お見立て

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お見立て(おみたて)は古典落語の演目の一つ。主に東京で演じられる。別題は墓違い(はかちがい)。

概要[編集]

吉原遊廓を舞台にした、いわゆる「廓噺(くるわばなし)」のひとつ。原話は、1808年文化5年)に出版された笑話本『噺の百千鳥』の一編「手くだの裏」。主な演者に6代目春風亭柳橋3代目古今亭志ん朝桂歌丸古今亭志ん輔らが知られる。

登場人物の遊女・喜瀬川花魁の名は『三枚起請』『五人廻し』などにも登場する。

あらすじ[編集]

演者はまず、かつての吉原遊廓における、遊女たちが妓楼の大きな格子窓から、通りに向かって姿を見せて客を呼ぶ「張り見世」と呼ばれたシステムについて説明する。夕方の午後6時ごろから、午後10時過ぎの「お引け」(楼内の座敷での食事オーダーの終了)時の「引け四ツ」の拍子木の合図まで、男性店員の妓夫(ぎゆう。俗に牛太郎と呼ぶ)が、「よろしいのをお見立て願います」と口上を言いながら通行人に遊女を品定めさせ、客を引いていたという。

流山野田とも)の富農・杢兵衛(もくべえ)は喜瀬川花魁に惚れぬき、しばしば妓楼に通い詰めていたが、喜瀬川は次第に嫌気がさし、杢兵衛がやって来たある夜、妓夫の喜助に「病気で入院したので会えない」と伝えるよう頼み、喜助はそうするが、杢兵衛が「病気なら、見舞いに行ってやんべえ」と食い下がって帰ろうとしない。花魁部屋でその旨を伝える喜助に、喜瀬川は「『杢兵衛お大尽に恋焦がれて、わずらって死んだ』と言っておしまい(=言いなさい)よ」と命じる。

喜助は杢兵衛に「さっきのは旦那を傷つけないための嘘で、実は花魁は、先月のこの日に亡くなったのです。『わちきはこのまま死んでもいいが、杢兵衛お大尽に、ひと目会いたいよ』と言って……」と言いつつ、湯飲みの茶を目尻に付けて泣くふりをする。杢兵衛が「これから墓参りにいくべ。寺はどこだ?」と尋ねるので、困った喜助はとっさに「山谷です」と答えてしまう(吉原から山谷は歩いて行けるほどの近距離である)。喜助は花魁部屋に取って返し、喜瀬川に相談する。「どこでもいいから、山谷の寺に杢兵衛を案内して、どの墓でもいいから『喜瀬川花魁の墓でございます』って言えばいい。うまくいったらお小遣いをあげる」

ふたりが山谷へ向かう道中、杢兵衛は喜助に「喜瀬川の宗旨は何だね」とたずねる。喜助はしどろもどろになり「ええその、あっ、ゼンデラ宗です」と適当に答える。杢兵衛は「禅宗か。じゃあ、この寺だな」と、一帯で唯一の禅寺の墓地に入る。

喜助は寺番の老婆から大量の仏花線香を買う。「お線香は、なるたけ(=なるべく)煙の出るものを……」花と線香の煙で、墓石に刻まれた名を隠してごまかす算段であった。喜助はたくさん並んだ墓のひとつを適当にひとつ選んで杢兵衛を案内し、花を山積みになるように供え、束のままの線香に火をつけて、杢兵衛に参るよう促す。杢兵衛は案内されるまま、その墓に向かって、のろけたり泣いたりしながら手を合わせて読経する。線香の煙にむせ、思わず扇子で煙を払うと、墓石の戒名は「養空食傷信士(ようくう しょくしょう しんじ。「良う食う=食傷」という地口)」で、没年は「天保三年」となっている。「『信士』とは男の戒名だ。天保3年といえば大昔、鼠小僧の死んだ年でねぇか! バカ野郎、墓を間違えやがって」「へぇ、あいすみません、こちらでございます」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……『天垂童子、安政二年卯年』。これは子供の墓じゃねえだか!」「失礼しました、こちらです」「『故 陸軍上等兵某』。いってえ(=一体)本当の墓はどれだ!?」

「へえ、ズラリとたくさんございます。よろしいのをひとつ、お見立て願います」

バリエーション[編集]

  • 冒頭で「張り見世」の説明を行わずに、ふたりが寺へ向かう道中のシーンで、喜助が「いい花魁は他にもいっぱいいますよ。いつでも旦那にお見立ていたします」と言い、杢兵衛が「今はそんなことを考えられない」と言って叱る、というセリフを挿入する、という演じ方がある。
  • 墓石に書かれた戒名は、演者によって細かく異なる。

エピソード[編集]

  • 茶を使って、涙を流しているように見せるシーンは『堤中納言物語』の一編「はいずみ」に原話がみられる。同様のシーンがある落語に『お茶汲み』『加賀の千代』などがある。

関連項目[編集]