獅子舞

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獅子舞
街道を行く獅子舞
歌川国貞画。江戸時代

獅子舞(ししまい)とは、伝統芸能の一つで、祭囃子にあわせて獅子が舞い踊るものである。 16世紀初頭、伊勢の国(三重県)で飢饉や疫病除けに獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞ったのが発祥と言われている。その後、17世紀に伊勢より江戸へ上り、悪魔を払い、世を祝う縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭り事で獅子舞が行われるようになった。 獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代の初期に伊勢大神楽伊勢派・熱田派が獅子舞を舞いながら、全国を業脚し悪魔払いをしたのがきっかけであると言われている。

また本項では、中国の獅子舞(舞獅)、いわゆるライオンダンスについてもあわせて解説する。

起源[編集]

多くは大陸からもたらされたとされているが、起源は中国説やインド説など各説あり定かではない。

日本の獅子舞[編集]

日本の獅子舞は、全土で行われておりバリエーションは多岐にわたる。日本で最も数が多い民俗芸能といわれている[1]。日本の獅子舞は、2人以上の演者で1匹の獅子を演じる「二人立の獅子舞」と、1人で1匹の獅子を演じる「一人立の獅子舞」に分類される[1]。「二人立」は古代に成立した外来の舞楽伎楽(ぎがく)系統や散楽から派生し曲芸や軽業と融合し御師と結びついた、伊勢大神楽に代表される大神楽系統が存在する。「一人立」は中世末から近世初期にかけて成立した風流(ふりゅう)系統といった芸能史的に異なる系統に分かれる[1]

獅子の頭部(獅子頭=ししがしら)は製が多いが、和紙による張子のものや最近では発泡スチロールによるものもある。獅子頭職人の早川高師によると、江戸時代中期までの獅子頭は武家の災い除けの置物で、幕末以降、庶民の祭に獅子舞が広まったという。幅一程度の標準的な獅子頭を丸彫りでつくると重い(約10kg)ため、薄い部材を組み合わせる寄せ木づくりが編み出された。1.5kg程度に軽量化でき、修理もしやすい[2]

舞方は諸流派があり風流系(ふりゅうけい)、神楽系(かぐらけい)などが知られるが、他にも多くの舞があり同じ物は二つとないとも言える。

伎楽系の獅子舞[編集]

伎楽系(神楽系)の獅子舞は西日本を中心として全国的に分布し、胴体部分に入る人数で大獅子、中獅子、小獅子と区分される。大獅子では獅子を操作する人以外に囃子方も胴体に入って演奏する。小獅子では、獅子頭を操作する1人だけが胴体も兼ねる。正月に見る獅子舞や神楽での獅子舞をはじめ、一般に獅子舞というとこの系統の獅子舞を指すことが多い。起源は大陸から伝来したものと考えられ、現在の中国獅子舞とも繋がるものと考えられる。

太神楽系の獅子舞[編集]

伊勢大神楽に代表される太神楽の系統である。民俗芸能として各地に伝播した他の系統と異なり、専従の芸能者並びに宗教者の系統である。ルーツに散楽の流れを汲んでおり、演目には獅子舞の他にも放下芸(曲芸)や萬歳(漫才)、軽業が取り入れられている。古来の太神楽には伊勢派・熱田派の系統が存在し、それぞれが社中を組み神宮信仰の布教のため神札を持ち全国各地を回ったが、現在は大半が江戸太神楽・水戸大神楽となり寄席の舞台芸とし形を変え現在に至っている。現在も神札を配り神楽をあげるなど、普遍的な形で存続しているのは伊勢派である三重県桑名市「伊勢大神楽講社」のみとなっている。

伊勢大神楽の獅子舞

沖縄の獅子舞[編集]

沖縄の獅子舞は沖縄県に主に分布している。中国風であり、2人が1匹を担当する伎楽系である。

風流系の獅子舞[編集]

風流系の獅子舞は関東東北地方に主に分布している。1人が1匹を担当し、それぞれがにくくりつけられた太鼓を打ちながら舞う。東北の一部には7~8頭で1組の鹿踊もあるが、もっとも多いのは3匹1組の三匹獅子舞であり、東京埼玉などのかつて武蔵国と呼ばれた地域の農山村では一般的な郷土芸能民俗芸能となっている。3匹のうちの1匹は女獅子(雌獅子)と呼ばれ、雄獅子が雌獅子を奪い合う女獅子隠しという演目を持つところが多い。伴奏は、篠笛と竹でできたささらという楽器である。「ささら」をする人は舞庭の四方に配置され、この楽器を奏する。「ささら」を欠く三匹獅子舞もある。起源は西日本の太鼓踊りあるいは陣役踊りといわれ、中心にいる数人が頭上のかぶり物を獅子頭に変えたものが始まりだろうという説が優勢であるが、東国の風流系の獅子舞はもっと古くからある日本古来の獅子舞であり、獅子頭(ししがしら)も本来は鹿を模したものであったという説も根強い。獅子頭は通常木製(製)であり、獅子以外に頭のものや鹿頭のものもある。

言い伝え[編集]

風流系獅子舞の源流とされる甘楽町秋畑の伝承では、「獅子はインドで人を食べて生きていたが、インドに人間が少なくなってきたので大和の国に行こうとしたところ、それを察知した日本の神が天竺の権田河原に遣わし、獅子に『大和では人を食べる代わりに悪魔を退治すれば食べ物を与えられ、悪魔祓いの神としてあがめられるだろう』と諭し、狐が先導役になって日本にやってきた」とされる[3]。演じられる際に、狐役が獅子舞を先導することから、この系統の獅子舞は稲荷流と呼ばれるようになった[4]

中国の獅子舞[編集]

春節フェスティバル出演風景(ボストン市の中華街にて)

中国において獅子舞のことを「舞獅繁体字: 舞獅簡体字: 舞狮拼音: wǔshī)」と呼ぶ。また、英語圏にチャイナタウンが多いこともあり、「ライオン・ダンスlion dance)」と呼ぶ際は、多くの場合こうした中国式のものを指している。

漢書』に

象人 若今戲魚蝦師子者也(象人は、今の魚蝦・獅子を戯するがごとき者也) — 礼楽志 巻22

とあり、これが最古の記録ではないかともいう[5]

現在演じられる形はの時代に確立された形で、北方の北獅と南方の南獅の系統(洪家拳の武術家で伝承され、五形拳から成り立つ)があり、競技もある。獅子頭と前足に1人、後ろ足と背中に1人の2人と楽団で構成されている。旧正月商店の開店祝いなどの祝いで「招福駆邪」として演じられる。

中国式の獅子舞は日本においては中華街や中国・台湾と関係の深い自治体・施設に獅子舞団が設置され(例 横浜[5])ありイベントごとに演じられる。ジャッキー・チェンの映画ヤングマスター 師弟出馬では南方のものが描写されている。 南方獅には、東南アジアでも華僑らによって行われていた勇猛で力強い仏山スタイル(仏山獅または瑞獅、劉備獅)と軽快で聡明な鶴山スタイル(鶴山獅または醒獅、関羽獅)がある。他に猛獅(張飛獅)がある。

日本の中国獅子舞団[編集]

  • 大阪龍師団(大阪府)-中国文化春暁クラブOB会

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 笹原亮二「三匹獅子舞の分布」、『国立民族学博物館研究報告』第26巻第2号、国立民族学博物館(みんぱくリポジトリ)、 NAID 1100044131962014年12月16日閲覧。
  2. ^ 早川高師「舞い踊れ 軽量なる獅子頭◇祖父から3代目 寄せ木づくりの手法を後世に◇」、『日本経済新聞』2016年12月31日文化欄
  3. ^ 那須の獅子舞のいい伝え”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2014年12月16日閲覧。
  4. ^ 町の話題「鎌田の獅子舞」 (PDF) 」 、『しもにた議会だより』、下仁田町、2010年秋号、 8頁、2014年12月16日閲覧。
  5. ^ a b 張玉玲「在日華僑の「中国文化」観と華僑文化の創出:横浜華僑による獅子舞の伝承形態から The Creation of Overseas Chinese Culture in Yokohama:The Changing View of Chinese Culture Through the Succession of Lion Dance (PDF) 」 、『国際開発研究フォーラム』第23巻、名古屋大学2003年3月、 223-242頁、 NAID 1100005554942009年9月30日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]