件を起こしたことから、マスコミによって実名報道を行うかどうかで対応が分かれた[2]。また、それまでも撮影所や繁華街で起こしていた問題(デビュー前からの飲酒・喫煙・喧嘩、加えて、デビュー後は現場に現れない・二日酔いのまま撮影に臨む・途中で勝手に帰る・女性スタッフへのセクハラなどがある)、また、それらを「横山やすしの息子」という親の七光りで庇い揉み消してきた吉本興業の姿勢も明るみに出た。

吉本興業は一八に対し懲戒処分として専属契約の解消という判断を下し、出演中のテレビドラマ『疑惑の家族』から降板させた(この番組は途中打ち切りという形で話数を全12話から全9話に短縮され、再放送及び映像ソフト化されることは無かった)。その後、少年院送致となり、芸能活動は停止。出所後も自粛の姿勢をとった。被害者のタクシー運転手への損害賠償は吉本興業が肩代わりをして弁済していたが、その間追い打ちをかけるようにやすしが飲酒運転で摘発され「息子の件も未だ解決していない間に、自ら問題を起こすとは不謹慎」とし、親子共々専属芸能家契約解消を通告されることとなった。

また、同時に弁済分の支払いを請求したが、やすしの死後その請求を取り下げた。当時の吉本社員でやすし・きよしのマネージャーを務めた木村政雄は、「亡くなった方から取り立てるわけにはいきませんので」とコメントしている。問題児であった木村親子であるが、同時に少なくともやすしに関しては、“やすきよ”として、激動の時代から吉本の屋台骨を支え、全国に名を広めてくれた実績に対する敬意からの温情措置であった。

芸能界復帰・傷害事件で逮捕[編集]

成人後、バーニングプロダクションを経て哀川翔の事務所に所属し芸能活動を再開するも、1995年2月、路上で友人と一緒に米国人の少年を殴り負傷させたとして、傷害罪で再度逮捕。罰金20万円の略式命令を受ける。

吉本復帰[編集]

2001年、再び吉本興業と専属契約を結び芸能界へ正式に復帰する。だが、数年後に吉本を退社している。

銃刀法違反逮捕・独立[編集]

2006年3月8日、登録証の無い日本刀を所持していたことから銃刀法違反により現行犯逮捕されるが、実際には美術刀であることが判明し、釈放される。2008年にはPower Mに所属、その後、舞台やドラマの出演や、自身の波乱万丈な経験を生かし、「木村一八のけんか説法」(circus/kkベストセラーズ)というタイトルで執筆活動も開始、独特な存在感で青少年に対する人生相談から、社会貢献や地球環境のエコロジー問題にも精力的に関わり、活動を始める。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  1. オレたちだけの約束 / 悲しみを打っ飛ばせ(1986年1月18日、フォーライフ・レコード)
  2. 輝くおまえ / さよならはサイレンス(1986年4月18日、フォーライフ・レコード)
  3. 漂流記 / たった一度のLove song(1987年5月21日、フォーライフ・レコード)映画「ウェルター」主題歌

アルバム[編集]

  1. KAJA(1987年1月18日、フォーライフ・レコード)

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ[編集]

ラジオ[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

  • TUFF(タフ)シリーズ(1990年 - 1992年)
  • リストラ代紋(1996年・1997年) - 鳴海敏 役
  • 日本抗争列島牙の如く(2001年)
  • 銭道4~6(2004年 - 2005年)
  • 甲州プリズン(2005年 - 2006年)
  • 首領がゆく(2006年 - 2007年)
  • 実録 銀座警察 義侠(2008年)
  • 仁義の聖戦 ジャックナイフ~完結編(2012年) - 主演・京極 役
  • 凶という名の極道 第二部(2012年)
  • 代紋の墓場(2015年) - 主演・京極鉄次 役

CM[編集]

舞台[編集]

  • フェアリー・ムーン 「夏の終わりに」(2013年 TYPES Shakespeare Entertainment)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 前園、亀梨、古くは横山やすしも……なぜ芸能人・業界人の“タクシートラブル”は続くのか
  2. ^ 東京スポーツ日刊スポーツでは事件当初から実名報道を行った。東京スポーツでは「芸能人という公人としての資格」「事件が非常に悪質である」、日刊スポーツでは「すぐに20歳を迎えるため事実上成年者とみなす」、としたうえで「『あえて』木村一八と実名で報道する」とした。一方、フジテレビワイドショータイム3」では、実名を伏せ、またやすし直筆の謝罪文も『一八』の部分だけ隠して公開した。