日本の伝統芸能

日本の伝統芸能(にほんのでんとうげいのう)は、日本において歴史的に形成・伝承されてきた芸能を指して用いられる総称である。「芸能」は、音楽、舞踊、演劇、演芸など、人間の身体による実演を通じて表現・伝承される技芸を広く指してきたが、「伝統芸能」の範囲は、芸能研究、文化政策、法令などによって必ずしも一致しない[1][2][3]。現行の文化芸術基本法では、雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、組踊などを「我が国古来の伝統的な芸能」としている[4]。
日本列島では古くから祭祀や儀礼に伴う歌や舞が行われ、大陸や朝鮮半島などから伝来した音楽・舞踊も受容された。古代には宮廷や寺院を基盤として雅楽や声明が発達し、中世には猿楽・田楽などを背景として能・狂言が形成された。近世には、武家の儀礼芸能である能楽と並んで、都市の興行を基盤とする歌舞伎・人形浄瑠璃、三味線音楽、寄席芸などが発達し、琉球王国では琉球古典音楽・琉球舞踊・組踊などが形成された。各地域では、祭礼、年中行事、信仰、生業などと結び付いた民俗芸能も伝承されてきた。
本項では、雅楽、声明、能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃・文楽、日本舞踊、伝統音楽、琉球の芸能、アイヌの歌・踊り、民俗芸能、大衆芸能・寄席芸などを扱う。文化芸術基本法では講談、落語、浪曲、漫談、漫才などは「伝統芸能」と別の「芸能」に位置付けられる一方、日本芸術文化振興会は大衆芸能を伝統芸能の公開事業の対象に含めている[4][5]。
個々の芸能は、それぞれの稽古・伝承組織や記録方法を通じて継承されてきた。第二次世界大戦後には文化財保護法による無形文化財・民俗文化財の保護制度や、国立劇場などによる公開・伝承者養成・調査記録の制度が整備された[6][7][5]。能楽、文楽、歌舞伎、雅楽、組踊、アイヌ古式舞踊をはじめ、日本の芸能の一部はユネスコ無形文化遺産の代表一覧表にも記載されている[8]。
概念と範囲
[編集]芸能
[編集]「芸能」は、現代では主として、人間の身体による実演を通じて表現・伝承される音楽、舞踊、演劇、演芸などを指す。実演は特定の時間と場所において成立するが、近代以降は録音・録画・放送などの媒体を通じて提示されるものについても「芸能」の語が用いられるようになった[1]。
「芸能」はもともと「芸」と「能」からなる語で、中国古代では学問や技術、才芸、能力などに関わる意味で用いられた。日本では『大宝律令』の医疾令にみえる用例が早く、古代・中世には学問、武術、美術、歌舞音曲、遊戯、手工業などを含め、修練によって身につけた「わざ」や能力を広く指した[1]。
平安時代には歌舞音曲を指す用例も現れ、室町時代以降その傾向が強まった。江戸時代には詩歌、連句、茶の湯、花、蹴鞠などを含む遊芸的な技芸にも用いられた。明治時代以降、「芸術」が英語の art やドイツ語の Kunst の訳語として定着すると、創作性を重視する「芸術」に対して、伝承性をもつ技芸を「芸能」と呼び分ける傾向が生じたとされる[1]。
日本の芸能研究でも、芸能は演劇だけを指す概念ではなく、音楽、舞踊、語りなどを含む実演行為に関わる概念として論じられてきた。相原進は林屋辰三郎・守屋毅らの芸能論を整理し、「芸」を修練によって身につけた「わざ」、「能」を個人に備わる能力として捉え、芸能においてはその能力が実演として現れることが重視されてきたと論じている[9]。芸能研究では、芸能そのものだけでなく、それを担う人間と歴史的・社会的環境との関係を捉える方法も重視されてきた[10]。
「伝統芸能」の範囲
[編集]「伝統芸能」の語が指す範囲は、研究、文化政策、法令などによって必ずしも一致しない。音楽学者の寺内直子は、日本の伝統芸能に対する文化政策を検討する際、研究上の操作的な定義として、明治以前までに様式が完成した芸能を対象としている[3]。
文化芸術基本法第10条は、雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、組踊その他の「我が国古来の伝統的な芸能」について、その継承・発展のために必要な施策を講ずることを定める[4]。同法では、講談、落語、浪曲、漫談、漫才、歌唱などは第11条の「芸能(伝統芸能を除く。)」として別に規定されている。一方、日本芸術文化振興会の事業では、邦楽、日本舞踊、声明、民俗芸能、大衆芸能なども伝統芸能の公開・伝承者養成等の対象として扱われている[5]。
文化財制度上の区分
[編集]文化財保護制度における無形文化財は、演劇、音楽、工芸技術その他の無形の文化的所産のうち、日本にとって歴史上または芸術上価値の高いものをいう。無形文化財は、作品に用いられる道具や衣装そのものではなく、演者や技術者によって体現される人間の「わざ」を対象とする[6]。
無形文化財のうち重要なものは「重要無形文化財」に指定され、そのわざを高度に体現する個人または団体が保持者・保持団体として認定される。重要無形文化財に指定されていないものでも、芸能や工芸技術の変遷を知るために記録作成や公開を必要とするものは、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択されることがある[6]。
これに対し、民俗文化財は、衣食住、生業、信仰、年中行事などに関して、人々の日常生活の中で生み出され、継承されてきた有形・無形の伝承を対象とする。民俗芸能はその一分野であり、地域の祭礼や行事において演じられる歌、舞、踊り、演劇などが含まれる[7][11]。文化芸術基本法上の「伝統芸能」と、文化財保護法上の無形文化財・民俗文化財は、それぞれ異なる制度上の区分である[4][6][7]。
歴史
[編集]古代
[編集]日本列島では、先史時代から土鈴、土笛、石笛などの音具が用いられた。弥生時代以降には銅鐸や弦楽器、古墳時代には琴や太鼓などを演奏する人物を表した埴輪も作られた。ただし、当時の音楽や舞の具体的な形態は明らかではなく、後世の伝統芸能との直接的な系譜を確認できるとは限らない[12]。
『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』などには、祭祀や葬送などに伴う歌や舞が記録されている。ヤマト王権の形成に伴い、各地の歌舞の一部は宮廷儀礼に取り入れられ、後世に国風歌舞と総称される御神楽、倭舞、久米舞、東遊などへと整理されていった[12]。
古墳時代から奈良時代にかけては、中国大陸や朝鮮半島をはじめとするアジア諸地域から音楽・舞踊・曲芸などが伝来した。朝鮮半島系の楽舞、中国系の楽舞のほか、伎楽や散楽なども宮廷・寺院で演じられ、これらは日本在来の歌舞とともに後の雅楽を構成する諸要素となった[13]。701年(大宝元年)に制定された大宝律令によって雅楽寮が設置され、宮廷における楽舞の演奏と楽人の養成が制度化された[14]。
奈良時代には、外来した諸楽舞が国家的な儀礼や仏教行事で盛んに演じられた。752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏開眼供養では、声明とともに雅楽寮などの楽人による多様な楽舞が演じられた[15]。
仏教の受容に伴って、経典などを旋律的に唱える声明も伝えられた。声明は寺院儀礼として各宗派で伝承され、その旋律や発声は後世の歌謡や語り物にも影響を与えた[16]。
平安時代には、それまでに受容された外来系楽舞の整理・再編が進んだ。大陸系の楽舞は主として唐楽と高麗楽に整理され、日本で作られた曲も加えられた。また、管絃・舞楽のほか、催馬楽・朗詠などの声楽、国風歌舞を含む体系が形成され、現在に伝わる雅楽の基本的な構成が整えられていった[17][18]。
その後、雅楽は宮廷や大寺院を主要な基盤として伝承され、近世には京都・奈良・天王寺の楽人が伝承の中心を担った[1][19]。
中世
[編集]
中世には、宮廷、寺社、武家、都市民など、異なる社会集団を基盤とする芸能が展開した。寺院では法会の後などに延年が行われ、歌謡、舞、物まね、寸劇などが演じられた。各地の寺社では、散楽から発達した猿楽や、農耕儀礼などと関係する田楽も盛んになり、専門芸能者による「座」が形成された[20]。
歌謡と語り物も発達した。琵琶の伴奏によって『平家物語』を語る平家琵琶は、鎌倉時代に琵琶法師の芸能として成立し、平家一門の鎮魂や仏教的な教化と結び付きながら、鑑賞のための語り物としても広まった。白拍子、曲舞、幸若舞など、歌、舞、語りを組み合わせた芸能も行われた[21]。
南北朝時代から室町時代にかけては、猿楽と田楽がともに能を主要な芸として展開し、田楽能も盛行した[22]。その後、大和猿楽の観阿弥・世阿弥父子の時代には、能楽の興隆と質的向上が進み、後世の能につながる基礎が固められた[23]。能とともに猿楽から発達した笑いと対話を中心とする芸は狂言として展開し、能と狂言は後に能楽と総称されるようになった[20]。
地域社会では、祭礼、農耕儀礼、祖先供養などと結び付いた神楽、田楽、風流、念仏踊り、獅子舞などが伝承された。宮廷・寺社や都市の芸能が地方に伝わり、地域固有の信仰、音楽、舞踊と結び付いて変容した例もある[24]。
近世
[編集]安土桃山時代から江戸時代にかけては、武家の儀礼芸能と都市の興行を基盤とする芸能が並存した。室町幕府による能楽保護の体制が弱まった後、豊臣秀吉の時代には能楽界が大きな転換期を迎え、秀吉による能役者の保護と統制が進められた[25]。江戸幕府の成立後は、能役者が幕府・諸藩の統制と保護のもとに置かれ、能楽は次第に武家の「式楽」として制度化された[26]。一方、謡は公家・武士に限らず都市の町人層にも広まり、能楽は武家社会の外にも受容された[27]。
近世の雅楽では、京都・奈良・天王寺を本拠とする楽人が三方楽所を構成し、宮中行事などの奏楽を担った。16世紀末から17世紀初頭には、江戸・日光にも幕府の祭祀に関わる楽人組織が形成され、江戸では紅葉山楽人が奏楽を担った[28]。近世の雅楽は、宮廷・寺社に加えて幕府などの保護のもとでも伝承された[28]。
16世紀後半には、琉球王国の三線をもとにした三味線が本土に広まり、歌謡や語り物の伴奏に用いられた。地歌、箏曲、長唄、義太夫節、常磐津節、清元節、新内節など、多数の音楽ジャンルが成立し、箏や尺八との合奏も発達した[29]。
17世紀初頭には、出雲阿国の「かぶき踊り」を端緒として歌舞伎が成立した。1629年(寛永6年)に女歌舞伎が禁止されると若衆歌舞伎へ移り、1653年(承応2年)の若衆歌舞伎禁止後には成年男性が演じる野郎歌舞伎へ移行した。こうした変化のなかで男性が女性役を演じる女方の芸が発達し、野郎歌舞伎では筋立てをもつ演劇としての性格が強まった[30][31]。17世紀後半から18世紀初頭には、江戸で荒事、上方で和事が発達し、女方の芸も確立していった[32]。

人形を操る芸と浄瑠璃が結び付いた人形浄瑠璃も、江戸時代初期に成立した。大坂では竹本義太夫の義太夫節、近松門左衛門らの作品、人形操法の発達によって隆盛し、歌舞伎との間で作品や演出を相互に取り入れた。18世紀前半には人形操法も発達し、現在の文楽につながる三人遣いは享保後半頃から寛延期にかけて工夫され、元文4年(1739年)には長差し金を用いる操法の導入によって最終的に確立したとされる[33]。幕末以降、大坂の有力な一座となった文楽座の系統が、後の文楽へ受け継がれた[34]。
講釈、落とし噺、曲芸などの大衆芸能も都市の盛り場で発展した。江戸時代後期には、講談や落語などを上演する常設的な寄席が江戸・大坂を中心に広がり、太神楽をはじめとする曲芸、物まね、音曲なども寄席の番組に取り入れられた[35]。近世大坂の天満天神社に残る興行記録を分析した中川桂は、18世紀末から19世紀半ばにかけて寺社境内の小屋で多様な話芸が興行され、1830年代頃以降には落語が「昔噺」として他の話芸から区別されるようになったと指摘している[36]。
琉球王国では、三線を中心とする宮廷音楽や舞踊が発達した。1719年には、冊封使を歓待する御冠船踊の演目として、玉城朝薫が創作した組踊が初演された。組踊は台詞、音楽、舞踊を組み合わせた歌舞劇として王府内で発展した[37][38]。
中世から近世にかけては、万歳、太神楽、猿回しなど、各地を巡回して芸を行う職業的・遊行的な芸能者も活動した。こうした芸能者による芸の伝播は、地域社会の祭礼や芸能にも影響を与えた[1]。
近代
[編集]明治維新による社会制度の転換は、幕府、諸藩、宮廷、寺社など異なる社会的基盤のもとで伝承されてきた芸能にも影響を及ぼした。能楽や雅楽をはじめ、従来の保護・伝承制度を失った芸能では、新たな後援者や組織のもとで伝承体制の再編が進められた[39]。
雅楽では、明治天皇の東京再幸に伴う宮廷機能の移転に対応して、三方楽所系の楽人が順次東京へ召し出され、宮中祭祀や国家的儀礼における奏楽を担った[40]。1870年(明治3年)には太政官内に雅楽局が仮設置され、近世以来の楽人組織は近代国家の宮廷・儀礼制度のもとで再編されていった[41]。
能楽では、幕府・諸藩からの扶持や保護が失われ、多くの能役者が廃業・転業を余儀なくされた[42]。その後、皇室、華族、政財界人などが新たな後援者となり、1881年(明治14年)には能楽社が設立され、芝能楽堂を主な演能の場として能楽の復興が進んだ[43]。
歌舞伎では、明治時代に演劇改良運動が起こり、九代目市川團十郎は史実の考証を重視する活歴物を試みた[44]。明治後期から昭和初期には、坪内逍遥、岡本綺堂ら歌舞伎外部の作者による作品が上演され、これらは新歌舞伎と呼ばれた[45]。
邦楽や日本舞踊でも、明治以降には劇場外での演奏会・舞踊会が展開した。長唄では演奏会活動が盛んになり、歌舞伎の伴奏から独立した演奏活動も発達した[46]。
西洋音楽の導入と学校教育、軍楽、放送、録音技術の普及は、伝統音楽の環境を変化させた。箏曲・尺八などでは西洋音楽の要素を取り入れた作品や新しい楽器が考案され、浪曲や筑前琵琶など、近代に新たに成立・発展した芸能もあった[47]。
第二次世界大戦後
[編集]第二次世界大戦後には、伝統芸能を文化財として保存・継承する制度が本格的に整備された。1950年(昭和25年)に制定された文化財保護法は、演劇・音楽などの無形の文化的所産を無形文化財として文化財保護の対象に組み込んだ[6]。さらに1954年(昭和29年)の法改正によって、重要無形文化財の指定と保持者・保持団体の認定を中心とする制度の基礎が整えられた[48]。
文化財保護制度の整備と並行して、伝統芸能の公開・保存・振興を担う国立施設の整備も進められた。1966年(昭和41年)には国立劇場が開場し、1979年(昭和54年)には国立演芸場、1983年(昭和58年)には国立能楽堂、1984年(昭和59年)には国立文楽劇場、2004年(平成16年)には国立劇場おきなわが開場した[49]。
主な分野
[編集]個々の芸能には、音楽・舞踊・演劇など複数の表現要素を含むものがある。以下では、歴史的な種目・伝承体系ごとに主要な分野を概説する。
雅楽
[編集]雅楽は、管絃、舞楽、国風歌舞、催馬楽・朗詠などの歌物から構成される[50][51]。
管絃では、笙、篳篥、龍笛などの管楽器、楽琵琶・楽箏などの絃楽器、鞨鼓・太鼓・鉦鼓などの打楽器による合奏が行われる[52]。舞楽では、唐楽を伴奏とする左方の舞と、高麗楽を伴奏とする右方の舞を中心とする上演体系が伝承されている[51]。
声明
[編集]声明は、仏教の法会や儀礼において、経典などの文言を旋律や節を伴って唱える声の音楽である。宗派ごとに唱法や曲目が伝承され、寺院の儀礼音楽として行われてきた[53][54]。
能楽
[編集]
能楽は、能と狂言からなる舞台芸能である。能では、謡、囃子、舞・所作などが相互に結び付き、能面、装束、固有の舞台空間などを含む様式化された上演体系を形成する。能の身体表現には舞踊的な動きと演劇的な動きの双方が含まれ、謡や囃子との関係の中で演じられる[55]。
狂言は、能とともに猿楽から発達した、せりふを主要な表現とする劇である。せりふを中心としながら、謡や舞などの音楽的・舞踊的要素も含む[56]。狂言方だけによって独立した一曲として演じるものを本狂言といい、能の中に狂言方が役として登場するものを間狂言という。間狂言では、土地の者、下級の神、能力、船頭などの役を狂言方が担当し、能の進行に関わる場合がある[57]。
能楽の演者は、主役を演じるシテ方、相手役を演じるワキ方、狂言方、囃子を担当する囃子方などに分かれ、それぞれに複数の流儀がある[58]。
歌舞伎
[編集]歌舞伎は、俳優の演技、音楽、舞踊、衣装、化粧、舞台装置・舞台機構などを組み合わせる演劇である[59]。かぶき踊りから女歌舞伎・若衆歌舞伎・野郎歌舞伎へと担い手と上演形態が変化するなかで、筋立てをもつ演劇として発達し、17世紀後半から18世紀初頭には荒事・和事・女方などの演技様式が形成された[30]。
演目は、歴史上の人物や事件などを題材とする時代物、町人社会などを題材とする世話物、舞踊を中心とする所作事などに分類される。女方、見得、隈取などの演技・扮装や、花道、廻り舞台などの舞台機構も用いられる[59]。
人形浄瑠璃・文楽
[編集]
人形浄瑠璃は、浄瑠璃を語る太夫、三味線、人形遣いによる人形芝居を組み合わせた芸能である。その代表的な伝承である文楽では、太夫・三味線・人形遣いの三者によって舞台が構成される[34]。主要な人形は一体を三人で操る三人遣いによって演じられ、主遣いが頭部と右手、左遣いが左手、足遣いが両足を操作する[60]。
日本舞踊
[編集]日本舞踊には、歌舞伎舞踊、上方舞などの系統がある。歌舞伎舞踊は歌舞伎の発展と密接に結び付いて形成された。17世紀初頭のかぶき踊りから女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へと担い手と表現が変化するなかで舞踊表現も発達し、18世紀半ばには女方の芸を中心とする舞踊劇が成立したとされる[30]。歌舞伎舞踊では、長唄、常磐津節、清元節などが伴奏音楽として用いられる[62]。
近代以降には、歌舞伎舞踊の技法を基礎としながら歌舞伎の舞台から独立して活動する舞踊家が増え、女性の舞踊家も加わって、日本舞踊としての活動領域が広がった[63]。こうした舞踊は、舞台上演だけでなく、流派・家元を中心とする稽古や教授活動を通じても伝承されてきた[64]。
上方舞は、江戸時代中期から末期に上方で発達した舞踊で、座敷を中心とする比較的小規模な空間で伝承されてきた[65]。
伝統音楽
[編集]日本の伝統音楽には、雅楽、声明、能楽の音楽、琵琶楽、三曲、三味線音楽、民謡など、多様なジャンルがある[66][67]。
琵琶楽には、『平家物語』を語る平家琵琶、武士的な物語を多く扱う薩摩琵琶、近代に成立した筑前琵琶などがある[68][67]。
三曲は、地歌、箏曲、尺八楽、胡弓楽の総称である。また、地歌三味線と箏に尺八または胡弓を加える三曲合奏も行われる。江戸時代には胡弓を加える編成が一般的で、明治以降は尺八を加える合奏が盛んになった[69]。
三味線音楽には、人形浄瑠璃に用いられる義太夫節、歌舞伎や日本舞踊に用いられる長唄、常磐津節、清元節、座敷などで発達した地歌、新内節、端唄、小唄などがある[70]。
伝統的な声の音楽は、旋律的に歌う表現を中心とする「歌いもの」と、物語や人物の言葉を語る表現を中心とする「語りもの」に大別されることがある。地歌・箏曲や長唄は歌いもの、義太夫節などの浄瑠璃は語りものの代表例とされるが、両者の性格を併せ持つ種目もあり、一概に区分できない場合がある[71]。
琉球芸能
[編集]
琉球諸島には、琉球古典音楽、琉球舞踊、組踊などの芸能が伝承されている。琉球古典音楽は三線の弾き歌いを中心とし、宮廷舞踊や組踊などとも関わる[72]。
アイヌの歌・踊り
[編集]アイヌには、祭祀、祝宴、行事、日常生活などと結び付いて伝承されてきた歌や踊りがある。歌を伴って集団で踊るものや、動物の動きを表す踊りなど、多様な形態が伝承されている[74]。
歌と踊りの名称や区分は地域によって一様ではない。谷地田未緒は、文献に記録された「ウポポ」「リムセ」などの用例を検討し、アイヌの伝統的な歌と踊りについて、近代的な「歌」と「踊り」の区分をそのまま適用することの難しさを指摘している[75]。
民俗芸能
[編集]
民俗芸能は、地域社会の祭礼、年中行事、信仰、生業などと結び付き、その地域の人々によって伝承されてきた歌、舞、踊り、演劇などをいう[11]。
民俗芸能には多様な分類法がある。本田安次は『図録日本の民俗芸能』(1960年)において、神楽、田楽、風流、祝福芸、外来脈の五つに分類した[76]。本田の分類では、神楽に巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽など、田楽に予祝の田遊や御田植神事、風流に念仏踊・盆踊・太鼓踊などを含める。また、祝福芸には来訪神、千秋万歳、語り物などを、外来脈には伎楽、舞楽、延年、散楽、能・狂言、人形芝居、歌舞伎芝居などを位置付けている[76]。
文化財保護制度では、民俗芸能は無形民俗文化財の一分野として保護の対象となる。特に重要なものは重要無形民俗文化財に指定されるほか、指定に至らないものについても、必要に応じて記録作成などの措置が講じられる[7]。
大衆芸能・寄席芸
[編集]
文化芸術基本法では、講談、落語、浪曲、漫談、漫才などは、第10条の「伝統芸能」とは別に、第11条の「芸能」として規定されている[4]。
寄席は一つの芸種だけを上演する場ではなく、落語、講談、浪曲などの話芸と、太神楽、奇術、紙切り、曲独楽などの色物を組み合わせて番組を構成する興行形態として発達してきた[35]。近世大坂では噺・講釈など複数の寄席芸が同じ興行空間に並存しており、天満天神社の記録からは、19世紀前半に落語が「昔噺」として他の話芸から区別される過程が確認されている[36]。
表現と伝承
[編集]型と台本
[編集]芸能は、人間の身体によって表現される技法と形の伝承を主要な特徴とする[1]。伝承される内容や記録方法は芸能によって異なり、台本、詞章、楽譜などの記録を伴うものもある。
能では、近代演劇のような専任の演出家を通常は置かず、謡本、所作を記した型付、囃子の手付などと、各流儀に伝承された演出上の「キマリ」を基礎として上演が組み立てられる[77]。謡本や型付、囃子の手付は上演の詳細な手順を伝えるが、同一箇所にも複数の演じ方が伝わる場合があり、実際の上演ではその選択が行われる[77]。
歌舞伎では、代々伝承されてきた演技や演出の様式を「型」と呼ぶ。型は一人の俳優の動作だけでなく、共演者の演技、衣装、化粧、舞台装置などを含む演出全体に及ぶことがある。また、同じ作品・役であっても複数の型が存在し、特定の家や俳優の系統と結び付いて伝承される例もある[78]。
狂言は長く実演を通じて伝承され、台本が書写される以前にも各曲が演じ継がれていた。室町時代末期には筋書形式による記録が現れ、江戸時代には大蔵虎明本など、より詳細な台本が書写されるようになった[79]。同一の演目でも流儀・伝本によって台詞や筋立て、演出などに異同がみられる[80]。
稽古・口伝と専門分業
[編集]伝承の方法は芸能によって異なり、雅楽では、楽器の旋律を声で歌う唱歌が稽古の基礎となる。学習者は唱歌を繰り返して曲を記憶し、その旋律や拍の取り方を身に付けた後、楽器の奏法を習得する。こうした技法は、師匠から弟子へ口頭で伝える口伝によって受け継がれてきた[81]。
能楽では、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方などの役籍ごとに専門化が進み、それぞれの流儀の技芸が稽古を通じて伝承される。舞台では異なる役籍・流儀に属する演者が協働し、各自が習得した謡、所作、囃子などの技法を組み合わせて一つの上演を構成する[82][58]。
文楽では、太夫、三味線、人形遣いがそれぞれ専門の技芸を修練する。従来の師弟関係による入門に加え、国立文楽劇場などの研修制度を経て基礎教育を受け、その後に現役の技芸員へ弟子入りして修業を続ける経路も設けられている[83]。
保存・継承と振興
[編集]文化財保護と公的支援
[編集]日本では、歴史上または芸術上価値の高い演劇・音楽などの「わざ」は、文化財保護法に基づく無形文化財として保護の対象となる。国は、無形文化財のうち重要なものを重要無形文化財に指定し、そのわざを高度に体現する個人または団体を保持者・保持団体として認定している[6]。
保持者等の認定には、個人を認定する「各個認定」、複数の保持者を一体として認定する「総合認定」、一定の技法を共有する団体を認定する「保持団体認定」がある。国は、保持者・保持団体による伝承者養成や公開、地方公共団体などによる保存事業を支援している[6]。
日本芸術文化振興会は、国立劇場、国立能楽堂、国立文楽劇場、国立劇場おきなわなどを通じ、伝統芸能の公演、伝承者養成、調査研究、資料収集、普及事業を行っている[5]。
伝承者養成
[編集]日本芸術文化振興会の国立劇場養成所では、歌舞伎俳優・歌舞伎音楽、文楽、大衆芸能、能楽、組踊の伝承者を対象に、関係団体の協力の下で体系的な研修を行っている[84]。
調査・記録・公開
[編集]日本芸術文化振興会は、主催公演の台本・床本、上演記録、舞台写真、録音、映像などを収集・作成し、その一部を公開している[85]。また、調査に基づく復活上演や、伝統的な演出・技法を基盤とする新作の上演も行っている[5]。
国立劇場各館では、主催公演、地方公演、鑑賞教室などを通じて伝統芸能の公開・普及が行われている[5]。
地域における継承
[編集]民俗芸能は地域の祭礼や行事と結び付いて伝承されている[11]。国は、地方公共団体が行う無形の民俗文化財の保存・伝承事業や調査・記録作成などに対して助成を行っている[7]。
用具・原材料と保存技術
[編集]伝統芸能の実演には、楽器、面、人形、衣装、かつら、舞台道具など、各芸能に固有の用具が用いられる。文化財保護制度では、文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術または技能のうち、保存措置を講ずる必要があるものを選定保存技術として選定し、その保持者・保存団体を認定している[86]。
文化庁は、重要無形文化財の芸能に必要な用具や原材料について、製作者の減少や原材料の確保などを保存上の課題としている[87]。
ユネスコ無形文化遺産
[編集]日本の芸能のうち、能楽、文楽、歌舞伎、雅楽、組踊、アイヌ古式舞踊などは、無形文化遺産の保護に関する条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されている[8]。
このうちアイヌ古式舞踊は、国内では1984年(昭和59年)に重要無形民俗文化財に指定され、2009年(平成21年)にユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に記載された[74]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 中村 & 三隅 2014.
- ↑ 相原 2007, pp. 61–63.
- 1 2 寺内 2001, p. 77.
- 1 2 3 4 5 「文化芸術基本法」『e-Gov法令検索』。2026年7月13日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 「目的・事業」『独立行政法人日本芸術文化振興会』。2026年7月13日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 「無形文化財」『文化庁』。2026年7月13日閲覧。
- 1 2 3 4 5 「民俗文化財」『文化庁』。2026年7月13日閲覧。
- 1 2 “Japan: Elements on the Lists of Intangible Cultural Heritage” (英語). UNESCO Intangible Cultural Heritage. 2026年7月13日閲覧。
- ↑ 相原 2007, p. 63.
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外部リンク
[編集]- 展示・資料 - 独立行政法人日本芸術文化振興会
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