青芝金太・紋太

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青芝金太・紋太(あおしばきんた・もんた)は、昭和後期に活躍した日本の漫才師和光プロダクションに所属していた。

メンバー[編集]

  • 青芝 金太(あおしば きんた、1957年3月8日 - )本名:木下賀津文。長野県出身。漫才ではツッコミ。
    • 松竹芸能タレント養成所の出身。その後1977年に青芝フックに入門。
    • 最初は兄と「青芝金之助・銀之助」の金之助の名で活動していたが1年足らずで解散した。
  • 青芝 紋太(あおしば もんた、1956年7月17日 - )本名:渡辺信夫。大阪府出身。漫才ではボケ。
    • 1976年にモノマネ芸人の田渕岩夫に入門。その後、青芝フック門下に移籍。
    • 北島三郎五木ひろしのモノマネを得意とした。
    • 痛快!明石家電視台 」の「松竹芸能芸人大集合」の際、松竹の若手芸人が青芝モンタの話をした際、明石家さんまが「紋太くんやろ?昔、よぅ仕事してん。面白いよ、紋太くん」と懐かしんだ。
    • 2010年に「3気音頭~元気・陽気・勇気~」「だからの歌」をリリースしている。

来歴[編集]

1978年にコンビ結成。同年1月に大阪府大阪市にある新花月で初舞台。テンポのよい「ヒガミ漫才」が売りだった。師匠は青芝フック。芸名は、顔が「金太郎」に似ていることから「金太」。顔が「猿」に似ていることから「モンキー」で「金太・紋太」になった。

お笑いスター誕生!!』でグランプリを受賞するなどの活躍を見せた。しかし松竹芸能からの移籍話を断ったため、関西での出演舞台が減少。東京で活動を続けたが、金太の引退によって1983年に解散した。ファンへの解散報告は、ラジオ関西の深夜番組『真夜中ギンギラ大放送』最終回にて。エンディングの「さよ~ならぁ~」と言った後、紋太が「金太・紋太も解散しまーす」と語るのみだった。

解散後、金太は大阪でスナックバーを経営。紋太は「青芝モンタ」の名でピン活動。一時期ミヤ蝶子松本竜助とコンビを組んだこともあった。また、ドラマ「怪人二十面相と少年探偵団」では、中華料理屋の店員「守」役として出演。俳優としても活動している。1994年9月にマジックゼンジー・一億と「モンタ&一億」を結成。2005年10月にコンビ解散。再びピンとなる。長らく所属した和光プロから離れ、現在、モンタは「アチーブ・プロジェクト」所属。現在は関西演芸協会に所属してピン活動を行うとともに、師匠の青芝フックと「青芝フック・モンタ」を結成し、関西演芸協会まつりや法善寺寄席等に出演している。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ[編集]

受賞歴[編集]

参考文献[編集]

  • 「現代上方演芸人名鑑」(少年社、1980年