道頓堀角座

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座標: 北緯34度40分07秒 東経135度30分12秒 / 北緯34.6685度 東経135.5034度 / 34.6685; 135.5034

松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座 (2013年7月)

道頓堀角座(どうとんぼりかどざ)は、

  1. かつて大阪市中央区道頓堀にあった劇場演芸場映画館1652年慶安5年/承応元年] - 2007年平成19年][1])。
  2. 2013年(平成25年)夏に道頓堀に開設された演芸場。正式名称は「松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座」(しょうちくげいのう ダイハツ・ムーヴ どうとんぼりかどざ、略称:MOVE角座)。

沿革[編集]

江戸時代は「角の芝居」とも呼ばれた芝居小屋であった。戎橋側から浪花座中座、角座、朝日座弁天座の5つの芝居小屋を「五つ櫓」(いつつやぐら)又は「道頓堀五座」と呼んだ。1758年宝暦8年)、歌舞伎の舞台に不可欠である「回り舞台」が初めて採用され、以降全国的に広まる。1920年(大正9年)松竹の経営に移る。以降松竹系の演劇興行が行われたが、戦災で焼失。戦後「SY角座」となり洋画専門の映画館として復興した。

1958年(昭和33年)、演芸プロダクションの新生プロダクション勝忠男代表)と上方演芸秋田實代表)は、それまで芸人を供給していた千日前の歌舞伎地下演芸場が4月一杯で閉鎖される事となったため、代替の出演場所を探して松竹を頼る事となった。松竹は角座を演芸場に改装の上5月に再開場、大規模な映画館の設定をそのまま生かして演芸場に転用した事で、従来の演芸場にはない1000席規模の「マンモス演芸場」が誕生した。さらに芸人供給元の新生・上方両社は松竹の出資を受けて合併、松竹新演芸(後の松竹芸能)が発足した。

演芸場となってからの角座は、引き続き松竹が経営し興行を行ってはいたが、実際の番組編成や芸人の配給等一切は松竹芸能が執り仕切っていた。このため、松竹芸能の盛衰と運命を共にする事となり、1960年代~1970年代は上方演芸の殿堂として隆盛を誇っていたが、1980年代の漫才ブームでは一転して吉本興業の花月劇場チェーンに水を空けられる結果となった。

この事態に対応すべく、表記を「KADOZA」と改め、場内の提灯を取り外して出演者も若手芸人に絞る(それまではかしまし娘など大ベテランのホームグラウンドだった)といったリニューアルを断行したが、結果は裏目に出てしまい客離れが加速。以降ジリ貧状態が続いた末1984年(昭和59年)に閉鎖される。

1986年(昭和61年)、飲食店を含めた複合ビルとして改築され、松竹系の映画館「角座1」「角座2」(当初「SY角座」「松竹角座」)として再開場。以降、映画興行を継続してきたが、なんばパークス(大阪難波大阪球場跡地を南海電気鉄道が再開発した一大複合施設)に松竹がシネマコンプレックスを設ける事となったため、競合を避けるべく2007年(平成19年)4月18日をもって閉鎖され、劇場の歴史に一旦終止符を打った。

なお、2004年(平成16年)1月1日より角座ビル地下一階の一部を松竹芸能が賃借して、「ライブスペースB1角座」として演芸場を復活させた。しかし、松竹本社が角座ビルそのものの土地建物を売却する方針を固めた事から、2008年(平成20年)5月31日の昼夜の興行を最後に「B1角座」は閉鎖された[2]

しかし、松竹芸能は2011年(平成23年)5月14日に、同社の東京での初の劇場として、新宿区の元・小劇場「THEATER/TOPS」跡に、「松竹芸能 新宿角座」をオープンし、所在地は大きく異なるものの、演芸の「角座」の名跡を復活させた[3][4]

現況[編集]

2013年(平成25年)7月28日、角座ビル跡地にダイハツ工業がメインスポンサーとなった「松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座」が再開場した[5]。座席数は全126席で、B1角座より幾分少ない。

建物については、当面は5年間の運用を前提としているため簡素な造りのものとされ、建築費の削減が徹底されている[6]。同建物内には演芸場に加え松竹芸能の本社も入居する[7]他、俺のフレンチ・イタリアン等が入居する別棟と、イベントスペースを兼ねた「角座広場」を備える。

演芸場(1958-1984)[編集]

  • 提灯をトレードマークにしており、「演芸の角座」「日本一の角座」をキャッチフレーズにしていた。演芸ブーム(1950 - 60年代)までは吉本興業の花月劇場チェーンよりも集客で勝っていた。
  • 番組は上席(1 - 10日)・中席(11 - 20日)・下席(21 - 30日)と10日ごとに替わり、1日2回公演が原則。入れ替え制は採らなかった。また、テレビ番組の収録もあった。(後述)
  • 舞台は檜の板張りで、出演者は靴を脱いで舞台に上がっていた。背景は花月劇場チェーンと同様に書き割りであったが、落語の場合は書き割りが入れ替わり、寄席の雰囲気を醸し出した専用の書き割りになっていた。
  • 出演者を示す「めくり」は新宿末廣亭や花月劇場チェーンと同様にフリップ形式を採っていたが、新宿末廣亭や花月劇場チェーンが紙芝居と同様に一枚ずつめくる形式であるのに対し、角座や神戸松竹座はフリップを裏返すどんでん返し形式であった。ただし、東京の寄席とは異なり花月劇場チェーンと同様に上手に配置され、書体も明朝体(花月劇場チェーンはゴシック体)であった。
  • 基本的に漫才を主体に落語数本と諸芸が入った番組構成であったが、花月劇場チェーンの吉本新喜劇と同様に、トリに軽演劇(松竹爆笑劇や松竹とんぼり座、松竹新喜楽座など)を上演していた時期があった。
  • 毎年11月上席には「松竹名人会」と銘打った一級の芸人たちによる特選番組が催された。

主な出演者[編集]

開場から全盛期の頃の出演者

漫才[編集]

他多数

落語[編集]

他 東京から8代目桂文楽6代目春風亭柳橋2代目桂小文治4代目柳亭痴楽古今亭志ん朝等が出演。特に4代目痴楽は出演が多かった。

音楽ショウ[編集]

漫談[編集]

奇術[編集]

曲芸[編集]

軽演劇[編集]

テレビ・ラジオ収録[編集]

ABCテレビが優先中継権を持っており、場内の提灯も提供していた。

映画館(1986-2007)[編集]

道頓堀角座
Dohtonbori Kadoza
Dotonbori 7.JPG
武士の一分』(監督山田洋次)『デスノート the Last name』(監督金子修介)上映時の角座1・2(2006年12月7日撮影)
情報
通称 角座、松竹角座、SY角座
完成 1652年
開館 1986年12月6日
開館公演 ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀(SY角座)
閉館 2007年4月18日
最終公演 蒼き狼 地果て海尽きるまで(角座1)
東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(角座2)
収容人員 (2館合計)885人
客席数 角座1:488
角座2:401
設備 ドルビーデジタルサラウンドEX、DTSSDDS
用途 映画上映
旧用途 演芸場
運営 松竹株式会社
所在地 542-0071
大阪府大阪市中央区道頓堀1-4-20
アクセス 大阪市営地下鉄御堂筋線なんば駅14番出口から東へ徒歩5分

角座1[編集]

角座2[編集]

※ 座席数はすべて閉館時のもの。

脚注[編集]

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  1. ^ 松竹芸能の「B1角座」を含めれば、廃座は平成20年(2008年)になる。
  2. ^ B1角座について、松竹は迷走を重ねた。松竹芸能は「B1角座」を存続し、移転拡大するつもりだった(上記映画館角座の閉鎖に伴い、同映画館があったスペースを賃借して演芸場に改装するという計画)が、しかし構造上の問題で断念。次いで、「B1角座」を移転せずに営業を継続する方針でいたものの、上記のように本社が土地建物の売却を決定したために、角座そのものを完全に閉鎖するという選択を強いられた。これについては、桂春菜の桂春蝶襲名興行との絡みでトラブルになった。
    角座は閉鎖したものの、松竹芸能の演芸興行は、2008年(平成20年)7月5日から劇場「STUDIO210」で、「通天閣劇場 TENGEKI」という興行名で継続されている。しかし開催日は土・日だけである。[1]  月曜は全国的に有名な「通天閣歌謡劇場」が同じく松竹芸能主催で開催されている。[2]
    また、角座閉鎖によって、前述の「(劇場・映画館としての)道頓堀五座」は全て消滅した事になる。
  3. ^ 松竹芸能、新劇場でよゐこらチャリティー サンケイスポーツ 2011年3月26日
  4. ^ 「新劇場『松竹芸能 新宿 角座』での取り組みについて」 トピックス:東北関東大震災に対する弊社の取り組みについて 松竹芸能公式 2011年3月25日
  5. ^ 角座跡地の新劇場は「MOVE角座」 「なにわの日」の7月28日オープン産経新聞、2013年6月26日)
  6. ^ OpenA 道頓堀角座
  7. ^ 「道頓堀角座」2013年 夏オープン ~旧「角座ビル」跡地に~ 松竹芸能公式 2013年2月23日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]