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柳家小団治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柳家 小団治(やなぎや こだんじ)は、落語家名跡。当代は六代目。小團治とも表記。上方でも桂小団治として二代目まで確認されている。

柳家小團治定紋「剣片喰」

3代目

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三代目 柳家やなぎや だん
本名 長谷川 藤太郎
別名 巳野 歳男
生年月日 1905年11月11日
没年月日 (1986-01-08) 1986年1月8日(80歳没)
師匠 六代目春風亭柳枝
四代目蝶花楼馬楽
名跡 春風亭枝寿
柳家小しん
柳家小団治

経歴

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人物

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  • 新作落語を多くこなした。
  • 戦争末期には落語家から落語芸術協会(日本芸術協会)の事務局長に就いた[注釈 1]。。
  • 巳年に因んで巳野歳男のペンネームで新作、芸談を書き残している。
  • 晩年は愛妻の看護に明け暮れ自らは交通事故で不慮の死を遂げた。

6代目

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六代目 柳家やなぎや 小団治こだんじ
Yanagiya Kodanji
本名 吉田よしだ 武脩たけひさ
生年月日 (1944-11-23) 1944年11月23日(81歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
師匠 五代目柳家小さん
名跡 1. 柳家武助
(1965年 - 1970年)
2. 六代目柳家小団治
(1970年 - )
出囃子 小団治ばやし
活動期間 1965年 -
所属 落語協会

六代目 柳家 小団治1944年昭和19年)11月23日 - )は、東京都出身の落語家。本名∶吉田 武脩落語協会所属、出囃子『小団治ばやし』。

経歴

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東京都出身。10歳から杉並区剣道場大義塾で剣道を始め、剣道範士中村藤吉全日本剣道選手権優勝者中村太郎に師事。道場の先輩は林家木久扇(現落語家、大義塾OB会会長)。中央大学附属高校で剣道部に所属し東京都大会で活躍。同時にラジオ東京しろうと寄席」で講談を披露して活躍。中央大学進学後も剣道部に入部し、弘友和夫(後に公明党から衆議院及び参議院でそれぞれ国会議員を務める。剣道七段)と交友を持つ。

1965年の大学在学中に五代目柳家小さんに入門。前座名は「武助」。1967年に中央大学経済学部を卒業。

1970年4月に柳家小三太三遊亭旭生七代目むかし家今松と共に二ツ目昇進、「六代目柳家小団治」を襲名。

1979年二代目柳家菊語楼橘家二三蔵三代目八光亭春輔五代目金原亭馬好五代目鈴の家馬勇と共に真打に昇進。

人物

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学習院大学落語研究会顧問東京農業大学非常勤講師

剣道教士七段の腕前で、東京都杉並区水月剣友会師範、東京農業大学オホーツク支部剣友会師範、静岡県榛原少年剣道クラブ名誉顧問を務める。

三遊亭歌司初代三遊亭圓丈古今亭志ん駒柳家さん遊柳家さん八三遊亭圓龍むかし家今松初代古今亭志ん五二代目金原亭馬の助橘家竹蔵柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。

芸歴

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演目

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古典

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新作

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メディア

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  • 『入門 落語の楽しみ方―笑いのコミュニケーション!』 - PHP研究所
  • 『落語亭 柳家小団治』 - DVD

脚注

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注釈

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  1. 当時は芸人出身の事務職員が両協会に数名在籍して、顔付けや各定席・芸人などとの調整に差配をふるっていた。代表的な人物として落語芸術協会には長谷川や荻原武雄(元宝家竹二郎。太神楽芸人で宝家楽三郎の子息。父や実弟宝家利二郎とともに「キッチントリオ」を組んでいた)、落語協会には岸正次郎(元四代目三遊亭市馬。事務員を経て事務局長)、高橋栄次郎(元八代目柳家小三治)、富田寿(元リーガル千太漫才師)などが芸人廃業後に事務方として在籍していた。特に長谷川と岸正次郎は両協会の事務方トップとして名物的な存在であった[1]

出典

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  1. 神保喜利彦『香盤残酷物語 落語協会・芸術協会の百年史』P203・204より

外部リンク

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