ノート:太陽を盗んだ男

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作品自体で確認できる事項の一部復帰[編集]

報告 Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#一次情報と二次情報を読むと、現存する(検証可能性を満たす)映像作品の場合、作品自体も情報源として使えます。2016年5月11日の編集で除去された部分のうち、マツダ(当時の東洋工業)の協力とエアコンについての台詞は作品中での明示的な描写や客観的な事実であり、一定の特筆性もあると思いますので、改稿のうえ復帰します。

エアコンについての台詞は、三菱重工業が当時の観客にとっては爆弾テロを連想させる会社だったこと(三菱重工爆破事件)を考えるとさまざまな解釈が可能だと思いますし、今でいうプロダクトプレイスメントのパロディとも理解できそうですが、事実関係の記述にとどめます。

除去された項目のうち、作中の原子爆弾は記事「原子爆弾」の記述に照らせばインプロージョン型ですが、明示的な言及はありません。当時、原子爆弾の構造についての情報は(たとえば両資料館などには展示があったかと想像しますが)現在ほど一般的なものではなかった、という点にも留意が必要です。

2013年9月1日 (日) 20:39 (UTC)の編集、および2016年4月25日 (月) 11:08 (UTC)の編集では『ウルトラマンレオ』についての記述が除去されていますが、本作の事項としては特筆性がやや不十分で、あえて復帰するほどではないと思います。なお、記事『ウルトラマンレオ』に同様の記述がありますが、特筆性はかならずしも対称的なものではなく、こちらには一定の特筆性がありそうです。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年10月8日 (土) 13:22 (UTC)[返信]

報告 2016年10月11日 (火) 00:42 (UTC)の編集について、「映画トリビアも無用だと思う」というのはご指摘のとおりで、日本映画史において重要だと考えられている作品でありながら、2013年6月に{{雑多な内容の箇条書き}}が貼付されたまま改善されていないのが現状です。ただ、(不適切な内容でなければ)個々の記述をつまみ食い的に除去するよりは、全体的に再構成するのが望ましいと思います。本作の場合、公開当時から現在に至るまでさまざまに言及されていて全体的な把握が難しく、まとめにくい、というのも一因なのかもしれません。

あと、三菱重工爆破事件について「関係ない事項のこじつけ」と書いていらっしゃいますが、(節「エピソード」で言及されている)東アジア反日武装戦線による、当該記事でも説明されているとおり公開の時点では戦後最悪の爆弾テロ事件、しかもまだ5年前の事件であり、そもそもこの映画自体が当時の観客にとっては三菱重工爆破事件を真っ先に連想させるものだったはずです。

本来、個々の台詞の解釈はウィキペディアの役目ではなく、あくまでも文献によるべきだと思います。ただ、この項目の場合、「意味がある台詞だったのかもしれない」ということを説明しておかないと、単なる誤りに過ぎず、それこそただの「トリビア」になってしまいます(実際は特に意味はなく、単なる誤りだったのかもしれませんが)。そういう意味で、あの一文は苦肉の策です。やり取りについての言及自体を除去してしまうか、説明も残しておくかのどちらかが適切だと思うのですが、いかがでしょうか。そういう意図で、一度リバートさせていただきました。そのうえでの判断はおまかせします。

長谷川和彦のインタビューを節「脚本」に移動したうえ、節「エピソード」自体を除去してしまう、というのも一案かもしれません。 --KAWASAKI Hiroyuki会話2016年10月12日 (水) 18:05 (UTC)、一部修正:2016年10月12日 (水) 18:07 (UTC)[返信]