松井孝治
松井 孝治 まつい こうじ | |
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![]() 2009年、内閣官房副長官当時 | |
生年月日 | 1960年4月24日(62歳) |
出生地 |
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出身校 |
東京大学教養学部教養学科 ノースウェスタン大学経営大学院 |
前職 |
国家公務員(通商産業省) 参議院議員 |
現職 | 慶應義塾大学教授 |
所属政党 | 民主党 |
称号 |
教養学士(東京大学・1983年) 経営学修士(ノースウェスタン大学・1990年) |
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内閣 | 鳩山由紀夫内閣 |
在任期間 | 2009年9月16日 - 2010年6月8日 |
選挙区 | 京都府選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2001年7月29日 - 2013年7月28日 |
松井 孝治(まつい こうじ、1960年(昭和35年)4月24日 - )は、日本の政治家、経産官僚。慶應義塾大学総合政策学部教授(統治機構論)。
参議院議員(2期)、内閣官房副長官(鳩山由紀夫内閣)、参議院内閣委員長、民主党筆頭副幹事長、民主党総括副幹事長等を歴任。
来歴[編集]
京都府京都市生まれ[1]。実家は京都の老舗旅館(松井本館・ホテル松井)で、松井は経営者の次男にあたる。洛星高等学校、東京大学教養学部教養学科(国際関係論専攻)卒業。東大在学中、国家公務員上級職試験に1位の成績で合格し、大学卒業後の1983年、通商産業省(現:経済産業省)に入省。同期に安藤久佳(経済産業事務次官、中小企業庁長官、商務情報政策局長、関東経済産業局長)、斎藤健(衆議院議員、農水大臣、農水副大臣)らがいた。
1990年、ノースウェスタン大学経営大学院を修了し、経営学修士号を取得した。1994年から内閣官房へ出向して内閣副参事官を務め、羽田・村山・橋本の各内閣を支える。村山談話の起草や、橋本龍太郎首相が推進した「橋本行革」の発案にも携わった。その後一旦通商産業省に復帰して大臣官房総務課課長補佐を務め、アジア太平洋経済協力(APEC)や日米半導体問題の実務責任者を務める。その後行政改革会議に通商産業省から出向。復帰後は青木昌彦の下で経済産業研究所の設立に関わった。2000年12月、通商産業省を退官。
2001年、第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で京都府選挙区から出馬。民主党本部は、2期連続で京都府選挙区から当選していた笹野貞子元副代表の比例区への鞍替えを目論んでいたが、笹野側がこれに反発し、笹野、松井の両名が京都府選挙区から出馬する分裂選挙の様相を呈する。結局、松井が自由民主党現職の西田吉宏に次ぐ得票数2位で初当選し、笹野は得票数4位で落選した。
2003年3月より船井総合研究所非常勤監査役を務める(~2006年)。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で民主党は議席を「177」から「113」に減らし、9月12日、党代表の岡田克也は引責辞任を表明[2]。岡田の辞任に伴う代表選挙(9月17日実施)では前原誠司の推薦人に名を連ねた[3][4]。前原は菅直人をわずか2票の僅差で破り、代表に就任する。前原執行部では総合政策企画会議の事務局長を務め、政権構想の作成を担当した。同年、政策シンクタンク「公共政策プラットフォーム(プラトン)」の立ち上げに尽力した。
2006年6月、M&Aコンサルティング関連会社による私設秘書2名の給与の負担を政治資金収支報告書に記載していなかった事実を記者会見を開いて公表し、党及び国会の全ての役職を辞任した。ただし、私設秘書2人は実際に勤務実態を有しており、給与も秘書の口座に直接振り込まれていた。
2007年の第21回参議院議員通常選挙では、民主党への追い風に乗り、自由民主党の西田昌司(西田吉宏の息子)を上回る得票数で、京都府選挙区でトップ当選を果たした。同年9月、民主党「次の内閣」のネクスト内閣府担当大臣に就任し、松本剛明民主党行政改革調査会長の下、事務局長も務める。2008年の国家公務員制度改革基本法案の審議に際しては、民主党による対案の作成及び同法案与野党修正協議の実務を担当し、修正合意の作成に尽力する(自由民主党側の実務担当者は林芳正参議院議員、宮澤洋一衆議院議員)。同法案は同年6月に成立した。
2009年、鳩山由紀夫内閣で内閣官房副長官に就任。鳩山由紀夫首相の所信表明演説、施政方針演説の執筆をはじめ、新しい公共円卓会議の設立、寄附所得控除制度の創設、各種閣僚委員会の設置や副大臣会議の運営に尽力した [5]。2010年6月、鳩山内閣総辞職により官房副長官を退任。同年10月、参議院内閣委員長に就任した。
2011年9月、野田佳彦執行部で新設された民主党総括副幹事長に就任。翌年1月から民主党筆頭副幹事長を務める。
2012年7月、次期参議院議員通常選挙に出馬せず、政界を引退する意向を表明した[6]。
活動[編集]
- 超党派のマニフェスト議員連盟で事務局次長を務め、2003年には公職選挙法改正によるマニフェスト頒布解禁に尽力した。
- 2008年、民主党違法有害サイト対策プロジェクトチーム副座長を務め、「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」の策定及び与野党協議に参加した。同法案は同年6月に成立した。
- 2009年4月、消費者庁設置三法案の与野党修正協議において、内閣府への独立性の高い消費者委員会の設置等を盛り込んだ修正合意の成立に尽力した。
- 鳩山由紀夫総理大臣の所信表明演説に際し、演説原稿を担当した[7]。
- 2009年、前原誠司国土交通大臣(当時)に対し、観光庁長官に自身の高校時代の同級生である大分フットボールクラブ(FC)前社長の溝畑宏を推薦。前任者の退任を契機に、官僚色の一掃を目論んでいた前原は松井の紹介により、溝畑を観光庁長官に任命した。
- 静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[8]。
主張[編集]
- 「未来への責任、今を変える勇気。」をキャッチフレーズに、マニフェストに年金問題、天下り根絶、国の機関・組織や公務員のあり方の抜本的な見直し、地域社会振興等を掲げている[9]。
- 1000万人単位での、日本への移民の受け入れを主張している[10]。
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。「女性の社会参画への障害やコストを考えると、速やかに選択制度を取り入れるべきだ」と述べている[11]。
脚注[編集]
- ^ プロフィール、ブログ
- ^ “岡田代表 辞任を表明 12日未明の会見で”. 民主党 (2005年9月12日). 2021年12月1日閲覧。
- ^ “菅、前原両氏の一騎打ちに 民主代表選”. 朝日新聞. (2005年9月17日) 2021年12月1日閲覧。
- ^ “2005年9月17日 民主党代表選挙 推薦人一覧”. 江田五月 - 新たな出発. 2021年11月27日閲覧。
- ^ 平田オリザ、松井孝治 編 『総理の原稿―新しい政治の言葉を模索した266日』岩波書店、2011年。ISBN 400023725X。
- ^ “民主、松井元官房副長官、来夏で政界引退”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2012年7月18日). オリジナルの2012年7月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ http://www.sotokoto.net/jp/talk/?id=27
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)
- ^ 政策&マニフェスト/松井孝治公式サイト(2008年7月6日時点のアーカイブ)
- ^ 【2003年9月号 月刊Voice掲載】1000万人移民受け入れ構想 日本を「憧れの国」にしたい。~民主党若手の共同提案~
- ^ 京都新聞 2001年10月22日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 元参議院議員 松井孝治 公式サイト - 閉鎖。(2013年5月31日時点のアーカイブ)
- 松井孝治 公式ブログ - GREE - ウェイバックマシン(2020年9月20日アーカイブ分)
- 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 教員プロフィール
- Koji Matsui 松井孝治 (@matsuikoji) - Twitter
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