宝塚ファミリーランド

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宝塚ファミリーランドメインゲート(2002年6月21日撮影)
宝塚ファミリーランドの正面看板(2003年3月22日撮影)
宝塚大人形館内部(2003年4月5日撮影)
ホワイトタイガー(2003年4月5日撮影)

宝塚ファミリーランド(たからづかファミリーランド)は、兵庫県宝塚市にかつて存在した遊園地動物園

概要[編集]

阪急電鉄が経営していた遊園地で、阪急宝塚本線および阪急今津線終点である宝塚駅の東側にあった。駅から続く「花のみち」の南側に宝塚歌劇で有名な「宝塚大劇場」と、大浴場を備えた「宝塚大温泉」があり、北側に動植物園と遊園地があった。

園内西側には戦前から続く動植物園があり、の飼育舎[1]やサル山、アシカの泳ぐプール、キリンの飼育舎などの動物園施設と、熱帯の植物とともに動物を飼育展示していた立体動物園があった。

園内中央部から東側にかけては、ジェットコースターメリーゴーランド観覧車などの遊戯施設[2]や、昆虫の標本を展示していた「宝塚昆虫館」や創業者小林一三の生家、世界各国の民族衣装を着た人形を展示していた「宝塚大人形館」[3]、阪急電鉄の実物車両鉄道模型などを展示する「電車館」、日本庭園などが設置されていたエリアがあった。

園内を一周するモノレールや、東西を往復するロープウェーなどもあった。

歴史[編集]

宝塚ファミリーランドの前身である「宝塚新温泉」は、箕面有馬電気軌道の終点となった宝塚への旅客誘致を目的として、1911年明治44年)5月1日に開業した。宝塚には、武庫川右岸に宝塚温泉があり賑わっていたが、左岸に新たに温泉施設を設置した。さらに翌年、宝塚新温泉の隣に食堂や演舞場、国内初の室内プール(暖房設備は無く男女共泳も禁止だったという[4])などのレジャー施設を設置して、「宝塚新温泉パラダイス」となった。

1913年大正2年)には、不人気の為に閉鎖された室内プールを改装した劇場(脱衣場が舞台でプールが客席[4])でのアトラクションの為、「宝塚唱歌隊」を結成、やがて「宝塚少女歌劇養成会」と改称し、のちの宝塚歌劇団として発展する。

1924年(大正13年)、前年に焼失した劇場の再建にあわせ、4,000人収容の宝塚大劇場と、遊戯施設を設置した遊園地「ルナパーク」が完成、さらに1928年昭和3年)には「大植物園」が完成、さらに図書館や屋外プールなどが完成し、温泉・歌劇・動植物園に遊戯施設が揃った。

太平洋戦争中は、歌劇の公演休止や温泉施設が軍に徴用されるなどして施設は閉鎖を余儀なくされた。飼育動物の一部は、空襲下での脱走予防のため、1944年(昭和19年)3月5日殺処分された(戦時猛獣処分)。敗戦後のGHQによる施設接収を経て、1946年(昭和21年)には大劇場が再開されて宝塚歌劇が公演を再開、また園内の遊戯施設も順次整備され、ジェットコースターやロープウェーの設置、「宝塚交通館」(のちの電車館)も設置された。

1960年(昭和35年)、宝塚新温泉の開園50周年を記念して、動植物園や遊戯施設を含めた名称を一般から公募し、その結果「宝塚ファミリーランド」が選ばれ、以後はこの名称で呼ばれる様になった。同年には、武庫川左岸の温泉設備を拡張・整備して、「宝塚ヘルスセンター」(のち「宝塚大温泉」に改称)も開業、折からのレジャーブームとともに入園者数は増加し、関西地区屈指のレジャーゾーンとして活況を呈する様になった。

1967年(昭和42年)には、園内東側の敷地に「宝塚大人形館 世界はひとつ」が開館、さらに二重大観覧車の設置や急流すべり、お化け屋敷や屋外プールの設置も行われ、施設は充実した。

1980年(昭和55年)には、隣接する「宝塚映画」(後の宝塚映像)の敷地を利用して、完全屋内設置のジェットコースターである「スペースコースター」の設置や、「大人形館」の改築が実施された。さらに急流すべりが移築され[5]、跡地には、屋外プール(冬にはアイススケート場としても使用された)が拡張された。

一方動物園では、新たにホワイトタイガー[6]が飼育され、繁殖にも成功し、宝塚ファミリーランドのシンボルとして人気を博した。

1980年代末には、「宝塚大温泉」は役割を終えて閉鎖され、跡地は宝塚大劇場の改築に備えて駐車場などに転用された。また宝塚映画のスタジオを改装したイベントホールが設置され、様々なイベントや展示会が開催された。

しかし、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンを始めとした大型アミューズメントパークの開園や、レジャーの多様化、少子化などの影響もあって、次第に入園者数は減少し始め、阪急電鉄では2003年(平成15年)4月7日[7]をもって宝塚ファミリーランドの閉園を決定した[8]。このニュースは大きく取り上げられ、閉園を惜しむ声が多数寄せられた事から、同年4月29日からガーデンゾーンを「宝塚ファンタジーガーデン」として期間延長して営業再開した。

そして、同年8月31日をもって完全に営業を終了し、宝塚新温泉から数えて90年以上の歴史に幕を閉じた。

跡地[編集]

閉園後の跡地は、整地の上でガーデン、住宅系、商業系、歌劇の4つのゾーンに分けて再開発されることとなり、このうち、ファミリーランド時代に遊戯施設などが設置されていた園内中央部のエリアが、ガーデンゾーンとして2003年(平成15年)9月26日イングリッシュガーデン風の有料公園「宝塚ガーデンフィールズ」として生まれ変わった。

園内西側のエリアは商業系ゾーンとして使用され、2005年(平成17年)4月にイタリアンレストラン「イゾラベッラ・オペレッタ・ア・タカラヅカ」が開業したほか、同年6月中旬から7月上旬には大型ベビー用品専門店「ベビーザらス」と、フィットネスクラブティップネス」が開業した。また、住宅展示場「宝塚ハウジングガーデン」としても利用されている。

園内東側のエリアは住宅系ゾーンとして利用される事となり、2005年(平成17年)秋にも住宅地の造成を着工の予定としていたが、後一部エリアを関西学院が学校用地として取得し、2008年(平成20年)4月に関西学院初等部が開校した。また住宅地には大型マンションが2棟建設された。

集客のメインである歌劇ゾーンは、大劇場・バウホールや駐車場を中心に再開発されるとしているが、現在のところは未定である。

数々の施設が開業したため、ファミリーランドがあった頃の面影は殆どなくなってしまったが、かつての遊戯施設として唯一メリーゴーランドが残されて営業していた。これも2011年(平成23年)3月に解体され、駐車場に整備された。

なお、前述の「宝塚ガーデンフィールズ」も、2013年(平成25年)12月24日をもって閉園されており、現存していない[9]。 今後の宝塚ファミリーランドの跡地は、

  • 宝塚市が購入し、活用策を検討した上で2019年(平成31/令和元年)に再オープンの計画
  • 旧宝塚歌劇記念館跡地は宝塚音楽学校や宝塚歌劇団の生徒寮「すみれ寮」を移転新築
  • その他の部分は阪急電鉄による再開発

などが予定されている。

入園料[編集]

入園料は、大温泉・動植物園・遊戯施設共通であり、一度入園料を支払って場内に入場すると、いずれの施設ともに利用出来た。

また園内では、遊戯施設を利用するための「のりもの券」が発売されており、予めそれを購入する事で、遊戯施設で現金を支払う手間を省いていた。

一方、歌劇を見る場合、初代大劇場(宝塚バウホールを含む)で公演されていた頃は歌劇のチケットにファミリーランド入園料は含まれていなかった為、現地で改めて入園券を購入しなければならなかったが、2代目大劇場の開業時にファミリーランド入園料を含むように変更された。

テーマソング[編集]

  • 「世界はひとつ」
  • 「宝塚ファミリーランドマーチ」
  • 「『大人形館 ファンタジーワールド』 テーマソング」
    • かつて、ファミリーランドの大人気アトラクション「宝塚大人形館 世界はひとつ」がリニューアルし、名前と楽曲を変えてオープンした。

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 元は50 m級の屋外プールがあった場所に設置されており、飼育舎の裏側には、観客スタンドの一部がそのまま残されていた。
  2. ^ “本格的な娯楽産業へ”. ゲームマシン. アミューズメント通信社 (212): p. 12. (1983年5月15日). 1983-05-15. https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19830515p.pdf 
  3. ^ サブタイトルは「世界はひとつ」で後年「ファンタジーワールド」に変更、館内には世界各国の衣装を着た可愛い人形達が多数並べられ、来館者はゴンドラ風の乗り物で館内を巡る。出口では人形が宝塚お馴染みのフィナーレのように大階段を模した雛壇に並び来館者を送ってくれるという華やかな展示だった。基本はディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」と同じアトラクション企画。1997年平成9年)3月14日、リニューアル工事完成。
  4. ^ a b スポーツ報知 2013年1月12日、22面「おゝ宝塚100周年」
  5. ^ 日本最大級の急流すべりが動物園内(ズーガーデン)を横切るコースで設けられ、本物の動物に遭遇できるようになっていた。
  6. ^ アメリカから有名マジシャンを招へいした長期イベントの折に、マジシャンが飼う白い仔トラが遊園地に友好の証しとして寄贈された。
  7. ^ 奇しくも『鉄腕アトム』の主人公アトムの原作設定での誕生日だった。原作者の手塚治虫も来園経験があり、宝塚市立手塚治虫記念館はここの隣接地にある。
  8. ^ 隣接する西宮市にある阪神系の甲子園阪神パークも直前の同年3月30日を以て閉園した。
  9. ^ 【重要なお知らせ】宝塚ガーデンフィールズの営業終了について”. 株式会社阪急アミューズメントサービス. 2013年11月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年6月15日閲覧。
  10. ^ 観覧車がない都道府県、日本に4か所あった 「マツコの知らない世界」調査結果が面白い”. Jタウンネット. 株式会社ジェイ・キャスト (2019年1月17日). 2019年2月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2021年1月25日閲覧。
  11. ^ 16年前に閉園遊園地の観覧車、今どこに? 二つに分割されて第二の“人生””. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞社 (2019年2月23日). 2021年1月25日閲覧。
  12. ^ 「鉄道記録帳2003年9月」『RAIL FAN』第50巻第12号、鉄道友の会、2003年12月1日、 22頁。

外部リンク[編集]