太平洋ひとりぼっち
『太平洋ひとりぼっち』(たいへいようひとりぼっち)は、海洋冒険家の堀江謙一が1962年(昭和37年)に出版した手記および、それを原作とする1963年(昭和38年)公開の日本映画。
書籍
[編集]1962年、堀江謙一は約3か月かけて小型ヨット「MERMAID(マーメイド)」で太平洋単独無寄港横断に成功した。本作はこの航海中の出来事などをまとめた手記である[1]。1962年に文藝春秋新社(現・文藝春秋)から「ポケット文春」の1作として出版されベストセラーとなった。その他の再刊・新版等は以下。
- あかね書房 1965年(少年少女20世紀の記録 24)
- 角川文庫 1973年
- ちくま少年文庫 1977年
- ぐるーぷ・ぱあめ 1989年(地球時代選書 1)
- 福武文庫 1994年
- 舵社 2004年 ISBN 978-4807211210
- オムニバス収録
外部リンク(書籍)
[編集]- 太平洋ひとりぼっち 舵社
映画
[編集]| 太平洋ひとりぼっち | |
|---|---|
| 監督 | 市川崑 |
| 脚本 | 和田夏十 |
| 原作 | 堀江謙一 |
| 出演者 | |
| 音楽 | |
| 撮影 | 山崎善弘 |
| 編集 | 辻井正則 |
| 製作会社 | |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 |
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| 製作国 |
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| 言語 | 日本語 |
映画版『太平洋ひとりぼっち』(たいへいようひとりぼっち)は、1963年10月27日に公開された日本映画[1][5]。カラー、日活スコープ[5]。製作は石原プロモーション、配給は日活[1][5]。監督は市川崑、主演は石原裕次郎[注 1]。上映時間は97分[1]。映倫番号:13272
石原プロモーションによる映画製作第1回作品。
原作出版の翌年に製作・公開された。石原扮する「堀江をモデルとした青年」が兵庫県西宮を出港しサンフランシスコに向かう航海の中で、出発までの出来事を回想しつつ、孤独との戦いや、飲料水の枯渇・台風・無風による立ち往生などのアクシデントを乗り越えて、無事サンフランシスコに到着するまでが描かれる。米国版のタイトルはMy Enemy, the Sea[6] または Alone on the Pacific[4][注 2]。
キャスト
[編集]順は本作冒頭のタイトルバックに、役名の一部は日活公式サイト[2]に基づく。
スタッフ
[編集]順(監督を除く)および職掌は本作冒頭のタイトルバックに基づく。クレジットのない主要スタッフは別資料で補う。
- 監督:市川崑
- 企画:中井景
- 原作:堀江謙一(文藝春秋社版)
- 脚本:和田夏十
- 撮影:山崎善弘
- 照明:藤林甲
- 録音:橋本文雄
- 美術:松山崇
- 編集:辻井正則
- 助監督:鍛冶昇
- 色彩計測:畠中照夫
- 特殊技術:川上景司(円谷特技プロ)、金田啓治(日活特殊技術部)
- 現像:東洋現像所
- 製作担当者:牛山正夫
- 協賛:敷島紡績株式会社、早川電機株式会社、森永乳業株式会社、朝日ビール株式会社、パン・アメリカン航空会社
- 撮影協力:サンフランシスコ市、アメリカ合衆国沿岸警備隊、ユナイテッド・ステイツ・ラインズ
- 音楽:芥川也寸志、武満徹
- 方言指導:峰三平
- セーリング協力:石川昇(NORC会員)
- 記録:大和屋叡子(クレジットなし)[2]
- スチール:井本俊康(クレジットなし)[2]
製作
[編集]市川崑は、本作の企画者でもある主演の石原裕次郎から監督を打診され、引き受けた[8][9]。
ロケーション撮影は、静岡県の下田、アメリカ合衆国のハワイおよびサンフランシスコ[2]で行われた。撮影スケジュールを短縮するため、撮影用の小型ヨットを2艘造り、1艘を先にサンフランシスコへ船便で送って、日本国内での撮影パート終了後にスタッフが航空機で渡米して米国ロケをするという進行態勢が組まれた[9]。サンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジでの俯瞰撮影は、事前に許可を取ったカメラマンが橋桁の頂上に登って撮影している[9]。
史実同様に撮影用の小型ヨットにエンジンを取り付けずに撮影した。このために風に負けてズレ動くといった撮影トラブルが絶えず、無風状態を撮影するためにスタッフ5、6人で重石のついたロープを舳先に取り付けるなどの対応を取った。上述のゴールデンゲートブリッジでのロケでは、偶然風が吹いたため、市川は望むとおりの撮影が出来たと回想している[9]。
マーメイド号が暴風に遭遇するシーンなどの特殊撮影は、当時設立間もない円谷特技プロダクションが担当した[8]。本作は同社が初めて本格的に特撮を手掛けた作品である[10][11][8][7]。同プロダクション社長の円谷英二は、本作品のためかつての弟子であった川上景司や高野宏一を他社から呼び寄せた[8][7]。
本作は、国内上映版と、ニューヨーク映画祭用に再編集された海外版の2種類が存在し、いずれも市川自身が手を加えて編集している。ただ、海外版のオープニングタイトルについては関与していない。上映時間は海外版の方が長い。海外版を製作する際、国内版のネガを使って再編集をした結果、国内版のネガが存在しない。公開終了後は海外版が広く出回っていたが、1992年にマスターポジを日活が保管していたことが判明し、発掘された国内版としてLDで復元された[12]。
興行
[編集]封切り時の同時上映作品は以下のとおり。
評価
[編集]市川自身は上記の撮影トラブルなどを受け、本作を「失敗作」と評している。「脚本や原作のテーマを充分に生かせなかった」「自然に負けっぱなしに負けてしまった」と述懐している[9]。
1964年、第17回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され[13]、前年度の第21回ゴールデングローブ賞では外国映画賞にノミネートされた[14]。
受賞
[編集]石原裕次郎主演作品では初のキネマ旬報ベストテン入賞作となり、単独主演ではその後も含めて唯一となった。
- 昭和38年度(第18回)文化庁芸術祭映画部門・芸術祭賞受賞
- 第37回キネマ旬報ベスト・テン 第4位
- 第14回ブルーリボン賞 企画賞、ベストテン入選
- NHK映画賞助演男優賞、ベストテン第2位
- シナリオ賞
- 日本映画記者会賞 ベストファイブ第5位
外部リンク(映画)
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4
- 日本特撮・幻想映画全集 1997, p. 211, 「その他の特撮・幻想映画」
- 日本特撮・幻想映画全集 2005, p. 219, 「その他の特撮・幻想映画」
- 1 2 3 4 5 6 “太平洋ひとりぼっち”. NIKKATSU. 2021年6月20日閲覧。
- 1 2 3 4 “Alone on the Pacific (1963)”. IMDb(Company Credits). Amazon.com. 2021年6月19日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 “Alone on the Pacific (1963)”. IMDb(Release Info). Amazon.com. 2021年6月19日閲覧。
- 1 2 3 講談社 編「1950's-1960's 日本空想、特撮映画総覧 日活」『特撮全史 1950-60年代ヒーロー大全』講談社〈キャラクター大全〉、2017年11月29日、142頁。ISBN 978-4-06-220358-6。
- ↑ 太平洋ひとりぼっち - KINENOTE
- 1 2 3 電撃ホビーマガジン編集部 編「プロジェクト東宝チャンピオンまつり 祭り囃子は遠くに」『ゴジラ 東宝チャンピオンまつり パーフェクション』KADOKAWA(アスキー・メディアワークス)〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2014年11月29日、123頁。ISBN 978-4-04-866999-3。
- 1 2 3 4 大特撮 1985, pp. 253–254, 「第十三章 激動編 I 本格的テレビ時代の発芽」
- 1 2 3 4 5 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P217~221
- ↑ 「円谷特技プロの創立」『不滅のヒーローウルトラマン白書』(初版)朝日ソノラマ〈ファンタスティック・コレクション・スペシャル〉、1982年12月31日、11頁。雑誌コード:67897-80。
- ↑ 『全怪獣怪人』 上巻、勁文社、1990年3月24日、71頁。ISBN 4-7669-0962-3。C0676。
- ↑ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P222、485、507
- ↑ “Alone on the Pacific (1963)”. IMDb(Awards). Amazon.com. 2023年3月17日閲覧。
- ↑ “Golden Globes, USA - 1964 Awards(1964年開催 / 第21回 / 1963年度)”. IMDb. 2021年6月19日閲覧。
参考文献
[編集]- コロッサス 編『大特撮 日本特撮映画史』監修 本多猪四郎(改訂初版)、朝日ソノラマ、1985年1月31日(原著1979年1月31日)。ISBN 4-257-03188-3。
- 『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年6月5日。ISBN 4-7669-2706-0。
- 『日本特撮・幻想映画全集』朝日ソノラマ、2005年12月30日。ISBN 4-257-03720-2。