かっぽれ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
幕末~明治期のかっぽれ(江戸住吉踊り)

かっぽれ俗謡俗曲にあわせておどる滑稽な踊り。漢字表記は「活惚れ」。

江戸時代住吉大社住吉踊りから変じたものであるとされ(諸説ある)、長柄の二蓋笠(にがいがさ)を中央に立て、白木綿の衣に丸ぐけの帯、墨染めの腰衣という姿の複数人が、二蓋笠を取り巻いて踊り、その間に掛け合い噺めいたことを行った。

のちに坊主頭姿で、染め浴衣に平ぐけ帯という姿になった。明治時代になって願人坊主豊年斎梅坊主がその代表格となる。寄席に登場して人気が高まり、芸妓がお座敷で盛んに余興として歌い踊り、政治家や実業家など上流階級にも知られるようになった。「男芸者」幇間も演じた。歌舞伎では九世市川団十郎が踊った(「春霞空住吉」)。

カッポレという踊りは、もともと卑しき手振にて他の振事と違い、三味線の間に合わせて規則正しき物ならねば、檜(ひのき)舞台で、かの岸沢(きしざわ)の家元などが一番腕を振って踊りよいように弾こうという念があって弾かれた日には、役者は難渋にて踊るのに骨が折れてならぬがこれは何故(なぜ)というに、正しき規則に合わして三味線を弾けばなり。踊りは法外(はずれ)なるを規則に束縛すれば自然踊りにくい訳なり。(9世市川團十郎)

歌舞伎新報、1886年7月4日 [1]

日本でのレコードの創成期には芸妓、幇間、梅坊主、軍楽隊により盛んに吹込みがされたが、のち寄席芸としては廃れ、落語家が時折余興として披露するのみになる。昭和中期にカルチャーセンターで講座を開講すると、主婦層にヒットし、現在の家元制度的な形になる。落語では古今亭志ん朝が寄席の舞台で江戸住吉踊り(かっぽれ)を踊るなど、余興として定着している。

なお、住吉踊り#大道芸の住吉踊りも参照のこと。

エピソード[編集]

永六輔は、芸人・芸能の逸話を蒐集した著作「芸人その世界」で、かっぽれについて以下のような逸話を記している。

  • 九代目團十郎が豊年斎梅坊主を訪ねてかっぽれ踊りの指導を乞うた際、梅坊主は「(元が大道芸だから)座敷で踊るものではございません、庭に出ましょう」と応じ、屋外で踊りを教えたという。
  • 1912年の明治天皇崩御に際し、フランスは日本国歌を演奏して弔意を表したが、何の手違いか演奏されたのは「君が代」でなく「かっぽれ」だった。

脚注[編集]

  1. ^ 『芸能名言辞典』p.39

関連項目[編集]

外部リンク[編集]