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花のみち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
花のみち
Hanano-michi Avenue
(宝塚市道武庫川通り線)
春の「花のみち」
旧名宝塚新温泉道
花乃みち
管理者宝塚市
全長0.42 km (0.26 mi)
約3m
所在地兵庫県宝塚市
兵庫県道16号明石神戸宝塚線
西宝塚市道栄町線
その他
著名な点宝塚市のシンボルゾーン

花のみち(はなのみち)は、兵庫県宝塚市阪急宝塚駅から宝塚大劇場を結ぶ延長約420メートル、幅員約3メートル[1]段葛型道路[要検証]。 道路としての正式名称は「都市計画道路宝塚駅歌劇場線【宝塚市道武庫川通り線】」[2]

概要

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をはじめ四季の花々や植物が植えられている。周囲より一段高くなった部分が歩道になっており、両脇をアスファルト舗装された市道が挟んでいる。命名者は阪急電鉄社長で宝塚歌劇団の創始者でもあった小林一三で、宝塚大劇場へ続く花道の意味が込められたとする説がある[3]。昭和40年代までは「花乃みち」と書かれることが多かった[4]が、昭和60年代頃には「花のみち」表記が定着[5]した。

歴史

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前史

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1924年(大正13年)武庫川左岸の堤外地を整地して宝塚ルナパーク(当時)と宝塚大劇場が建設された。造成前の一帯は砂漠のように広い河原であったが、旧堤防の痕跡として松の木が立ち並ぶ一段高い地形が残された[6]。この堤防を自然堤防とする言説があるが江戸後期の「武庫川堤普請願絵図」に記載[7]されていることから、洪水を防ぐためある程度は人手によって整備されたようである。また、江戸時代に堤防を頑丈にするため松の木が植えられた経緯があり[8]、古くは「宝塚新温泉道」と呼ばれていた[9]

花のみちは阪急宝塚駅前のソリオホール付近を起点として阪急今津線のガードの手前で終わるが、1936年(昭和11年)12月8日に発行された毎日新聞の記事では「歓楽地帯の中央を貫く遊歩道、800メートルの桜並木」[注 1]と紹介されており、現・手塚治虫記念館前を通って川沿いに南東の方向にまで延びていた[10]2025年(令和7年)現在でも市道武庫川通り線は武庫川と荒神川の合流点近くまで、花のみち同様の一段小高い歩道が続いている。

小林一三による整備

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宝塚の行楽地のメインストリートとして次第に美しく整備され「花乃みち」と命名された[11]。命名に際して小林一三は斜面にサクラヤマブキマツカシアオキなど大小28種、2000本の木を植えている[3]。命名時期は定かではないが、宝塚市が2005年(平成17年)に発行した『宝塚市大事典』では、「花乃みち」と刻まれた常夜灯[注 2]が設置された1937年(昭和12年)[12]頃と推測している[10]

宝塚が温泉遊園地で賑わっていた頃には、沿道に土産物屋が立ち並び、花のみちを通って宝塚駅から学校や歌劇場に向かう宝塚音楽学校の生徒の姿が宝塚独特の風物として行楽客に親しまれた[13]

非常用堤防として

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かつて、この小高い通りには武庫川が増水した際に市街地を守る非常用の堤防としての役割があった。大劇場が宝塚海軍航空隊に接収されていた戦時中、車の出入りのため大劇場前に切り欠きが設けられた[14]が、昭和40年代の時点でも、旧堤防を切り欠いた横断路に板をはめこんで締め切ることができたという。両脇の舗装道路は後に整備されたものだが、この機能が自動車交通の増えた高度成長期にも旧堤防跡が撤去されなかった理由の一つでもあった[15]

宝塚市による整備

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宝塚市は1957年(昭和32年)10月、朝倉文夫の作[16]による小林一三像を設置[15][17]し、続いて1984年(昭和59年)から翌年にかけて市制30周年記念事業として七色のインターロッキングブロックで歩道の舗装を行った。この時、ベンチや街灯、案内板、市花のスミレを描いた化粧板を設置するなど整備を行った[18]。1987年度(昭和62年度)には建設省(当時)の手づくり郷土賞(ふれあいの並木道部門)を受賞している[1]

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では宝塚も大きな被害を受け、花のみち周辺地区の65%の建物が全壊・半壊した。2000年(平成12年)9月にようやく復興再開発ビル「花のみち1番館・2番館」が竣工し、道路と並行したショッピングゾーンが「花のみちセルカ」と名付けられた[19]

2021年(令和3年)より約1年間、宝塚市政70周年を記念して約60本のサクラのうち14本の植え替えを行うなどリニューアルが実施された[20]

ギャラリー

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エピソード

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大劇場の大階段を模した階段

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宝塚大劇場と北駐車場を結ぶ通路の下に、大劇場のフィナーレに使われる大階段と同じ踏幅の小さな階段が設置されている。26段ある実物に対してわずか3段分だが、幅は成人女性の靴のサイズより狭い23cm。とくに案内板などは設置されていないが、歌劇ファンには有名だという[21]

宝塚記念「花のみちステークス」

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花のみちにちなんで2014年(平成26年)から阪神競馬場宝塚記念当日に行われる中央競馬の特別競走「花のみちステークス」(2014年は「花のみち特別」)のモチーフになっている。このとき演奏されるファンファーレは通常の特別競走用のものではなく、『すみれの花咲く頃』をアレンジした独自のものが使用された(2016年以降は通常の特別競走のファンファーレが使用されている)[22]

土地所有にまつわる昭和初期のトラブル

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阪急が宝塚の武庫川左岸をレジャーセンターとして開発した大正時代、花のみちに相当する旧堤防は国有地だったが[23]、隣接する道路は個人所有の土地だった[24]。阪急はこの道路を所有者に無許可で通路として使用し、上下水道の鉄管まで埋設していた。地主は阪急との交渉に痺れを切らし、1922年(大正11年)6月に大阪控訴院にて所有地確認の提起を実施。正式に所有権が認められた[23]。旧所有者はこの土地を抵当に入れて融資を受け、銀行から土地を購入した新地主が阪急に対して強硬策を取るに至った[23]

1928年(昭和3年)1月10日、地主は宝塚パラダイスの西入口から東の宝塚グラウンドまでの約1キロメートル(原文では10)に渡って所有を示す棒杭を打ったのち、鉄条網で封鎖して通行を禁じ[25]、道路を掘り返している[24]。この封鎖によって大劇場とルナパークの間が分断され、阪急の関係者や行楽客だけでなく小浜村、安倉村の住民も武庫川対岸の良元村へ渡れなくなっていた。阪急は1月21日に神戸地方裁判所仮処分を申請、金6,000円を供託して鉄条網の撤去を行った[26]

周囲の名所

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脚注

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注釈

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  1. この記事では「花乃みち」の名称は使われていない。
  2. この常夜灯は再開発ビル「ソリオ1」を出たところに立っている。高さ4メートル、コンクリート造。

出典

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参考文献

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宝塚市
たからづかデジタルミュージアム
私有地問題

外部リンク

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