三遊亭圓丈

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三遊亭 圓丈(さんゆうてい えんじょう)は落語家名跡。現在は空き名跡。

  • 三遊亭圓丈 - 後:六代目司馬龍生
  • 三遊亭圓丈 - もう一人圓丈がいた可能性があるが詳細不明
  • 三遊亭圓丈 - 四代目橘家圓喬門下で橘家喬太から三遊亭圓丈となる。本名:山内 正次郎。
  • (初代)二代目三遊亭圓丈 - 本項にて詳述

(初代)二代目 三遊亭さんゆうてい 圓丈えんじょう
(初代)二代目 三遊亭(さんゆうてい) 圓丈(えんじょう)
三ツ組橘は六代目圓生一門の定紋であり三代目圓丈と同一門の定紋でもある。但し公式写真で見る機会は少ない。
本名 大角おおすみ ひろし
生年月日 1944年12月10日
没年月日 (2021-11-30) 2021年11月30日(76歳没)
出身地 日本の旗 日本愛知県名古屋市瑞穂区
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 六代目三遊亭圓生
弟子 三遊亭らん丈
三遊亭白鳥
三遊亭丈二
三遊亭天どん
三遊亭究斗
三遊亭彩大
三遊亭丈助
三遊亭れん生
三遊亭ふう丈
三遊亭わん丈
三遊亭はらしょう
名跡 1. 三遊亭ぬう生
(1964年 - 1978年)
2. 三遊亭圓丈
(1978年 - 2021年)
出囃子 官女
活動期間 1964年 - 2021年
活動内容 新作落語
所属 落語協会
(1964年 - 1978年)
落語三遊協会
(1978年 - 1980年)
落語協会
(1980年 - 2021年)
公式サイト 三遊亭円丈落語の世界
主な作品
悲しみは埼玉に向けて
『悲しみの大須
稲葉さんの大冒険』
『夢一夜』
『遥かなるたぬきうどん』
『グリコ少年』
『ぺたりこん』
『ランゴランゴ』
ランボー怒りの脱出
『新寿限無
『インドの落日』ほか多数
受賞歴
第9回日本放送演芸大賞最優秀ホープ賞(1981年)
備考
落語協会監事
(2003年 - 2014年)
落語協会常任理事
(2014年 - 2021年)
落語協会理事
(2020年 - 2021年)

三遊亭 圓丈(さんゆうてい えんじょう、1944年12月10日 - 2021年11月30日)は落語協会に所属していた落語家。本名:大角 弘愛知県名古屋市出身で、東京都足立区六町に在住していた。出囃子は『官女』。新作落語において多くの作品を残し、後進の新作落語家に大きな影響を与えたことで知られる。

芸歴[編集]

受賞歴[編集]

役職[編集]

来歴[編集]

1944年12月10日愛知県名古屋市瑞穂区雁道町に生まれる。生家は写真館。明治大学文学部中退。

1964年12月、六代目三遊亭圓生に入門、七番弟子となる。顔かたち雰囲気が「ヌーッ」としているところからの師匠の命名で前座名「三遊亭ぬう生」を名乗る。

1969年4月、二ツ目に昇進。

1978年3月、6人抜きの抜擢で柳亭金車と共に真打に昇進して「三遊亭圓丈」を襲名。表記については本人の出版物・作成物の名義や、本人(及び門弟)の表記は一貫して「丈」と表記されている。一部媒体においても「圓」の付く落語家の中で、彼のみ「丈」で分けて記されているものが存在するが、本人は「どっちでも良い」と語っている。代数としては、本人は三代目を名乗ったが、落語協会公式においては、「初代」という位置づけになっていた。師匠圓生が、圓丈の真打昇進の際に「(以前その名前を名乗り、売れなかった落語家を代数に入れる必要は無いから)お前が初代だ」と発言した事が起因と思われる。また、新宿末廣亭寄席だよりや、東京かわら版発行の名鑑では「二代目」と表記されていた。同年6月に落語協会分裂騒動が勃発し師匠圓生と共に落語協会を脱会・落語三遊協会に参加する。1979年の圓生急逝を受け1980年に落語三遊協会が解散したため落語協会に復帰。

師匠・六代目三遊亭圓生が死去するまでは圓生が新作を嫌っていたこともあり、古典落語を演じることが多かったが、1980年代以降はもっぱら新作派として知られる。その演目のほとんどは自作である。従来の新作落語は落語芸術協会柳家金語楼の流れを汲む、人情噺風のものが主流であったが、漫才ブームでスピード感のある笑いが支持を集める中、圓丈は“こうした新作がすでに古臭くなっている”と考え、独自の「実験落語」を創作。SF小説のような、奇想天外な世界観を持つ新作落語を数多く編み出し、ファンを獲得する。1980年にはP-MODEL平沢進と出会い、「シンセサイザー落語」を共に行う等もした[2]。これらは、三遊亭白鳥(直系弟子)や柳家喬太郎、元は圓丈への弟子入りを考えていたという春風亭昇太といった新作を手がける後進の若手落語家や、上方の六代目桂文枝などに大きな影響を与えた。特に『グリコ少年』は、文枝や喬太郎が揃って影響を受けたと言っている。柳家喬太郎が圓丈作の『ぺたりこん』をレパートリーとするなど、圓丈自身よりも他の落語家のほうが口演する機会が多くなった圓丈作品もある。

かつてはローリング・ストーンズのベロマーク(タンロゴ)など、さまざまなワッペンを定紋代わりに着物に貼って高座に出ることが多かったが、還暦を迎えてからは飼い犬の似顔絵のワッペンを貼った袖無羽織(ちゃんちゃんこ)を着るようになった。

圓生の死後より新作のみを演じてきたが、2005年ごろから、高座で古典の口演を解禁した。弟子に教える噺は全て古典で、三遊派の演じ方にこだわり、『八九升』をまず最初に教える。自身は、『強情灸』『金明竹』などの軽い噺から『豊志賀の死』『らくだ』『居残り佐平次』『文七元結』など大ネタまでを演じている。そもそも圓生に入門したのも、新作をするなら基本をみっちり仕込んでくれるという動機があってのもので、本人曰く、二ツ目時代までで130本の古典落語を覚えたという。なお、古典を演じる時は眼鏡を外す。この際、客を巻き込んで儀式めいた演出を行い場を暖めるのが通例となっている。

2016年6月、かつて渋谷ジァン・ジァンで毎月開催されていた、自身主催の新作落語の会『実験落語』をCBGKシブゲキ!!にて実験落語neoとして復活させた。

晩年は記憶力の減退を公言しており、その対応策として、ネタ帳やタブレットPCを高座に持ち込んでいた。生前最後の定席出演は2020年10月4日の新宿末廣亭10月上席、高座出演は2020年12月23日、国立演芸場「円丈百席を聴く会」での「悲しみは埼玉に向けて」となった[3][4]。2021年に入ると5月に硬膜下血腫(後に急性硬膜下血腫と判明)が定期検査で判明し、入院と投薬治療で改善が見られたため高座復帰へ向けてリハビリに励んでいたが、さらに肺炎を発症、その後入院生活が長引き、8月頃から意思の疎通が難しくなっていたという[4][5]

2021年11月30日15時5分[6]心不全のため東京都内の病院で死去[6][7]。76歳没。訃報は同年12月5日、落語協会および圓丈のホームページで公表された[8]戒名は「円明院釋弘丈」[9]

人物[編集]

気難しい圓生から大きな期待をかけられた弟子であり、「あたしにはない、不思議なフラ(面白さ)を持っている」と前座時代から圓生は周囲に漏らしていたという。真打昇進は6人抜擢で、弟子の中で唯一、圓生は真打昇進披露興行に50日間1日も休まず付き合ったといわれる。「先に入ったものが偉い」落語の世界で、圓丈自身が七番弟子であったことを考えると、異例の扱いである。

三遊亭歌司古今亭志ん駒柳家さん遊柳家小団治柳家さん八三遊亭圓龍むかし家今松古今亭志ん五金原亭馬の助橘家竹蔵柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している[要出典]

兄弟子・五代目三遊亭圓楽とは師匠・圓生の死後に対立が表面化。1986年に出版した分裂騒動の回想記『御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち』で、落語協会分裂騒動の際の圓楽の行動を厳しく批判した。また、圓楽の惣領弟子である三遊亭鳳楽による7代目圓生襲名の話についても、自分が圓生を襲名すべきだと主張。公演で落語を演ずることで7代目圓生にふさわしい者を決めようと対決し、その後は三遊亭圓窓の参戦もあったが、7代目はいずれも継ぐことなく収束した(参照:三遊亭圓生#7代目圓生襲名問題)。

その後も圓楽の一門とは特段の交流はなかったが、2013年の円丈の新著「落語家の通信簿」で六代目圓楽から誤認についての指摘を受けて増刷時に修正したのを機に意気投合し、圓楽一門会のホームグラウンドである両国寄席に弟子達が出演するようになった他、2014年3月からは合同落語会「三遊ゆきどけの会」を開催し[10]、2016年からは浅草演芸ホールの7月余一会として新たに「三遊落語まつり」と名前を変えて圓丈の死後も交流が続いている。

追悼番組[編集]

没後、追悼として放送された番組と演目は以下のとおり。

逸話[編集]

執筆した著書の多くはジョーク本や趣味本であるが、『御乱心』や『落語家の通信簿』は同僚・同業者批判が含まれ、議論を巻き起こした[注釈 2]

多趣味でも知られ、その一つに狛犬の研究がある。1996年には日本参道狛犬研究会を設立した。

仕事で北海道に行った時、カニを食べたところ、ショック症状に陥ったことがあり、以来カニは避けているとのこと。

プロ野球では地元球団である中日ドラゴンズのファンであり、球団誌月刊ドラゴンズにも『三遊亭円丈の頑張ろみゃ~ドラゴンズ』を連載している。あまりにも熱狂的な(「中日版徳光和夫」と例えられる程に狂信的と評する向きもある)ため、中日スポーツのコラムなどで他球団選手やファンなどを激しくこき下ろすことが多い。しかしながら、阪神タイガース掛布雅之とテレビCMで共演したことがある。

MS-DOS全盛期のパソコンコンピュータゲームに精通し、パソコン雑誌『Oh!FM』(日本ソフトバンク、終刊)に「円丈の言いたい放題」を2回連載、パソコンゲーム雑誌ポプコム』(小学館、休刊)誌上にてゲーム評「円丈のドラゴンスレイヤー」を長期連載したほか、自作ゲームのソースコード掲載なども行った。パソコンゲーム『サバッシュ』『サバッシュ2』ではゲームシステムからシナリオまでを担当した[注釈 3]。パソコンやゲームをネタにした新作落語を作り高座にかけたり、高座にパソコン(とモニタ)を持ち込んだこともある。高齢になった近年は、WEBサイトを自身で更新する程度となっている。

名古屋まつりのテレビ中継にゲスト出演した際、同まつりの目玉である「郷土三英傑行列」(織田信長豊臣秀吉徳川家康の仮装巡行)について、アナウンサーから「三英傑の中で、誰が一番好きですか?」と聞かれた時、「僕は3人とも嫌いです。みんな郷土を捨てた人物ですから」と答えた。

テレビで、怪獣が鈴本演芸場と間違えて隣のビルを踏みつぶすという『ブラックザウルス』という噺を演じたところ、隣のビルの会社からクレームが入った。

三代目古今亭圓菊とはヘラブナ釣り仲間、「ヘラ友」であった。

圓丈が膝を痛めて正座がしにくくなったとき、弟子に「春風亭百栄さんが行っている接骨院が良いみたいですよ」と言われ、行ったら2ヶ月で治った。その噂が広がり三遊亭白鳥四代目三遊亭圓歌も行き始めた。

影響を与えた落語家[編集]

圓丈チルドレン[編集]

この4名は、新作落語を専門に行う落語家ユニットSWA (話芸集団)のメンバーとしても活動している。

江戸[編集]

上方[編集]

主な新作落語[編集]

CD[編集]

  • 『三遊亭円丈落語コレクション 1st.』(ワザオギ
    • 1.悲しみは埼玉へ向けて 2.10倍レポーター EJ-0001
  • 『三遊亭円丈落語コレクション 2nd.』(ワザオギ)
    • 1.横松和平 2.いたちの留吉 EJ-0002
  • 『三遊亭円丈落語コレクション 3rd.』(ワザオギ)
    • 1.一ツ家ラブストーリー 2.ふりかえれば 3.人情噺「かこいで、へ~~っ」 WZEJ-0303
  • 『三遊亭円丈落語コレクション 4th.』(ワザオギ)
    • 1.新寿限無 2.わたし犬 3.名古屋版金明竹 WZCR-01004
  • 『三遊亭円丈落語コレクション 5th.』(ワザオギ)
    • 1.月のじゃがりこ 2.肥辰一代記 WZCR-01005
  • 『三遊亭円丈落語コレクション 6th.』(ワザオギ)
    • 1.ぺたりこん 2.悲しみの大須 WZCR-01006
  • 『三遊亭円丈落語コレクション 7th.』(ワザオギ)
    • 1.遥かなるたぬきうどん 2.新ぐつぐつ WZCR-01007
  • 『三遊亭円丈落語コレクション 8th.』(ワザオギ)
    • 1.怪談「真景累ヶ淵」より〜豊志賀の死〜 2.新・ガマの油 WZCR-01008

DVD[編集]

  • 『ワザオギ落語会VOL.1』(WZBR-0001、ワザオギ)
    • 「夢一夜」を収録

落語以外の活動[編集]

出演[編集]

インターネット出演[編集]

CM[編集]

著書[編集]

関連書籍[編集]

音楽[編集]

ゲーム[編集]

一門弟子[編集]

直弟子[編集]

真打[編集]

二ツ目[編集]

その他[編集]

廃業[編集]

  • 三遊亭遊園地[18]

系図[編集]

三遊亭圓丈
 
三遊亭らん丈
 
 
 
 
 
 
 
三遊亭白鳥
 
三遊亭青森
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三遊亭ぐんま
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三遊亭東村山
 
 
 
 
 
 
三遊亭丈二
 
 
 
 
 
 
三遊亭天どん
 
三遊亭ふう丈
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三遊亭わん丈
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三遊亭ごはんつぶ
 
 
 
 
 
 
三遊亭究斗
 
 
 
 
 
 
三遊亭彩大
 
 
 
 
 
 
三遊亭丈助
 
 
 
 
 
 
三遊亭れん生
 
 
 
 
 
 
三遊亭はらしょう
 

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 番組前半では、柳家小さん(5代目)「うどん屋」、三遊亭圓楽(5代目)夢金」を放送。
  2. ^ 『落語家の通信簿』で痛烈に批判された立川志らくは、同書の内容に真っ向から反論している。
  3. ^ ゲーム展開を巡って、プログラマーと激しくやり合いするほど熱心に取り組んだと語っている
  4. ^ 圓丈が昇太とは異なる団体(落語協会)所属の落語家であり、また個人ブログには楽しいことしか書かないとしている昇太としては、ともに異例のことである。

出典[編集]

  1. ^ 『落語入門』一個人編集部編、KKベストセラーズ、2009年、p.39
  2. ^ ロッキンオンJAPAN1992年発行号 インタビュー記事「平沢進全仕事」
  3. ^ 三遊亭円丈の弟子一同 (2021年12月5日). “ご報告させて頂きます”. 三遊亭円丈落語の世界. 三遊亭円丈. 2021年12月6日閲覧。
  4. ^ a b 新作落語の雄・三遊亭円丈さん11月30日心不全で天国へ…昇太、喬太郎らに多大な影響76歳”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2021年12月6日). 2021年12月6日閲覧。
  5. ^ 「新作落語の神様」三遊亭円丈さん死去 76歳、心不全 代表作「グリコ少年」など300作生む”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2021年12月6日). 2021年12月6日閲覧。
  6. ^ a b 「新作落語のカリスマ」三遊亭圓丈さん死去、76歳 11月30日、心不全”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2021年12月5日). 2021年12月5日閲覧。
  7. ^ “三遊亭円丈さん、死去 76歳 新作落語数多く発表”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年12月5日). https://hochi.news/articles/20211205-OHT1T51061.html?page=1 2021年12月5日閲覧。 
  8. ^ 三遊亭圓丈 訃報”. 落語協会. 一般社団法人 落語協会 (2021年12月5日). 2021年12月6日閲覧。
  9. ^ 三遊亭円丈の墓参りに行ってまいりました”. 町田市議会議員 三遊亭らん丈のウェブサイト (2022年4月3日). 2022年4月3日閲覧。
  10. ^ “円生一門わだかまり越えた…3月に「三遊ゆきどけの会」”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2014年2月6日). オリジナルの2014年10月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20141019075623/http://www.yomiuri.co.jp/culture/stage/trad/20140206-OYT8T00579.html 2014年10月21日閲覧。 
  11. ^ 『なごやか寄席~三遊亭圓丈 特別編~』放送”. 東海ラジオ (2021年12月8日). 2021年12月29日閲覧。
  12. ^ 三遊亭円丈さん追悼特集「ありがとう!円丈さん」 TBSラジオで12月28日(火曜日 午後10時~10時55分)放送です!”. TBSラジオ (2021年12月26日). 2021年12月29日閲覧。
  13. ^ 春風亭昇太 (2021年12月5日). “【訃報】三遊亭圓丈師匠 会長コメント”. 新着情報. 落語芸術協会. 2021年12月20日閲覧。
  14. ^ 春風亭昇太 (2021年12月10日). “三遊亭円丈師匠のこと”. ザブトン海峡・航海記. 2021年12月20日閲覧。 “このブログには楽しい事しか書かないと決めていたんだけど、どうしても書いておきたいので、円丈師匠の事を書きます。”
  15. ^ “三遊亭円丈さん訃報に桂文枝がコメント「僕にとっては大恩人」「悩んでいた私に大きな刺激と風穴を開けてくださいました」”. 中日スポーツ. (2021年12月5日). https://www.chunichi.co.jp/article/378384 2021年12月19日閲覧。 
  16. ^ ザ・ノンフィクション 円丈vs老い~あがく新作落語家~”. グループ現代. 2019年5月3日閲覧。
  17. ^ 張江浩司 (2022年1月31日). “追悼・三遊亭円丈、「恋のホワン・ホワン」に隠された時代の必然性”. 音楽ナタリー. 2022年2月28日閲覧。
  18. ^ tentsutsu. “サザエさんみてえだ!” (日本語). 総領の甚六【春風亭柳朝No.6のオフィシャルブログ】. 2019年11月17日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]