角川春樹事務所

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株式会社角川春樹事務所
Kadokawa Haruki Corporation
Istituto Italiano di Cultura di Tokyo.jpg
角川春樹事務所が入居するイタリア文化会館
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
102-0074
東京都千代田区九段南2丁目1番30号
イタリア文化会館ビル5階
北緯35度41分31.7秒 東経139度44分47.2秒 / 北緯35.692139度 東経139.746444度 / 35.692139; 139.746444座標: 北緯35度41分31.7秒 東経139度44分47.2秒 / 北緯35.692139度 東経139.746444度 / 35.692139; 139.746444
設立 1995年9月12日
業種 情報・通信業
法人番号 5010001013895
事業内容 出版・編集業、映画・ビデオ製作
代表者 角川春樹(代表取締役会長兼社長)
資本金 7億5,730万円
売上高 26億32百万円(2018年8月期)[1]
営業利益 △1億31百万円(2018年8月期)[1]
経常利益 △1億30百万円(2018年8月期)[1]
純利益 △1億33百万円(2018年8月期)[1]
純資産 11億2百万円(2018年8月31日現在)[1]
総資産 24億70百万円(2018年8月31日現在)[1]
従業員数 49名(2016年8月現在)
決算期 8月31日
主要株主 角川春樹 50%
フィールズ 30.0%[2]
外部リンク http://www.kadokawaharuki.co.jp/
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株式会社角川春樹事務所(かどかわはるきじむしょ)は、東京都千代田区に本社を置く日本出版社

概要[編集]

1995年角川春樹が自分の角川書店(現・KADOKAWA)の持ち株を弟の角川歴彦に譲り、その資金によって設立された[3]。角川春樹を社長に、顧問には作家の森村誠一と辻井喬(堤清二)、飛鳥新社社長の土井尚道、紀伊國屋書店社長の松原治、弁護士の河上和雄が就任した。取次コードを取得していない設立当初は、小説は飛鳥新社、堅めの本は紀伊國屋書店を通じて刊行した[4]

角川春樹は角川書店の社長時代にも、映画製作会社および芸能事務所として同名の企業を1976年に設立していたが、この企業は1989年に角川書店本体に吸収されている。1993年にも同名の2代目法人が角川書店本体に吸収されている(角川映画も参照)。本記事の企業はこれとは全くの別会社であり、また本記事の企業とKADOKAWAグループには資本関係は存在しない。

出版事業を主業務とし、マルチメディア事業や映画・ビデオの企画制作も手がける。当初は書籍のみの出版で雑誌は手掛けていなかったが、1994年に資金繰りに窮した飛鳥新社からの申し出で『ポップティーン』を6億円で買い取り、雑誌へ進出した[5]

2005年3月、映画『男たちの大和/YAMATO』の製作費捻出のために、角川春樹が自身の持ち分78.3%のうち30%の株式を遊興機械メーカー・フィールズに売却した。フィールズとは業務提携も結んでいる[6][7]

主な発行物[編集]

雑誌[編集]

かつて発行していた雑誌[編集]

書籍[編集]

映像作品[編集]

映画[編集]

アニメ[編集]

ウェブドラマ[編集]

公募新人文学賞[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 第23期決算公告、2018年(平成30年)11月27日付「官報」(号外第259号)86頁。
  2. ^ 2015年3月期 第2四半期決算 補足データ資料 (PDF, (2014年11月48日、 株式会社フィールズ))
  3. ^ 「映画トピックジャーナル」『キネマ旬報』1996年4月上旬号 p170-p171
  4. ^ 「角川春樹事務所を設立し出版や映画事業を再開へ 顧問には森村誠一、堤清二やヤメ検の河上和雄まで」『噂の真相』1995年6月号、p.9
  5. ^ 角川春樹『わが闘争 不良青年は世界を目指す』イースト・プレス、2005年、pp.173、195
  6. ^ 会社沿革 フィールズについて フィールズ公式サイト
  7. ^ 角川春樹『わが闘争 不良青年は世界を目指す』イースト・プレス、2005年、pp.198、214

外部リンク[編集]