新間正次
| 新間 正次 しんま しょうじ | |
|---|---|
| 生年月日 | 1934年11月2日(84歳) |
| 出生地 | 愛知県豊橋市 |
| 出身校 | 明治大学 |
| 前職 |
タレント 俳優 ラジオパーソナリティー |
| 所属政党 | 民社党 |
| 選挙区 | 愛知県選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 1992年7月27日 - 1994年7月18日 |
新間 正次(しんま しょうじ、1934年11月3日 - )は、日本のタレント、俳優、元参議院議員[1]。元民社党愛知県連副委員長。愛称は「新間ちゃん」など。中日ドラゴンズのファン。
経歴[編集]
出馬以前[編集]
愛知県豊橋市出身。靴屋「早稲田堂」を経営する新間邦次の三男として生まれる。愛知県立蒲郡高等学校卒業後、NHK名古屋放送劇団に入団。
1960年代中頃から、中継レポーターとして、CBCラジオの番組にレギュラー出演するようになり、1972年4月10日からはCBCラジオの平日9時台のショッピング情報を加味した、朝ワイド番組『ラジオ朝市』のパーソナリティーを担当する。
名古屋弁を交えたトークが好評で、1970年代〜1980年代にかけて、名古屋のラジオパーソナリティーの第一人者としての地位を確立した。
参議院議員時代[編集]
1992年7月、第16回参議院議員通常選挙に民社党公認で愛知県選挙区から立候補。選挙活動中、「中学生当時、公費の留学生に選ばれ、福祉を学ぶために、スイスで半年間、ボランティアの勉強をした」といった嘘の演説を行う。[要出典]
1992年7月26日、第16回参議院議員通常選挙愛知県選挙区に当選するが、祝いのバンザイをしている最中、週刊誌の記者から『明治大学入学というのは事実ですか?』と質問され、『入学手続きはしたけど、授業には出ていないよ』と答えた。『では、記事にします』と記者が言うと、新間は『どうぞ、どうぞ』と言い、その3日後、「明治大学に入学した事実がないのに、明治大学政治経済学部入学・中退などと虚偽の学歴を述べた」という記事が週刊誌に載せられる[要出典]。
1993年に、公職選挙法違反(235条違反:虚偽事項の公表)で在宅起訴される。民社党を離党したものの、議員は辞職せず、公判では「推薦入学の手続きは取った」と述べて、無罪を主張した。1審・名古屋地方裁判所にて有罪判決を受けた。控訴審・名古屋高等裁判所にて、
- 公報作成で学歴に関して「新間氏から話を聞いた」とする民社党職員の証言は信用性がない。
- 明治大学には政治家推薦で無試験で入学した。
などと無罪を主張していた[2]。上告審にて、1994年7月18日、最高裁判所は上告を棄却。禁固6月執行猶予4年の有罪判決が確定し、公職選挙法251条により新間の当選が無効となった。なお、新間が出席した国会の議事録についてはそのままとなっている。
『JNN報道特集』では、この騒動の勃発した直後の新間の様子が取材され、支持者からは「新間です、だけでも通じたのに」と言われ、VTRの最後には新間自身が涙ぐむ様子が放送された。
その後[編集]
タレント活動に復帰したときは一時、丸刈りになっていた。横山やすしの最後の相方となる。
野村沙知代の衆院選立候補時の学歴詐称疑惑がマスコミを騒がせていた頃は、多数のワイドショーなどに出演し、野村を批判した。
新日本プロレス専務やスポーツ平和党幹事長を務めた新間寿は父の弟の息子で従兄弟にあたる。
出演番組[編集]
- ラジオ朝市(CBCラジオ)
- 歌謡ドライブ(CBCラジオ)
- 新間ちゃんのシャナナ昼市(名古屋シティエフエム)
- 新間ちゃんのラジオde昼市(MID-FM)
出演ドラマ[編集]
出演映画[編集]
- 「生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」(警官B役)
曲[編集]
- 「ドラキチ音頭」(歌手)
- 「天まで昇れドラゴンズ」(歌手、作詞)
- 「すすめ若龍」(歌手、作詞)
著書[編集]
- 1987年2月 - 「シンマちゃんのきょうも元気でいこみゃ〜か」(エフエー出版)ISBN 978-4-900435-33-9
- 1991年7月 - 「シンマちゃんのかきかき人生」(エフエー出版)ISBN 978-4-87208-010-0
受賞歴[編集]
- 1990年 - 第1回CBC小嶋賞
脚注・出典[編集]
- ^ 当選した事実が取り消されたため、法律上は元参議院議員としては扱われない。ただし、参議院ホームページの歴代議員一覧には名前が掲載されている。#参議院議員時代参照
- ^ 北海道新聞 夕刊 6版 21面 1994年(平成6年)3月11日 金曜日