戎橋

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戎橋(2017年)

戎橋(えびすばし)は、大阪市中央区道頓堀川に架かる心斎橋筋・戎橋筋の、鴻池組施工。

概要[編集]

「戎橋」の名前の由来には、

  1. 今宮戎神社にお参りする参道であったことから。
  2. 西宮神社の社札が配られたことから。

という2つの説があるが、通常は1つ目の説が有力視されている。江戸時代にはこのルートから西成郡難波村今宮村を通って今宮戎神社に向かったとされる。

大阪ミナミ繁華街の中心に位置する。北詰は心斎橋筋の南端で心斎橋筋商店街長堀通まで、南詰は戎橋筋の北端で戎橋筋商店街が難波駅前まで伸び、人通りが多い。とりわけ南西袂にあるグリコサインは有名で観光スポットにもなっており、1日平均20万人(休日は35万人)が戎橋を通行している。

長らく1925年大正14年)竣工の鉄骨鉄筋コンクリート製アーチ橋が架かっていたが、2007年平成19年)に現在の橋に架け替えられた[1]。河岸のとんぼりリバーウォークへ降りるスロープが設置され、橋下には御影石青銅を用いた先代橋の三連窓壁高欄が取り入れられている。また、観光客などが立ち止まることを考慮して橋上は円形の広場になっている。

1985年2003年阪神タイガース優勝時、2001年大阪近鉄バファローズ優勝時、2002年サッカーW杯での日本代表勝利時・決勝トーナメント進出時(試合が長居スタジアムだった)にはこの橋から道頓堀川に飛び込む若者が相次いだ。ちなみに2003年の阪神優勝時に飛び込みによる死亡事故が起きたとされているが、実際には事故が起きたのは2日後の事で、欄干に上って川を覗いていた会社員を、何者かが後ろから押したためであった。これを受けて2005年の阪神優勝時には大阪市がフェンスをめぐらして警察官を配置するなど対応をしたが、その目を掻い潜って道頓堀川に飛び込む若者が少数ながら存在した。

その後、橋の老朽化および飛び込みに対する対策などを理由に、架け替えが行われることになり、2003年に公募が行われ、最優秀作品を基に[2]、前述の通り2007年に架け替えられた。しかし、架け替えた後も、架け替える前と同様、阪神タイガースやサッカー日本代表が重要な勝利をあげた時や年末年始のカウントダウンなどに道頓堀川に飛び込む事例が続いている[3][4]2014年末から2015年始めの年末年始のカウントダウン飛び込みで韓国人の旅行者による死亡事故が起きたが、これは戎橋ではなく西隣の道頓堀橋から飛び込んだことによるものである。

なお、大阪市外など一部の人々の間には「戎橋」が「心斎橋」だと誤解している人もいるが、これは誤りである。

先代橋時代にはナンパスポットとしても有名だったことから、「ひっかけ橋」という異名がある。

戎橋付近のランドマーク[編集]

  • かに道楽
    • 阪神優勝時にはカニが破壊されることがあるが今回はガードされている。
  • 大阪松竹座
    • 大阪松竹座は、1923年に欧米諸国より招聘した第一級芸術家を迎えると同時に、時代の先駆となる演劇を上演することを目的として、松竹株式会社社長白井松次郎の手によって、大阪初の洋式劇場として開場した。松竹直営。設計は大林組の木村得三郎で、近代建築史に残る名建築との評価を得た。以来、優秀外国映画の封切と、内外気鋭の俳優の実演、レビュー、コンサート等を取り上げ、文化の殿堂としての役割を果たしてきた。大阪松竹少女歌劇の本拠地として知られ、第二次世界大戦後から改築工事前の1994年までは洋画封切館であった。戦後、地下には松竹芸能の本社事務所が長らく存在していた。
    • テラコッタを使用したネオルネッサンス様式の正面大玄関の特徴あるアーチをそのままに、1997年(平成9年)2月に新築開場。江戸時代以来の芝居街・道頓堀の五座の伝統を今につたえる唯一の劇場として、歌舞伎を中心とした多彩な演目を毎月公演している。
  • KPOキリンプラザ大阪
    • KPOキリンプラザ大阪行灯に似た角張った形の商業ビル。現代美術(コンテンポラリー・アート)の展覧会などが行われていたが、2007年10月31日に閉鎖され、建物は取り壊された。現在は丸紅による商業ビルLuz Shinsaibashi(ラズ心斎橋)が建っている。

アクセス[編集]

ネオンサイン[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度40分8.6秒 東経135度30分4.9秒 / 北緯34.669056度 東経135.501361度 / 34.669056; 135.501361 (戎橋)