公儀橋

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公儀橋(こうぎばし)は、江戸時代江戸大阪などで、江戸幕府の経費で架設、架け替え、修復が行われたである。町人が経費を負担して架けた町橋に対する。

江戸では「御入用橋」と称し、まれに「公儀橋」といったが、大阪、京都ではおおく「公儀橋」といった。

江戸の御入用橋[編集]

江戸の御入用橋は、つぎのとおり。

大坂の公儀橋[編集]

大坂では総橋数155橋(天明7年調べ)のうち公儀橋は12橋であり、そのほかはいずれも町橋であった。

京の公儀橋[編集]

『京都御役所向大概覚書』によると、洛中洛外に107の公儀橋があったと伝えられる。[1]

など。

その他の地域の公儀橋[編集]

主要街道の橋は公儀橋として江戸幕府が直接管理していたものが多い。

など多数。

参考文献[編集]

  • 幸田成友「江戸と大阪」

脚注[編集]

  1. ^ 松村 博「京の橋ものがたり」(ISBN 4-87984-158-7