釜山港へ帰れ

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釜山港へ帰れ
돌아와요 부산항에
チョー・ヨンピル楽曲
収録アルバム 女学生のためのチョー・ヨンピル ステレオヒットアルバム
여학생을 위한 조용필 스테레오 힛트 앨범
リリース 1972年2月
ジャンル トロット
作詞者 黄善友
作曲者 黄善友
女学生のためのチョー・ヨンピル ステレオヒットアルバム
여학생을 위한 조용필 스테레오 힛트 앨범収録順

働かないと愛せない
일하지 않으면 사랑도 않을래
(6)
釜山港へ帰れ
돌아와요 부산항에
愛の子守唄
사랑의 자장가
(8)

7
ミオ・ミオ・ミオ/釜山港へ帰れ
チョー・ヨンピル(趙容弼)シングル
リリース
ジャンル トロット
時間
レーベル CBS・ソニー
作詞・作曲 黄善友三佳令二(訳詞)
チャート最高順位
チョー・ヨンピル(趙容弼) シングル 年表
ミオ・ミオ・ミオ/釜山港へ帰れ
(1982年)
窓の外の女
(1982年)
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釜山港へ帰れ
各種表記
ハングル 돌아와요 부산항에
漢字 돌아와요 釜山港에
発音 トラワヨ プサナンエ[註 1]
(トアワヨ プサンハンエ)
2000年式
MR式
Dolawayo Busanhang-e
Tolawayo Pusanhang-e
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釜山港へ帰れ」(プサンこうへかえれ)は、黄善友[註 2]作詞作曲した大韓民国歌謡曲トロット)。日本では渥美二郎がカバー歌唱したものが有名である。

概要[編集]

  • 三佳令二による日本語版の作詞では、釜山港で帰ってこない男性を待つ女性の心情が歌われているが、原詞では(日本へ)行ってしまったきり帰ってこない兄弟が歌われている。なお原題を直訳すると「帰ってこい釜山港へ」(「帰ってきてよ、釜山港へ」[1])となり、訳題は倒置されている。

日本での受容[編集]

  • 日本では1977年に、李成愛のLP『納沙布岬/演歌の源流を探る』に収録された。これが本楽曲が日本に紹介された最初とされる[2]。続いて1979年に、殿さまキングス(殿キン)が「泪の波止場」というタイトルでシングルを発売した。殿キン版の歌詞はほぼ大部分が「釜山港へ帰れ」(の訳詞)と同じではあるが、釜山港というフレーズの部分は違う歌詞となっていた(作詞者は同じく三佳令二である)。
  • さらに日本では1983年、チョー・ヨンピルが来日時にNHKで歌い注目され、16人の歌手による競作となる[3]。中でも渥美二郎がロック調にアレンジして歌ったものが70万枚を超える[4](または80万枚[3])大ヒットとなったほか、チョーが歌ったものが26万枚[3]、李成愛が歌ったものが20万枚[3]を売り上げ、競作累計では150万枚以上[3]を売り上げた。
  • 桂銀淑ジェロもこの曲をカバーした。シングルとして発売したものは渥美やチョー、李の他、美川憲一増位山太志郎日野美歌内田あかり北原ミレイ松浦真弓山口順子水野浩二川西杏(「釜山港へ帰れ(泪の波止場)」の曲名)らがいる。なお、日野(A面曲は「想い出グラス」)、松浦(A面曲は「盛り場ぐらし」)、水野(A面曲は「大田ブルース」)はB面扱いである。チョー、増位山、北原、李、桂、水野のバージョンは2番が韓国語で歌われている一方、殿キン、渥美、美川、日野、内田、松浦、山口の発売したシングルでは全編日本語詞である。

収録曲(チョー・ヨンピル日本盤シングル)[編集]

  1. ミオ・ミオ・ミオ(にくい・にくい・にくい) (原題:미워 미워 미워) - 2分37秒
    作詞:鄭旭/日本語詞:谷村新司/作曲:鄭豊松
  2. 釜山港へ帰れ (原題:돌아와요 부산항에) - 3分20秒
    作詞・作曲:黄善友/日本語詞:三佳令二

渥美二郎のシングル[編集]

釜山港へ帰れ
渥美二郎シングル
A面 釜山港へ帰れ
B面 流れギター
リリース
ジャンル 演歌
時間
レーベル CBS・ソニー
作詞・作曲 三佳令二(作詞)
黄善友(作曲)
チャート最高順位
渥美二郎 シングル 年表
思い出のひと
1983年
釜山港へ帰れ
(1983年)
北のものがたり
1984年
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釜山港へ帰れ』(プサンこうへかえれ)は、1983年9月1日に発売された渥美二郎の11枚目のシングル。

収録曲[編集]

  1. 釜山港へ帰れ
    作詞:三佳令二/作曲:黄善友/編曲:只野通泰
  2. 流れギター
    作詞・作曲:遠藤実/編曲:斉藤恒夫


歌詞盗用問題[編集]

  • 2004年、この歌の歌詞はほかの歌の作詞を盗用したものとして訴えを起こされた[6]。訴訟を起こしたのは歌謡曲「忠武港へ帰れ」(1970年発表)の作詞者キム・ソンスル(芸名:キム・ヘイル)の母親で、黄善友に対して1億7800万ウォンの損害賠償の支払いと日刊3紙に弁明広告を出すよう求めるものだった。[7]

関連項目[編集]

※原語版には、以下の釜山名所が織り込まれている。

 脚注 [編集]

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  1. ^ a b 朴燦鎬『韓国歌謡史 II 1945-1980』邑楽舎、2018年、366-369頁。ISBN 978-4-939139-24-6
  2. ^ a b 「話題の歌手(41) 渥美二郎」『映画情報』(国際情報社)1983年12月号。
  3. ^ a b c d e 長田暁二『昭和歌謡 流行歌からみえてくる昭和の世相』敬文舎、2017年、187頁。ISBN 978-4-906822-76-8
  4. ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』現代教養文庫、1997年、59頁。ISBN 4390116029
  5. ^ a b オリコンランキング情報サービス「you大樹」
  6. ^ a b c “盗作『釜山港へ帰れ』…「1億6000万ウォンで和解せよ」”. 中央日報. (2007年6月5日). http://japanese.joins.com/article/089/88089.html?sectcode=400&servcode=400 2012年3月4日閲覧。 
  7. ^ a b c “조용필의 히트곡 '돌아와요 부산항에' 원작은 '돌아와요 충무항에'였다”. 조선닷컴. 朝鮮日報. (2006年3月22日). http://www.chosun.com/national/news/200603/200603220010.html 2012年3月4日閲覧。 
  8. ^ a b “「釜山港に帰れ」盗作判決、作詞者に350万円賠償”. ZAKZAK. 産経新聞社. (2006年3月23日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_03/g2006032308.html 2012年3月4日閲覧。 

[編集]

  1. ^ この曲を歌う場合後半の「釜山港」のパッチムの連音化を無視し「トラワヨ プサンハンエ」と歌われる。
  2. ^ 「黄善雨」とも表記される。