紺屋高尾

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紺屋高尾(こんやたかお、こうやたかお)は古典落語の演目。別題に駄染高尾(だぞめたかお)、かめのぞき[1]浪曲の演目としても著名で、大正の浪曲師初代篠田実の浪曲レコード[2]は、当時異例となる人気を得た。また、これを題材として時代劇映画の題材ともなった。

本項では類話の幾代餅搗屋無間についても扱う。

あらすじ[編集]

神田紺屋町染物屋吉兵衛の奉公人である久蔵は、11歳の頃から奉公する真面目な青年であった。26となった今でも遊び一つ知らず、親方の吉兵衛も息子のように可愛がっていたが、突然の患いで寝込んでしまう。3日経っても店に来れず、寝込む前日まで元気だったことを不思議に思いながら吉兵衛が久蔵の長屋に見舞いに行く。そして六兵衛はどこが悪いのかと聞くと、久蔵は恥ずかしながらも、実は恋煩いだと答える。久蔵は寝込みだす前日に友達に連れられ吉原に行ったが、花魁道中を見物することになり、そこで見た高尾太夫に惚れ込んでしまったのだという。あんな美人と一晩過ごしたいが、太夫といえば大名や大店の商家の主人を相手にする最高位の花魁で自分などとても相手にならない、そうして彼女を想えば想うほど苦しくなり寝込んでしまったという。

話を聞いた吉兵衛は、久蔵の真面目な性格で余計に悩んで悪くなると考え、お金さえ用意できれば俺が会わせてやると答える。最高位の花魁では一晩会うのにも10両は掛かり、それは久蔵の3年分の給金に相当するが、彼は喜び、再び一生懸命働きだす。

3年後、久蔵は遊びもせず熱心に働いて貯金し10両の大金を貯める。吉兵衛は約束を果たすため、遊び人で知られるお玉が池の医者・竹内蘭石に頼み、高尾太夫との座敷を用意して欲しいと言う。事情を知った竹内もこれを快く引き受けるものの、金があっても、そのままその辺の町民が花魁に会うのは難しいとし、そこで久蔵を金持ちに仕立て上げ、自分はその取り巻きとして手助けすると言う。また、一介の職人である久蔵が素のままならボロを出してしまうから、何を言われても「あいよ、あいよ」と答えればいいという。

当日。竹内の手引きで立派な身なりとなった久三は吉原へと向かう。高尾太夫に会いたいと申し出ると運よく彼女が空いており、相手をしてもらえることになった。彼女の方も最近は大名の相手ばかりで疲れていたため、たまにはそのような方を相手にしたいと言ってるという。そして座敷に通された久三は今か今かと高尾を待ち、しずしずと登場した彼女に感激する。しかし、吉原のしきたりとして1回目は顔合わせで煙管に一服付けてもらうとその日は終わりとなっている。高尾が次はいつ会えるかと尋ねると、感極まった久蔵は泣き出し、ここに来るのに3年必死になって金を貯めた、次に会えるのはまた3年かかる、その間に身請けされれば今生の別れだという。そして、自分の正体なども全部明かしてしまう。

これを聞いた高尾も涙ぐみながら語りだす。実は高尾も久三が一介の町人であることには既に気づいていたと言い、その上で、源・平・藤・橘の四姓の人とお金で枕を交わす卑しい身の自分を3年も思い詰めてくれたことが嬉しいという。その上で、来年の3月15日に年季が明けるため、その時に女房にして欲しいと切り出し、これにまた久蔵は泣きながら約束する。

お金をそっくり返され、夢うつのまま神田に帰ってきた久蔵は、3月15日の約束を信じて、それから前にも増して一心不乱に働いた。話を聞いた仲間は、それは花魁の嘘に違いないと宥めるが、久蔵は耳を貸さない。やがて約束の3月15日になり、本当に高尾がやってきた。

久三と高尾は祝言を挙げて夫婦となり、親方の六兵衛も2人に身代を譲ることを決めた。店を継いだ2人は繁盛させたいと試行錯誤し、手拭いの早染め(駄染め)を考案する。その速さと、浅黄色の色合いが粋だとして江戸っ子たちに人気となり、通称「かめのぞき」と呼ばれるようになって久三の店は大繁盛した。

サゲのバリエーション[編集]

基本のサゲは、浅黄色の早染めがなぜ「かめのぞき」と称されるのか、というものであり、この理由として美人と名高い高尾をひと目見ようと押し寄せる客たちだったが、肝心の高尾は染め作業のために藍瓶に跨り下を向いているので顔が見えない。そこで藍瓶の表面に映る高尾の顔を見ようとして、瓶を覗いたので「瓶覗き(かめのぞき)」と呼ばれるようになった、というものである[1]。しかし、本来のサゲは、高尾が瓶に跨るのでアソコが映ってはいないかと瓶を覗いた、というバレ噺(下ネタ)であった[1]

最後に「傾城に 誠なしとは誰(た)が言うた?」と述べて、「これが紺屋高尾の由来話」として話が締められる場合もある。

映画[編集]

4度にわたって映画化されている。

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  • 『紺屋高尾』 -歌手:真木柚布子、作詞:久仁京介、作曲:弦 哲也、編曲:前田俊明、キングレコード、2018年11月21日発売

幾代餅[編集]

幾代餅(いくよもち)は古典落語の演目。下記に示すように話の筋は紺屋高尾とほぼ同じである。東大落語会によればサゲはないとしている[3]

あらすじ(幾代餅)[編集]

馬喰町の搗き米屋(精米業者)に勤める清蔵は吉原の幾代太夫を描いた錦絵を見て恋煩いで寝込んでしまう。見かねた主人は金を貯めれば会わせてやると約束する。以降は、紺屋高尾と同じ筋であり、幾代太夫の年季明けで、2人は夫婦となる。そして、餅屋を開くと、元花魁という美人の女房と、その名を冠した「幾代餅」で店はたちまち人気となり繁盛した。

搗屋無間[編集]

搗屋無間(つきやむげん)は古典落語の演目。別題に搗屋問答(つきやもんどう)、無間の臼(むけんのうす)[4]

前半の筋は幾代餅とほぼ同じであるが、後半が異なる。題にもある搗屋(つきや)とは米つき(精米業)を営む店のことである。なお、サゲの「搗き減り」は搗屋が役得として得る余得のことであり、マクラで説明しなければ現在ではわからない[4]。歴史的には二割だが、春風亭柳枝は一割で演じた。また現在においては餅つきの道具として知られるが、本来は精米の道具である。

あらすじ(搗屋無間)[編集]

信濃屋という米屋に長年勤めている搗屋の徳兵衛は、吉原の稲本にいる小稲という遊女の絵を見て恋煩いで寝込んでしまう。野幇間(のだいこ)を通して金さえ用意できれば小稲に会えると聞いた徳兵衛は、主人に預けている金で相殺すればいいとして金を用意し、吉原に赴いて小稲を買う。思いのほかもてたため、彼女に夢中となるがもはや金はない。

ある日、手水鉢を使おうとすると隣家から花唄が聞こえ、浄瑠璃の演目で、曹洞宗観音寺の「無間の鐘」の逸話を思い出す。これは死後は無間地獄に落ちる代わりに、現世で300両の大金を得るというものであった。そこでせめて30両は欲しいと柄杓で手水鉢を叩こうと振り上げると、それが欄間にあたって、そこに隠されていた小判がバラバラと落ちてくる。願いが叶ったと数えて見るが30両ではなく24両しかない。しばし、考えた後、答えに気づく。「そうか、二割は搗き減りか」

別版(搗屋無間)[編集]

基本的な筋は同じである。

搗屋の徳兵衛は松葉屋の丸山という花魁を描いた錦絵を見て恋煩いで寝込んでしまう。主人は幇間を通して理由を知り、徳兵衛を金持ちに見せかけ、丸山に会わせる手はずを整える。徳兵衛はそれまでの滅私奉公で既に15両の貯金があり、それを使うことになる。

徳兵衛は丸山と一晩過ごし、最後にすべてを明かして嘘を詫びる。それにほだされた丸山は、自分が金を出すので、これからも会いに来て欲しいと申し出て、2人は逢引を重ねるようになる。

ところが早々に丸山に真夫(まぶ、花魁が夫同然に愛している者)ができたと噂が立ったために、彼女の客足が途絶え、金が無くなってしまい、2人は会えなくなってしまう。彼女に会いたい徳兵衛は、浄瑠璃の演目で、曹洞宗観音寺の「無間の鐘」の逸話を思い出す。これは死後は無間地獄に落ちる代わりに、現世で300両の大金を得るというものであった。しかし、死後のことなど気にせず、徳兵衛は商売道具の杵で鐘を叩き続け、願いが通じて鐘の中から小判が落ちてくる。喜んだ徳兵衛であったが数えてみると270両で、浄瑠璃の逸話より1割足りない。しばし、考えた後、答えに気づく。

「そうか、一割は搗き減りか」

善光寺の伝承[編集]

長野市善光寺には紺屋高尾の高尾太夫を供養する「高尾灯籠」がある。寄進したのは三浦屋と伝わる[5]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 東大落語会 1969, pp. 193–194, 『紺屋高尾』.
  2. ^ 初発1926年3月日蓄。年表下p.24
  3. ^ 東大落語会 1969, pp. 56, 『幾代餅』.
  4. ^ a b 東大落語会 1969, pp. 302, 『搗屋無間』.
  5. ^ 『善光寺さん』昭和48年3月5日銀河書房発行全289頁中58頁

参考文献[編集]

  • 東大落語会 (1969), 落語事典 増補 (改訂版(1994) ed.), 青蛙房, ISBN 4-7905-0576-6 

関連項目[編集]