中央情報局

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CIA紋章
バージニア州マクレーンにある中央情報局本部。従来は同州のラングレーだった

中央情報局(ちゅうおうじょうほうきょく、英:Central Intelligence Agency、略称:CIA)は、対外諜報活動を行うアメリカ合衆国情報機関である。中央情報局長官によって統括され、アメリカ合衆国大統領直属の監督下にある。

概要[編集]

中央情報局(以下「CIA」)は、国家安全保障会議の直轄機関であり、アメリカ軍からは独立して存在している。

CIA自身が収集した情報の他に、国家安全保障局国家偵察局国防省情報本部 (DIA)、各軍の情報部、財務省情報部、エネルギー省情報部といったアメリカ政府の情報機関から構成されるインテリジェンス・コミュニティーからの情報を集めて分析し、大統領と国家情報長官に報告する。

アメリカのインテリジェンス・コミュニティーは国家情報長官によって統括され、CIAはその「中央」にある情報機関である。

また、創設期からイスラエル諜報特務庁やイギリス秘密情報部とつながりが深く、また、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関とは、アングロ・サクソン連合として横の連携がある(UKUSA協定)。

活動内容[編集]

アメリカ合衆国の安全保障政策の決定に必要な諜報活動ヒューミント)を行う。諜報活動のために膨大な予算を与えられているが、その用途などの詳細情報は明らかにされていない。

一般には以下のような活動があるといわれている。

  1. 諜報活動
  2. 謀略活動
    • 外国での情報操作
    • 反政府組織などの援助、人材育成
    • 親米政権樹立の援助
    • 反米政権打倒の援助
    • アメリカ合衆国に敵対する指導者の暗殺

他国の反政府勢力にも接触しているといわれる。例えば1950年代にはチベットの反中闘争組織チュシ・ガンドゥクを支援していた[1]

アメリカ合衆国に敵対する指導者の暗殺に関しては、フォード大統領によって暗殺禁止の大統領令が出されたこともあるが、今では撤回され、パキスタンイエメンなどで無人偵察機プレデターイスラーム主義テロ組織の指導者を暗殺している。

米軍が関与する戦闘地域へ潜入しての軍事的情報の収集に関しては、ベトナム・イラク・アフガン等での戦争において、局員は現地へ潜入し敵性ゲリラ・民兵・テロリストの情報収集を行い、その拠点や隠処の爆撃時機・座標を米軍へ通知している。しかし、不正確な情報であることもしばしばで、誤爆による多大な民間人の犠牲を招いている。

2001年9・11テロ後は、コマンド部隊によるテロリストの逮捕・殺害計画を極秘に企画していた。米政府の元高官によると、この計画は1972年ミュンヘンオリンピックで起きたイスラエル人選手の暗殺事件後にイスラエル諜報特務庁が実行した報復作戦に類似しているという[2]

2006年5月、「テロリスト関係者若しくはそれらと接触した人物」をアメリカ入国の際に拉致し、国内法の及ばない地域(シリアグァンタナモ米軍基地)の秘密収容所に、取調べを口実に収監していた事が判明して、アムネスティ・インターナショナルや母国政府が調査に乗り出す事態になっている。2006年9月、ジョージ・W・ブッシュ大統領は秘密施設の存在を認め、この秘密施設でのCIAによる取調べを「CIAプログラム」と表現した。

情報活動・公的刊行物[編集]

CIAは、秘密工作活動だけをやっているわけではない。情報本部、国家情報評価室[注 1]、NIO(National Intelligence Officer)などで、情報評価活動をしていた。国家情報長官室(ODNI)が設立されるまで、CIAの情報評価はすべての基礎になっていた。特に軍部の意向に左右されない文官指導部への客観的な情報評価が期待されていた。

元々CIAは真珠湾攻撃で情報、評価活動が集約されず、大統領にまで多数の生の解読電文が評価無しでそのまま渡される[注 2]上に、海軍と陸軍が別々に情報活動をするという弊害[注 3]を是正するために生まれた。冷戦が始まりその性質が変化し[注 4][注 5]たが、「ソ連(など)の戦争準備に対して早期警報を出す」という基本任務がおろそかになったわけではない。

CIAの情報評価の中心は不定期に政府首脳に対して出される「国家情報評価[注 6][注 7]、またはSNIE」と,毎朝大統領に提出される「大統領情報要約日報[注 8]」の二つである。

CIAの情報評価は、ごく一部は40年以上昔から一般公開されていた。

例えば「中東地図帳」(Issues in the Middle East : atlas / Author:Central Intelligence Agency.)は、1973年発行で、居住地、国籍を問わず政府印刷局から入手できた。
  • ザ・ワールド・ファクトブック[3]・・世界各国の現況をまとめている。
  • 「情報研究」[4]
  • 「グローバル・トレンド」・・CIAの下部機関であった国家情報会議(NIC:National Intelligence Council)が4-5年おきに発行していた20年後の未来予測、現在は独立したNICが発行する。日本関係の主要な論点では「人口減少が社会全体に影響を与えるので対処が必要である」と、かなり前から記述していた。ソ連の崩壊は予測(または記述)できなかった。(2035年版は2016年12月に新大統領に提出される予定で作業中。)[5][6]

日本への関与[編集]

日本占領期から、児玉誉士夫笹川良一岸信介田中清玄笠信太郎緒方竹虎正力松太郎野村吉三郎などを協力者として、揺籃期の自由民主党に活動資金を提供し、心理戦略委員会(en:Psychological Strategy Board。のちの作戦調整委員会)などの方針に沿って政治及びマスメディアを利用し、国内のアメリカニゼーションと政府の親米化に一役買った[7][8][9][10][11][12]

2006年7月18日に公開された国務省編纂の外交史料集によると、冷戦時代にはアメリカ政府の反共政策に基づき日本の親米勢力や左翼穏健勢力に秘密資金を提供していた[13]。秘密資金の提供を受けたのは岸信介池田勇人両政権下の自民党有力者と社会党右派(後に民社党を結党する勢力)とみられている。この結果、右派が民社党をつくり、日本社会党は弱体化することになった[14][15]

冷戦終結後、双子の赤字に苦しむアメリカ政府による人員や経費の削減等のため危機に直面したCIAは、日本等の友好国の経済情報などの非軍事分野での情報収集と分析を始めた。1990年4月には長官のウェブスターが「日本やヨーロッパ諸国の経済上の競争相手に対する情報戦略を扱う企画調整室を設けた」と発言し、1992年4月には長官のゲーツが「業務の約4割、予算の2/3は経済分野に当てる」と演説した[16]。2011年には、上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが遺した協力者一覧「クロウリーファイル」の「C」の節に、コロンビア大学教授のジェラルド・カーティスが掲載されている事が明らかになり、協力者の一人であると名指しされている[17]

日本の指定暴力団ともコネクションを持つとされる[18]日本共産党には、岸の系列から統一協会へ関与していると主張された[19]

CIA日本支局を立ち上げたのは米国OSS(戦略情報局)スイス支局でアレン・ダレスの部下だったポール・ブルームで、彼が来日後に最初に連絡をとったのが笠信太郎であり、以降、ブルームと笠は日本の指導的知識人の糾合する目的の座談会を主催するなどして親米論調の涵養を図っていた。また、野村吉三郎(元海軍大将・駐米大使)に資金提供して海上警備隊(海上自衛隊の前身)を創設させ、野村の参院選出馬を支援している[20]。反ソ反鳩山の緒方竹虎を首相にするための工作活動を展開するとともに、緒方の「日本版CIA構想」を支援していた[21]。正力松太郎を使って日本全土を縦断する一大反共軍事通信網を構築する構想があったとされる[22][23]。(→正力マイクロ波事件

吉田則昭山本武利加藤哲郎らは2008年4月から9月、アメリカ国立公文書記録管理局で2005年に機密解除され2007年1月12日に一般公開されたCIA公開資料を収集し、1年間をかけてその分析に共同であたった。2009年7月25日早稲田大学20世紀メディア研究所の第51回研究会で中間報告を行い、2009年7月26日の毎日新聞で1面2面の大きな記事として報道された[24][25][26][27][28][29]

歴史[編集]

第二次世界大戦中の1942年に改組設立されたOffice of Strategic Services(OSS、戦略事務局)がCentral Intelligence Group(CIG、中央情報グループ)及びOffice of Political Coordination(OPC、政策調整局)を経て1947年に成立した国家安全保障法により改組され誕生した。

第二次世界大戦終了後、アレン・ダレスはドイツから多数のナチス将校を招聘して、CIAのソ連東欧での情報収集と工作活動の本格化を図った。1950年代から1960年代にかけては、社会主義・共産主義化しつつあったイラングアテマラコンゴキューバなどに対してクーデター・要人暗殺などを含んだ工作活動を積極的に展開した。

2001年よりブッシュ政権下では、CIAは機能が発揮されていないという指摘もある。ブッシュ政権下で勢力を増したネオコンなど保守強硬派は、CIAからの情報を軽視しており(プレイム事件など)、国防情報局を重視して、CIAはインテリジェンス・コミュニティーの主流派から外れた。こうした流れは、2010年頃まで続いた[30]

ポーター・J・ゴスは、それまでの最上級幹部を全て辞めさせ、大統領の政策に異議を唱えることを禁じる命令を出した。これによって、CIAの職員は2005年までに総員の半数が5年以下の経験しか持たない組織になった[7]

組織[編集]

  • 職員数 - 約20,000人(はっきりした数字は定まらない。)

国家秘密本部[編集]

旧工作本部。ヒューミントに従事する。

  • 核拡散部
  • 対テロ・センター
  • 防諜センター
  • 麻薬対策センター
  • CIS部
  • 欧州部
  • 近東・南アジア部
  • 東アジア部
  • アフリカ・中南米部
  • 技術支援部


情報本部[編集]

情報の評価・分析、情報資料の作成に従事する。

  • CIS分析部
  • 欧州分析部
  • 近東・南アジア分析部
  • 東アジア分析部
  • アフリカ・中南米分析部
  • 兵器科学研究部
  • グローバル問題部
  • 情報資源部
  • 外国指導者分析部


科学技術本部[編集]

技術的情報収集手段の研究・開発に従事する。

  • 技術システム研究・開発部
  • 傍受部
  • 技術保障部
  • 国外ラジオ放送部 (FBIS)

行政本部[編集]

CIAの総務、人事、訓練、要人警護、施設警戒に従事する。

  • 人事部
  • 要員訓練部
  • 警備部
  • 会計部
  • 情報保管・検索部
  • コンピュータ機材部
  • 通信部
  • 法務部
  • 監察部
  • 会計監査部
  • 秘書部
  • 会計計画部
  • CIA史編纂部
  • 暗号書簡部
  • 公表検討会議


CIA長官[編集]

2005年4月21日まで(ボーダー・J・ゴスの任期中)は長官はCIAだけでなく、アメリカのインテリジェンス・コミュニティーの統括役でもあったため、「局」の字がない“中央情報長官” (DCI; Director of Central Intelligence) と呼ばれていた。2005年4月21日以降は専属の“中央情報局長官” (DCIA; Director of the Central Intelligence Agency) となり、インテリジェンス・コミュニティーアメリカ合衆国国家情報長官が統括している。

これはThe Intelligence Reform and Terrorism Prevention Act of 2004(2004年の情報改革及びテロ予防法)により国家安全保障法が改正されたことを受けた措置である。

2005年まで、副長官も、中央情報副長官DDCIがおり、通常は中将が任命される(もっともCIA本部で勤務するが)。CIAには副長官がおらず、次官だけ複数いる。例えば工作担当次官はDDO、情報担当次官はDDIなど。

なお、CIAの日々の業務はExective Director of the Central Intelligence Agency (EXDIR) が総括することとなっている(2004年4月時点での組織図では、CIA長官のDeputyとしてDDCI、EXDIRのDeputyとしてD/EXDIRが記載されている)。

歴代CIA長官[編集]

氏名 任期 大統領
1 シドニー・W・ソワーズ海軍少将 1946年1月23日 - 1946年6月10日 ハリー・S・トルーマン
2 ホイト・S・ヴァンデンバーグ空軍中将 1946年6月10日 - 1947年5月1日 ハリー・トルーマン
3 ロスコー・H・ヒレンケッター海軍少将 1947年5月1日 - 1950年10月7日 ハリー・トルーマン
4 ウォルター・ベデル・スミス陸軍中将 1950年10月7日 - 1953年2月9日 ハリー・トルーマン/ドワイト・D・アイゼンハワー
5 アレン・ウェルシュ・ダレス 1953年2月26日 - 1961年11月29日 ドワイト・D・アイゼンハワー/ジョン・F・ケネディ
6 ジョン・マコーン 1961年11月29日 - 1965年4月28日 ジョン・F・ケネディ/リンドン・ジョンソン
7 ウィリアム・F・レイボーン退役海軍中将 1965年4月28日 - 1966年6月30日 リンドン・ジョンソン
8 リチャード・ヘルムズ[注 9][注 10] 1966年6月30日 - 1973年2月2日 リンドン・ジョンソン/リチャード・ニクソン
9 ジェームズ・R・シュレシンジャー 1973年2月2日 - 1973年7月2日 リチャード・ニクソン
10 ウィリアム・コルビー[注 11] 1973年9月4日 - 1976年1月30日 リチャード・ニクソン/ジェラルド・R・フォード
11 ジョージ・H・W・ブッシュ 1976年1月30日 - 1977年1月20日 ジェラルド・フォード/ジミー・カーター
12 スタンズフィールド・ターナー退役海軍大将 1977年3月9日 - 1981年1月20日 ジミー・カーター/ロナルド・レーガン
13 ウィリアム・J・ケーシー[注 12] 1981年1月28日 - 1987年1月29日 ロナルド・レーガン
14 ウィリアム・ウェブスター 1987年5月26日 - 1991年8月31日 ロナルド・レーガン/ジョージ・H・W・ブッシュ
15 ロバート・M・ゲイツ 1991年11月6日 - 1993年1月20日 ジョージ・H・W・ブッシュ/ビル・クリントン
16 R・ジェームズ・ウルジー 1993年2月5日 - 1995年1月10日 ビル・クリントン
17 ジョン・M・ドイッチ 1995年5月10日 - 1996年12月15日 ビル・クリントン
18 ジョージ・J・テネット 1997年7月11日 - 2004年7月11日
(2004年6月3日に辞任)
ビル・クリントン/ジョージ・W・ブッシュ
(長官代行)ジョン・E・マクラフリン 2004年7月11日 - 2004年9月24日 ジョージ・W・ブッシュ
19 ポーター・J・ゴス 2004年9月24日 - 2006年5月5日 ジョージ・W・ブッシュ
20 マイケル・ヘイデン 2006年5月5日 - 2009年1月20日 ジョージ・W・ブッシュ/バラク・オバマ
21 レオン・パネッタ 2009年1月20日 - 2011年6月30日 バラク・オバマ
22 デヴィッド・ペトレイアス退役陸軍大将 2011年9月6日 - 2012年11月9日 バラク・オバマ
23 ジョン・オーウェン・ブレナン 2013年3月8日 - 現任 バラク・オバマ

CIAが主導ないし関与したとされる作戦・事件[編集]

1940年代[編集]

1950年代[編集]

1960年代[編集]

ベトナム戦争関連[編集]

1970年代[編集]

1980年代[編集]

1990年代[編集]

  • 1998年 - スーダンの製薬工場へのミサイル攻撃
    実際は製薬工場であった所をVXガスの製造工場であると主張してミサイル攻撃を行わせた。これはエジプト人情報提供者一人のみの情報を信用した結果であった。

2000年代[編集]

2010年代[編集]

この他にも全世界で親米反共工作(日本に対しても行われていた事[32]日本への関与で述べられている通り)を行うことによって、親米政権の確立、あるいは反米政権や特定社会集団の破壊に活躍してきた。なお、工作費用の捻出のために現地のみならず、アメリカ国内の黒人集住地域、ヒスパニック集住地域においても麻薬を販売する方式を未だに採用していること、および破壊工作に使用することから麻薬流通にも国際的に一役買っているとの主張もある。

有名なCIA局員(長官を除く)[編集]

計画本部(企画部)(1951-73)、作戦本部(作戦部)・工作本部(1973-2005)、国家隠密工作本部(NCS[注 13])(2005-2015)はすべてほぼ同じ組織で、時期・訳者により名称が異なるだけである。別称として習慣的にClandestine Serviceを使っていた。(またDirectorateだったりDeputy Directorateだったりするため、例えば作戦本部(または本部長)の略称はDDO,DO,DD/Oなどを用いていた。下の記述もその部分で正確でない部分がある。)歴史的にはOSO(戦略作戦局、Office of Strategic Operations[注 14]、OPC(政策調整局、Office of Policy Coodination、秘密工作担当)等も存在した。

  • ジェームズ・アングルトン(James Jesus "Jim" Angleton) - 作戦本部防諜室長[注 15]、CIA内の外国スパイを捕まえる仕事だが、本物のスパイを捕まえることができず、いろいろな無実の人間に容疑をかけて辞任させたり[注 16]、自分が信頼する亡命者アナトリー・ゴリティン[注 17]以外の亡命者を排除したため秘密工作活動[注 18]に大きな支障を来し、最後にはアングルトン自身がソ連のスパイとして疑われることになる[注 19]。イスラエルとの密接な関係がある連絡係として、数々の功績(スターリンを批判したニキータ・フルシチョフ演説の入手など)をあげ、CIAだけ[注 20]ではなく政府部内でも特別な地位にあった。また国内スパイ作戦[注 21]であるケイオス作戦の実施責任者であった[注 22]。また英国秘密情報部(SIS)のワシントン代表(長官候補)だったソ連スパイのキム・フィルビーと親しかったため、フィルビーの回想録にも名前が出ている[注 23]
  • レイ・クライン(Raymond S."Ray" Cline) - 情報本部長・次官、台北支局長[注 24]。情報分析の第一人者。
  • エドワード・ランスデール(Maj.Gen. Edward Geary "Ed" Lansdale,USAF) - 空軍少将、秘密工作のプロ、最終的に国防長官補佐官になる。フィリピン、ベトナム戦争初期とカストロ政権初期のキューバ攪乱工作[注 25]で作戦の中心。
  • ジェリー・ドローラー (Gerald F."Gerry" Droller) - 作戦本部西半球局秘密工作室長[注 26]、キューバ侵攻作戦の中心人物で、セオドア・ソレンセンの回想録に唯一の中心人物として名字[注 27]だけ出てくるので、謎の有名人物となった。キューバ作戦では「フランク・ベンダーFrank Bender」と名乗る。スペイン語が話せない。
  • テッド・シャクリー (Theodore George "Ted" Shackley, Jr. ) - キューバ侵攻作戦の中心のマイアミ支局(JM/WAVE)[注 28]長、1968年サイゴン支局長。フェニックス作戦を指揮、西半球局長としてアジェンデ打倒工作、作戦本部副本部長(秘密工作担当)になる。イラン・コントラ事件や麻薬密輸への関与も取りざたされている。西半球局長として、フィリップ・エイジーの暴露から局を守るためにほぼ全員を入れ替える。
  • E・ハワード・ハント(Everette Howard Hunt, Jr.) - 作戦本部の秘密工作員、グアテマラ政権転覆工作、キューバ侵攻作戦に従事。ウォーターゲート事件の主犯の一人、1950年代に東京駐在[注 29]ウォーターゲート事件中に夫人が100万$を運んでいる途中墜落死。回想録を出版。その後息子たちが、本人がケネディ大統領暗殺に関わった(CIA在職中)という告白録を出版。
  • ジェームズ・W・マッコード・ジュニア(James Walter "Jim" McCord, Jr.) - ウォーターゲート事件の主犯の一人。ニクソン大統領再選本部(CREP)警備責任者。CIAでの最後の役職は保安局施設警備部長[注 30][注 31]。回想録を執筆。
  • キム・ルーズベルト (Kermit "Kim" Roosvelt Jr.) - カイロ支局長マイルズ・コープランド(Miles Copeland Jr.)とともに、ナセル体制を樹立。1950-54年工作本部近東局(Near East Division)長。シャーによるイランのモサッデク政権打倒、復位を主導(エイジャックス作戦)。OSSの幹部(解散後にOSSの公式の歴史を執筆)。2人のルーズベルト大統領の親族[注 32]。回想録を出版し、エイジャックス作戦の詳細[注 33]を記載する[注 34]
  • ピアー・デ・シルバ(Peer de Silva) - サイゴンソウルバンコック支局長などを歴任。
  • ビル・ハーベイ (William King "Bill" Harvey) - CIAを代表する伝説の秘密工作員。ベルリンの「ゴールド作戦」[注 35]の責任者。勤務中に公然と拳銃を携帯するので局内で悪名が高かった[注 36]
工作本部対外情報室長[注 37]として、1961年1月にビッセル副長官からホワイトハウスの命令として「執行活動能力(暗殺能力)」の開発(ZR/RIFLE作戦)を命じられる[34][注 38]
1945年、FBI在職中にエリザベス・ベントリーを尋問し、米国政府内のソ連スパイグループ[注 39]を特定した。
FBIからCIAに移籍したため、フーヴァーFBI長官から嫌われ続ける。
  • ビクター・マルケッティ(Victor L. Marchetti) - 中央情報副長官(DDCI)タイラー(Rufus L.Taylor)海軍中将の補佐官。分析官出身。回想録[注 40][注 41]、小説[注 42]
  • サム・アダムス(Samuel A. "Sam" Adams) - 情報本部の分析官。回想録を執筆。
  • J・C・キング大佐(Colonel J.C.King) - 作戦本部西半球局長
  • リチャード・ビッセル(Richard Marvin "Dick" Bissel) - 作戦本部長(次官)
  • クレア・ジョージ (Clair Erloy George) - 作戦本部長(次官、1984-87)。OSSのベテランで、OBネットワークの中心人物。ケーシー長官に呼び戻される。
  • ルシアン・コネイン大佐 (Colonel Lucien Emile Phellipe Conein) - 駐南ベトナムの専門家。南ベトナムの将軍に信頼されてジェム政権を倒すクーデターに関与する。
  • ジョン・リチャードソン (John Hammond "John" Richardson) - サイゴン支局[注 43]長(ゴ・ジン・ジェム時代)。ジェム政権と密着しすぎると言われて、反ジェムクーデター直前に帰国させられる。
  • オルドリッチ・エイムズ(Aldrich Hazen Ames) - CIA対ソ連諜報部長、在職中にソ連のスパイ(1984-94)。ほぼ全員のソ連人スパイが逮捕されたり処刑されたりした[注 44]
  • ロバート・ベア - 回想録を出版。
  • リチャード・ブリー (Richard Blee)
  • ハンス・トフテ(Hans V. Tofte) - 伝説的な上級工作員。朝鮮戦争中の破壊工作で有名。自宅に機密文書[注 45]を保管していたのがわかり、解任される。
  • コファー・ブラック (Joseph Cofer Black) - アフリカ専門家。反テロリズムセンター長としてアル・カイーダと戦う。
  • リチャード・ウェルチ(Richard Welch) - アテネ支局長(暗殺される)
  • ラリー・デブリン(Lawrence "Larry" Devlin) - コンゴ支局長、チャーチ委員会の報告では「ビクター・ヘッジマン」[注 46][注 47]パトリス・ルムンバ暗殺[注 48]に関与か?
  • ヘンリー・プレザンツ(Henry M.Pleasants) - ベルン支局長。ボン西ドイツ)支局長としてゲーレン機関の設立と発展に尽力する[35]。著名な音楽批評家。
  • デズモンド・フィッツジェラルド(J.Desmond FitzGerald) - 工作本部長(1965-67)、次官。前極東局長。
  • ルシアン・トラスコット将軍(Lucian Truscott) - サイゴン支局長
  • ジョン・マクマホン(John Newton "John" McMahon) - サイゴン支局長、後に工作本部長(1978-81)、中央情報副長官(DDCI、1982-86)
  • トレーシー・バーンズ(Tracy F.Barnes)
  • フランシス・ゲーリー・パワーズ(Francis Gary Powers) - 1960年ソ連上空で撃墜されたU-2型偵察機のパイロット。
  • チャールズ・キャベル空軍大将(Gen. Charles Pearre Cabell,USAF) - 中央情報副長官(DDCI、1953-62)。キューバ侵攻作戦やU-2偵察機開発を推進し、ケネディ暗殺事件との関係[注 49]を噂される。
  • デーブ・マーフィー(David R."Dave" Murphy) - パリ支局長。アングルトンにソ連スパイの疑いをかけられ辞任した最上位のCIA高官。[注 50]
  • パット・カーター中将(Lt.Gen. Marshal Sylvester "Pat" Carter) - 中央情報副長官(DDCI、1962-65)
  • カール・ダケット(Carl Duckett) - 科学技術本部長
  • ビル・ネルソン(William E."Bill "Nelson) - 作戦本部長(1973-76)、
  • マックス・ヒューゲル(Max C. Hugel) - 短期間総務本部長を務めた後、工作本部長[注 51]。CIAなどでの情報活動経験が全くない部外者[注 52]のため[注 53]在任2ヶ月で辞任させられる[注 54][注 55]
  • デビッド・フィリップス(David Atlee Phillips) - 工作本部西半球局長、CIA退職官協会会長。ケネディ暗殺事件との関係が疑われている[36]
  • シドニー・ゴトリーブ博士(Dr.Sidney Gottlieb) - 毒物専門家、MKウルトラ計画カストロ暗殺計画の技術的中心人物。
  • フランク・ウィズナー(Frank Gardiner Wisner) - 次官、計画本部長。フランク・ジョージ・ウィズナー(国防次官、国務次官などを歴任)は息子。
  • ドナルド・グレッグ(Donald Gregg) - ソウル支局長、元東京支局勤務。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の腹心として、駐韓大使、国家安全保障会議情報部長[注 56]やCIAの要職を歴任。
  • バーノン・ウォーターズ中将(Lt.Gen. Vernon Anthony "Dick" Walters) - 中央情報副長官(1972-76)。リチャード・ニクソン大統領の古い知り合い。ウォーターゲート事件のもみ消し[注 57]を頼まれる[注 58]が、[注 59]断る[注 60]。退任後に国連大使、駐西ドイツ大使を歴任。
  • ウィリアム・ブロー(William Vincent "Bill" Broe) - 1965年まで東京支局長を勤めた直後に西半球局長に就任し、サルバドール・アジェンデ打倒工作、ゲバラ捕獲作戦を指揮し、その後1973年の引退まで監察総監[注 61]として勤務し、ウォーターゲート事件の局内調査を指揮する[37]
  • フィリップ・エイジー(Philip Burnett Franklin Agee) - 1957-68年の中南米での活動後、キューバ(共産主義国)に移住し、そこで死亡した。1975年に局員、協力者250名の実名・局内暗号名(cryptonym)を載せた回想録を出版する[38]。ソ連KGB、キューバDGIのスパイかどうか明らかでない。
  • ロバート・クロウリー(Robert Trumbull Crowley) - 工作本部担当副長官補[注 62]までなった高官。肺ガンで死亡する前に、CIAの協力者氏名2619人の実名を記した「クロウリー・ファイル」を公開した[注 63][39]
  • ロバート・クッシュマン海兵隊大将(General Robert Everton Cushman, Jr.) - 中央情報副長官(1969-71、当時は中将)、海兵隊司令官(1972-75、大将)
  • ジョージ・ドール(George Arntzen Doole, Jr.) - 1953年-71年(ベトナム戦争と重なる)にCIA所有の航空事業すべて[注 64]をほぼ一人で統括する職員[注 65]。初めはキャベル将軍によって雇われた契約職員だったが、途中で正規職員になる。
  • ウィリアム・カンパイルズ(William Peter Kampiles) - CIAの下級事務員。1977年にKH-11偵察衛星のマニュアルを$3,000でソ連に売る。二重スパイになれると思って元の上司に報告したが、捕らえられ懲役19年の刑を受ける(1996年釈放)。
  • エドワード・スノーデン(Edward Joseph Snowden) - CIA勤務(2002-06)、本部やベルン支局で情報保全勤務と秘密工作にも携わる。その後NSAの契約職員になる。NSAホノルル・センター時代に入手した多数の資料を持って、内部告発者となり、ガーディアンなどで資料を発表[注 66]。2015年現在ロシア滞在。
  • ジェイク・エスターライン(Jacob Donald "Jake" Esterline) - キューバ侵攻作戦の中枢である[注 67][注 68]西半球局第4部(WH/4)長。その後マイアミ支局長、西半球局次長。
  • シャーマン・ケント(Sherman Kent) - OSSの調査分析部門で活躍。1952-67年国家評価室(ONE:Office of National Estimates)の長として、アメリカの情報評価業務を率いる[40]
  • ウィリアム・ランガー(William Leonard Langer) - OSSで情報評価に活躍。CIAで国家評価室を設立した後、ハーバード大学歴史学部長になる。弟のウォルター・ランガー(Walter Charles Langer)はOSSでヒトラーの精神分析をし、自殺を予言したことで有名。
  • ボビー・インマン海軍大将(Adm. Bobby Ray Inman,USN) - 中央情報副長官(DDCI、1981-82)。海軍情報部長(1974-76)、国防情報局長官(1976-77)、国家安全保障局長官(1977-81)。退任後ダラス連邦準備銀行総裁(1987-90)。1993年クリントンにより国防長官に指名されるが辞退する。
  • ロブ・シモンズ陸軍大佐(Robert Ruhl "Rob" Simmons) - CIA在職1969-79。元上院情報委員会事務局長。2001-2007連邦下院議員ベトナムベトコン尋問センター勤務後、1975-1978年台北支局で台湾の核武装計画を阻止するのに重要な役割を果たす[注 69][41]
  • ジョージ・キスヴァルター(George Kisevalter) - 戦後CIAのためのソ連人スパイとなった多くの重要人物のハンドラー(担当官)。特にポポフ少佐、オレグ・ペンコフスキー大佐、アナトリー・ゴリティン、ユーリ・ノーセンコ少佐。ゴリティンとノーセンコ両方を信用していたと言う。
  • ローレンス・ヒューストン(Lawrence R. Houston) - CIA法律顧問
  • ヴァレリー・プレイム(Valerie Elise Wilson) - 大量破壊兵器捜索担当[注 70]の秘密情報員(民間会社員を偽装)。夫(大使)の活動が気に入らない政府首脳[注 71]により、身分を新聞に漏洩される。それらの顛末はプレイム事件と呼ばれ、「フェア・ゲーム」として映画化された。
  • ウィリアム・バンディ(William Putnam "Bill" Bundy)- 後に国務次官補[42]、国防次官補、プリンストン大学教授を務め、外交問題評議会(CFR)会長に推薦されるが断る。マクジョージ・バンディ(ケネディ、ジョンソン政権の国家安全保障担当大統領特別補佐官)の兄。1950年代にCIA勤務、エイモリ(Robert Amory Jr.)情報本部担当次官の特別補佐官を務める。アルジャー・ヒス[注 72]に献金したため、ジョセフ・マッカーシー上院議員の追求を受けるが、ダレス長官などがかばう。また左翼的見解を攻撃され心に傷を負う[43]。第二次世界大戦中はイギリスの通信情報機関政府暗号学校(GCCS)で在英勤務(所属はアメリカ陸軍)。
  • ロバート・ウィリアム・コウマー(Robert William "Blowtorch Bob" Komer)創立初期にCIA局員、後にNSC職員、国家安全保障担当大統領特別補佐官代行、カーター政権で国防次官。ベトナムで平定計画、CORDS、フェニックス作戦を指揮する。

CIAを取り扱ったフィクション[編集]

小説[編集]

※欧米の主なスパイ小説の殆どに登場している。日本でも『007』シリーズによって名が広まることとなった。

映画[編集]


ゲーム[編集]


テレビドラマ[編集]


漫画[編集]


アニメ[編集]

関連項目[編集]

  • 関係企業
  • 関係人物
  • 関係機関・協力機関
  • 類似機関


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 現在はない半独立機関。ONIE(Office of National Intelligence Estimates)
  2. ^ ルーズベルト大統領が、生の電文を要求したからでもある。
  3. ^ FBIは第2次大戦中から中南米諸国に多くの局員とスパイを配置しており、損害も出ている(映画「FBI」にも描かれている。)。それを統括するフォックスワース(Percy E. Foxworth)副長官は事故死した。
  4. ^ ジェームズ・ドーリットル中将が1954年9月にアイゼンハワー大統領に提出した報告で、「秘密戦争でソ連に負けている」という結論から「(ソ連より)もっと冷酷に、手段を選ばない効果的な活発な活動が必要」という原則が定められた。
  5. ^ CIA憲章(1947年国家安全保障法)には一般的な情報活動の他に「国家安全保障会議が指示するその他のこと」を活動する権限が与えられた。そこからイラン政権転覆権限を与えられ、ヘルムズ長官はチリ政権転覆工作権限を直接与えられた。
  6. ^ NIE,National Intelligence Estimates
  7. ^ 情報共同体の共同作業であり、国防省や政府首脳の意向が反映されたり、時間がかかって発行時には意味がなくなることもあった。
  8. ^ President's Daily Brief
  9. ^ ヘルムズには McGarrah というミドルネームがあるが、本人が嫌って M をつけないとされる。
  10. ^ Richard McGarrah "Dick" Helms。ヘルムズは、OSS、SSU、OSOの秘密工作機関を歩み続け、CIA創設以来、中枢(作戦本部運営部長〈Director of Operations〉1952-58、作戦本部長1961-65、中央情報副長官1965-66、長官1966-1973)にいて作戦指揮に手腕を発揮し、海外駐在員の面倒をよく見たため、海外での業績がないのに昇進し続けた。5年ぶり、2人目のキャリア長官として歓迎された。キューバ侵攻作戦では身をかわし(ライバルであるビッセルが作戦本部長なので遠ざけられたと言う説もある。)、長官としてアジェンデ政権転覆工作などを行った(CIAの関与を明確に否定する偽証を上院で行い、後に100$の罰金刑を受ける)。アングルトンはヘルムズとの親密なつながりで大きな権力を維持できたという。ウォーターゲート事件後に駐イラン大使(ヘルムズがニクソンのもみ消しの手伝いを断ったためという説もある。)1973-77。
  11. ^ William Egan "Bill" Colby。長官としてウォーターゲート事件後の、CIA攻撃の風潮の中でCIAを現代社会に適応させようと努力した(アングルトンによれば、長官就任のためのシュレジンジャーとの交換条件だったという)。しかし議会などに情報を出し過ぎるとし、カトリック教徒なので「懺悔しに行っている」と非難された。OSSのベテラン(ノルウェーフランス)で、ローマ支局でバチカンに強力な情報網を張り巡らせ、さらにイタリアの共産主義化を防いだとして高く評価される。サイゴン支局長を務めた後、ベトナム戦争ではフェニックス作戦(当時サイゴン支局長ではなく、CIAを離れ、ロバート・W・コマーの下で援助プログラムの責任者として働いた)で、「数万人のベトコンを無害化した」と公然とのべ、暗殺首謀者として非難された。その後極東局長、幕僚主任(仮訳Executive Director/Comptroller、コルビーが最後)、作戦本部長をつとめ、長官就任後はアングルトンの思考方法・手段に納得できず、解任した。引退後法律事務所を開設、1996年(76歳)不審死。
  12. ^ 証券取引委員会17代委員長
  13. ^ National Clandestine Service
  14. ^ 情報収集担当。
  15. ^ Chief,Counter Intelligence Staff
  16. ^ アングルトンの疑惑リスト(”serials")にはW・アヴェレル・ハリマン国務次官など大物が並び、最後にはコルビーCIA長官、キッシンジャー国務長官を疑惑リストに入れるなど、際限がなくなった。問題は何十年もの調査で何も証拠が出ておらず、一人のスパイも捕まえていないことである。
  17. ^ アングルトンは、何十人もの本物の生の極秘人事調査資料を直接見せて「誰が怪しいか」を判定させた。
  18. ^ 特に新しいスパイの徴募ができなくなった。キューバ・ミサイル危機で決定的な情報を提供したオレグ・ペンコフスキーGRU大佐はCIAに門前払いされ、英SISで受け入れられた。
  19. ^ ドイツ連邦情報局(BND)対ソ連防諜局局長であった大物ソ連スパイのハインツ・フェルフェ逮捕に貢献したため、防諜室にスカウトされたペティ(Clare Edward Petty)が、上司であるアングルトンの疑惑をまとめる。これがコルビーによる解任につながる。
  20. ^ 通信室に来るすべての通信を入手した。これは他の最高幹部にもない権限であった。
  21. ^ CIAを設立した1947年国家安全保障法の明文規定で、CIAは防諜目的であっても国内スパイ活動は禁止されていたため、違法行為であり、作戦の内部文書でも違法活動であることが明記されていた。特にCIAの設立に反対していた国内情報活動を統括していたジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官との関係で入れられた規定であった。
  22. ^ 実際には、防諜室内でアングルトンの指揮系統にない独立したオバー(Richard Ober)副室長が指揮を執り、アングルトンは生け贄となったという説もある。
  23. ^ フィルビーによれば「週一回の昼食会」
  24. ^ 中華民国蒋経国総統の親友だったが、台湾の核兵器開発計画を頓挫させたと言われる。
  25. ^ キューバ攪乱作戦(MONGOOSE)があまりにも杜撰、荒唐無稽、危険なので解任される。
  26. ^ Chief,Covert Action Staff,Western Hemisphere Division。西半球局第4部政治活動課長Chief Political Action (C/WH/4/PA)
  27. ^ と、出身国ドイツ
  28. ^ CIAは国内にFBIの承認を得た支局を持つ。亡命者の面倒を見る、入国者のチェックをする、社会主義国からの帰国者に事情聴取する(Domestic Contact Service)などが主な仕事。ケイオス作戦、Staff Dなど国内秘密工作は特殊な例外。マイアミ支局はキューバ作戦のための巨大な施設。
  29. ^ お茶の水ニコライ堂前のフランク・ロイド・ライト設計の日本家屋に住んでいた。回想録では細かい反共妨害工作(中国フェアを妨害するために偽のおみやげ付き入場券を配る、など)だけを記述している。
  30. ^ Chief,Physical Security Division,Office of Security
  31. ^ 保安部長はハワード・オズボーン(Howerd J. Osborn,Director of Security)
  32. ^ セオドアの孫、フランクリンの従兄弟。
  33. ^ 実名を多数含む。
  34. ^ 一部を削除したがあまりにも詳細なので問題になり、一旦出版停止になった[33]
  35. ^ 西側の西ベルリンから東ドイツ領内にある軍用電話中継所にトンネルを掘って、盗聴器を仕掛けた。暗号化された情報も容易に入手・解読できた。当時ソ連の奇襲攻撃を探知するのがCIAの最大・最高の任務だったため、高く評価された。ソ連はフィルビーから作戦の詳細を情報を入手していたが、自分たちに奇襲計画がなく、高レベルの情報が流出していないので、フィルビーを守るために放置していた。フィルビーの情報の配布はきわめて制限されていたので、発見は偶発的だったとされる。
  36. ^ 特に危険な現場以外で、CIA局員で銃器を携帯するものはほとんどいない。
  37. ^ Chief,Foreign Intelligence Staff(FI)
  38. ^ 後に有名になる暗殺者QJ/WINやWI/ROGUEをリクルートする。後にジョンソン大統領は「我々は暗殺会社Murder Incorporatedを持っていた」と述べることになる。
  39. ^ ハリー・デクスター・ホワイト(財務次官補)、ロークリン・カリー(ホワイトハウス)、アルジャー・ヒス(国務次官補)、ジュリアス・C・ジョセフ(OSS日本デスク)、ダンカン・リー(OSS)など。但し全員がスパイであったかどうか疑問が残る。
  40. ^ ”The CIA And The Cult Of Intelligence" by Victor L. Marchetti, John D. Marks 1974 by Jonathan Cape Ltd
  41. ^ 検閲部分を白紙にして出版した、アメリカ史上初めての出版物。
  42. ^ "The Rope-Dancer"by Victor L. Marchetti,1971 by Grosset & Dunlap。日本語訳あり。きわめて危険なテーマをいくつも扱う。
  43. ^ ペンタゴン・ペーパーズ中の電報原文ではCIAではなく「CAS」と記載。
  44. ^ その中には見せしめのため、きわめて残虐な方法で公開処刑された人もいるという。
  45. ^ 自宅にあること自体が違反だが、さらに金庫にしまっていなかった。
  46. ^ CIAの違法活動を調査した「上院情報活動調査特別委員会United States Senate Select Committee to Study Governmental Operations with Respect to Intelligence Activities」。
  47. ^ 『臨時増刊 CIAの外国指導者暗殺計画  全訳 米上院調査特別委員会レポート』(注 :コンゴ=ルムンバ、キューバ=カストロ、ドミニカ=トルヒーヨ、南ベトナム=ゴ・ジン・ジエム、チリ=ルネ・シュナイダー)「朝日ジャーナル」1975・12・25、Vol.17、No.55、通巻880号
  48. ^ 後にソ連は「パトリス・ルムンバ諸国民友好大学」を作り、留学生を集める。CIAはKGBの関連機関だとの情報を流す。
  49. ^ 兄のアール・キャベルが暗殺時にダラス市長だったため。またケネディ大統領がキューバ侵攻作戦を失敗させたと公言していた。
  50. ^ パリ赴任直後に「マーフィーはソ連のスパイの疑いがあるので気をつけるように」とアングルトンが直接フランス側に伝えたという。
  51. ^ 大統領選挙活動での働きを買ったケーシー長官の指名。
  52. ^ 日本の大企業のアメリカ子会社の社長。ミシガン大学の軍情報学校で日本語を習い、占領時に日本駐在、日本語が堪能。
  53. ^ ケーシーはOSSの幹部だったが戦後は弁護士業を続ける。レーガン大統領選挙運動の中心人物だったため、ポストが来た。本人は格の高い財務、国防、国務長官を希望していた。
  54. ^ 最後にはインサイダー情報の利用、取引相手への脅迫などの電話録音記録が出たのが決め手になった。
  55. ^ 後任はジョン・スタイン(John H.Stein)、後に監察総監
  56. ^ ホワイトハウスで情報活動を統括する専門家。
  57. ^ ウォーターゲート事件の資金のメキシコでの資金洗浄は(事実に反して)CIAの作戦に関わり、捜査を進めるとCIAの秘密が暴露されるおそれがあるので、捜査を打ち切るようにFBIに依頼する。
  58. ^ ニクソンの古い知り合いの軍人なので、命令には従い、かつ便宜を図るものと思われていた。
  59. ^ ジェームズ・R・シュレジンジャーCIA長官(ニクソン政権で昇進を続けていた)と相談の上
  60. ^ 「自分はこの仕事で退職するので、ホワイトハウスの圧力には屈しない」と言ったとされる。
  61. ^ Inspector General。企業の監査役以上の独立した地位と権限を持つ。ブレキンリッジ副総監(Scott Dudley Breckinridge, Jr.)またはカークパトリック総監(Lyman B. Kirkpatrick, Jr.)のキューバ侵攻作戦の報告、コルビー長官が大統領に提出した違法活動の総合報告(Family Jewels)、捕虜収容所の実態調査などがきわめて重要な意味を持った。
  62. ^ Assistant Deputy Director for Operations
  63. ^ 他の重要資料も公開した。
  64. ^ 民航空運公司(CAT)エア・アメリカ、エア・アジアなど。最大200機、2万人。局員、エージェントの配置、補給、脱出、捕虜の秘密移動、もっと秘密の組織への部品供給などが仕事。
  65. ^ CIA高官も何機動かしているか分からなかったというエピソードがある。多くの費用を自分たちのもうけでまかなった。
  66. ^ 英国にあった資料を収めたハードディスクは、当局によって破壊された。コピーは他所にもあり、その後も公開され続けている。
  67. ^ 監察総監報告によれば、きちんとした指揮系統がなく、権限が分散されていたという。そのため中心人物が数人いることになる。
  68. ^ 監察総監機密報告の受領者として名前がある数少ない実務担当者の一人。
  69. ^ 原料入手を阻止した。設計図・技術資料を盗みだし、基幹部品入手が不可能になった。
  70. ^ アフリカにも潜在的核保有国が3つある。
  71. ^ リチャード・アーミテージ国務副長官、ルイス・リビー副大統領首席補佐官、カール・ローヴ次席補佐官(影の大統領)、ディック・チェイニー副大統領の誰かまたは複数)
  72. ^ ニューヨークの有力法律事務所「コビントン&バーリング」の同僚が、ヒスの兄弟。

出典[編集]

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参考資料[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯38度57分7.5秒 西経77度8分42.57秒 / 北緯38.952083度 西経77.1451583度 / 38.952083; -77.1451583 (中央情報局本部)