瀧川鯉昇

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瀧川 鯉昇(たきがわ りしょう)は、落語名跡

過去に鯉昇という名跡は、鯉朝鯉橋同様に数名が名乗っている。2代目柳亭左龍(俗に「樽重」、「江戸名残の怪談師」)、7代目三笑亭可楽(俗に「玉井の可楽」)等が名乗っているが、名跡としての代数は数えられていない。


瀧川 鯉昇たきがわ りしょう
本名 山下 秀雄
生年月日 (1953-02-11) 1953年2月11日(64歳)
出身地 日本の旗 日本静岡県浜松市
師匠 8代目春風亭小柳枝
5代目春風亭柳昇
名跡 1. 春風亭柳若(1975年 - 1980年)
2. 春風亭愛橋(1980年 - 1990年)
3. 春風亭鯉昇(1990年 - 2005年)
4. 瀧川鯉昇(2005年 - )
出囃子
活動期間 1975年 -
活動内容 古典落語
所属 日本芸術協会→落語芸術協会
受賞歴
NHK新人落語コンクール 最優秀賞(1983年)
国立演芸場花形若手落語会 金賞(1984年)
第5会国立演芸場若手落語会金賞銀賞の集い 大賞(1985年)
にっかん飛切落語会 若手落語家奨励賞(1988年)
にっかん飛切落語会 若手落語家奨励賞(1989年)
51回文化庁芸術祭 優秀賞(1996年)
備考
落語芸術協会監事

当代 瀧川鯉昇(本名:山下 秀雄(やました ひでお)、1953年2月11日 - )は、静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松西高等学校明治大学農学部卒業。落語芸術協会所属で、同協会監事。出囃子は「鯉」。

人物[編集]

主に古典落語を得意とする。江戸っ子の啖呵を切るようなスピーディな調子ではなく、飄々とした独自のテンポ。まくらは自分の事や世間話に言葉遊びを散りばめたり、噺の伏線をはったりといった部分が強く、まくらから噺のサゲまで言葉とくすぐりを綿密に選択している。[要出典]

「奇人変人」として有名ではあるものの、ほとんど資料の残っていない8代目小柳枝の現役時代を知る数少ない噺家であり、その弟子である。エピソードの一つとして、前座時代(鯉昇が柳若と名乗っていた頃)に小柳枝から命じられて、調理して食べる目的で、食べられる草・食べられない草に分ける作業を含んだ草取り作業をさせられていたが、鯉昇はしばらく、どこの一門の前座も、草むしりをして、草を食べられるか否かに分ける作業をするものなのだと思っていたという。[要出典]

なお、鯉昇の前座名「柳若」は8代目小柳枝の入門当初の前座名に由来する。[要出典]

落語[編集]

鯉昇の落語を語る上でまず特徴的であるのは、「つかみ」の上手さにある。通常、落語家は「まくら」で小噺を披露しながら徐々に客をつかみ本題に入るものだが、鯉昇は高座に上がり座布団に座ってお辞儀をして頭を上げた後、数秒間自分の顔を見せびらかすかのごとく客席を見渡す。鯉昇の特徴的な顔とその場の緊張感に耐えられなくなった客は、悲鳴にも似た笑い声を上げてしまう。一言も発することなく、まくら以前で客をつかんでしまうので、その後のまくらのうけもよく、また本題へもよりスムーズに入ることが出来る。[要出典]

古典落語の中には、現代では難解な用語や物の名前などが出てくる事がよくある。落語家の多くは、まくらで少し説明した後に本題に入ったり、本題の途中で話をいったん止め、説明してからまた話に戻るといった方法をとるが、鯉昇はこのような難解な用語を現代風のものに置き換えたり、登場人物に説明させるなどの方法で、観客にとって分かり易い落語をする(例:「粗忽の釘」では「」を「エキスパンダー」、「茶の湯」では「の実の皮(石鹸の代用品として使われていたもの)」を「ママレモン」に置き換えるなど)。特に「時そば」については、独自のギャグを多数加えて演じており、「そば処ベートーベン」と題することもある。

しかし、「たがや」などの江戸っ子がテンポ良く啖呵を切る場面がある落語は得意ではない。これは本人の温厚な性格と、師匠の柳昇の教え(怒ると寿命が縮まり、その縮まった寿命は怒らせた人のほうにいってしまう、というもの)で、鯉昇自身は普段あまり怒ることがないことが理由である。また、鯉昇の落語の中では女性が出てくることが少ない(これは本人の女性観によるもの)。[要出典]

鯉昇は大阪弁が巧いことでも知られている。東京の落語家が落語の中で大阪弁で喋っているのを関西人が聞くと、やはり多少不自然だと感じることがあるが、鯉昇の大阪弁は他の東京の落語家よりも自然に聞こえる。[要出典]

鯉昇の飄々と、そして、にこやかな顔で喋る姿から、鯉昇の落語は「脱力系」と紹介されることも近年多くなった(他に「脱力系」と呼ばれる落語家の例として、柳家喜多八などがいる)。[要出典]

芸歴[編集]

  • 1975年4月、8代目春風亭小柳枝に入門、春風亭柳若(りゅうじゃく)となる。
  • 1977年2月、5代目春風亭柳昇門下となる。
  • 1980年2月、二つ目昇進。春風亭愛橋(あいきょう)となる。
  • 1983年 「NHK新人落語コンクール 最優秀賞受賞。演目は「粗忽の使者
  • 1984年 「国立演芸場花形若手落語会」金賞受賞。演目は「犬の目
  • 1985年 「第5会国立演芸場若手落語会金賞銀賞の集い」大賞受賞。演目は「味噌蔵
  • 1988年度 「にっかん飛切落語会」若手落語家奨励賞受賞
  • 1989年度 「にっかん飛切落語会」若手落語家奨励賞受賞
  • 1990年5月、真打昇進。春風亭鯉昇となる。
  • 1996年 「51回文化庁芸術祭」優秀賞受賞。演目は「二番煎じ」「時そば
  • 2005年1月、亭号を改め、「瀧川鯉昇」となる。

エピソード[編集]

入門以前[編集]

  • 鯉昇は静岡県立浜松西高等学校の演劇部に在籍中、落語を披露したことがきっかけで落語に興味を持つようになった。東京に出て、役者か噺家になることが夢であった鯉昇は勉強はせず、成績はクラス50人中49番(50番目の生徒は病欠)であったが、高校3年の夏、俳優か噺家になるために上京するには両親を説得できるだけの理由が必要であることに気が付き、東京にある大学を受験するために「猛勉強」を始める。その結果、明治大学農学部に合格する(倍率は1.01で鯉昇は補欠入学)。
  • 当時の日本では学生運動が盛んで学生同士の仲間意識が強く、「一緒に入学したんだから一緒に卒業しよう」という雰囲気があり、カンニングをする生徒が少なくなかった。しかし、当時のカンニングは「出来の悪い生徒が盗み見する」ものではなく、「出来のよい生徒が答案用紙を見せびらかす」ものであり、視力の良かった鯉昇はその恩恵にあずかり大学を卒業する(レポートなどは質より量でごまかした)。
  • 学生時代は名門である明治大学落語研究会に所属していたが、部室へ近道をしようとして、その部室の下にある石垣を風呂敷を背負って登っていたところを警察官に見つかり、泥棒と間違われた鯉昇は自らの無実を晴らそうとしてその警察官と共に部室を訪れた。このことを咎められ、入部して2ヶ月足らずでクビになった(学生運動が盛んであった当時では、警察官を大学の構内に招き入れることはタブーであった)。
  • 大学卒業後、鯉昇は役者になるか噺家になるかを決められないでいたが、大学の先輩で役者になった者がおり、その人物が劇的に痩せ細っていく様を見て、噺家になることを決意をする。[1][2]

入門[編集]

  • 知人の紹介で8代目春風亭小柳枝に入門を願い出ようと寄席に訪れた鯉昇であったが、すでに小柳枝は高座を終え、どこかに行ってしまっていた(鯉昇曰く、小柳枝は鯉昇が来ることを知っていたはずであるが、どうやら忘れてしまっていたらしい)。楽屋で小柳枝の居場所を尋ねると、「近所の呑み屋に居るのではないか」と言われた鯉昇がその呑み屋に行ってみると、小柳枝はすでに酔っ払っており、しかも他の酔っ払いと喧嘩をしていた。鯉昇はその場を何とか収めたが、その後、なぜか小柳枝と共に呑み屋を3軒呑み歩き、小柳枝の家で一泊する。翌日の朝、鯉昇は起きてきた小柳枝に、「お前、誰だ?」と言われてしまう。そこで鯉昇は、正式に入門を願い出るが、小柳枝はこれを断る。
  • 何度も寄席に訪ねてくる鯉昇に困り果てた小柳枝は、自分の師匠である春風亭柳橋に相談するが、「お前に弟子がとれるわけないだろう」、と怒られてしまう。そこで小柳枝は鯉昇に対し、別の師匠を紹介することにした。しかし、鯉昇はその師匠に会う直前、落語「ちりとてちん」に出てくるような腐った豆腐を食べ、3日にわたり40度の熱でうなされ、タオルのような軽いものまでも持ち上げられないほどに衰弱し、その後約2ヶ月の間、温泉で療養することになった。結局、自分の新しい師匠になるはずだった人物と会うことはなかった。
  • それを見かねた小柳枝は、「じゃあいいや、そのまま居ろ」との理由で鯉昇の入門を許可する。鯉昇が初めて小柳枝に入門を願い出てから約1年半後、ようやく寄席に(弟子として)出入り出来るようになった。[3][4]

見合い[編集]

  • 鯉昇は約80回(鯉昇本人によると77回)の見合いをしたことで有名である。
    •  鯉昇がまだ二つ目で春風亭愛嬌と名乗っていた頃、十数人の世話役と呼ばれる人達が上野にある寿司屋で毎週のように落語会を開いており、鯉昇はその会で落語を頻繁に披露していた。ある日、その世話役の一人が鯉昇に見合い話をもってきた。鯉昇は断る理由もないのでその話を受けるが、やってきた女性はその世話役の会社に勤めるOLで、命令されていやいやその見合いにやって来たのであった。当然、相手の女性にはその気がないので、この話はまとまらなかった。その後、他の世話役たちが「愛嬌の嫁を世話するのは俺だ」と意地を張って競争しあうようになり、その結果、鯉昇は2ヶ月の間に13回もの見合いをすることになる。
    • 17回目の見合いの直前、鯉昇は当時まだ高価であった留守番電話(中古品であったがそれでも約5万円)を、見合いやその後のデートの約束をするために購入した。そして鯉昇はその見合いに臨み、首尾よくその女性と次の週にデートをする約束を交わす。女性を駅まで送り届けた後、自宅に帰って留守番電話のメッセージを聞いてみると、相手は数時間前まで一緒にいた見合い相手の女性で、その内容はデートの約束をキャンセルするものであった。これが皮肉にも、鯉昇の留守番電話に残された「記念すべきメッセージ第1号」となった。なお、このエピソードは当時のテレビ番組『クイズダービー』で四択問題として出題されている。
    • 1日に3回見合いをしたこともある。鯉昇は1回目と2回目の見合いで酒を飲んでいたため、3回目の見合いの席ではすでに泥酔しており、相手女性の名前さえわからない有様で、この見合いの話はその日のうちに断られてしまった。
    • 鯉昇は自身の2番目の師匠である5代目春風亭柳昇からも、20人以上の見合い相手を紹介されている。そのうちの一人と見合いをしている最中、相手の女性があまりにも時間を気にしているので鯉昇が訳をたずねると、「そろそろ亭主が帰ってくる」という理由からだった。その後、「見合いの相手が人妻」である事実を柳昇に伝えると、柳昇は「ああ、そうかい、まあ他にも居るから」と言い、さらに別の女性を鯉昇に紹介しようとするそぶりを見せた。鯉昇はなぜ柳昇が既婚女性を見合い相手に選んだのかは最後まで訊ねられなかったらしい。
  • しかし、約80回の見合いの多くは落語会の主催者や師匠の紹介だったこと(つまり、鯉昇と相手の女性は紹介者の顔を立てるために見合いをしていた)、13回目の見合い以降の相手の名前、紹介者、場所、経費などを克明に記録した「見合い手帳」の存在をネタとして語っていることなどから考えると、鯉昇は自ら望んで積極的に見合いをしていたとは考えにくい。実際に、鯉昇は彼の落語を観に来ていた女性と恋愛の末、結婚している。ちなみに、プロポーズの言葉は「(僕の家に)明日も来てくれる?」であった(翌日、彼女がやって来たのは言うまでもない)。[5]

亭号[編集]

  • 「瀧川」という亭号は元々、音曲師の初代瀧川鯉かん滑稽本作者の滝亭鯉丈と知り合ったことをきっかけとして名乗り始めたものである(それ以前の名前は不明)。鯉昇は昭和初期から途絶えていたこの亭号を継ぎ、現在は瀧川一門を率いるに至っている。上記にあるように、過去に瀧川鯉昇を名乗った噺家は数人確認されているものの、その代数は数えられていない。落語ファンの一部には将来、鯉昇に鯉かんの名前を継いでほしいと願うものもいる。
  • 噺家の昇進・改名に伴うお披露目会などでは莫大な費用がかかる上、頭を下げた姿勢を長時間保たなければならず、金銭的、肉体的、そして精神的にもつらいものである。それを熟知している鯉昇は、自らの改名をできるだけ誰にも知られないように行うために、まず自分の弟子たちに瀧川を名乗らせ、その数年後、当時の一門の中で最後に「ついでに、こっそりと」亭号を改めた(最初に改名してしまうと目立ってしまうため)。
  • 「瀧川鯉昇」という名前自体は瀧川派の歴史上、それほど有名な名跡ではなかったが、当代の鯉昇の人気のおかげで広く知られることになった。また、鯉朝鯉橋といった瀧川派の中で知名度の高い名跡を本人はあえて名乗らず、弟子に与えてしまうところからも、鯉昇の飄々とした性格を垣間見ることができる。[6]

一門弟子[編集]

  • 瀧川鯉朝(柳昇死後、鯉昇門下に移籍。真打昇進・改名と同時に亭号を「瀧川」に改めている)
  • 春風亭鯉枝(※2009年真打昇進も、亭号は本人の拘りにより改めない)
  • 瀧川鯉太(※2000年二ツ目昇進・2009年真打昇進、2003年に亭号を「瀧川」に改めている)
  • 10代目春風亭傳枝(※入門時は「春風亭鯉三」。2001年二ツ目昇進で「瀧川鯉之助」と改名したが、2010年真打昇進・改名で亭号を「春風亭」に戻す)
  • 瀧川鯉橋(※2002年6月二ツ目昇進・2012年真打昇進、二ツ目昇進・改名時に亭号を「瀧川」に改めている)
  • 瀧川鯉斗(※「瀧川鯉昇」となった後の2005年3月入門のため、最初から「瀧川」を使用。2009年4月二ツ目昇進)
  • 瀧川鯉八(※2010年8月二ツ目昇進)
  • 春風亭柳若(※入門時は「瀧川鯉ちゃ」。2012年9月二ツ目昇進で鯉昇の前座名「春風亭柳若」と改名)
  • 瀧川鯉津(※2010年8月入門。本名、高橋倫玲。入門前は「笑点」シリーズで春風亭昇太担当の放送作家だった[7]
  • 瀧川鯉輪
  • 瀧川鯉丸
  • 瀧川鯉毛
  • 瀧川鯉ん
  • 瀧川鯉佐久

CD[編集]

  • 「瀧川鯉昇1」(「宿屋の富」、「ちりとてちん」、おまけトラック「先代小柳枝を語る」を収録)ワザオギ
  • 「瀧川鯉昇2」(「時そば」、「佃祭」、おまけトラック「先代小柳枝を語るPart2」を収録)ワザオギ
  • 「瀧川鯉昇3」(「明烏」、「長屋の花見」、おまけトラック「鯉昇ギャグの奥義を語る」を収録)ワザオギ

DVD[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ラジオデイズ 鯉昇の昼寝まくら 序章 -落語家前夜-
  2. ^ フジポッド お台場寄席 第十回目玉名人会 『鼎談』瀧川鯉昇 10月14日号より
  3. ^ ラジオデイズ 鯉昇の昼寝まくら 其の壱 -師匠と弟子・上巻-
  4. ^ ラジオデイズ 鯉昇の昼寝まくら 其の弐 -師匠と弟子・下巻-
  5. ^ ラジオデイズ 鯉昇の昼寝まくら 其の六 -人生の伴侶-
  6. ^ ラジオデイズ「船徳」の解説より
  7. ^ セガ、「PSU」の見吉隆夫Pが贈る“ギャグベンチャー” Wiiウェア「珍道中!! ポールの大冒険」”. GAME Watch. Impress Watch (2009年1月26日). 2013年5月28日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]