蒟蒻問答

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蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)は古典落語の演目の一つ。身振り手振りのジェスチャーを交えた仕方噺の代表的な噺[1]5代目古今亭志ん生8代目林家正蔵6代目春風亭柳橋6代目三遊亭圓生5代目柳家小さんらの高座で知られる[2]

あらすじ[編集]

上州の安中に六兵衛という蒟蒻屋があった。かつては江戸でヤクザをやっていたが今は堅気となって田舎暮らしをしている。面倒見の良い親分肌で、江戸から逃げてきた銭の無い若い衆が六兵衛を頼って訪ねてくるとしばらく世話をしてやり、いくばくかの銭を渡して江戸に帰らせてやっていた。八公もその一人だったが、いつまで経っても江戸に帰りたがらない、仕事もしたがらない。困った六兵衛は、近所の寺が坊主不在だったことを思い出し、八公にそこの坊主になることを勧める。渋々その寺の坊主になった八公だったが、田舎寺のためそうそう弔いなどもなく、だらだらと過ごしていた。

ある日、越前・永平寺の沙弥托善と名乗る旅僧が訪ねてきて、この寺の大和尚と問答をしたいと願い出る。問答などしたこともない八公は和尚は今出掛けているからと追い返そうとするが、僧侶のほうは和尚の帰りをいつまでも待つと一歩も引かない。逃げ出してしまおうかと考えた八公だったが、そこに現れた六兵衛が自分が和尚に扮して対応してやると申し出る。

六兵衛も問答の経験が無かったが、僧侶から何を問われても無視をするという作戦に出る。すると僧侶はこれは禅家荒行の無言の行だと勝手に勘違いし、ならばと身振り手振りで問いかける。僧侶が両手を指を付けて輪を作ると、六兵衛は腕も使って大きな輪を作り、それを見た僧侶は平伏する。しからばと僧侶が10本の指を示すと、六兵衛は片手を突き出し5本の指を示し、再び僧侶は平伏する。最後に僧侶が指を3本立てる様子を見せると、六兵衛は片目の下に指を置いて「あかんべぇ」とした。そこで僧侶は恐れ入ったと逃げ出すように本堂を出る。

驚いた八公が僧侶に負けた理由を聞くと「途中から無言の行と気付き、こちらも無言で問いかけた。『和尚の胸中は』と問うと『大海のごとし』。『十方世界は』と問えば『五戒で保つ』。最後に『三尊の弥陀は』と問うたところ、『目の下にあり』とのお答えだった。とても手前がおよぶ相手ではなかった』と答え寺を去る。

関心した八公が本堂へ行くと六兵衛が激怒している。聞けば「あの坊主は途中で俺が偽物でただの蒟蒻屋だと気が付きやがった。『お前の所の蒟蒻は小さい』と揶揄するんで『こんなに大きい』と示してやった。すると『10丁でいくらか』と聞いてきたんで『500文だ』と返したら、『300文に負けろ』と言ってきたんで『あかんべぇ』をしてやった」

解説[編集]

2代目林屋正蔵の作とされる[2](ただし別の人物が2代目を名乗っていた時期があるため、この正蔵を3代目と数える場合もある[1])。托善正蔵とも呼ばれた2代目正蔵は僧侶から噺家になった人物で、托善は僧侶時代の名[1][2]。この話の中に出てくる僧侶も托善という名前になっている。

また、長野県下伊那郡をはじめ各地に蒟蒻問答という昔噺が伝わっていたり、貞享年間に出版された「当世はなしの本」にも同様の小咄「ばくちうち長老に成事」が見られ、それら古くから伝わる民話を改作して一席の噺にしたのではないかともされる[1]

六兵衛と僧侶との問答のくだりは、音声のみの場合は伝わりにくい場面だが、5代目古今亭志ん生は昭和31年4月にこの噺をラジオで演ったことがあり、その時は志ん生が無言になるタイミングでアナウンサーが都度説明を入れていた[1]

安中は現在の群馬県安中市に相当し、中山道宿場町として栄え、江戸を食い詰めた人間が越後信州に流れていく道筋にあった。また、周辺一帯は蒟蒻の産地として昔も今も知られている[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『志ん生古典落語5 富久』
  2. ^ a b c d 『柳家小三治の落語8』

参考文献[編集]

  • 古今亭志ん生、川戸貞吉、桃原弘 『志ん生古典落語5 富久』 弘文出版、2002年、251頁。ISBN 4-87520-223-7
  • 柳家小三治 『柳家小三治の落語8』 小学館、2018年、202-205頁。ISBN 978-4-09-406455-1