ローマの休日
ローマの休日 | |
---|---|
Roman Holiday | |
![]() アメリカ初公開時のポスター(1953年) | |
監督 | ウィリアム・ワイラー |
脚本 |
ダルトン・トランボ イアン・マクレラン・ハンター ジョン・ダイトン |
原案 | ダルトン・トランボ |
製作 | ウィリアム・ワイラー |
出演者 |
グレゴリー・ペック オードリー・ヘプバーン エディ・アルバート |
音楽 | ジョルジュ・オーリック |
撮影 |
アンリ・アルカン フランツ・F・プラナー |
編集 | ロバート・スウィンク |
製作会社 | パラマウント映画 |
配給 | パラマウント映画 |
公開 |
![]() ![]() |
上映時間 | 118分 |
製作国 |
![]() |
言語 | 英語 |
製作費 | $1,500,000(見積値)[1] |
興行収入 |
![]() ![]() |
配給収入 |
![]() |
『ローマの休日』(ローマのきゅうじつ、原題:Roman Holiday)は、1953年に公開されたアメリカ合衆国の映画。主演はグレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーン。ウィリアム・ワイラーが製作・監督した。
イタリアのローマを表敬訪問した某国の王女が滞在先から飛び出し、市内で出会った新聞記者との1日の恋を描いている。トレヴィの泉や真実の口などローマの名だたる観光スポットが登場する。
新聞記者をグレゴリー・ペック、王女をオードリー・ヘプバーンが演じている。当時新人だったヘプバーンは、本作により1953年のアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した。このほかイーディス・ヘッドが「最優秀衣裳デザイン賞」を、イアン・マクレラン・ハンターが「最優秀原案賞」をそれぞれ受賞している。
ただし、本作の原案(ストーリー)は実際にはダルトン・トランボが執筆したものだった。当時のマッカーシー旋風による赤狩りでトランボはハリウッドを追われていたため、名義を借用したのである。アカデミー賞選考委員会は、1993年にトランボへ改めて「1953年最優秀原案賞」を贈呈している[注 1]。
ストーリー[編集]
![]() | この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王位継承者であるアン王女は、ヨーロッパ各国を表敬訪問中であった。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついに王女はヒステリーを起こしてしまう。
その夜、密かに城を抜けだした王女は、直前に打たれていた鎮静剤のせいで、無防備にも路傍のベンチでうとうとし始める。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう[注 2]。眠くて仕方のない王女は、詩を朗読して寝てしまう[注 3]。
翌日の昼になって、王女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをものにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。
王女は、市場での散策を楽しむ。まずサンダルを買い、美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べる。その後ジョーとベスパに2人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加する。その様子をアーヴィングが次々とスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都ローマで、自由を満喫するアン王女と新聞記者のジョーの気持ちは、次第に近づいていく。
翌日の記者会見の場でジョーは記者として謁見する。「一番印象に残った訪問地はどこですか」という質問に王女は「ローマです」と答え、ジョーは王女にアーヴィングが撮影した写真をローマの土産として手渡す。
登場人物[編集]
- ジョー・ブラッドレー
- 演 -グレゴリー・ペック
- アメリカン・ニュース社のローマ支局に勤めるアメリカ人新聞記者。アンと行動を共にするうち次第に真剣な気持ちを抱くようになる。
- アン王女
- 演 - オードリー・ヘプバーン
- 好奇心旺盛で、外の世界に強い興味を持っている。自身の身分を隠し、ジョーには「アーニャ・スミス」と名乗る。
- アーヴィング・ラドビッチ
- 演 - エディ・アルバート
- C・Rフォトサービス所属のカメラマン。ジョーの親友で、王女の特ダネの写真を撮ることに協力する。
- 大使
- 演 - ハーコート・ウィリアムズ
- 王室の人間。職務には厳しい。
- ヴィアルバーグ伯爵夫人
- 演 - マーガレット・ローリングス
- アンの世話係。アンのスケジュール管理も行っている。
- マリオ・デラーニ
- 演 - パオロ・カルリーニ
- アンの髪をカットした美容師。ロングヘアだったアンが大胆なショートヘアを注文したため最初は戸惑うが、その腕前でアンの満足するカットを行う。カット後にはアンをテヴェレ川の船上で開催されるダンスパーティーに誘った。
- 日本語吹き替え版では、最初に担当した広川太一郎が原語と異なる、いわゆる”オネエキャラ”で演じている。以降複数の吹き替えではこのキャラクター像が踏襲されている[3]。
- プロブノ将軍
- 演 - トゥリオ・カルミナティ
- ヘネシー
- 演 - ハートリー・パワー
- アメリカン・ニュース社の支局長で、ジョーの上司。ジョーが「王女の特ダネスクープを手に入れる」と言った際に、それが出来るか否かで賭けを提案する。
- タクシー運転手
- 演 - アルフレッド・リゾ
- ボナコーベン
- 演 - ハインツ・ハインリヒ
- 医者。アンの主治医。
- ジョバンニ
- 演 - クラウディオ・エルメッリ
- ジョーの住むアパートの管理人。部屋代を2カ月滞納されているため、ジョーに金を貸して欲しいと頼まれた時は断った。
製作[編集]
企画[編集]
ダルトン・トランボが原案(ストーリー)を書き、イアン・マクレラン・ハンターと共同で脚本を執筆したのは1940年代半ばごろで、元々フランク・キャプラが映画製作会社リバティ・フィルム社のために書かせたものである[4][5][6][7]。
1948年、リバティ・フィルムがパラマウント映画に買収され、パラマウントでキャプラ監督による製作が決定[6]。この時、エリザベス・テイラーとケーリー・グラントに出演交渉されたが、パラマウントの予算が150万ドルと少なかったためキャプラは妥協できず、『ローマの休日』を放棄した[6][8][9]。
その後、この企画はしばらく宙に浮いたままだったが、1951年初めにウィリアム・ワイラーがこの脚本を知り、ローマでの撮影を条件に強い関心を示して、ワイラー監督でパラマウント社は製作に入ることとなった[4][10]。
製作時、アメリカ本国ではジョセフ・マッカーシー上院議員らによる「赤狩り」と呼ばれるマッカーシズムから非米活動調査委員会による共産主義者排斥運動が行われており、映画産業でも「ハリウッド・テン」と呼ばれた人物らが追放された。本作の脚本家であるトランボもその一人であったため、友人の脚本家イアン・マクレラン・ハンターが、本作の原案と脚本にその名前をクレジットした。
ワイラー監督の意向から、撮影はローマでロケをすることとなった[11]。パラマウントも、イタリアで稼いだものの国外には持ち出せないリラを制作費に充てられるために反対はしなかった[12]。
オードリー・ヘプバーンの起用[編集]
最初にヒロインの王女役候補に挙がっていたのはエリザベス・テイラーであった[4][6][5]。監督がフランク・キャプラからウィリアム・ワイラーに変わってからはジーン・シモンズの名前が挙がった[13]。しかし彼女と専属契約をしているハワード・ヒューズが貸し出しを拒否したことで実現しなかった[4][11]。
グレゴリー・ペックも最初は出演を渋ったがワイラーが説得、出演を承諾した[11][14]。しかし予算の問題もあり、大スターを2人使うことは問題外であった[9]。インタビューでワイラーは「主役にグレゴリー・ペックを使えると決まって急に具体化しました。相手の王女役に大スターを使う必要がなくなったからです。そこで私は無名であっても王女の役にふさわしい娘さんを捜しにかかりました。」と答えている[15]。
パラマウントの各海外拠点が何人か王女役を提案し、特にシュザンヌ・クルーティエ (en:Suzanne Cloutier) とコレット・リペール (en:Colette Ripert) の2人が際立っていた[9]。1951年7月にはパラマウント社ロンドン支社のリチャード・ミーランド製作部長は、「『ローマの休日』の新しい候補、オードリー・ヘプバーンを発見した。『素晴らしき遺産』で彼女が演じた小さな役に感銘を受けた。」とニューヨークの事務所にヘプバーンを推薦した[4][7]。ロンドンに立ち寄ったワイラーはヘプバーンに会い「何か独特の個性を持っているという強い感銘を受け、早速カメラ・テストをすることにしました」と答えている[15]。
当時、ヘプバーンは映画界では無名に近い存在であったが、その彼女をロンドンのパインウッド撮影所に呼んで1951年9月18日にスクリーン・テストを受けさせた[16]。監督はヘプバーンの希望で『初恋』の監督だったソロルド・ディキンソン[16]。他に俳優でライオネル・マートンとキャスリーン・ネズビットが出演した[17][18]。ワイラーはありのままのヘプバーンを評価するために、ベッドから起き上がるシーンのテストが終わってもカメラを回して撮影しておくように指示した[19][20]。テストが終わったと思い込み、笑顔で伸びをする自然なヘプバーンのフィルムを見たワイラーはヒロインに抜擢することを決めた[21][22][15]。シュザンヌ・クルーティエもテストを受けたが、明らかにヘプバーンが最善の選択であった[9]。
この時、パラマウント社ロンドン支社のミーランド製作部長はヘプバーンにキャサリン・ヘプバーンと混同されるので改名してはどうかと打診している[23][24]。その時彼女は「私をお望みなら、名前も採用してください」と答えている[23][24]。
グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず自分と同等のクレジットを与えることをエージェントとスタジオに要求[25][26]。ヘプバーンは映画のタイトルの前に主演としてグレゴリー・ペックと共に載った[27][26]。
しかし、彼女にはそれ以前に声がかかってブロードウェイで上演される『ジジ』の主役に抜擢されており、1951年9月末に船でニューヨークに向かった[28]。『ジジ』は大好評で、パラマウントはオードリー・ヘプバーンを5月末で解放してくれるよう『ジジ』のプロデューサーに5万ドルを支払った[29][30]。『ジジ』はチケット完売のままでおよそ6か月の公演が続き、5月31日に終了した[29][30]。『ローマの休日』の撮影に入ったのは主演に決まってから8か月後の1952年6月であった[31]。
撮影[編集]
最終脚本が完成していなかったため、イギリスの脚本家ジョン・ダイトンがローマへ渡り、撮影の間に脚本を書き、現場でワイラー監督と一緒にシーンを考案した[9]。ローマは使用可能なロケ地が多すぎるために、絶えず書き直しが必要なため、ダイトンは貴重な存在であった[9]。1953年に映画が公開された時には、脚本家のクレジットはハンターとダイトンが共有した[32]。
しかしスタジオ撮影ではなく、ロケ撮影のため様々な問題が起きた[9]。ローマ市内の観光名所や公共施設で撮影するので、騒音対策、交通整理、パパラッチ問題に悩まされて、移動のたびに見物するファンの群れを整理する仕事はまさに悪夢であった[33][34][35][9]。このため撮影は遅れ、完璧主義者のワイラーが普段撮れる数のテイクが撮れなかった[9][36]。撮影監督のフランツ・プラナーは病気になり、撮影半ばでアンリ・アルカンに交代した[9]。
またこの年の夏はローマにおいて例を見ないほどの猛暑であった[34][37]。出演者はメイクが流れ落ち、頻繁にメイクアップを直していた[34]。さらには政治的状況は危険と暴力に満ち満ちていた[38][37]。ファシストとコミュニストが激突し、突如爆発があったり、発砲騒ぎがあったりしていた[38][37]。ある時は撮影しようとしていた橋の下でテロリストによる5つの爆薬の束が見つかったりもした[37][38]。ローマ市内を2人がスクーターで走る場面は、この映画の代表的なシーンになったが、わずか3分のシーンであるのに撮影には6日間を要した[39]。
それでもワイラー監督はロケ撮影がもたらす自由のおかげで生き生きしており、撮影現場はリラックスして楽しい雰囲気だったという[9]。エディ・アルバートは、全員があまりに楽しんでいたので、「金(出演料)を取るのが恥ずかしいほどだった」と語っている[9]。
真実の口のシーンの撮影では、ペックとワイラーは一計を案じ、本番で真実の口に手を突っ込んだペックは、本当に手を噛みちぎられたように演じた[40]。ヘプバーンは驚きのあまり、本気で叫び声を上げ、素のリアクションを見せた。この自然な演技は、2人を十分満足させるものであり、1テイクでOKが出た[40]。
ワイラーが唯一悔いを残したのが、テクニカラーで撮影しなかったことであった[12][11]。制作費を抑えるためにワイラーはモノクロで撮ることに同意し、「その誤りに気付いた時はすでに遅く、充分なカラーフィルムをイタリアに送る時間がなかった」と語っている[12][11]。
エピソード[編集]
- スペイン広場の時計

映画の中盤に、アン王女が市内に出て美容院で髪を短く切り、尾行してきた新聞記者ジョー・ブラッドレーが、スペイン広場で「偶然の再会」を装って、2人が語り合う場面がある。
上映時間にして2分にも満たないが、その時に階段下から撮ったカットで、後景に教会の鐘楼の下の時計が映っている。カットのたびに時計の針が大きく動いており、一度に撮影されたものではないことがわかる。
まず、アン王女が広場の階段の端に座っている時にジョーが声をかける最初のカットでの時計の針は8時10分で、9秒後に同じアングルでジョーがアンの横に座ろうとしたカットでは9時15分を指し、ジョーがアンの横に座った後にアップしたカットでは11時25分、そして一緒に市内観光に行こうと合意して立ち上がったカットでは10時20分を指している。
- その他
- 映画の途中でアン王女が髪をカットするシーンがあるが、昔の一部の本ではそれが本当のヘプバーンの髪だったと書かれているものがあった[41]。しかし『ローマの休日』のヘア・スタイリストだったグラツィア・デ・ロッシの息子で、撮影当時10歳で現場にも居たジャンネット・デ・ロッシが「あれはカツラだよ。何テイクも撮る監督だよ、もう一度と言ったらどうするんだい? あれは母がいくつもカツラを用意してたんだ。」と明かしている[42]。
- イギリスの女王エリザベス2世の妹マーガレット王女に関して、王女と民間人との恋の主人公として『ローマの休日』公開前に大きな話題となったが、この恋は成就しなかった[43]。『ローマの休日』は時流に乗り、このことをモデルにしたのではと思われることもあるが、この映画の撮影は1952年であり、マーガレット王女の恋が公になったのは1953年である[44]。このためパラマウント社は明確に否定しているが、その類似性を宣伝に大いに利用した[44]。
- 映画の中で、エディ・アルバートが演じるカメラマンが使用する、ライターで紙巻きたばこに火をつけるように見せかけて写真を撮る「ライター型写真機」は、日本製の「エコー8」である。
- 劇中でヘプバーン演じるアン王女がジェラートを食べるシーンが撮影されたスペイン階段は、2019年7月から「観光客がゴミを散らかしているため」座ったり寝そべったりするのが禁止された。悪質な場合は最大で400ユーロ(約4万7000円)の罰金が科される[45]。
日本初公開[編集]
『ローマの休日』の日本初公開は、1954年4月27日(東京地区)であったことになっているが、正確にはそれより6日早く、4月21日に長崎県佐世保市の「佐世保富士映画劇場」で先行して公開されている[46][47]。4月23日には名古屋市の「名古屋ミリオン座」で封切られ、28日間の興行で名古屋地区洋画興行界始まって以来の大入りとなった[46]。他の一部の地方都市でも、東京よりも早く公開されている。4月27日公開の東京の日比谷映画劇場では当初3週間の上映期間のところお客が減らずに延々と延ばされ、最終的に5週間と3日となり、開館以来の新記録を打ち立てた[46][48][49]。大阪でも開館以来のヒットであった[48][49]。最終的には1954年公開の洋画での配給収入第1位になっている。
デジタル・ニューマスター版[編集]
2003年に映画製作50周年を記念してデジタル・ニューマスター版が発表された。原案のクレジットはイアン・マクレラン・ハンターからダルトン・トランボに変更されている。
日本では全国のテアトル系・ユナイテッド・シネマ系の劇場でリバイバル公開の後、DVDとVHSが販売された[50]。
東京のテアトルタイムズスクエアで上映された時は大ヒット、テアトルタイムズスクエアの劇場前売り券新記録達成、観客動員数でも第1位になった[51]。その後『パッション』に抜かされたものの、2009年の閉館時でも歴代観客動員数第2位であった[52][53]。閉館の最終上映日の大トリも『ローマの休日』であったが、他の作品に先駆けて前売り券だけで完売していた[54]。
デジタル・リマスター版[編集]
2020年には4Kフィルムからのデジタル・リマスター版ブルーレイが発売された[55]。2003年のデジタル・ニューマスター版で変更された原案のクレジットに加えて、脚本のクレジットでもダルトン・トランボが追加されたため、脚本はダルトン・トランボ、イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトンの3人の連名になっている。
評価[編集]
賞歴[編集]
- 受賞
- ノミネート
- アカデミー作品賞:ウィリアム・ワイラー
- アカデミー監督賞:ウィリアム・ワイラー
- アカデミー助演男優賞:エディ・アルバート
- アカデミー脚本賞:イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン
- アカデミー撮影賞 (白黒部門):フランツ・プラナー、アンリ・アルカン
- アカデミー美術賞 (白黒部門):ハル・ペレイラ、ウォルター・H・タイラー
- アカデミー編集賞:ロバート・スウィンク
- 受賞
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
- 受賞
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
- ノミネート
- 作品賞
- 外国男優賞:グレゴリー・ペック
- 外国男優賞:エディ・アルバート
- 受賞
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
- ノミネート
- 作品賞
- ノミネート
- 金獅子賞(作品賞):ウィリアム・ワイラー
- 受賞
- トップ10フィルム
- ノミネート
- 主演女優賞:オードリー・ヘプバーン
- 主演男優賞:グレゴリー・ペック
- ノミネート
- 長編映画監督賞:ウィリアム・ワイラー
- 受賞
- 脚本賞(コメディ部門):イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン
- 登録
- 1999年
- Online Film & Television Association
- 殿堂入り
- 2019年
ランキング[編集]
- 『スクリーン』1955年5月号読者投票
- 第3位
- 『映画の友』1955年5月号読者投票
- 第2位
- 『キネマ旬報』1954年度外国映画
- 第6位
- 『映画の友』1964年5月号読者投票
- 第6位
- 第13位[50]
- 『キネマ旬報』(1989年)外国映画史上ベスト10
- 第6位[50]
- 100万人の映画ファン投票「わが青春の一本」 NHK&JSB衛星映画マラソン365共同事務局編(1990年)
- 第1位[50]
- 映画人・著名人が選んだわが青春の映画ベスト109本 NHK&JSB衛星映画マラソン365共同事務局編(1990年)
- 第7位[50]
- アメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI) アメリカ映画「情熱的な映画ベスト100」(2002年)
- 第4位
- アメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI) アメリカ映画「10ジャンルのトップ10」(2008年)
- ロマンティック・コメディ映画部門 第4位
日本語吹替[編集]
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
フジテレビ版1[57] | テレビ朝日版 | TBS版 | フジテレビ版2 | ソフト版 | 日本テレビ版1[58] | PDDVD版 | N.E.M.版[59] | 日本テレビ版2[60][61] | ||
ジョー | グレゴリー・ペック | 城達也 | 津嘉山正種 | 小川真司 | 城達也 | 津嘉山正種 | 寺杣昌紀 | 堀内賢雄 | 浪川大輔 | |
アン王女 | オードリー・ヘプバーン | 池田昌子 | 笠原弘子 | 鈴鹿千春 | 池田昌子 | すずきまゆみ | 岡村明美 | 南條愛乃 | 早見沙織 | |
アーヴィング | エディ・アルバート | 山内雅人 | 木村幌 | 大塚明夫 | 山野史人 | 大塚明夫 | 内田直哉 | 小形満 | 高木渉 | 関智一 |
支局長 | ハートリー・パワー | 登場シーンカット | 上田敏也 | 中庸助 | 富田耕生 | 楠見尚己 | 相樂慎太郎 | 茶風林 | ||
大使 | ハーコート・ウィリアムズ | 千葉順二 | 槐柳二 | 北村弘一 | 松岡文雄 | 北村弘一 | 宮田光[注 4] | 樋渡宏嗣 | 前田雄 | 浦山迅 |
伯爵夫人 | マーガレット・ローリングス | 金子亜矢子 | 幸田弘子 | 荘司美代子 | 浅井淑子 | 荘司美代子 | 谷育子 | 定岡小百合 | 帆足桃子 | すずき紀子 |
将軍 | トゥリオ・カルミナティ | 大久保正信 | 丸山詠二 | 大木民夫 | 丸山詠二 | 石森達幸 | ふくまつ進紗 | 田坂浩樹 | 伊藤和晃 | |
マリオ | パオロ・カルリーニ | 広川太一郎 | 安原義人 | 江原正士 | 山寺宏一 | 清水明彦 | 安斉一博 | 矢野正明 | 関俊彦 | |
ジョバンニ | クラウディオ・エルメッリ | 梓欣造 | 上田敏也 | 槐柳二 | 北村弘一 | 西川幾雄 | 小形満 | ふくまつ進紗 | ||
掃除婦 | パオラ・ボルドーニ | 沼波輝枝 | 竹口安芸子 | 片岡富枝 | 竹口安芸子 | 秋元千賀子 | 登場シーンカット | |||
タクシー運転手 | アルフレッド・リゾ | 富田耕生 | 及川ヒロオ | 増岡弘 | 真地勇志 | 増岡弘 | 岩崎ひろし | 遠藤大輔 | チョー | |
リカルディ | ラウラ・ソラーリ | 登場シーンカット | 磯辺万沙子 | さとうあい | 渡辺ゆかり | |||||
靴屋 | ゴレラ・ゴリ | 中村紀子子 | 峰あつ子 | 巴菁子 | ||||||
以下はノンクレジット | ||||||||||
式部官 | ジョン・ホーン | 辻村真人 | 寄山弘 | 大木民夫 | 西尾徳 | 大木民夫 | 西村知道 | 納谷六朗 | 菊池康弘 | 石住昭彦 |
教皇大使 | ジャコモ・ペンザ | 上田敏也 | 増岡弘 | 原語版流用 | ふくまつ進紗 | 吉富英治 | ||||
ヒューゴ卿 | エリック・ウルトン | 上田敏也 | 及川ヒロオ | 島香裕 | 八木岳 | 山岸治雄 | ||||
ラジクアリ | プリンセス・リラマニ | 沢田敏子 | 峰あつ子 | 池本小百合 | 田中敦子 | わくさわりか | 台詞なし | 大山つばさ | 松井暁波 | |
マハラジャ | ラビンドラナート・ミッター | 宮内幸平 | 村松康雄 | 仲野裕 | 沢木郁也 | 安斉一博 | ||||
提督 | アルマンド・アニュアル | 田村錦人 | 石井敏郎 | 登場シーンカット | 伊井篤史 | 小形満 | 登場シーンカット | |||
ボナコーベン | ハインツ・ハインリヒ | 吉沢久嘉 | 緑川稔 | 阪脩 | 藤本譲 | 有本欽隆 | 藤本譲 | 安斉一博 | 竜門睦月 | 楠見尚己 |
フランチェスカ | タニア・ウェバー | 栗葉子 | 三浦潤子 | 岡村明美 | 湯屋敦子 | 岡村明美 | 佐藤ゆうこ | 櫻庭有紗 | ||
花屋 | ジルド・ボッチ | 矢田稔 | 村松康雄 | 島香裕 | 島香裕 | 楠見尚己 | 登場シーンカット | |||
記者代表 | エドワード・ヒッチコック | 真木恭介 | 上田敏也 | 阪脩 | 藤本譲 | 増岡弘 | 伊井篤史 | 吉富英治 | ||
アナウンサー | ? | 小林恭治 | 篠原大作 | 有本欽隆 | 稲葉実 | 水越健 | 藤井貴彦[63] | |||
不明 その他 |
N/A | 伊藤克 寺島幹夫 青野武 加藤正之 |
作間功 寺島幹夫 永井悦子 相見陽子 |
池田勝 小島敏彦 西村知道 |
小島敏彦 天田益男 辻つとむ 幹本雄之 小室正幸 竹田愛里 |
辻親八 引田有美 金尾哲夫 |
水野龍司 星野充昭 宗矢樹頼 |
須藤絵里花 長谷瞳 |
中村慈 田村渉 中村友紀 藤村小夏 |
相馬康一 赤坂柾之 横田大輔 東内マリ子 |
- フジテレビ版1:初回放送1972年4月7日『ゴールデン洋画劇場』21時 - 22時56分 ※約95分
- テレビ朝日版:初回放送1979年11月11日『日曜洋画劇場』21時 - 22時54分 ※約90分
- TBS版:初回放送1992年12月23日『水曜ロードショー』21時 - 22時54分 ※約90分
- フジテレビ版2:初回放送1994年1月15日『ゴールデン洋画劇場』21時2分 - 23時24分 ※本編ノーカット
- ソフト版:1994年1月21日発売のVHSに初収録。以降、各種ソフト・配信にも使用。
- 日本テレビ版1:初回放送2004年10月29日『金曜ロードショー』21時3分 - 23時24分 ※本編ノーカット
- PDDVD版:2007年11月発売のパブリックドメインDVDに初収録。
- N.E.M.版:様々な名画を現代の人気声優が吹き替える「New Era Movie」というプロジェクトによって製作されている。
- 日本テレビ版2:初回放送2022年5月13日『金曜ロードショー』21時 - 22時54分 ※約94分
※日本テレビ版2以外のテレビ版吹替は、2022年6月よりスター・チャンネルおよびスターチャンネルEXで放送・配信されている[64]。
- 書籍『名作映画で声優アフレコトレーニング』付属DVD(雷鳥社)では、厳選した9シーンの映像で、アン王女を久川綾、渡辺明乃、恒松あゆみが、ジョーを藤真秀、野島健児、三木眞一郎が吹き替えている。
- 2022年7月4日放送の『しゃべくり007』では真実の口に手を入れるシーンの映像で、アン王女を大谷育江、ジョーを花江夏樹が[65]、アン王女がジョーと再会するシーンの映像で、アン王女を大谷、アービングを小野賢章、ジョーを梶裕貴、モリオネスを花江がそれぞれ吹き替えている。
スタッフ[編集]
- | フジテレビ版1 | テレビ朝日版 | TBS版 | フジテレビ版2 | ソフト版 | 日本テレビ版1 | PDDVD版 | N.E.M.版 | 日本テレビ版2 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
演出 | 小林守夫 | 佐藤敏夫 | 松川睦 | 佐藤敏夫 | 小山悟 | 間瀬博美 | 渋江博之 | 安江誠 | |
翻訳 | 木原たけし | 森みさ | 木原たけし | 森みさ | 岩崎純子 | 高師たまみ | 田尾友美 | ||
録音 調整 |
山下欽也 飯野和義 |
平野富夫 | 荒井孝 | オムニバス・ジャパン | 田中和成 | 清本百合子 | AMGスタジオ | 安部雅博 木村結香 宮崎愛菜 | |
効果 | 遠藤尭雄 | サウンドボックス | 諸橋一男 | ||||||
選曲 | 重秀彦 | N/A | N/A | N/A | N/A | N/A | N/A | N/A | |
制作担当 | 稲毛弘之 | ||||||||
プロデューサー | 上田正人 | 山形淳二 | 宮崎啓子 北島有子 |
向笠啓祐 岩佐直樹 | |||||
制作 | 東北新社 | STUDIO MAUSU | AMGエンタテインメント | グロービジョン | |||||
フジテレビ | テレビ朝日 | TBS | フジテレビ | パラマウント | 日本テレビ | モービー・ディック | 日本テレビ |
- 字幕翻訳:高瀬鎮夫
- 字幕監修:岸田恵子
テレビ放送履歴[編集]
※地上波のみ表記。
回数 | 放送日 | 放送時間 | 放送局 | 番組枠 | 吹替 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1972年4月7日 | 21:00 - 22:56 | フジテレビ | ゴールデン洋画劇場 | フジテレビ版1 |
2 | 1974年4月19日 | 21:00 - 22:55 | |||
3 | 1976年3月5日 | 21:00 - 22:54 | |||
4 | 1979年11月11日 | 21:00 - 22:54 | テレビ朝日 | 日曜洋画劇場 | テレビ朝日版 |
5 | 1986年5月9日 | 21:00 - 22:51 | 日本テレビ | 金曜ロードショー | |
6 | 1992年12月23日 | 21:00 - 22:54 | TBS | 水曜ロードショー | TBS版 |
7 | 1994年1月15日 | 21:02 - 23:24 | フジテレビ | ゴールデン洋画劇場 | フジテレビ版2 |
8 | 1996年12月8日 | 21:03 - 22:54 | テレビ朝日 | 日曜洋画劇場 | テレビ朝日版 |
9 | 2000年5月6日 | 21:00 - 22:54 | フジテレビ | ゴールデン洋画劇場 | フジテレビ版2 |
10 | 2004年10月29日 | 21:03 - 23:24 | 日本テレビ | 金曜ロードショー[66] | 日本テレビ版1 |
11 | 2005年12月24日 | 21:30 - 23:24 | フジテレビ | プレミアムステージ[67] | フジテレビ版1 |
12 | 2007年9月8日 | 3:00 - 4:50 | テレビ朝日 | シネマエクスプレス | テレビ朝日版 |
13 | 2009年3月21日 | 3:15 - 5:00 | フジテレビ | ミッドナイトアートシアター[57] | フジテレビ版1 |
14 | 2022年5月13日 | 21:00 - 22:54 | 日本テレビ | 金曜ロードショー[68] | 日本テレビ版2 |
著作権問題[編集]
本作は米国においては著作権が切れる前に保護期間が95年間に延長されており、2048年まで有効である。
日本においては、1953年(昭和28年)上映の映画作品は、2003年(平成15年)12月31日をもって「著作権法による著作権の保護期間が終了したもの」と解釈されたことから、2004年(平成16年)1月1日以降、いくつかの会社から格安DVDとしてリリースされた。パラマウント・ピクチャーズは、日本では著作権が存続していると主張して、販売差し止めと損害賠償を求めて民事訴訟を起こした。2005年(平成17年)7月11日、一審の東京地方裁判所民事47部は、『ローマの休日』について「著作権の保護期間は終了した」としてパラマウント・ピクチャーズの主張を全面的に退け、パラマウント側の敗訴となった。パラマウントはこの東京地裁判決を不服として、東京高等裁判所に控訴したが「戦術の見直し」を理由に、東京高裁への控訴を取り下げ、東京地裁判決が確定判決となり、『ローマの休日』は、日本でパブリックドメインとして扱われることになった。
なおパラマウントが、同じ著作権の存続を理由に裁判で争っていた西部劇『シェーン』についても、一審・二審ともパラマウントは敗訴して最高裁に上告したが、2007年(平成19年)12月18日、最高裁が、パラマウント側の主張を退け、著作権は消滅しているとの確定判決が下されて、この著作権問題は決着した。
映画に登場した名所[編集]
- フォルム・ロマヌム(セプティミウス凱旋門)
- トレヴィの泉
- スペイン広場
- パンテオン(G.ロッカ)
- コロッセオ
- 真実の口
- サンタンジェロ城
- テヴェレ川
- コロンナ宮殿(2階:勝利の柱の部屋)
- バルベリーニ宮殿(現・国立古典絵画館、クワトロ・フォンターネ通りに面した門)
- ヌオーヴァ教会修道院時計塔
- トラヤヌスの記念柱
- ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
- ヴェネツィア広場
- ボッカ・ディ・レオーネ通り(青空市場)
- ポポロ広場
- サンタ・マリア・イン・モンテサント教会
- サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会
- ポポロ門(フラミニオ門)
- 共和国広場(ローマ)
- サンタ・マリア・イン・コスメディン教会
- フォルトゥーナの神殿
- サン・ピエトロ大聖堂(バチカン市国)
- パラッツォ・ブランカッチョ(現・国立オリエント博物館)
「ローマの休日」を題材にした作品[編集]
翻案作品[編集]
テレビ映画
- 『新・ローマの休日』1987年にアメリカで放映されたテレビ映画(日本ではビデオ発売のみ)。本作のリメイク作品。キャサリン・オクセンバーグが主演。
ノヴェライズ
- 『ローマの休日』百瀬しのぶ(株式会社ソニー・マガジンズ。2001年12月20日初版発行。)
漫画
舞台
- ミュージカル『ローマの休日』制作:東宝、脚本:堀越真、演出:山田和也、音楽:大島ミチル、作詞:斉藤由貴
- 演劇「ローマの休日」制作:梅田芸術劇場、脚本・演出:マキノノゾミ、脚本:鈴木哲也、アン王女・ジョー・アーヴィングの3人のみで演じられた。第36回菊田一夫演劇賞受賞。
- タカラヅカ・シネマティック『ローマの休日』脚本・演出:田渕大輔
その他[編集]
映画
ドラマ
漫画
- 狂い犬(マッドドッグ)シリーズ M・ハスラー(望月三起也)
- MADDOG完全版(中)(宙出版) 第30話「天使の冒険」シーラ王女
- 『9番目のムサシ』高橋美由紀
- 第2シリーズ「ミッション・ブルー」第4巻・「MISSION3」西アジア ダージェ王国皇太子アラム・アーレイ・アージェリア
- 『COMBINATION』聖りいざ
- 第1巻・「FILE3」パミス国第1王女 プリンセス・アーリエ・ヤスコ・エレオノーラ
- 『シティハンター』北条司(『週刊少年ジャンプ』にて連載。集英社。)
- 第15巻「ハーレム地獄の巻」「TOKYOデート・スクランブルの巻」「王女誘拐!?の巻」「告白のエアポートの巻」セリジナ公国アルマ王女[注 5]
- 『パタリロ!』
- 第23巻6話目「王女様の一日」(パタリロ!93)
アニメ
- 『サイボーグ009』(1979年版)
- 第27話「美しく生きよ! 愛しき王女」モナミ王国キャサリン王女
- 『シティーハンター2』
- 第10話・第11話「モッコリ殺し!? 王女の高貴なオーラ 前編・後編」セリジナ公国アルマ王女(原作15巻収録エピソードのアニメ化)
- 『ストライクウィッチーズ2』
- 第5話「私のロマーニャ」 ロマーニャ公国第一公女 マリア・ピア・ディ・ロマーニャ (Maria Pier Di Romagna) :米澤円
- 『機動戦士ガンダムUC』
- ヒロインが名前を聞かれ、看板にあった「ローマの休日」をみて、とっさに「オードリー・バーン」と名乗る。
戯曲
- 『レディ・アンをさがして』(1989年〈平成元年〉)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 本人が亡くなっていたため、未亡人が代わりに受賞した。そしてハンターの名前は削除されている。
- ^ ラジオから聞こえてくる静かなピアノ曲はフランツ・リストの『巡礼の年』の「ゴンドラをこぐ女」である。
- ^ Arethusa arose / From her couch of snows / In the Acroceraunian mountains, -- で王女はキーツと言う。ジョーにシェリーと言われ、キーツと言い返すが、シェリーの Arethusa である。
- ^ 当初は松村彦次郎が演じる予定だったが、諸事情により宮田へ変更された[62]。
- ^ a b 公国の君主は「王」ではなく「公」「大公」なのでその息女は「公女」であるべきだが、現実にもモナコ公国の「大公」の妃が「王妃」と訳されたりしているので、厳密なものではない。
出典[編集]
- ^ a b c “Roman Holiday (1953)” (英語). IMDb. 2011年5月18日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)113頁
- ^ とり・みき [@videobird] (2022年4月30日). "美容師マリオをオネエキャラにアレンジしたのは広川さんです。" (ツイート). Twitterより2022年6月11日閲覧。
- ^ a b c d e パリス 上巻 1998, p. 139.
- ^ a b バーミリー 1997, p. 80.
- ^ a b c d ウッドワード 1993, p. 117.
- ^ a b ウォーカー 2003, p. 91.
- ^ バーミリー 1997, pp. 80–81.
- ^ a b c d e f g h i j k l 『ローマの休日』デジタル・リマスター版 ブルーレイ・コレクターズ・エディション.初回限定版日本版オリジナルブックレット3-7p.トレバー・ウィルズマー著.発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント.2020年12月2日発売.
- ^ ウッドワード 1993, pp. 117–118.
- ^ a b c d e バーミリー 1997, p. 81.
- ^ a b c パリス 上巻 1998, p. 166.
- ^ ウッドワード 1993, p. 118.
- ^ ウォーカー 2003, pp. 106–107.
- ^ a b c 「ウィリアム・ワイラーとの問答」『映画の友』映画世界社、1954年5月号(3月発売)、60-61頁。
- ^ a b パリス 上巻 1998, p. 140.
- ^ ウォーカー 2003, pp. 92–93.
- ^ パリス 上巻 1998, p. 141.
- ^ パリス 上巻 1998, pp. 140–141.
- ^ ウォーカー 2003, p. 93.
- ^ 『映画ストーリー臨時増刊 オードリー・ヘップバーン』雄鶏社、1954年10月15日発行。この本はノンブル無しのためページ表記不可。
- ^ 泉 三樹夫 (1954年11月20日発行). 『オードリー・ヘップバーン物語』. 東京タイムズ
- ^ a b パリス 上巻 1998, p. 142.
- ^ a b ウォーカー 2003, p. 92.
- ^ パリス 上巻 1998, pp. 167–168.
- ^ a b ウッドワード 1993, pp. 140–141.
- ^ バーミリー 1997, p. 29.
- ^ パリス 上巻 1998, p. 143.
- ^ a b パリス 上巻 1998, p. 163.
- ^ a b バーミリー 1997, p. 28.
- ^ パリス 上巻 1998, p. 165.
- ^ ピーター・ハンソン著、松枝愛訳『ローマの休日を仕掛けた男〜不屈の映画人ダルトン・トランボ〜』(中央公論新社、2013年10月発行)186p
- ^ パリス 上巻 1998, pp. 168–169.
- ^ a b c ハイアム 1986, pp. 76–77.
- ^ ウォーカー 2003, pp. 107–108.
- ^ ウォーカー 2003, p. 108.
- ^ a b c d パリス 上巻 1998, p. 168.
- ^ a b c ハイアム 1986, p. 77.
- ^ ウォーカー 2003, p. 109.
- ^ a b パリス 上巻 1998, p. 169.
- ^ 若城希伊子 (1977年3月15日発行). 『小説 オードリー・ヘプバーン』p148. 秋元文庫
- ^ 2017年11月14日NHK BSプレミアム放送『アナザー・ストーリーズ「オードリーとローマの休日〜秘めた野心 貫いた思い」』。開始後約18分。
- ^ ウッドワード 1993, pp. 138–139.
- ^ a b パリス 上巻 1998, p. 176.
- ^ “「ローマの休日」再現ダメ 舞台となったスペイン階段座ると罰金”. テレ東NEWS. 2019年8月14日閲覧。
- ^ a b c “オードリー旋風・二億三千万円”. キネマ旬報 1954年6月下旬号.
- ^ “なぜ佐世保で?「ローマの休日」日本初公開 背景とは”. 長崎新聞. 2020年8月22日閲覧。
- ^ a b “ヘップバーン旋風五つの秘密”. 『サンデー毎日』: p4. (1954年7月4日号).
- ^ a b 『「AUDREY HIGHNESS & SABRINA」別冊付録』(『サンデー毎日』の記事の再録。ノンブル無し)シンコー・ミュージック、1987年11月初版発行。
- ^ a b c d e “『ローマの休日』制作50周年記念デジタル・ニューマスター版イントロダクション”. パラマウント・ピクチャーズ. 2019年7月20日閲覧。
- ^ “ローマの休日 :: インフォメーション”. パラマウント・ピクチャーズ. 2019年7月20日閲覧。
- ^ ““大きなミニシアター”テアトルタイムズスクエアが終焉!”. MovieWalker. 2019年7月20日閲覧。
- ^ “豪華すぎる! テアトルタイムズスクエア閉館特別上映のラインナップが決定”. チケットぴあ. 2019年7月20日閲覧。
- ^ “あの名作を大画面で! テアトルタイムズ閉館特別上映、絶賛開催中”. チケットぴあ. 2019年7月20日閲覧。
- ^ “ローマの休日 デジタル・リマスター版 ブルーレイ・コレクターズ・エディション<初回生産限定>”. パラマウント・ピクチャーズ. 2022年5月16日閲覧。
- ^ “洋画ベスト 150 大アンケートによる”. 文藝春秋BOOKS. 2020年11月3日閲覧。
- ^ a b “「MIDNIGHT ART THEATER」 2009年3月21日(土)放送内容 ローマの休日”. 価格.com. 2022年4月23日閲覧。
- ^ “ローマの休日 - スタッフ・キャスト”. 金曜ロードショー. オリジナルの2016年4月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ N.E.M.official [@nemofficial3] (2019年12月18日). "全キャスト紹介「ローマの休日」" (ツイート). Twitterより2022年6月12日閲覧。
- ^ “ローマの休日”. 金曜ロードシネマクラブ. 日本テレビ放送網. 2022年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月29日閲覧。
- ^ “ローマの休日 [金曜ロードショーオリジナル新吹き替え版 -日本語吹き替え版]”. 吹替専門サイト ふきカエル大作戦‼︎ (2022年5月15日). 2022年5月15日閲覧。
- ^ “ローマの休日 - スタッフ・キャスト”. 金曜ロードショー. オリジナルの2016年4月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【5.13】『ローマの休日』オリジナル新吹き替え版 藤井貴彦アナがアナウンサー役で出演!”. 金曜ロードシネマクラブ (2022年5月10日). 2022年5月10日閲覧。
- ^ 株式会社スター・チャンネル (2022年5月4日). “<本日オードリー・ヘプバーン誕生日>前代未聞⁉ 「スターチャンネルEX」 にて、6月10日(金)より『ローマの休日』日本語吹替 計6バージョン一挙配信、決定!”. PR TIMES. 2022年6月12日閲覧。
- ^ 東水 壮太 (2022年7月4日). “花江夏樹、まさかの台詞ミスに照れ笑い 名作映画のアフレコで…”. Sirabee. 2022年7月10日閲覧。
- ^ “ローマの休日 - 解説、見どころ”. 金曜ロードショー. オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “プレミアムステージ”. オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「ローマの休日」18年ぶりに金曜ロードショーで放送! 新吹き替え版に早見沙織&浪川大輔”. 映画.com. (2022年4月22日) 2022年4月22日閲覧。
- ^ 2018年5月1日中日劇場(中日新聞文化芸能局)発行「中日劇場全記録」
- ^ “宝塚歌劇団雪組「ローマの休日」の主な配役が発表”. ステージナタリー (2016年2月26日). 2016年2月26日閲覧。
- ^ 別冊映画秘宝『モスラ映画大全』(2011年8月、洋泉社)p.78
- ^ “ローマの休日”. テレビドラマデータベース. 2020年11月20日閲覧。
参考文献[編集]
- バリー・パリス 著、永井淳 訳『オードリー・ヘップバーン 上巻(2001年の文庫版タイトルは『オードリー・ヘップバーン物語〈上〉』)』集英社、1998年5月4日。ISBN 978-4087732894。
- ジェリー・バーミリー 著、河村美紀 訳『スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン』シンコー・ミュージック、1997年6月13日。ISBN 978-4401615766。
- イアン・ウッドワード 著、坂口玲子 訳『オードリーの愛と真実』日本文芸社、1993年12月25日。ISBN 978-4537023886。
- アレグザンダー・ウォーカー 著、斎藤静代 訳『オードリー リアル・ストーリー』株式会社アルファベータ、2003年1月20日。ISBN 978-4871984676。
- チャールズ・ハイアム 著、柴田京子 訳『オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生』近代映画社、1986年3月15日。ISBN 978-4764813212。
外部リンク[編集]
- 2003年リバイバル時のパラマウント公式サイト - ウェイバックマシン
- ローマの休日 - allcinema
- ローマの休日 - KINENOTE
- ローマの休日 - MOVIE WALKER PRESS
- ローマの休日 - 映画.com
- Roman Holiday - オールムービー(英語)
- Roman Holiday - IMDb(英語)