OSK日本歌劇団

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株式会社 OSK日本歌劇団
OSK Nippon Revue Company
種類 株式会社
略称 OSK
本社所在地 日本の旗 日本
541-0057
大阪府大阪市中央区北久宝寺町4-3-11
ネクストウェアビル
設立 2009年2月
(創業:1922年4月
業種 サービス業
事業内容 演劇の企画・興行
代表者 代表取締役:山口能孝
主要株主 社団法人 大阪歌劇振興協会
外部リンク http://www.osk-revue.com/
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OSK日本歌劇団(オーエスケーにっぽんかげきだん)は、日本劇団宝塚歌劇団松竹歌劇団(SKD)と並ぶ三大少女歌劇のひとつ。1922年(大正11年)4月、松竹楽劇部(前身)として創設され、2003年(平成15年)5月に一時解散した後、8月にはその伝統を引き継いで劇団員有志により「OSK日本歌劇団存続の会」として公演を再開した(近鉄劇場公演「熱烈歌劇 re-Birth~OSK復活のススメ~」)。

OSKとは、以前の劇団名であった「大阪松竹歌劇団」(Osaka Shochiku Kagekidan) の略称。

1932年大阪松竹座の「春のおどり」フィナーレ

概要[編集]

1923年大阪松竹座の松竹楽劇部による第一回公演『アルルの女』

未婚の女性により構成されるレビュー劇団。男役・娘役が存在するが、男役→娘役だけでなく娘役→男役の転向の例もある。生年・本名は非公表だが、芸名に本名を用いることが可能。

かつて、宝塚とは同じ関西でしのぎを削り、「歌の宝塚、ダンスのOSK」と並び称された。また同じ松竹が経営していたSKDは、OSKの後に東京を本拠とする劇団としてつくられ、大阪本拠のOSKとの棲み分けを図った。しかし、SKDが発足したことなどでOSKは東京での公演が長らく不可能となり(再開はOSK創立70周年を迎えた1992年。SKDは1990年にレビュー最終公演を行い、1992年よりミュージカル劇団となった)、その間、宝塚は東京に東京宝塚劇場を設置して常時公演できる体制を整え、関東圏など全国レベルでの人気・知名度で大きく差を付けられることになった。

現在は、大阪松竹座京都南座での松竹主催公演、福井県越前市たけふ菊人形会場での1か月公演、大丸心斎橋劇場や近鉄アート館での年間5,6本の自主公演、2011年より9月に恒例となった東京・三越劇場公演、イベント出演、ディナーショー等で活動している。松竹座・南座公演は、二部構成のレビューとなっており、第一部が和物、第二部が洋物の計約2時間で構成されていることが多い。上演時間が約1時間で、休憩を挟まないたけふ菊人形公演も、2013年までは和物と洋物の二部構成のレビューであった。

旧来より「ダンスのOSK」として知られ、特に、速いスピードで高く足を上げるラインダンスは、劇団の名物の一つともなっている。(劇団によると、劇団史上最速の脚上げのテンポは「CRYSTAL PASSION 2016 ~情熱の結晶~ 第二部 BLACK AND GOLD」のラインダンスにおけるBPM201)

レビューの最後に、ピンクの傘(桜パラソル)を回しながら、テーマソング「桜咲く国」を歌うのが定番。これは1929年(昭和4年)に、紙吹雪を吸い込んで声が出なくなった出演者がいたため、防止のために傘をさすようになったのが起源である。

団員の正装は桜色の着物に緑の袴。テーマソングは「桜咲く国」。公式ファンクラブは「桜の会」、会報は「Sakura Times」、ファンとの交流イベントは「桜まつり」など、の花がシンボルとして使われている。

入団年次は関係なく、劇団員全てによって序列が組まれる。かつては幹部技芸員>準幹部技芸員>技芸員と明確に区別されていたが、現在ではこの呼称は用いられていない。代わって、ベテラン脇役を除いた、序列最上位の男役がトップスターと呼ばれ、松竹座・南座等のメイン公演で主演を務める。ただし近鉄傘下時代に一度だけ、トップスターを二人置いた時期もあった。女役(娘役)の場合は、序列上位の女役数名が複数または交代でヒロインを務める。このため演目によって柔軟な配役が可能になっている。

歴史[編集]

松竹時代[編集]

1930年大阪松竹座「松竹大レヴュウ」のポスター
1955年大阪劇場の「春のおどり」

松竹は洋式劇場である大阪松竹座の開業に当たり、白井松次郎社長の発意により、新たな出し物として少女歌劇に取り組むこととなった。すでに成功を収めていた宝塚少女歌劇団から、舞踏家:楳茂都陸平、作曲家:原田潤松本四郎を招聘し、1922年(大正11年)4月、松竹楽劇部を創設した。

同年12月の中之島公会堂でのダンス披露および翌年2月の京都・南座での試演を経て、1923年(大正12年)5月、大阪松竹座専属となり「アルルの女」を上演した。創設当初は、映画との併演で日舞・洋舞を披露していたが、実力・人気はいまひとつであった。大きな転機となったのが、日舞を中心とした本格的ショー1926年(大正15年)4月の「春のおどり 花ごよみ」であった。タイトルは関西の名物だった花柳界の「浪花踊り」「都踊り」に負けぬようにと名付けられ、特に当時の仮名遣い(歴史的仮名遣い)では"をどり"が正しいにも関わらず、白井松次郎の意見で意図的に"おどり"と表記した。以後、今日まで一貫して"おどり"表記を用いている。さらに宝塚少女歌劇団のフランス風レビュー「モン・パリ」が成功したことをうけ、楽劇部でも洋舞を取り入れつつ試行錯誤が重ねられ、徐々に人気を増していった。1928年(昭和3年)「春のおどり」でレビュー様式が確立された。同年8月、「虹のおどり」にて東京公演を実施した。これをきっかけに東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団)が誕生した。

1933年(昭和8年)、桃色争議が発生。最終的にスタークラスの劇団員を大量に失い、不振に陥った。翌1934年(昭和9年)、心機一転し大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に改称し、千日前大阪劇場を本拠地とする。改称後の第一回公演「カイエ・ダムール」は、コロムビア・レコードともタイアップしレコードを発売するなど、大々的な宣伝を行った。その結果、人気を取り戻した。同年には、松組・竹組の2班に分けて公演が行われるようになり、三笠静子美鈴あさ子が人気を集めた。1936年(昭和11年)に、松組・竹組は解消され、新たに若手の秋月恵美子芦原千津子をスターとして売り出した。

1943年(昭和18年)、大阪松竹歌劇団(OSK)に改称。1945年(昭和20年)3月13日の大阪大空襲で本拠地の大阪劇場が破壊されたが、突貫工事で修復され、7月26日から「夏まつり」の公演を再開した[1]

戦後は、松組・竹組に梅組を加え三組制となった。秋月・芦原が絶大な人気を集めたのに加え、さまざまなユニットが結成された。1950年代までは、OSK・SKDの合同公演も行われていた。

1957年(昭和32年)に松竹から独立し、「株式会社 大阪松竹歌劇団」となる。1963年(昭和38年)3月3日午前2時頃、大阪劇場で釣り舞台が落下する事故が発生、団員・スタッフ44名が重軽傷を負った。公演直前[2]ながら、深夜練習が行われていたことが労働基準法で禁じられた女子の深夜労働[3]に当たる可能性が明るみに出て、芸能界における深夜稽古の常態化が問題視されるようになった。労働省は翌3月4日に主要劇場での抜き打ち査察を行い、全国に波紋が広がった。

同年、日本歌劇団(NKD)に改称するが、愛称のOSKが定着していたため1970年(昭和45年)にOSK日本歌劇団と改称する。

近鉄時代[編集]

1971年(昭和46年)以降は近畿日本鉄道(近鉄)グループの子会社となり、宝塚同様に鉄道会社の支援のもと遊園地を本拠地とする[4]。OSKの本拠地は奈良市近鉄あやめ池遊園地の円型大劇場となった。

女性歌劇の人気が低迷していく中、宝塚が「ベルサイユのばら」「風と共に去りぬ」等ミュージカル作品の大ヒットで今日までの人気を築くのとは対照的に、OSKは低迷の一途をたどる。特に1970年代後半には劇団員の数・新規入団者の数も激減する[5]

さらにOSKはダンスのレベルの高さを大きな特徴としていたことが、皮肉にも1980年代のミュージカルブームにも乗り遅れる結果となった[6]1982年(昭和57年)には創立60周年記念公演「楊貴妃」がヒットし観客も6割増加。あやめ池撤退と新劇場(後の近鉄劇場)での常打ち公演の計画も持ち上がった[7]。この後、劇団創立65周年を機に、1987年(昭和62年)より近鉄劇場でのミュージカル公演を定例化。大阪中心部での公演がようやく再開するが、当初の発表と異なり常打ちではなく年1回の公演に留まった。

また1990年代には、あやめ池遊園地で童話を題材にしたファミリーミュージカル路線を打ち出す。2000年代に入り北林佐和子らによる和物ミュージカル「闇の貴公子」等が近鉄時代末期のヒット作となった。

この時期、1998年(平成10年)頃より、親会社近鉄の業績悪化に伴い、歌劇団にも経営自立が求められるようになった[6]。しかし本来レビュー劇団であるにもかかわらず、劇場での公演回数は減少。ホテル志摩スペイン村テーマパーク)等のショー、プロ野球球団の大阪近鉄バファローズの応援パフォーマンス出演等が収入源となっていた[6]が、これらの出演も激減し業績が悪化。

2002年(平成14年)6月27日、近鉄からの支援打ち切りに伴う解散が発表され、翌日に劇団員にも正式に通達された[8]。通告を受けた翌日から最上級生(当時)の吉津たかしと男役スターの一人大貴誠を中心に劇団の存続活動が開始され、同年8月には当時の団員71名全員によりOSK存続の会(代表:吉津たかし)が結成された。OSK存続の会は翌年5月までに約20万人分のOSK日本歌劇団存続の嘆願署名を集めたが、近鉄側の決定を覆すことは結局できず、2003年(平成15年)5月近鉄劇場公演「Endless Dream~終わりなき夢~」を最後に解散し、81年の歴史に一旦幕を下ろした。解散公演時の団員数は69名。

解散は近鉄グループリストラ策、特にレジャー部門見直しの一環であった。なお解散時の出資比率は近鉄が15%、子会社の近鉄興業が85%。翌2004年にはバファローズも同様に解散し、あやめ池遊園地と近鉄劇場も閉鎖する。近鉄興業もあやめ池の閉園に伴い解散している。

新OSK時代[編集]

2010年、京都・南座「レビュー in KYOTO」

しかし団員はその後も存続運動を続け、2003年(平成15年)8月にはOSK存続の会による立上げ公演「熱烈歌劇 re-Birth~OSK復活のススメ~」が近鉄劇場でおこなわれた。同年9月にはOSK存続の会を支援していた経営コンサルタントを社長とし、残存の団員全員を株主とする「株式会社 OSK存続の会」が設立される。

近畿日本鉄道側との話し合いにおいて「"OSK存続の会"が"OSK日本歌劇団"の正当な後継者であること」が確認され[9]、同月12日に商標権問題に決着がついたことが、存続の会より公表された。ただし、同年11月に旧劇団の清算人が、まだ合意に達していないと表明した[10]。なお、同年9月に劇団付属の研修所を開設し、歌劇学校閉鎖以来途絶えていた新人の育成も再開され、同年12月に松竹座公演「春のおどり」が決定した。

2004年(平成16年)4月、大阪松竹座での「春のおどり」復活を機にNewOSK日本歌劇団として旗揚げ。この時点で、近鉄時代から残留した団員は23名(+研修生9名)。同年7月に近鉄レジャーサービスより正式に名称の使用を認められ、同年10月1日付けで会社名も「NewOSK日本歌劇団」に変更した。これに伴い旧劇団時代の衣装・音源等も無償で引き継いだ[11]

松竹座公演および小劇場:世界館での定期公演をメインに活動していたが、資本金0でスポンサーはなく、約20社の企業および約130人の個人による寄付の支援のみだったため当初から赤字経営が続き[12]、法人としてのNewOSK日本歌劇団は、2004年12月期決算で約2500万円、2006年12月期決算で約8400万円の営業赤字となった[13]。その後も状況は改善されず、劇団員への給料の遅配が続いたため、自主再建を断念。大阪地方裁判所に民事再生法による再生手続き開始申請を行い、2007年(平成19年)9月17日付けで再生手続き開始の決定が出た。再生手続き開始後も公演活動は予定通り行われた。

その後、吹田市のイベント企画会社「ワンズ・カンパニー」に事業譲渡され、名称は再びOSK日本歌劇団となった。2009年(平成21年)2月に、株式会社として独立した。

年表[編集]

1928年大阪松竹座の「寿のおどり」
1956年大阪劇場の「春のおどり」上演中の劇場前
この年封切りのハリウッド映画アカデミー賞作品「サヨナラ」に劇団が出演。
  • 1958年4月、日本歌劇学校が大阪市から奈良市敷島町(現・あやめ池南1丁目)のあやめ池温泉場へ移転。
  • 1963年、「日本歌劇団(NKD)」に改称。同年3月に大劇にて舞台稽古中に事故が発生し40余名が重軽傷。
  • 1967年、大阪劇場が閉鎖、あやめ池遊園地に本拠地を移転。
  • 1971年近畿日本鉄道が子会社化して「OSK日本歌劇団」(株式会社日本歌劇団)となる。朝日放送が経営に参加。
  • 1978年4月、日本歌劇学校があやめ池遊園地へ再移転。
  • 1988年東大阪市に本社事務所を移転、稽古場を併設。
  • 1992年、創立70周年を記念し、東京公演を再開。
  • 1995年、千土地興行の後身・日本ドリーム観光を吸収合併して以来株主だったダイエーが撤退。
  • 1997年近鉄バファローズ大阪ドーム移転に伴い、若手20名を起用して「OSKチアリーディングチーム」結成。
  • 2001年日本歌劇学校の新規募集を停止。
  • 2002年6月、近鉄から支援打ち切りと翌年解散の通告。団員有志により「OSK存続の会」が結成。
  • 2003年5月、最終公演「Endless Dream」をもって解散。
同年8月、「存続の会」が近鉄劇場にて「熱烈歌劇 re-BIRTH」上演、10月たけふ菊人形公演等、活動を継続。
  • 2004年4月、「NewOSK日本歌劇団」として旗揚げ。66年ぶりに大阪松竹座にて「レビュー 春のおどり」上演[14]
同年10月1日、「存続の会」が正式に名称を「NewOSK日本歌劇団」に改称。
  • 2007年、民事再生手続きを開始し、劇団は譲渡されてワンズカンパニーの傘下になる。名称は再び「OSK日本歌劇団」に改称。
同年11月、52年ぶりに京都南座で公演を実施。
  • 2009年、株式会社OSK日本歌劇団として独立。
同年7月、劇団公式サイトにて劇団員ブログを開始。
  • 2011年9月、東京(三越劇場)にて8年ぶりの公演。
  • 2012年4月、創立90周年記念として大阪松竹座、京都南座、東京日生劇場(2013年春)などで公演。
  • 2013年LINEにて情報配信を開始。
同年7月、ニコニコチャンネルにOSK日本歌劇団チャンネルを開設。
  • 2014年8月、東京・新橋演舞場にて「レビュー 夏のおどり」を上演。
同年9月、特別専科が設立され、緋波亜紀が移籍第1号となる[15]
同年10月、日本・キューバ友好400周年交流事業として、キューバで海外公演を実施[16]
  • 2015年2月、ニコニコ生放送で舞台生中継を開始。7月に出演者(時には演出家も)が公演について語る「ニコニコ生トーク」の放送を始め、9~11月公演の「紅に燃ゆる~真田幸村 紅蓮の奏乱」、2016年1~2月公演の「カンタレラ2016~愛と裏切りの毒薬~」は製作発表をニコニコ生放送で生中継した。

公演システム[編集]

松竹時代[編集]

  • 春のおどり - 大阪劇場3月興行。松竹映画併映。
  • 夏のおどり - 大阪劇場7月興行。松竹映画併映。
  • 秋のおどり - 大阪劇場10月興行。松竹映画併映。(別途浅草国際劇場等にてSKDとの合同公演もあり。)

近鉄時代[編集]

  • あやめ池公演 - 春・夏・秋に実施。(夏季は実施されない年度もあり)
  • 近鉄劇場公演 - 春に特別公演を実施。劇団員の初舞台公演。

新OSK時代(現在)[編集]

  • 春のおどり - 大阪松竹座にてレビュー上演。
  • 秋のおどり - 大阪松竹座にてレビュー上演。(2004年、2006年のみ)
  • レビュー in KYOTO - 京都南座にてレビュー上演。2007年、2015年は秋、それ以外の年は夏。
  • たけふ菊人形 - 秋(10-11月)に1ヶ月程度公演。
  • 東京・三越劇場公演 - 2011年より毎年9月に上演。
  • 自主公演 - 大丸心斎橋劇場、近鉄アート館などで年5,6回実施。
  • オ・セイリュウ公演 - 大阪・心斎橋のゲストハウス、オ・セイリュウにて2011年より開始。年に2、3回、2~3か月の公演を行う。
  • OSK Revue Cafe - セント・ラファエロ教会にて2015年より開始。3名の出演者による歌を中心とした公演。
  • 世界館公演(終了) - 大阪・弁天町の小劇場、世界館で、2005年1月より2007年9月まで毎月定期公演をおこなっていた。

主なスター[編集]

男役[編集]

娘役[編集]

ユニット[編集]

チェリー・ガールズ
2007年南座公演より、若手娘役スター5名によるユニットが結成され、舞台やイベントで活躍している。退団や昇格に伴い、メンバーが入れ替わる。
第1期 - 春咲巴香牧名ことり・珂逢こころ・恋羽みう・瀬乃明日華
第2期 - 珂逢こころ・恋羽みう・白藤麗華・瀬乃明日華・和紗くるみ
第3期 - 恋羽みう・和紗くるみ・瀬乃明日華・舞美りら城月れい
第4期 - 恋羽みう・和紗くるみ・舞美りら・城月れい・遥花ここ
ブルーパンサー
2010年6月結成。大人の歌を聴かせるユニットとして2010年8月に「ラ・マスケラ」にてCD発売デビュー。
メンバーは折原有佐・美砂まり・平松沙理
2012年9月 美砂まりの退団により解散。

OSK日本歌劇団研修所[編集]

2003年開設。2001年日本歌劇学校の休校(事実上の廃校、2000年募集停止)以後、新規の入団が途絶えていた。9月に81期生が入所。以後、従来の歌劇学校の期数と異なり、期数と入所年の劇団創設年数が合うようになっている。そのため75期生から80期生は存在しない。初年度のみ1年制のため、2004年に入団。

現在は大阪市中央区に所在。本科・研究科の2年制。定員20名。受験資格は中卒以上23歳未満の未婚女性。研修生は舞台実習があり、成績上位者は大阪松竹座・京都南座等の公演にも出演する。卒業後に入団試験があり、その成績により入団の可否が決まる。

授業時間は1科目が2時間で1日3科目。バレエ・日舞・声楽などに研鑽を重ねる。講師は辻野満理(声楽)、黒瀬美紀(バレエ)、藤間豊宏(日舞)、鈴木健之亮(演劇)、中野栄里子(ジャズダンス)ら。所長は奥山賀津子

  • 服装
    グレーの制服に、本科 青リボン 研究科 赤リボン

主な楽曲[編集]

作詞:岸本水府、作曲:松本四良
1930年(昭和5年)、大阪松竹座公演「春のおどり〜さくら〜」で発表。以来OSKのテーマソングである。
  • 「虹色のかなたへ」
作詞:海野洋司、作曲:宮川泰
1992年(平成4年)に創立70周年記念に作られたイメージソングである。歌詞又は曲を一般公募し、作詞:549点、作曲:161点の合計710作品の中から、大阪府の岩野恵造の詞が最優秀賞に選ばれた[17]。これを原案に作詞・海野洋司、作曲・宮川泰がそれぞれ担当し、同年の記念公演「ARABESUQUE」にて発表された。
  • 「ビロードの夢」
作詞:藤浦洸、作曲:服部良一
1949年(昭和24年)、SKDとの東西合同公演にて発表。以来「秋のおどり」をはじめ秋季公演のテーマソングとして使われることが多かったが、1990年代以降ほとんど使用されていなかった。2009年(平成21年)のたけふ公演にて20年ぶりに使用された。
団歌
  • 「花の馬車にのって」
作詞:横沢秀雄、作曲:倉田志朗
日本歌劇団時代の正式な団歌
  • 「ビバ!OSK」
作詞:横澤英雄、作曲:中川昌
近鉄時代(1970年以降)の正式な団歌

主な作品[編集]

  • 「楊貴妃」(1955年,1982年,1987年)
  • 「シンデレラ・パリ」(1977年,1990年,2012年)
  • 果てしなき流れの果てに」(1988年)原作:小松左京
  • アップフェルラント物語」(1991年)原作:田中芳樹
  • 天上の虹~星になった万葉人~」(1995年)原作:里中満智子
  • 「青春革命~スローバラードは歌えない~」(1995年)
  • レディ・アンをさがして~Looking for Lady Anne~」(1996年)原作:氷室冴子
  • セロ弾きのゴーシュ」(1996年)原作:宮沢賢治
  • 「上海夜想曲」(1997年)
  • アラビアン・ナイトロマン~アラジンとアリババの宝物~」(2000年)
  • 闇の貴公子~源博雅と安倍晴明~」(2001年)原作:夢枕獏陰陽師
  • 「新・闇の貴公子」(2003年)
  • 「真田幸村~夢・燃ゆる~」(2007年,2008年,2009年,2011年)
  • 「桜彦 翔る!~必ず戻る 恋と友情のために~ 」(2009年)
  • 「YUKIMURA-我が心 炎の如く-」(2010年)
  • 「桜彦 翔る!エピソードⅡ~黄泉へ 桜ふたたび~」(2010年)
  • 「バンディット! -霧隠才蔵外伝-」(2010年)※大阪文化祭賞グランプリ受賞作品
  • 「みやこ浪漫~RYOMA~」(2010年)
  • 「女帝を愛した男~ポチョムキンとエカテリーナ~」(2010年)
  • 「ADDIO」(2012年)
  • 「カルディアの鷹」(2014年)
  • 「Crystal passion~情熱の結晶~ 」(2015年)
  • 狸御殿-HARU RANMAN-」(2015年、2016年)
  • 「浪花今昔門出賑/Stormy Weather」(2015年)
  • 「紅に燃ゆる~真田幸村 紅蓮の奏乱~」(2015年、2016年)
  • カンタレラ2016~愛と裏切りの毒薬~」(2016年)

主な出身者[編集]

以下には、著名な活動のある出身者をあげる。この他の出身者についてはCategory:OSK日本歌劇団出身の人物も参照。

海外公演[編集]

()内は訪問国。地名・国名、国旗は当時。

演目:「春のおどり」「100万ドルの饗宴」
演目:「キング・オブ・レビュー」
演目:「春のおどり」
演目:「夢の旅人 NAKAMARO」
上海万博出演のため

脚注[編集]

  1. ^ 岡本澄「OSKの軌跡追っかけ」、日本経済新聞2012年12月21日
  2. ^ 3月3日より「世界に見せる 春のおどり」を上演予定だった
  3. ^ その後の法改正により、現在では女子保護規定は廃止されている
  4. ^ 。宝塚の親会社は阪急電鉄であり、本拠地は宝塚ファミリーランドと隣接していた。
  5. ^ 1997年9月2日朝日新聞夕刊「舞台去ってもコンビは続く:上 - 東雲さん・友美さん」
  6. ^ a b c 1998年3月11日 朝日新聞夕刊 「OSK正念場 親会社の近鉄、経営自立迫る」
  7. ^ 1983年3月10日読売新聞「OSK人気復活 押せ押せムード」
  8. ^ 解散通告に先立ち、劇団員の養成機関・日本歌劇学校2000年(平成12年)より募集を停止し、翌年に最後の卒業生を出して休校している
  9. ^ 2003年9月13日サンケイスポーツ 「OSK存続の会」が名称継承
  10. ^ 2003年11月17日 読売新聞「OSKの名称継承 歌劇団清算人側が抗議」
  11. ^ 2004年7月30日 読売新聞「OSK日本歌劇団の名称 『NewOSK日本歌劇団』で決着」
  12. ^ 2007年9月26日 読売新聞「ファン層広げられず 自主再建断念したNew OSKの谷康滋社長に聞く」
  13. ^ 2007年9月19日 読売新聞「新生OSK、再生法申請 観客動員低迷で負債2億円」
  14. ^ 松竹座でのOSKの公演自体は、1946年の「ラ・ボンバ~踊る秋月恵美子~」以来58年ぶり。
  15. ^ 特別専科」新設のお知らせ”. OSK歌劇団公式サイト (2014年9月1日). 2014年12月18日閲覧。
  16. ^ 日本・キューバ友好400周年交流事業 参画のお知らせ”. OSK歌劇団公式サイト. 2014年12月18日閲覧。
  17. ^ 1992年5月2日 朝日新聞「OSKのイメージソング 最優秀賞に岩野恵造さん」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]