西部劇

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大列車強盗』より

西部劇(せいぶげき)とは Western(ウェスタン)の訳語であり、19世紀後半の特に1860年代から1890年代にかけて、アメリカ西部開拓時代にフロンティアと呼ばれた未開拓地のアメリカ西部を舞台にした小説映画であり、主として映画(テレビ映画を含む)を指す。

概要[編集]

南北戦争後の19世紀後半のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し[1]、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画の興隆とともに映画の1つのジャンルとして形成された。

故に「19世紀後半のアメリカ西部開拓期を撮った映画」が西部劇であり、「新興の気に満ち満ちていた若きパイオニア精神が壮烈なアクションとともに展開するのが特徴」であるが、「現在西部劇は殆ど滅び去ったと言ってよく、パイオニア精神の失われた今のアメリカで成り立ち得ないジャンル」であるとされている[2]

西部劇映画の原型となったバッファロー・ビル主宰の見世物『野生の西部ショー』。カウボーイとインディアンの捕り物や曲芸を演目とし、欧米を巡業して人気を博した。写真は1890年の巡業の際のもの
ハリウッドにある米国パラマウント社の西部劇セット
ハリウッドにあるユニバーサル・ピクチャーズの西部劇セット
ジョン・フォード監督が好んでロケ地に用いたアリゾナの「モニュメントバレー」

西部劇の歴史[編集]

西部劇は映画とともに歴史を歩んできた。サイレント映画の登場とともに、最初の西部劇映画は1903年の『大列車強盗』であり、アクションを売り物に盛んに製作された。その後、トーキーが普及するとジョン・フォード監督の『駅馬車』など、アクション映画としての「傑作」と呼ばれる作品が次々と発表された。多くの俳優も西部劇で主演を演じ、その中から初期にはブロンコ・ビリーやウィリアム・S・ハートやハリー・ケリーなどのスターを生み、やがてゲイリー・クーパージョン・ウェインの大スターが西部劇から育っていった。

西部の荒野に、逆境にあっても立ち向かい、悪をやっつけて、女性や子供には優しいガンマンを主人公に、お尋ね者の悪者と決闘したり、駅馬車を追っかけたり、銀行強盗があったり、騎兵隊が来たり、そして先住のインディアンと争ったりするのがパターンであった。実在した保安官ワイアット・アープワイルド・ビル・ヒコック)やガンマン(バット・マスターソン、ビリー・ザ・キッド、ジェシー・ジェームス)を題材にして、アメリカ西部の大自然を背景に開拓者魂(フロティア精神)を詩情豊かに描く西部劇は多くの人々を魅了し、西部開拓時代へのノスタルジーを掻き立てられた[3]。それは19世紀後半の西部開拓時代での開拓者精神を称え、アメリカを発展させたものとして賛美するものであった。

第2次大戦が終わる頃まで、アメリカ映画の大きなジャンルとして西部劇は確固としたもので人気は高かった。「風と共に去りぬ」も時代背景は西部劇に属するものである。そして戦後はテレビの登場とともに数多くのテレビ西部劇が製作され、大きなジャンルを形成していたそれらは1960年代初頭まで隆盛を誇り、同時期に日本にも『ローハイド』『ララミー牧場』など多くの作品が輸入され、当時のテレビ番組の主力として高い人気を博していた。

西部劇の変貌[編集]

西部劇が描く人物像は基本的に主人公は白人で、強く正しくて「勧善懲悪」をストーリーの骨子とし、そこへ応援に来たりする騎兵隊は「善役」であり、それに刃向う先住民インディアンを「悪役」としたものが多い。そして劇中で描かれた白人とインディアンとの戦いには史実も多いが、戦いの原因(土地の領有権)に触れたものはほとんどなかった。

しかし、やがて史実とは違う内容に対する反発や反省が西部劇を衰退させる強い動因となった。戦後、多様化する価値観や倫理観の変化に勧善懲悪のドラマがついていけなくなったのである[4]

1950年代に入る頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めた。1950年のジェームズ・スチュアート主演の『折れた矢』は先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿を描いた。それは、当時黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、人権意識が高まる中でインディアン黒人の描き方が批判されるようになって、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった[5]

そしてもう一つの図式である勧善懲悪で、開拓者精神を肯定する強いヒーローがいて悪を倒すそれまでの図式も崩れていった。町の誰からも助けてもらえない保安官(『真昼の決闘』)、復讐に執念を燃やす男(『捜索者』)、農園を取り戻すためだけで賞金稼ぎで人を殺す農園主(『裸の拍車』)が主人公の西部劇が50年代にどっと製作されて、それまでの映画にあった悪に立ち向かうヒーロー像がもはや存在せず、何が正しくて何が悪いか、明らかにしないままにただ主人公の人間らしさが主になって、そこではもはやヒーローが描きにくくなったのである[6]

それはまた、この当時ハリウッドを襲った「赤狩り」という暗い空気の中で、アンソニー・マンフレッド・ジンネマンが描いた世界が西部劇の変貌をもたらしたとも言われている[7]

これが1960年代に入ると、公民権運動が高まると同時に西部劇の衰退を招くこととなった。1960年ジョン・F・ケネディが大統領に就任し人種差別の撤廃に強い姿勢で臨んで、もはや従来の製作コードが通用しなくなり製作本数も激減した。そして製作費の高騰もあってイタリアなどでいわゆるマカロニ・ウェスタンと呼ばれる多くの西部劇が作られたが、その影響を受けるなかで逆にアクションが激しい描写となり、暴力場面も過激になって、『ワイルドバンチ』のように主人公の男たちがやたらと人殺しに走るようになって、善悪の境目が無くなり従来からの西部劇ファンが離れていく結果を招いた。やがてニューシネマの台頭で『明日に向って撃て』のような秀作も生まれ、また『小さな巨人』と『ソルジャーブルー』が1970年に公開され、『ソルジャーブルー』は1864年のサンドクリークの虐殺を基に、被害者である先住民の立場に立って虐殺事件を描き、当時話題になった作品である。

現在において西部劇は製作されているが数少なく、過去の作品と肩を並べるような傑作を世に送り出していない。物語りとしての図式が出来ず、西部劇としてのジャンルが確立されていないからである。その一方で、時代考証や衣装設定、ガン・アクションは過去の作品とは比較できないほどの正確さで表現されており、『トゥームストーン』のような娯楽性に富んだアクション映画も作られている。

諸外国の西部劇映画[編集]

セルジオ・レオーネがスペインのアルメリアに作った西部劇映画のセット(1960年代)

西部劇はドイツイタリアなどでも製作された。

ドイツ(当時は西ドイツ)では、米国俳優のレックス・パーカー主演で、1961年から1965年にかけて『アパッチ』[8]『大酋長ウイネットー』『シルバーレークの待ち伏せ』などが製作されて日本で公開されている。これらの映画には、アメリカの俳優でハリウッドでは作品に恵まれず、ドイツやイタリアに行った俳優は多かった[9]

イタリアではマカロニ・ウェスタン[10]と呼ばれて、1965年にクリント・イーストウッド主演で『荒野の用心棒』が大ヒットすると、アメリカでの仕事が減少していた中堅の西部劇スターが大挙して出演し[11]、数多くのマカロニ・ウェスタンが製作されて一時的に大ブームを引き起こした。しかし駄作も多く、やがて衰退に向かった。

しかしセルジオ・レオーネの演出やエンニオ・モリコーネの音楽はそれまでの西部劇に無いものであり、クリント・イーストウッドの全篇を通した無精髭のガンマンの姿は本家ハリウッド男優に影響を及ばしたことは否定できない。

マカロニ・ウェスタンはアクションと残酷シーンを売り物に、史実を無視した自由な発想で製作されており、ロケーションは主にスペインや、荒涼とした砂漠地帯があるメキシコのデュランゴを選んで撮影されている。1960年代当時すでにハリウッドは撮影場所としてはその歴史を終えつつあったし、フォードの西部劇の撮影地として知られたアリゾナも滞在費が高騰して馬のレンタル料も高くなり、メキシコのデュランゴがロケ地に選ばれるようになった。

日本では、戦前から西部劇の人気が高く、戦後特に1960年前後にはガン・ブームと呼ばれる現象が生まれ、当時日活が無国籍映画と言われる西部劇のような活劇を作ったりしたが特筆されるほどではなかった[12]。ただ時代劇の分野で黒澤明監督「七人の侍」がアメリカでリメイクされてジョン・スタージェス監督「荒野の七人」となり、「用心棒」が「荒野の用心棒」となり、西部劇の世界に影響を与えることとなった。

監督[編集]

サイレント時代[編集]

無声時代の西部劇スターウィリアム・ハート。(『ガンファイター』(1917年)より)

トーキー時代[編集]

B級西部劇[編集]

マカロニ・ウエスタン[編集]

俳優[編集]

主演俳優[編集]

ゲイリー・クーパー。映画ベラクルス(1954年)より
ジョン・ウェイン。映画コマンチェロ英語版(1961年)より

助演俳優[編集]

ダン・デュリエ。映画無宿者英語版(1945年)より

代表的な西部劇映画[編集]

サイレント時代[編集]

1930年代[編集]

  • シマロン(1930年)
  • ビッグトレイル(1930年)
  • ビリー・ザ・キッド(1930年)
  • テキサス決死隊(1936年)
  • 平原児(1936年)
  • 丘の一本松(1936年)

1940年代[編集]

1950年代[編集]

1960年代[編集]

  • シマロン(1960年)
  • アラモ (1960年)
  • バファロー大隊(1960年)
  • 片目のジャック(1961年)
  • 荒野の七人(1960年)
  • 荒野の3軍曹(1962年)
  • 西部開拓史 (1962年)
  • リバティ・バランスを射った男(1962年)
  • 昼下がりの決闘 (1962年)
  • シェナンドー河 (1965年)
  • エルダー兄弟 (1965年)
  • シェナンドー河 (1965年)
  • 砦の29人 (1966年)

1970年代[編集]

1980年代以降[編集]

外国製の西部劇映画[編集]

ハリウッド以外の西部劇映画には次のようなものがある。

テレビ西部劇[編集]

主な番組[編集]

  • アニーよ銃をとれ(KRT、現TBS、1957年3月~9月;1958年3月~9月)後にフジテレビ系で放送。
  • ローン・レンジャー(KRT、現TBS、1958年8月~1959年2月)後にフジテレビ系で放送。
  • バット・マスターソン(NET、現テレビ朝日、1959年2月~1961年3月)
  • ガンスモーク(フジテレビ、1959年3月~1962年5月)
  • ローハイド(NET、現テレビ朝日、1959年11月~1965年10月)
  • 拳銃無宿(フジテレビ、1959年12月~1961年12月;日本テレビ、1966年2月~8月)
  • 西部のパラディン(NHK、1960年4月~6月、TBS 1961年10月~1963年3月)
  • シャイアン(KRT、現TBS、1960年5月~1963年8月)
  • ララミー牧場(NET、現テレビ朝日、1960年6月~1963年7月)
  • ボナンザ(カートライト兄弟) (日本テレビ、1960年7月~1965年4月)
  • 幌馬車隊(日本テレビ、1960年10月~1962年4月)
  • ライフルマン(TBS、1960年11月~1963年12月)
  • ブロンコ(TBS、1961年5月~1963年4月)
  • マーベリック(NET、現テレビ朝日、1961年5月~1962年3月)
  • 保安官ワイアット・アープ(日本テレビ、1961年9月~1965年4月)
  • バージニアン(NET、現テレビ朝日、1964年4月~1966年1月)
  • バークレー牧場(NET、現テレビ朝日、1965年11月~1966年6月)後に東京12チャンネルで放送。
  • ワイルド・ウエスト(フジテレビ、1965年12月~1966年6月)

主演俳優[編集]

  • クレイトン・ムーア
  • ジーン・バリー
  • ジェームス・アーネス
  • エリック・フレミング
  • リチャード・ブーン
  • クリント・ウオーカー
  • ロバート・フラー
  • ジョン・スミス
  • ローン・グリーン
  • マイケル・ランドン
  • ロバート・ホートン
  • チャック・コナーズ
  • タイ・ハーディン
  • ウイル・ハッチンス
  • ジャック・ケリー
  • ヒュー・オブライエン
  • ジェームス・ドゥルーリー
  • ロバート・コンラッド

西部劇における先住民の描写[編集]

最初期の西部劇『スコウマン』(1914年)。インディアン女性[13]と結婚した白人を描く。

最初期の西部劇映画は、インディアンをヒーローとして扱ったものもあった。が、西部劇がアクション中心の娯楽作劇に移行すると同時に、インディアンは「フロンティア」を害する悪役となり、白人開拓者にとっては邪悪と凶暴さの象徴であった。

西部劇は、インディアンのイメージを決定付けた。劇中に登場するインディアン達は、決まって馬にまたがって派手な羽飾りをつけ、手斧を振り回し、「アワワワワ」と鬨(とき)の声を挙げて襲ってくる。このうち、馬にまたがり、羽飾りをつけること以外は出鱈目なものである。彼らの衣装も、撮影所のデザイナーが考えたものであり、またそのほとんどが、非インディアンである白人たちが演じており、資料的価値は皆無である。

また、西部劇映画には「号令一下、全インディアン戦士を従わせる大酋長(Grand Chief)や戦争酋長(War chief)」が登場するが、これはインディアン文化に対する白人の誤解から生まれたものである。基本的にインディアンの社会は合議制民主主義社会であり、このような絶対権力者は存在しない[14]。「大酋長」も「戦争酋長」もまったくのフィクションであり、現実には存在しない西部劇映画の中のキャラクターなのにも関わらず、これが全世界で公開されることで、「酋長は部族長である」といった、誤ったインディアンのステレオタイプをさらに広めることとなってしまった。

平原の部族の風俗である羽飾りをつけ、無表情に片言の英語を喋るこのステレオタイプは、その後世界中の人々が「インディアン」と聞いて真っ先に頭に思い浮かぶイメージとなった。ラジオやTVのシリーズ『ローン・レンジャー』に出てくる、主人公の相棒であるインディアンの「トント」は、インディアンの間では「白人にへつらうインディアン」の代名詞となっている。

一方それまで2本の主演西部劇が不評だったマーロン・ブランドは、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動」(AIM)に賛同し、同団体設立当初から助言と運動をともにしていたが、1973年に映画『ゴッド・ファーザー』でアカデミー賞を受賞した際、授賞式に「インディアン女性」を代理出席させ、ハリウッド西部劇において、いかにインディアンが理不尽な扱いを受けているかメッセージを代読させた[15]。 映画俳優でAIMの運動家でスポークスマンをも務めるラッセル・ミーンズはハリウッド映画についてのインタビューに答え、こう述べている。

ハリウッドが映画の中でインディアンの人々に求める姿として、私たちは、2種類の姿でいさえすればよいのです。私たちは夏の間、革服で盛装します。あるいは、我々は『スキンズ』(2002年)だとか、『スモーク・シグナルズ』(1998年)のような映画のように、酔っぱらいの社会不適格者でないといけないのです[16]

1940年代のある土曜日の午後に、私は弟のデイスと二人でカリフォルニアのバレーホにあるエスクァイア映画劇場へ映画を観に行ったことがあります。その映画にはカウボーイとインディアンが出てきて、満場の観客たちが大喝采する中、進軍ラッパが鳴り響き、騎兵隊が撃ちまくり、否も応もなしにインディアンがぶち殺されるんです。デイスは、とても見ていられない様子でした。 彼は、顔を手で覆っていました。あなたが8歳か9歳だった頃、私たちはそんなふうだったんです。あなたは多分、今度の映画(『ラスト・オブ・モヒカン』)はそれと違ってインディアンが勝つかもしれないなと思うでしょうね。まあそれからその後で、私たちは映画館を出るわけです。

それから、これはホントの話なんですが、そのあと私たち兄弟は、メキシコ人とかフィリピン人、中国人や黒人に対して、ちょうど映画の中でインディアンが白人と戦うのと同じようにして、背中合わせに戦わなければなりませんでした。こういう近所の子供たち全員が、私たちに言うわけです。「おいインディアン、思いっきりケツひっぱたいてやるぞ!」とね[17]

西部劇に登場する拳銃[編集]

ガンマンが題材となることの多い西部劇には、正確な考証に基づくものから近現代の銃器を手直ししてそれらしく見せかけたものまで、様々の銃器が小道具として登場した。中でも象徴的なのがサミュエル・コルトが考案した連発銃コルト・シングル・アクション・アーミー・リボルバー、通称「ピースメーカー」[18]SAAや、コルトM1851のようなシングルアクションリボルバーの拳銃である。「コルト45(ピースメーカー)」はコルト社の最高傑作と言われる名銃で1873~1940年までの67年間に35万挺が製造されている。

腰のベルト付きホルスターにシングルアクションの回転式拳銃を収めたカウボーイスタイルは、映画に登場する西部ガンマンの定番であった。日本においても、西部劇人気の高まりと共にSAAのようなシングルアクション拳銃の知名度は上昇し、多くのメーカーからトイガン製品が販売された。

この時代のシングルアクション拳銃には様々なバリエーションが存在するが、特にマカロニ・ウェスタンにおいて、主役は5.5インチの金属薬莢式、悪役のボスは7.5インチなどの長銃身で大型、その他大勢は4.75インチの金属薬莢式拳銃や、パーカッション式リボルバーという具合に、持ち主の役どころにより銃の種類が決められている場合が多かった。

目にも止まらぬ抜き撃ち連射、華麗なスピンといったガンプレイに習熟することが主演スターには要求され、ゲイリー・クーパー平原児(1936)でセシル・B・デミルと話し合った結果、二丁拳銃の抜き撃ちを二週間猛練習し、名場面を作りあげた。

映画がカラーになり、やがてワイド化して横長画面になった頃、1950年代中期以降は朝鮮戦争の帰還兵士であったレッド・ロッドウィングが銃器類の取り扱い指導者になり多くのスターに拳銃の技を伝授した。このガン・プレイの指導にはアルヴァ・オジャラやドイル・ブルックスなどの名前が伝わっているが、遡ると映画がサイレントからトーキーになった頃に、まだデビュー前のジョン・ウェインにガン・プレイを指導したのはあのワイアット・アープであったという話がある。

引き金を引いたままで拳銃を抜き、撃鉄をもう一方の手で連打することで高速に連射する「ファニング」[19]と呼ばれるテクニックは、荒野の決闘で名バイプレーヤーワード・ボンドが初めて披露した技である。

なお、ジョン・ウェインはコルト6連発銃によるガンプレイが実は巧かった(「捜索者」でその片鱗を披露している)が大柄(やや太めのウェスト)過ぎて似合わないのでジョン・フォード監督のアドバイスでウィンチェスター銃(ライフル)を愛用したと伝えられる。そして後にライフル銃を持つとこれほど似合う俳優はいないと言われた。そのウィンチェスター銃はオリバー・ウィンチェスターが考案したライフルで、1873年にコルト45「ピースメーカー」が売り出された同年に「73年型ウィンチェスター銃」(通称ウィンチェスター銃73[20])が登場して、このウィンチェスター73も1873~1932年の59年間に72万挺製造されたと言われている。

「コルト45(ピースメーカー)」と「ウィンチェスター73」の2つの銃が後に「西部を征服した銃」と呼ばれている[21]

虐殺の小道具として劇中多用されたガトリング砲

脚注[編集]

  1. ^ 『アメリカ文化入門』杉野健太郎編 三修社p36
  2. ^ 「映画小辞典」188P 「西部劇」の項 田山力哉著 ダヴィッド社 1987年9月発行
  3. ^ カウボーイには黒人も多かったし、町には中国人など外国人も多かった。中国人が西部劇に出たものとしてはジェフ・ブリッジス主演『ワイルド・ビル』(1995年)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ/天地風雲』(1997年)、ジャッキー・チェン主演の『シャンハイ・ヌーン』(2000年)がある。『戦う幌馬車』 (The War Wagon1967年)にはカーク・ダグラスが箸で中華料理を食べる場面もある。
  4. ^ 「大いなる西部劇」12~13P 逢坂剛 川本三郎 著 2001年5月発行 新書館
  5. ^ 『インディアンの声を聞け』(ワールドフォトプレス社)特集記事「映画の中のアメリカインディアン」
  6. ^ 「アメリカ映画主義」166~167P 大場正明 編著 フィルムアート社 2002年10月発行
  7. ^ 「ハリウッド映画史講義」68P 西部劇の変貌 蓮実重彦著 筑摩書房 1993年9月発行
  8. ^ バート・ランカスター主演の「アパッチ」(1954年)とは別の映画で、ハラルト・ラインル監督作品。
  9. ^ 「大いなる西部劇」172~173P 逢坂剛 川本三郎 著 2001年5月発行 新書館
  10. ^ アメリカでは「スパゲティ・ウェスタン」と呼ばれたが、日本では語感と呼びやすさを重視して「マカロニ・ウェスタン」と呼ばれた。
  11. ^ その中には、リー・ヴァン・クリーフやジャック・イーラムがいた。
  12. ^ 1961年4月封切りの「早射ち野郎」。日活製作、野村孝監督、宍戸錠主演。公開時に「日本製ウエスタン」と呼ばれたが、キネマ旬報に「日本映画にこれほどの愚作はない」と書かれた。しかし映画興行としてはヒットしている。大下英治は和製の「みそ汁ウエスタン」と述べている。「みんな日活アクションが好きだった」153P参照 大下英治 著 廣済堂出版 1999年発行。
  13. ^ 「スコウ」はインディアン女性のことだが、現在は蔑称としてインディアン団体から強い抗議を受けている単語である
  14. ^ 『Crazy Horse』(Larry Mcmurtry著、Penguin LIVES)
  15. ^ ただしこの「インディアン女性」は実は非インディアンのフィリピン系女性だった。(彼女は俳優組合から名前を抹消される処分を受けた)これ自体が上記のようなデタラメな白人が演じるインディアンのパロディーであり、ハリウッドに対するブランドが一矢報いたのだが、この行為によって彼は自らの輝かしいキャリアに泥を塗る失態を犯し映画界での信頼を失った。
  16. ^ ラッセル・ミーンズの公式サイト『Russell Means Freedom』でのインタビュー記事“Russell Means Interview with Dan Skye of High Times”(2009年5月20日)より
  17. ^ Entertainment Weekly』誌でのインタビュー記事“Acting Against Racism”(1995年10月23日)より
  18. ^ 「コルト45」の名前で有名である。この拳銃名をそのまま題名にしたテレビ映画がある。
  19. ^ 通常右手の人差し指で、引き金を引くが、その前に銃の一番後ろにある撃鉄を、親指で起こして、その撃鉄が銃弾の入っている孔に打ち込むことで弾が発射される。ゆえに拳銃をホルダーから取り出して構えても、親指で撃鉄を起こさないと撃てない。西部劇映画で射撃に入る寸前に右手の親指で撃鉄を起こす動作が見られるのはこのためで、また相手に向かって構えていても、それだけでは威嚇でしかない。しかし撃鉄を起こす動作をすれば、相手はいつでも抜き撃ちの構えに入る。このファニングとは、右手の人差し指で引き金を引いたまま、左手のひらで撃鉄を上から叩いて起し連続して発射する方法である。なお19世紀末には引き金を引くと同時に自動的に撃鉄が動く拳銃が出現している。
  20. ^ ジェームス・スチュアート主演で同名の映画がある。
  21. ^ 「西部劇を見て男を学んだ」102~103P 参照 芦原伸 著 祥伝社新書 2006年3月発行

関連項目[編集]

外部リンク[編集]