二番煎じ (落語)

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二番煎じ(にばんせんじ)は、古典落語の演目の1つ。

概要[編集]

原話は、1690年元禄3年)に江戸で出版された小咄本『鹿の子ばなし』の「花見の薬」。これが同時期に上方で改作され、『軽口はなし』の「煎じやう常の如く」になり、冬の夜回りの話となった。

はじめは上方落語の演目として成立した。東京へは大正時代に5代目三遊亭圓生が移したといわれる。上方では初代桂春團治2代目桂春團治2代目露の五郎兵衛らが、東京では、6代目春風亭柳橋8代目三笑亭可楽3代目三遊亭小圓朝が得意とした。

桂宗助の高座名はこの演目の登場人物の名に由来する。

あらすじ[編集]

ある冬の晩、番太が年末休みのため(東京では「番太だけでは心もとない」というので)、防火のための夜回りを町内の旦那衆が代わりに行うことになった。番小屋に集まった旦那衆はふた組に分かれ、最初の組が夜回りに出る。

危機感のうすい旦那衆は、厳しい寒さに耐えかねて横着をきめこみ、手を出したくないのでの中で拍子木を打ったり、冷えた金棒を握りたくないので紐を腰に結わえて引きずって鳴らしたり、提灯を股ぐらに入れて暖をとったりする。「火の用心」の掛け声を試行錯誤しているうちにのようになり、新内節のようになり、端唄をうたっていくうちに、遊び自慢の雑談になってしまう。

組が交替となり、最初の組が番小屋で火鉢を囲んで暖をとっていると、ひとりが栓をした一升徳利(ふくべとも)を出してくる。中には酒が入っており、皆に勧める。夜回り中の飲酒は禁止されていたが、「これは風邪の煎じ薬だ」と皆でうそぶき、をしてこっそり飲む。「苦い風邪薬の口直し」としてししの身、味噌、焼き豆腐、ネギなどが用意され、しし鍋を作るに至り、即席の酒宴になる。

その時、番小屋を管轄している廻り方同心が、外から小屋のにぎやかな声を聞きつけ、「番! 番!」と呼ぶ。酔っ払った旦那衆は最初「野良犬が吠えている」と勘違いしたが、戸を開けると侍だったために大きくあわてる。旦那衆のひとりは火鉢の鍋の上に座って鍋を隠すが、酒は隠しきれず、同心にただされる。旦那衆のひとりが「これは酒ではなく、煎じ薬だ」と言うと、同心は「身共もここのところ風邪気味じゃ。町人の薬を吟味したい」と言って酒を口にし、「うむ、結構な薬だ。もう一杯ふるまわんか」。結局同心は鍋も目ざとく見つけ、鍋も酒もすっかり平らげてしまう。旦那衆が「もう煎じ薬がない」と告げると、同心は、

「しからば、いま町内をひと回りしてまいる。二番を煎じておけ」

バリエーション[編集]

  • 「宗助」は、ラストシーンにおいて同心の矢面に立たされる人物であることは共通しているが、役割や登場頻度は演者によって異なる。
  • 東京では「見とがめられても薬だと弁解できるように」と、酒をあらかじめ土瓶に移し替える。上方では徳利のまま「ツッコミ」(燗のための広口の平たい土瓶)で温め、同心には「薬のままで番小屋に持ち込むのは縁起が悪いと思って」と弁解する。
  • しし鍋の材料は、酒を持ち込んだ男が同時に持参している場合と、各人がめいめいに持参している場合とがある。
  • 初代春團治は夜回りのシーンで独自のナンセンスなオノマトペを駆使した。拍子木を打つ音を「カラカッチ、カッチカッチ」、引きずった金棒(錫杖)が犬の糞に当たる音を「ジャラジャラーのズルベチャ」など。
  • 夜回りの掛け声の出し方は演者によって様々に変化する。6代目柳橋は浪曲の「河内山宗俊伝」のさわりを聞かせた。3代目古今亭志ん朝清元節をうなってみせて、商家の主人らしく聞かせる演出をしている。