柳家さん喬

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柳家 さん喬やなぎや さんきょう
本名 稲葉 稔(いなば みのる)
生年月日 (1948-08-04) 1948年8月4日(69歳)
出身地 日本の旗 日本・東京都墨田区本所
師匠 5代目柳家小さん
名跡 1. 柳家小稲(1967年 - 1972年)
2. 柳家さん喬(1972年 - )
出囃子 鞍馬獅子
活動期間 1967年 -
活動内容 1967年4月:柳家小さん(5代目)に入門
1972年11月:二つ目昇進
1981年3月:真打昇進
所属 落語協会
受賞歴
国立演芸場金賞(1984年)
選抜若手演芸大賞 真打部門大賞(1986年)
文化庁芸術祭賞(1987年)
浅草芸能大賞新人賞(1994年)
芸術選奨文部科学大臣賞(2013年大衆芸能部門)国際交流基金賞・浅草芸能大賞奨励賞(2014年)
紫綬褒章(2017年)[1]
備考
落語協会常任理事

柳家 さん喬(やなぎや さんきょう、1948年8月4日 - )は、東京都墨田区本所出身の落語家落語協会所属。本名は稲葉 稔(いなば みのる)[2]中央大学附属高等学校卒業。出囃子は「鞍馬獅子」[2]。紋は「丸に三ツ柏」[2]

「さん喬」は自身で考えた高座名であり、そのことから自身を「初代柳家さん喬」と称している。実は「柳家さん喬」は1953年(昭和28年)に死去した柳家小はん(初代、本名:鶴見正四郎)が一時期名乗っていたことのある名でもある。

人物・芸風[編集]

人間国宝となった5代目柳家小さんの門下。本所に生まれ育ち、歩いて5分のところに大歓楽街「浅草公園六区」があったため、幼少のときから祖父や父に寄席や演芸場に連れていってもらうなど、落語に親しむ環境にあった[3]

初高座は1968年12月28日で、場所は日本橋人形町末廣の小さん一門会、演目は『道灌』であった[2][注釈 1]

人情噺の評価が高いが、滑稽噺にも力量を発揮する実力派の噺家である[4]。もっぱら古典落語を演じていたが、近年では、まれに新作落語を演じることもある(後述)。得意とする演目は『うどん屋』『井戸の茶碗』『笠碁』『猫の災難』『野ざらし』『片棒』『そば清』『百川』『棒鱈』『幾代餅』『天狗裁き』『柳田格之進』『芝浜』『締め込み』『初天神』『真田小僧』など[3][4][5]

つやのある声と柔らかな物腰で女性ファンも多く、江戸の四季を色あざやかに浮かび上がらせる情景描写や男女の心理描写に定評がある[4]。また、長屋噺を得意とし、長屋の生活の描写にもすぐれている[4]

同じ5代目小さん門下の柳家権太楼と親交が深く、よきライバルでもあって、毎年8月の上野の鈴本演芸場や、年末の新宿末広亭における2人の高座は人気を博している。また上方の笑福亭松喬一門とも交流がある。

柳家喬太郎はじめ多数の弟子をかかえている(一覧は後掲)。

2006年から毎年7月に、米国ミドルベリー大学夏期日本語学校に招かれ、落語を通して外国人に日本語と日本文化を紹介する活動を続けている。2007年の秋には、国際交流基金ブダペスト日本文化センター主催の「落語を通じてハンガリー人を笑わせる」試みに協力した[6]

新作では、三遊亭円丈がさん喬のために書き下ろした「稲葉さんの大冒険」という演目があり(稲葉はさん喬の本名)、現在は弟子の喬太郎の得意ネタとなっているが、さん喬自身もごくまれに演じることがある。

芸歴・職歴・受賞歴[編集]

趣味・特技[編集]

  • 日本舞踊(藤間流名取)[2][3]
  • 創作料理[2][3]
  • 演劇鑑賞[2][3]
  • 剣道
  • スキー 

一門[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 一番弟子の喬太郎の初高座の演目も『道灌』である。
  2. ^ さん喬は「小太郎」の名がほしくて師の小さんに伺いを立てたが却下されたといわれている。

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]