日本の刑務所

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刑務所
府中刑務所.png
所在地 日本の旗 日本 46都道府県[注釈 1]
75施設
許容人数 合計70,000人(令和元年)[1]
管理運営 法務省
管轄 法務大臣
根拠法令 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律
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本項では日本の刑務所(にほんのけいむしょ)について解説する。

日本では、刑務所は何らかの法令に反する行為に及び(または状態に達し)、裁判所確定判決により、死刑以外の身体拘束を伴う刑罰懲役禁錮など)が確定し、その刑に服することとなった者を収容する施設のことをいう。日本では法務省施設等機関で、法務省矯正局が所管している。

なお、全国の刑務所のうち、医療的な処置が必要な者を収容するために設けられた刑務所を医療刑務所いりょうけいむしょ)と呼び、2007年(平成19年)5月から開始された、PFI方式を採用して新設された刑務所は「社会復帰促進センターしゃかいふっきそくしんセンター)」と呼ばれる。また、飲酒運転など重大な交通違反交通事故を起こし、禁錮または懲役の刑を受けた者を収容する刑務所を交通刑務所こうつうけいむしょ)と呼ぶことがある(市原刑務所(千葉県市原市)・加古川刑務所(兵庫県加古川市))。

概要[編集]

刑務所、少年刑務所及び拘置所を総称して「刑事施設」という。このうち、刑務所及び少年刑務所は、主として受刑者を収容し、改善更生、社会への円滑な復帰などを目的とするさまざまな処遇を行う施設であり、拘置所は、主として刑事裁判が確定していない未決拘禁者を収容する施設である。刑務所及び少年刑務所では、受刑者への指導を通じてさまざまな処遇を行っており、2018年(平成30年)現在、全国に68庁(その他にも若干の支所がある)が設置されている[2]

拘置所では主として勾留中の被疑者被告人を収容し、これらの者が逃走したり、証拠隠滅したりすることを防止するとともに、公平な刑事裁判が受けられるように配慮すべきとされており、2006年(平成18年)現在では全国に東京拘置所など7庁が設置されている。なお、拘置所7庁の他に、全国の刑務所の下に「拘置支所」が多数置かれている。2018年(平成30年)現在、全国の刑務所、少年刑務所及び拘置所(それらの支所を含む。)においては約17,500人の刑務官が勤務している[2]

2020年(令和2年)7月31日発表された、法務省矯正統計統計表によると、2019年(令和元年)12月末時点で、刑務所と拘置所及び労働拘置所に収容されている人数は48,429人である[3]

東日本大震災以降、災害時の避難所として利用するため、施設と自治体の間で防災協定を交わす動きが進んでおり、2016年4月19日現在のところ全国14の施設で協定が結ばれている[4]

歴史[編集]

律令制時代[編集]

律令制下の日本では刑部省の下に獄所を掌る囚獄司が設置され、都にあった左右の獄所を監督した。 『延喜式』によれば、囚人は鈦または盤枷を嵌められて3・4人の組を編成され、日中は鈦・盤枷を外されて労役に従事した。後に検非違使が獄所を監督するようになった。だが、平安時代後期になると機能が衰退し、11世紀には獄舎は破損して脱獄が容易になり[5]、また代替施設として用いられた検非違使職員の屋敷などでは囚人は鈦・盤枷は嵌められず、邸内は自由に行動でき、籠居した者よりも良い待遇を受けていたという[6]。その背景として、罪人といえども人間を特定の場所に幽囚することを罪悪視する当時の観念が影響したとみられている。それでも京都の右獄は鎌倉時代後期まで、左獄は戦国時代まで存在していた[7]。18世紀に左獄は現在の中京区六角通りに位置し、三条新地牢屋敷(六角獄舎)となった[8]

江戸時代[編集]

江戸時代には裁判待ちの者や死刑執行待ちの者を収容する施設として牢屋(牢屋敷)があった[9]。江戸・小伝馬町の牢には、天明の打ちこわしや、天保の改革の時には最大900名も収容されていたが、基本的には未決囚の収容施設で幕府は収容期間の短縮をはかって、6か月以内に処分を定める原則を作っていた。吉田松陰は6カ月ばかり入獄していた。処分は、死刑遠島追放刺青鞭打ちなどである[10]

牢屋、特に上位身分の者を収容する揚座敷揚屋は数が十分でないことから、預けと称して私人等の家屋敷を用いて拘禁することも広く行われた。また、軽罪の無宿者向けに職業訓練施設を兼ねた加役方人足寄場が設置されたり、現在の医療刑務所に相当するが設置された[11]

肥後藩宝暦の改革をなした細川重賢(1720-1785)は、『刑法叢書』を作り、それまで死刑か追放刑という刑罰内容だったものを変更し、追放刑を笞刑(むちで打つ)と徒刑(懲役)に減刑。刺青と眉を剃らせた(5日に1回で、眉なしと呼ばれた)。罪人の社会復帰を容易にした。死刑以外は15日以内に判決がきめられた。この『刑法叢書』は明治憲法下の刑法の手本とされ、熊本から多くの人材が司法畑に採用された。徒刑小屋を現在の熊本市一新小学校の所に作った。懲役刑受刑者は、晴天の日は引率されて土木工事に従事、雨天は作業場で手仕事をして、賃金をもらい半分は生活費、刑期を終えた時に元手金とした[12][13]

明治・大正・昭和期[編集]

明治政府は当初江戸幕府の法を継承したが、まもなく養老律令と『刑法叢書』そして清国法を元として仮刑律を制定した[14]。仮刑律では笞刑杖刑徒刑流刑と死刑が定められた。その後、1870年の新律綱領でも刑罰は継承されたが、1871年の懲役法で笞刑と杖刑が廃止され、西洋法を取り込んだ1873年の改定律例では徒刑と流刑が懲役刑に置き換わることとなった[15][16]。自由刑を執行する行刑施設を規定する法令として1871年に徒場規則が制定され、翌年の1872年に欧米諸国(主にフランス法)に学んだ監獄則が制定された[17]。監獄は集治監、監倉、懲役場、拘留場、留置場、懲治場の6種類と定められた。このうち「懲治場」は若年者を収監する監獄であり、幼年監獄とも呼ばれ、後に少年刑務所となる[18]。また当初裁判所の管轄下に置かれた「監倉」は未決囚を収監する監獄であり、後に拘置所となる[11]。 1881年・1889年・1899年に監獄則は改正された[19]。ドイツ法に学んだ1889年改正監獄則では監獄を集治監、仮留監、地方監獄、拘置監、留置場、懲治場の6種類に分類した。 1908年に監獄法が制定され、監獄は懲役監、禁錮監、拘留場、拘置監の4種類と定められた。

明治期の監獄は当初、政府が設置する集治監と道府県庁が設置する集治監以外の監獄に分けられた。 後者は牢屋(牢屋敷)及び徒場(徒刑場、徒罪場)[20] と言う名称で道府県庁聴訟課により設置されていたが、1873年に囚獄及び懲役場と改称された[21][22][注釈 2]。 前者の集治監は東京府と宮城県に設置され、後に北海道と福岡県にも設置された。集治監の行政組織は集治監官制[23] と北海道集治監官制[24] によって定められた[注釈 3]1893年に地方官官制[25] が制定され、道府県庁の設置する監獄は監獄署と改称された。1900年内務省官制と司法省官制の改正が行われ、行刑政策は司法省の管轄下となった。同年、府県監獄費及府県監獄建築修繕費ノ国庫支弁ニ関スル法律(監獄費国庫支弁法)[26] が制定され、道府県庁の設置する監獄署も国費で運営されるようになった[27][28]。 1903年に集治監官制の後法として監獄官制が制定され[29]、道府県庁の設置する監獄署も全て司法省に移管されて名称を監獄で統一された。 1922年(大正11年)に監獄官制が全面改定され、刑務所及び少年刑務所と改められた[11][30]

条約改正と監獄[編集]

明治時代に結ばれていた不平等条約のうち、治外法権と領事裁判権の撤廃について欧米諸国から提示されていた条件に監獄制度の改善が挙げられる。1872年の監獄則並図式により法制度と洋式監獄の図面を調えたが、地方監獄では予算がなく旧式監獄を修繕しながら使用し続けていた[31]

1894年の第一次条約改正により治外法権と領事裁判権が撤廃され、外国人を収監することになると外国人ノ処遇標準(内務省内訓第712号)を設けた[32]。また、レンガ造りの巣鴨監獄(1895年)をはじめ、五大監獄と言われた千葉監獄長崎監獄金沢監獄鹿児島監獄奈良監獄を建設し、外国人囚人の受け入れ体勢を調えた[33][34]。このような監獄改善の取り組みは東洋からも高く評価され、中国)からも視察が行われた[35]

軍事刑務所[編集]

第二次世界大戦前は各地に衛戍司令官が置かれていた。衛戍司令官はその衛戍地警備の責に任じ、兵力使用の権限も与えられた。各衛戍地には所要に応じて衛戍病院、武庫、衛戍監獄(後に衛戍刑務所、衛戍拘置所となる。)が置かれ、衛戍司令官が所管した。大正4年に作った熊本市の地図に衛戍監獄という施設がある(以前は陸軍監獄であった)。

現役軍人・軍属の行刑権は、所属する軍にあり、衛戍監獄は所管の軍人等を収監するために設置された。そのため前述の監獄則・監獄法は衛戍監獄には適用されず、陸軍監獄則(後に陸軍監獄条例、陸軍監獄令)並びに海軍監獄則(後に海軍監獄令)が適用された。また、行政組織としても監獄官制が適用されず、陸軍監獄官官制並びに海軍監獄官官制が適用された。一般の監獄が刑務所と改称したことに合わせ、陸軍監獄並びに海軍監獄は、1922年に陸軍刑務所へ、1923年に海軍刑務所に改称した。

第二次世界大戦後の1945年に、ポツダム命令による日本軍解体に伴い、東京陸軍刑務所など大部分が廃止された。しかし横須賀海軍刑務所佐世保海軍刑務所小倉衛戍刑務所のように一部の刑務所は、刑務所として引き継がれた。

昭和期に於けるハンセン病収容者問題[編集]

1947年8月、日本共産党は患者にも参政権が認められたので、ハンセン病療養所である国立療養所栗生楽泉園を訪れ、そこに懲戒検束規定に基づく特別病室、別名「重監房」を見学した。そこでは22人が獄死していた。国会で論議となり、悪質な患者の処分に困窮した療養所は刑務所の建設を要求、また厚生省代用監獄案を提出した。その後、国立療養所栗生楽泉園韓国朝鮮系の患者により3人が殺害された事件を機に刑務所の必要性が強く認識されるようになった。更に熊本県藤本事件が発生し、国立療養所菊池恵楓園に接続して1953年に法務省管轄下の菊池医療刑務支所が設置された。一般のハンセン病療養所の入所者は、菊池医療刑務支所から出所した患者を療養所に受け入れず、様々な問題を残した。1982年に古い建物は更新されたが、1996年らい予防法廃止時その機能は廃止された。長年入所者はいなかった。

囚人労働[編集]

徳川幕府は1778年から佐渡金銀山に無宿者を鉱山役夫(水替人足)として送り込み、労役に着かせた[15]。また、1790年に火付盗賊改長谷川宣以の建議で設立した江戸・石川島の人足寄場に軽罪の囚人と無宿者を収容し、労役に着かせた[15]。後に水戸(常陸上郷村)、大阪、長崎、箱館、横須賀などに人足寄場が作られた[11]。この人足寄場は収容施設兼職業訓練施設として日本の近代的自由刑の原形となった。

明治時代に入ると身体刑が廃止され、懲役などの自由刑が主流となる。三池炭鉱は最初は政府直轄であったが、後で三井組が払い下げをうけ、三井三池炭鉱となった。ここには福岡、佐賀、長崎、熊本の監獄から囚人が送られて労働した[36]。明治時代、阿蘇の難路の工事は熊本監獄の囚人により完成した。熊本の三角港の完成にも300人の囚人が使役された。3年余におよぶ過酷な労働で死亡した囚人69人を合葬した「解脱墓」が天草五橋1号橋の道路わきの林の中に建っている[36]

北海道開拓のために設置された樺戸空知釧路網走の各集治監では道路建設や硫黄鉱山・炭鉱採掘に囚人が使役された[37]。 上川道路仮道の建設では4000円の当初予算に対し、1877円~3787円(工賃15銭/人)と言う格安の記録が残されている[38]。北見道路における建設作業を行っていた樺戸・空知・釧路(網走外役所)の各集治監ではわずか半年間に180人が死亡した[39]。死亡した囚人は鎖を外されぬままに埋葬された。また、アトサヌプリ(硫黄山)における採掘作業を行っていた釧路集治監では505人が死亡し、標茶霊園に合葬されている[40]

監獄教誨[編集]

刑務所での集合教誨(仏教の僧侶)
仏式教誨室 キリスト教式教誨室
仏式教誨室
キリスト教式教誨室

一般社会から隔離された生活を送る囚人の心の平穏に資したのが宗教である。監獄教誨の始まりは1872年7月に真宗大谷派の鵜飼啓潭が名古屋監獄における教誨を許可されたことに始まる[41]。同年8月には同派の蓑輪対岳が佃島徒場(現・府中刑務所)で教誨を許可され、翌9月から教誨を行っている[42]。1880年代には釧路集治監に派遣された原胤昭や北海道集治監空知分監に派遣された留岡幸助などによりキリスト教が進出し、労役環境の改善にも一役買っている[43][44][45]。1881年改正監獄則に教誨師について規定されたが、地方費負担である監獄には負担が重く、各教派が負担することで派遣が実現されていた。そのため、財政上の理由で派遣を中止する教派も現れ、一時期は浄土真宗本願寺派と真宗大谷派による寡占状態になった[41]。1900年の監獄費国庫支弁法により教誨師は国家公務員になった[41] が、1947年に日本国憲法の政教分離原則により再び民間に戻った[41]。1947年日本宗教連盟に宗教教誨中央委員会が設立され[46]、1956年全国教誨師連盟が設立された[47]。同連盟に各教派・宗派が参画し、2018年現在は同連盟を通じて各刑務所に教誨師を派遣している[47]

平成[編集]

1908年制定の監獄法はその後約100年もの間、日本の行刑政策の根幹をなす法律であった。監獄法では行刑施設、受刑者の処遇、未決囚・死刑囚の処遇について定められていたが、このうち行刑施設と受刑者の処遇に関する法規定を2005年(平成17年)5月18日に「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」(受刑者処遇法。2006年(平成18年)5月24日施行)として監獄法から分離した。同時に監獄法の未決囚・死刑囚の扱いに掛かる残存部分を「刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律」と改称した。また、従来は行刑施設と呼称していた刑務所・拘置所を刑事施設と呼称することになった。受刑者処遇法は刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律(旧監獄法)と再び統合され、2007年6月1日「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(刑事収容施設法または被収容者処遇法)に改正され、現在に至っている。

機能[編集]

日本においては自由刑を執行する場所としての機能を有すると同時に、受刑者の改善更生のための働きかけを行っていく機関である。刑務所に収容されると、刑務作業以外にも改善指導、教科指導といった矯正処遇が行われ、受刑者の社会復帰を助ける。

特徴[編集]

他国の刑務所の目的が「刑罰を犯罪者に与える」場所と位置付けられているのに対し、日本の受刑者処遇の基本法となる「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」は、第30条に受刑者処遇の原則について「その者の資質および環境に応じ、その自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起および社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うものとする。」と規定した。

この規定により、日本の刑務所は、「自由刑の執行のために存在する行刑機関」であるのと同時に、「犯罪者の改善更生、再社会化に向けて、受刑者に対して各種の働きかけを行う機関」であると考えることができる。

すなわち、反社会的行為(=犯罪行為)により収監された者を、「作業・改善指導・教科指導」といった矯正処遇を始めとする各種の指導を通じて改善更生させ、社会の有用な成員として出所させるというのが日本の刑務所である。

その運営について、日本の刑務所は収容定員に対して職員数は非常に少なく、通常は施設警備隊以外の職員は警棒すら持たない完全な丸腰であるにも関わらず、暴動や脱走が極めて少ないという特徴がある。それゆえ、徳島刑務所での暴動事件が与えた衝撃は一般人のみならず関係者に対しても大きかった。

情報公開についても積極的に進めようとしているようであるが、やはり刑務所が極めて閉鎖的かつ特殊な空間であるのは事実にはかわりはなく、各種法律等を根拠に受刑者は多くの自由(人権)が制限されるのだが、元受刑者や刑務官への取材、あるいは内部告発により、受刑者に対する必要以上の人権の制限が疑われる事例が多数報告されている。

職員については国家公務員という身分でありながら幹部職員以外はほとんど転勤がない。また、世襲が多いともいわれている。それゆえ、各施設ごとに職員間における施設文化はまったく違う。これは、外部と隔離された特殊な環境下における被収容者の心情を考えたとき、担当職員が何度も変わることがなく心情安定に資する、仮に担当が変わったとしても、それは所内異動であることがほとんどであるため、引き継ぎなどもスムーズに行えるという利点があるが、職員間にあっても閉鎖的な世界を作ってしまうため、陰湿ないじめや派閥の形成、不正の隠蔽工作が行われやすいという問題点もある。

また、ここ数年の公務員削減の波に反して、PFI施設4庁に加え、新たに増改築や新設予定の施設もあり、刑務官全体の数は増員されている。しかし、ここ数年の世代交代で、有能な幹部職員やベテランの一般職員の多くが定年退職を迎えており、その流れは当面続くと思われる。若手を指導する立場の優秀な職員が減っており、現場では処遇力の低下が問題視されている。

男子刑務所では、受刑者に対して丸刈りの強制が行われている。

また、諸外国の刑務所と同様に日本の刑務所でも検身が行われている。男子刑務所の場合、通称カンカン踊りと呼ばれる所定の動きで身体を隅々まで見せる検査が全で行われていたが、制度が変更され、以降はパンツを着用した状態で検査が行われている。女子刑務所の場合、カンカン踊りではなく静止した状態での検査が行われており、四つん這いに裸体で肛門の内部の異物や隠匿物の有無を検査し[48]、さらに膣の中を足元に置いた鏡で覗く目視検査も行われている。

新法の施行[編集]

日本の刑務所に関する法律である監獄法は、受刑者の人権擁護に関する規定が不十分であったこと、2002年(平成14年)に問題化した、名古屋刑務所での刑務官による受刑者への暴行事件などをきっかけとして、法改正の機運が高まり、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律が2005年(平成17年)5月18日に国会で成立、2006年(平成18年)5月24日から施行され、2007年(平成19年)6月1日には、同法改正法である刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律が施行された。

監獄法は施行以来100年以上使用されてきたため、実務に対する根拠法とするにはさまざまな面で問題があった。そのため、数十年前から法改正の動きはあった訳であり、その改正を先取りせんとばかりに法務省や各施設は訓令や通達、それを受けての指示等で監獄法の不足分を補いながら行刑の運営を行ってきた。

新法では、被収容者等の人権保護だけでなく、刑務官の行為の根拠についての規定も大幅に増えている。しかし、外部交通や所持品などの分野に統一された決まりがなく、各施設の判断に委ねられているために、許可・不許可の判断が違っているといった事態が起こっている。

刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律は明治期の監獄法施行以来の行刑立法であることもあり、長年、旧法と訓令・通達などを用いて処遇を行ってきた職員と、被収容者双方の認識不足(特に、旧法慣れしているB級受刑者)から生まれるトラブルが懸念されていたが、各施設において職員研修を実施する、被収容者に対して適宜訓示・告知を行うなどして対策を進めていた結果、若干の問題は発生したものの、全体としては大きなトラブルもなく、新法での施設運営はまずは順調にスタートしたと考えられる。

日本の刑務官(一般的にいわれる「看守」とは刑務官の階級のことで、一番下の階級名である)は国家公務員法により労働基本権が認められておらず労働組合を結成することができない。しかし、主な先進国では各国で原則として認められており、日本でも労働者としての性格を十分に考慮して、団結権は認めるべきだとの意見がある。また、その仕事の特殊性から心身のバランスを崩す職員が増加傾向にあるため、採用時点で適性を慎重に吟味しつつ職員数を増やし、定期的な職員への研修やカウンセリングを行い、指導能力の向上、悩みや問題点の早期解決の助けにするなどの改善策をとって、刑務官の業務を少しでも適正にする必要がある。犯罪を犯しても、人権の制限は矯正に必要な範囲で適正に保たれるべきであるのは、日本国憲法の理念からいっても当然であるため、刑務官の質の向上と適正な人員の配置が求められる。

地域との関係[編集]

日本は世界でまれにみる脱獄の少ない国である。ここ20年ほどの間、脱獄は年間3件以下で推移しているが、近年は外国人被収容者が増加し、その中には特殊部隊経験者もいる。1996年(平成8年)、東京拘置所で起きたイラン人の集団脱走事件はそのような状況に対応しきれていない日本の行刑政策の現状を露呈したものであり、脱獄の周辺地域へ与える影響を考える際の大きな課題となっている。

一方、刑務所が出来る事による住民増加を期待し、過疎に悩む市町村が刑務所を誘致しようとする動きもある[49][50]

PFI方式の刑務所運営[編集]

美祢社会復帰促進センター

2006年(平成18年)の構造改革特別区域法施行令の改正により、構造改革特区の指定を受けた地域へのPFI手法による刑務所の設置が可能となった。この方式により設置されたのが2007年(平成19年)4月に供用開始の美祢社会復帰促進センター(山口県美祢市)である。

この施設は、刑務官と民間職員が協働して運営する混合運営施設であり、刑罰権の行使にかかわる業務は刑務官、その他の業務(施設の維持・管理、食事の提供など)に関しては社会復帰サポート美祢株式会社が担当する。この施設では、PFI事業期間中(20年間)においては、武器や手錠等の特殊な物品を除いた施設など、ほとんどの設備・物品の所有者は民間事業者のものであり、しばしば刑務所の「民営化」「民営刑務所」と言われるが、処遇の最終決定権はあくまで「官」にあり、一部民間委託にすぎないが、日本における刑務所改革の一つの動きとして、注目されている。

なお、現時点で4つ新施設でPFI事業が行われており、美祢社会復帰促進センター島根あさひ社会復帰促進センター(島根県浜田市)のPFI事業は建設からのPFI事業であるが、喜連川社会復帰促進センター(栃木県さくら市)・播磨社会復帰促進センター(兵庫県加古川市)のPFI事業は運営特化型PFI事業で、建設は法務省が行っており、設備や物品の所有者は最初からすべて日本国政府である。また、民間事業者が関与する勤務もそれぞれ違っている。

なお、PFI運営が可能な特区対象が「栃木県内」となっていることから、既存施設である黒羽刑務所(栃木県那須塩原市)においても喜連川社会復帰促進センター同様の運営特化型PFI事業を行っている。女子施設である栃木刑務所では、犯罪傾向に関わらずW級受刑者(女性)は女子刑務所に送られるため、現時点ではPFI運営は不可能だと思われる(収容分類級については別項を参照)。

PFI方式を利用する施設といっても、職員はすべて民間人というわけではなく刑務官もいる。しかし、職員はほとんど増員されない上に2007年問題も重なり、既存施設に欠員が出るのは避けられない状況となっている。仮に、増員されたとしても新採用職員での補充となるわけであり、現場のベテラン職員の不足は深刻な問題になると思われる。

ここ数年、既存施設では過剰収容状態を改善するために、施設を増改築している事が多いのだが、職員数は変わっていない。つまり、増えた被収容者を管理する面では非常に厳しい職員配置状況であり、今後も刑務官のさらなる負担増が懸念される。

刑務所民営化の先進国であるアメリカ合衆国では、民営化によって利益を受ける集団(: Prison–industrial complex, 産獄複合体)が形成され、集団の意を受けた厳罰化が進んだという指摘がある[51]

刑務官の採用方法[編集]

刑務官採用試験(高等学校卒業程度)の合格者から採用するのが一般的であるが、武道(柔道、剣道有段者)を対象とした選考試験による武道拝命(剣道柔道)や国家公務員総合職試験・一般職試験からの採用もある。国家公務員II種採用の場合は看守部長から、I種採用の場合は副看守長からの採用となる。

かならずしも4月1日に任命される訳ではなく、必要に応じて採用候補者名簿の有効期限内に随時採用される。武道拝命以外にも、武道が奨励されているために武道を好む職員が多い。採用後、選抜試験を経た上で中等科研修や高等科研修といった研修受けることにより、幹部職員になることが可能である。

受刑の概要[編集]

入所から出所まで[編集]

以下の流れは有期刑の場合である。

  1. 収容:収容後まもなく刑執行開始時の指導・処遇調査・医務診察などが行われる。→処遇方針決定
  2. 処遇方針決定後、処遇(作業、矯正指導、保護調整)
  3. 釈放前指導等
  4. 釈放(満期か仮釈放)

無期刑の場合は刑に終わりがないため、満期釈放は不可能であるが、現行法は無期刑にも仮釈放を認めているため、無期刑の受刑者に対しても、10年を経過した後、改悛の状などによって仮釈放を許すことができる(刑法28条)[52]。実際、1993年までに受刑期間12年以内に仮釈放を許された者が1973年~1993年の間に14名存在し、18年以内に仮釈放された者も含めれば783名となり、この期間の無期刑仮釈放者の約83%を占めていた。

しかし、仮釈放の判断状況や許可者の在所期間など運用の変化、刑法の懲役刑が最大30年になったことにより、仮釈放が認められた無期刑受刑者は、2011年以降は、2014年の1人(仮釈放判断時の受刑期間が29年3ヵ月の強盗致死傷罪で服役していた、80代無期刑受刑者)を除いて、全員が30年を超えて在所しており(2018年の仮釈放者の平均は31年6ヶ月)、仮釈放前に刑務所で死去する受刑者も増えている[52][53]

収容[編集]

受刑者は刑事施設に収容されると、単独室(いわゆる独居房)と共同室(いわゆる雑居房)のどちらかに収容される。定員は、原則、単独室は1名、共同室は6名である。かつては過剰収容状態にあり、多くの施設で単独室に2名を収容、共同室に8名を収容するといった状態が続いていたが、過剰収容から高率収容となり、定員オーバーは徐々に解消されつつある。

なお、収容中に反則行為を起こした場合、その事実について調査の上、「懲罰」を受けることもある。「報奨金計算額の3分の1の削減」、「書籍等の閲覧停止」などいくつかの種類があるが、大半は一定の期間、単独室の中で正座あるいは安座で過ごす、いわゆる「閉居罰」を科されることになる。懲罰は刑罰ではなく「行政処分」なので、単に懲罰を受けただけでは刑期自体が延びることはないが、仮釈放の時期に大きな影響を及ぼす。

また、収容中に暴行や器物損壊などの刑罰法令に触れる疑いのある行為があった場合、所内で特別司法警察職員の指定を受けている職員が捜査し、検察庁に事件送致する場合がある。その場合、刑事事件として審理されるわけであるが、有罪判決が出れば、新たな刑を受ける(つまり刑期が延びる)ことになるが、1刑目の仮釈放は甘くなるので、必ずしも刑期が延びるとは限らない。むしろ早く出所できる場合がある。

死刑判決を受けた者は、刑務所には収容されることはなく、拘置所に収容され、絞首刑の執行を待つこととなる。

受刑者の一日[編集]

日本の刑務所で提供される食事

平日の起床は午前7時前。施設によって若干の違いはあるものの、おおむね6時40分ころである。その後、開室点検(人員点呼等)を行った後朝食をとり、工場へ出役する(作業を望まない禁錮刑の受刑者は除く)。そして、午前午後と刑務作業を行い、その間に、運動・面会・医務診察などがある。

夕方、おおむね午後4時半前後に各居室へ戻り、閉室点検、夕食の配膳が行われ、食事後は余暇時間帯となる。午後7時頃からテレビ受像機で視聴できる。ニュースはテレビの時間外にラジオで流すケースが大半であるが、朝のニュースを昼や夕方に流すといったケースもある。ニュースに関しては、工場備え付けの日刊新聞の回覧で得ることもできるし、運動場の掲示板でも得られるし、自弁購入で新聞週刊誌を購入することもできる。

21時には就寝時間となって消灯されるが、完全に明かりが消えるわけではなく、読書できる程度の明るさが維持されている。この時間については、読書を認めている施設と認めていない施設とで対応が分かれる。当然、認められていない施設では時間外読書となり、場合によっては調査・懲罰を受けることになる。

作業内容[編集]

刑務作業は、木工金工紙工縫製などの生産作業から、洗濯炊場(被収容者の食事の支度)・水道・電気などの経理作業まで多岐にわたる。刑務所製品の即売会などで販売される商品を作る作業を「事業部作業」といい、外部の民間業者の製品を作る作業を「提供作業」という。

刑務所における作業の大半は提供作業であり、その製品は身近な物も多数ある。他にも、自動車整備士等各種免許取得が可能な職業訓練、地域の学校と協力しての通信教育など懲役と一言でいっても、その作業・矯正教育の幅は非常に広く、社会復帰に向けての様々な工夫がされている。

施設によっては、大手企業の第一線で活躍する職員(技能五輪参加経験者など)が中に入り、直接指導をしていたり、IT企業が出所後の採用を前提にプログラミングの訓練を行っていたりする場合もある。

土曜日曜祝日並びに年末年始は『免業日』と呼ばれ、刑務作業はないが、たまに残業や休日の作業もある。また、炊事・内掃などを担当している者については、免業日がシフト制になっている。また、月に2日ほど「矯正処遇日(教育的処遇日)」と呼ばれる日が指定されている。これは、平日ではあるが工場などでの作業を行わずに、矯正「教育」に当てるために作られた日で、施設によっては指定されたテレビ番組やラジオ番組(いずれも録画・録音)を視聴し、感想文の提出を求めるところもあるが、専門職員が不足していることもあり、本来の目的が果たされているかは疑問が残る。

職業訓練[編集]

「受刑者等の作業に関する訓令」(法務大臣訓令)に基づき30職種以上あり訓練修了者のうち,総合訓練施設において年間1,400時間以上の訓練を修了した者には,厚生労働省職業能力開発局長から履修証明書が発行されている。職業訓練の希望者は多く極めて倍率は高いため、訓練を受けられる場合はまれである。また、資格によっては免許証などの交付があるが、それらについては自弁での支払いとなる場合が多い。

事務・福祉[編集]

商業デザイン科、義肢・装具科、経理事務科、一般事務科、OA事務科、介護サービス科、理容科、美容科

自動車[編集]

自動車整備科、自動車車体整備科、農業機械整備科

情報処理[編集]

コンピュータ制御科(数値制御機械科)、OAシステム科、ソフトウェア管理科(情報処理科)、データベース管理科、 プログラム設計科、システム設計科、データベース設計科

製造[編集]

機械加工科(機械科)、精密加工科、機械製図科、電子機器科、電気機器科、製材機械整備科、縫製機械整備科、織布科、織機調整科、染色科、ニット科、洋裁科、縫製科、和裁科、寝具科、木工科、紙器製造科、製版科、印刷科、製本科、プラスチック製品成型科、鞄製造科、ガラス製品製造科、石材加工科、製麺科、パン・菓子製造科、水産加工科、発酵製品製造業、陶磁器製造科、竹工芸科

建設[編集]

園芸科、造園科、塑性加工科(板金科)、塑溶接科、構造物鉄工科、電気工事科、建設機械整備科、木造建築科、枠組み壁建築科、とび科、鉄筋コンクリート施工科、プレハブ建築科、建築設計科、屋根施工科、スレート施工科、建築板金科、防水施工科、サッシ・ガラス施工科、畳科、インテリア・サービス科、床仕上施工科、表具科、左官・タイル施工科、ブロック施工科、配管科、住宅設備機器科、土木施工科、測量・設計科、ビル管理科、ボイラー運転科、クレーン運転科、建設機械運転科、木材工芸科、漆器科、貴金属・宝石科、金属塗装科、木工塗装科、建築塗装科、広告美術科、工業デザイン科

外部交通(面会、信書の発受、電話等による通信)[編集]

受刑者が外部と通話している様子
  • 受刑者

受刑者にとって、家族や雇用主などとの良好な関係は、その改善更生及び円滑な社会復帰に良い影響を与えると言われている。一方で、受刑者には、暴力団員との交友関係など犯罪に至った背景となる社会的関係があり、矯正処遇の適切な実施のためにはその関係を遮断することが必要となる。そのため、受刑者が面会や信書の発受をすることができる相手方や内容については、一定の制限がある。なお、面会と信書の発受のほか、一定の要件を満たした受刑者について、改善更生や円滑な社会復帰に役立つと認められる場合は、電話による通信をすることができる[54]

未決拘禁者については、受刑者のように矯正処遇を目的とした面会や信書の発受の制限を受けることはないが、罪証隠滅を防止するために共犯者などとの連絡 を防止する必要があることから、それを目的とした制限を受けることがある[55]

篤志面接委員の活動[編集]

篤志面接委員の活動

刑務所の収容者に対して、様々な働きかけを行っている[56]

  • 種々の悩みごとに関する相談・助言
  • 教養や趣味に関する指導
    • 俳句・短歌、音楽、書道、珠算、宗教など
  • その他の指導
    • 薬物依存離脱指導、交通安全指導、酒害教育など

その他[編集]

運転免許証の更新については、2年以上の受刑者のみ、自弁での書き換えが可能。それ以下の場合は在監証明の発行を受け、住所地の運転免許試験場での再発行手続きとなる。国民年金については、収容中も支払い義務が発生するため、収容後速やかに手続きが必要。ただし無収入なので免除申請は可能。納付期間によっては年金受給額が減額されたり、支払われなくなる場合があるので注意が必要である。健康保険は無加入となるので、出所後に手続きが必要になる。

それ以外の民間の支払い義務(NTT固定電話、各社携帯電話、NHK受信料、電気・ガス・水道などのインフラ系、アパートの家賃、クレジットカード、ローン等々)は全くと言っていいほど特例なく、ほとんどの会社で有罪判決が確定した場合は、強制解約となる。仕組み預金や定期預金などは満期を迎えていても、刑事施設に収容された日にさかのぼって解約することができる。

新設される施設を除き冷房装置はつけられていない。2018年には名古屋刑務所の収容者が熱中症で死亡したが、法務省は既存施設に冷房装置を完備させる予定していないとしている[57]

歯科医療については、必ずしも希望する治療が受けられない刑務所も存在する。大分刑務所の例では、歯科技工士がいないという理由で詰め物やかぶせ物を使った治療はしていない。抜歯しかできないことから鎮痛剤でしのいだ受刑者の例もある[58]

刑務所内の様子(画像)[編集]

高齢化問題[編集]

刑務所では、受刑者の高齢化が進行している。刑務所に受刑中の60歳以上の割合は、2010年末は、全体で16.31%(10,414人)から、2020年末には20.57%(8,191人)と、約4%程上昇している。男性は16.13%(9,551人)→20.17%(7,352人)へ、女性は18.58%(863人)→24.98%(839人)と男性は約4%、女性は約6%上昇している[59][60]

また、65歳以上の高齢者が起こす犯罪の比率が急上昇している。1999年(平成11年)には刑法犯罪検挙人員に占める割合は約5.1%(17,942人)であったが、20年後の2019年は約22.0%(42,463人)と20%を超えていた[61]。人口全体に占める65歳以上の割合が増えたペースを、はるかに上回る上昇ぶりである(65歳以上の高齢者は現在、人口の4分の1以上を占めている)。但し、人口比では、2007年(平成19年)をピークに減少しているた[61]

高齢者の犯罪で圧倒的に多いのが窃盗、主に万引きである。行きつけの店で3,000円もしない食品を盗むケースが多い[62]。2019年(令和元年)の窃盗における検挙人員の約3割が高齢者であり、特に万引きは、約4割を占めた。[63]。更に、検挙された男性高齢者の約4割が万引きであり、女性の場合はより割合が高くなり、約4分の3を万引きで占めていた[61]

そのため、窃盗の罪状で刑務所に入所してきた全ての高齢受刑者に占める割合は、男女ともに著しく高く、女性においては、より顕著である[64]。そして、2019年(令和元年)の割合は、男性の場合は約51.6%、女性の場合、約86.1%を占めていた。なお、2019年(令和元年)に殺人の罪状で刑務所に入所してきた高齢受刑者の人員は、45人(男性36人・女性9人)であった[64]

増加の背景に経済的な問題があると、香港のコンサルティング会社カスタム・プロダクツの元幹部で、オーストラリア出身の人口統計学専門家、マイケル・ニューマン氏が指摘する。ニューマン氏によれば、日本の老齢基礎年金で支給される額は「ほんのわずか」にすぎず、生活していくのはとても大変であることが背景にあると指摘する[62]

ニューマン氏が2016年に出した論文で試算したところによると、国民年金(年額78万円)以外に収入のない人は家賃と食費、医療費を払っただけで赤字(年間22万3,000円)になる[65]。暖房費や洋服代も入れた場合、更に赤字額が増す。そのため、赤字の分は、自力で生活していくしかなくなってしまい、最悪のケースの1つとして、万引きなどを筆頭に窃盗犯罪に手を染め、1日3食も支給され最低限の保証がある刑務所に駆け込んでしまうケースがある[62]

またもうひとつに、社会的孤立が深まってしまい、寂しさに耐えられなくなっている高齢者が増加していることも指摘されている[66]

更生保護施設「ウィズ広島」の山田勘一理事長より、精神面で家族に先立たれるなどして孤立化してしまい、悲しみに耐えかねて、窃盗などに手を染めてしまい、それが高齢者による犯罪急増の一因になっているとの見方を示した。また、人はたいてい、面倒を見てくれる人や力になってくれる人がいれば罪を犯したりしないものだと、理事長は言う[62]

また、男性よりも寿命が長く、ひとり暮らしの数も男性の2倍という高齢女性が深刻である。高齢女性の単身世帯の急増しており、一人暮らしの高齢女性の数は男性の2倍であり、400万人を上回っている。女性は男性よりも長寿で、離婚未婚も増加しているため、今後も増え続けると予測されている[66]

更に、女性入所受刑者に占める割合が著しく高い万引きの高齢女性の背景には、「生活に対する不安」がある。年金額が非常に低く、貯金を切り崩していき、無くなってしまった先の生活に悲観して、あるいは貯金が無くなってしまい、万引きに手を染めてしまっていると推測される。つまり、セーフティーネットがうまく機能してないことも要因であると指摘されている[66]

そしてもう一つが、「人に迷惑をかけてはいけない」と思う気持ちがあまりにも強すぎてしまうことである。その気持ちの強さ故に、誰にも相談できず、いろんな問題を抱えてしまい、抱えきれなくなった問題が万引きという形で表れてしまう[66]

そして、ニューマン氏はこれまで、刑務所の定員拡大や女性看守の増員(高齢の女性受刑者はもともと少なかったが、特に速いペースで増えている)といった日本国政府の改革を見守ってきた[62]。受刑者が請求される医療費も2005年~2015年の間で、実質的に約1.7倍に増加したと指摘する[65]

また、東京の府中刑務所では、受刑者の3分の1近くが60歳を超えている。そして、刑務所では、行進が刑務所生活の1つとして行われているが、高齢受刑者の中には、必死で追いつこうしたりする者や松葉づえをついている者もおり、行進を行うのが難しくなってきている[62]

府中刑務所教育部の谷澤正次は、施設を整備する必要が出てきたと話す。これまでに手すりや特殊なトイレを設置したほか、高齢の受刑者向けの講座もあるという。ニューマン氏は、裁判手続きや収監にコストをかけずに、高齢者に年金の半分を渡すのと引き換えに、食事や家賃、医療などが無料になる産業・住宅複合コミュニティーをつくり、高齢者の面倒を見るほうがずっといいし、安上がりだと主張する[62]

また、2017年(平成29年)における高齢入所受刑者の刑期は、女性の入所受刑者は、2年以下の刑の者が約7割を占めているのに対し、男性の入所受刑者では、2年を超える刑の者が約4割を占めており、男性は、女性と比べて刑期の長い者の割合が高い。そして、非高齢者と比べて何度も刑務所に入る者の割合が一貫して高い。罪を犯す高齢者の多くは、常習犯となっている。2017年に有罪が確定した65歳以上の2,278人中、約37.4%が過去に6回以上有罪となっていた[67]

その現状に対して、ニューマンは、日本の裁判について、軽い窃盗罪でも刑務所へ送られることが多いのは、罪に応じた罰かどうかを考えると、やや常識外れの感があると話す。ニューマンが2016年に書いた報告書では「200円のサンドイッチを盗んだ場合の刑期が2年なら、その刑期に840万円の税金が使われる」と指摘した[62]

約3,000店舗の警備を請け負う「エスピーユニオン・ジャパン」代表取締役社長の望月守男によれば、万引きに対する判決はむしろ厳しくなっていると述べている[62]

法務省矯正局の補佐官、荘雅行は「パン一切れ盗んだだけだとしても、裁判では刑務所に入るのが妥当と判断された。だから受刑者には、社会で罪を犯さずに生きていくにはどうしたらいいか、その方法を教える必要がある」と語った[62]

過剰収容問題[編集]

少なくとも2017年8月以降は、過剰収容問題は解消されている。

収容率は、1967年に未決と合わせた値であるが100%を切って以降、長らく100%以下で推移していたが、1993年(収容率:約77.2%)から収容率が増加し始めた。そして1999年(収容率:約94.5%)を境に増加スピードがより速くなり、2000年には収容率が約103.6%となり、刑務所(本所に限る。)の約3割が定員を超えた[68][69][70]。翌年の2001年には、収容率が109.7%となり、刑務所(本所に限る。)の8割強が定員を超える収容となった[71]。更に2003年は、収容率が約116.6%で、ほぼすべての施設(72施設中64施設)が100%を超える過剰収容となっており、その中でも、収容率が120%を超えるものが29施設あった。なお、収容率が100%に満たない施設の半数余りは医療刑務所であり、医療刑務所を除いた各刑務所では過剰収容が問題となった[50][69]。統計では犯罪発生数に目立った増加がないのに受刑者数が激増した理由として、オウム真理教事件や、犯罪報道の増加による国民の体感治安の悪化で厳罰化が進んだこと、景気の悪化により就労先が見つからない者や、高齢者などが出所後すぐに生活に困った結果、衣食住が保障される刑務所に戻ろうと窃盗や詐欺(特に万引き食い逃げ)、暴行・傷害事件等の犯罪を再び犯すという、いわば刑務所が福祉施設代わりになっていることが挙げられる。

過剰収容対策として、既存施設の大幅な増改築や、PFI施設4庁の新設[72] により、収容定員を大幅に増やしたのだが、受刑者総数が減った事もあり、2004年(収容率:約117.6%)をピークに減少し、2008年には、全体の収容率が100%を下回り、その年以降から現在まで収容率が100%未満である。また、2008年時点で、刑務所(本所に限る。)は、全76施設中28施設(36.8%)であった[73]

しかしながら、これまでの過剰収容対策は、PFI施設を中心とするA級受刑者に対する対策が中心のものであり、100%を下回った後も、LA級施設、B級施設、女子施設については、過剰収容状態が続いていた。但し、前述にある受刑者総数の減少がその後も続いたことにより、2015年末では、女子施設を除いて、定員を下回る収容人員となった[74]。また、女子施設については、2011年以降、収容施設の増設により、女子施設全体の収容率は2013年末で100%を下回った[75]。更に男性用刑務支所を女性用に転用した結果、2017年8月に全ての女子施設が、収容定員より下回った[76][77][78]

2019年末時点の収容率(労役場留置者及び被監置者を含む。)は、約60.6%(収容定員:70,000人、収容人員:42,433人)であった[1]

また、現在は過剰収容が解消されたものの、高齢受刑者の増加に対する対策並びに出所後の再犯防止のための就労支援や、保護観察、福祉制度による支援の充実が必要であると言われる。

日本の刑務所受刑者数と人口比の推移(1875年以降)[編集]

1875年以降の年末時点の受刑者数と10万人当たりの受刑者人口比。
また、左の縦軸は受刑者数であり、右の縦軸は人口比である。
人口(千人) 受刑者数(人) 人口比(人)
1875 35,316 13,186 37.34
1876 35,555 12,729 35.80
1877 35,870 17,831 49.71
1878 36,166 22,159 61.27
1879 36,464 26,354 72.27
1880 36,649 27,793 75.84
1881 36,965 29,411 79.56
1882 37,259 33,351 89.51
1883 37,569 42,257 112.48
1884 37,962 55,517 146.24
1885 38,313 63,338 165.32
1886 38,541 61,121 158.59
1887 38,703 55,688 143.89
1888 39,029 54,126 138.68
1889 39,473 54,408 137.84
1890 39,902 57,615 144.39
1891 40,251 61,595 153.03
1892 40,508 64,153 158.37
1893 40,860 65,617 160.59
1894 41,142 67,261 163.49
1895 41,557 65,234 156.97
1896 41,992 64,287 153.09
1897 42,400 57,127 134.73
1898 42,886 58,918 137.38
1899 43,404 50,576 116.52
1900 43,847 49,260 112.35
1901 44,359 49,579 111.77
1902 44,964 49,464 110.01
1903 45,546 54,946 120.64
1904 46,135 52,382 113.54
1905 46,620 48,346 103.70
1906 47,038 48,738 103.61
1907 47,416 47,902 101.02
1908 47,965 46,951 97.89
1909 48,554 63,595 130.98
1910 49,184 64,071 130.27
1911 49,852 60,627 121.61
1912 50,577 57,887 114.45
1913 51,305 57,095 111.29
1914 52,039 50,595 97.23
1915 52,752 49,709 94.23
1916 53,496 48,346 90.37
1917 54,134 51,586 95.29
1918 54,739 53,052 96.92
1919 55,033 51,869 94.25
1920 55,963 48,083 85.92
1921 56,666 43,659 77.05
1922 57,390 41,311 71.98
1923 58,119 38,751 66.68
1924 58,876 36,626 62.21
1925 59,737 39,418 65.99
1926 60,741 39,513 65.05
1927 61,659 37,990 61.61
1928 62,595 36,411 58.17
1929 63,461 37,493 59.08
1930 64,450 41,188 63.91
1931 65,457 42,253 64.55
1932 66,434 46,324 69.73
1933 67,432 49,922 74.03
1934 68,309 48,904 71.59
1935 69,254 51,094 73.78
1936 70,114 51,977 74.13
1937 70,630 49,132 69.56
1938 71,013 46,686 65.74
1939 71,380 43,260 60.61
1940 71,933 38,599 53.66
1941 72,218 38,711 53.60
1942 72,880 39,960 54.83
1943 73,903 45,810 61.99
1944 74,433 54,942 73.81
1945 72,147 36,824 51.04
1946 75,750 55,925 73.83
1947 78,101 64,663 82.79
1948 80,002 76,897 96.12
1949 81,773 79,692 97.46
1950 84,115 80,589 95.81
1951 84,541 78,441 92.78
1952 85,808 63,278 73.74
1953 86,981 64,558 74.22
1954 88,239 63,589 72.06
1955 90,077 67,813 75.28
1956 90,172 67,984 75.39
1957 90,928 65,565 72.11
1958 91,767 65,478 71.35
1959 92,641 64,700 69.84
1960 94,302 61,100 64.79
1961 94,287 57,599 61.09
1962 95,181 55,310 58.11
1963 96,156 53,888 56.04
1964 97,182 52,344 53.86
1965 99,209 52,657 53.08
1966 99,036 53,655 54.18
1967 100,196 49,638 49.54
1968 101,331 46,117 45.51
1969 102,536 42,275 41.23
1970 104,665 39,724 37.95
1971 106,100 39,279 37.02
1972 107,595 40,426 37.57
1973 109,104 38,854 35.61
1974 110,573 37,769 34.16
1975 111,940 37,744 33.72
1976 113,094 38,715 34.23
1977 114,165 39,834 34.89
1978 115,190 41,319 35.87
1979 116,155 42,277 36.40
1980 117,060 41,835 35.74
1981 117,902 43,234 36.67
1982 118,728 44,955 37.86
1983 119,536 44,869 37.54
1984 120,305 45,346 37.69
1985 121,049 46,105 38.09
1986 121,660 46,050 37.85
1987 122,239 45,958 37.60
1988 122,745 45,736 37.26
1989 123,205 42,615 34.59
1990 123,611 39,892 32.27
1991 124,101 37,765 30.43
1992 124,567 37,237 29.89
1993 124,938 37,164 29.75
1994 125,265 37,425 29.88
1995 125,570 38,585 30.73
1996 125,859 40,389 32.09
1997 126,157 41,689 33.05
1998 126,472 43,245 34.19
1999 126,667 45,322 35.78
2000 126,926 49,814 39.25
2001 127,316 53,284 41.85
2002 127,486 56,959 44.68
2003 127,694 60,851 47.65
2004 127,787 64,047 50.12
2005 127,768 67,423 52.77
2006 127,901 70,496 55.12
2007 128,033 70,053 54.71
2008 128,084 67,672 52.83
2009 128,032 65,951 51.51
2010 128,057 63,845 49.86
2011 127,834 61,102 47.80
2012 127,593 58,726 46.03
2013 127,414 55,316 43.41
2014 127,237 52,860 41.54
2015 127,095 51,175 40.27
2016 126,933 49,027 38.62
2017 126,706 46,702 36.86
2018 126,443 44,186 34.95
2019 126,167 41,867 33.18
2020 125,708 39,813 31.67
  • 注:受刑者数は年末時点の受刑者数である。
  • 出典
令和3年3月報 (令和2年10月平成27年国勢調査を基準とする推計値,令和3年3月概算値)2020年の人口統計
統計局>統計データ>日本統計年鑑>本書の内容>第七十回日本統計年鑑 令和3年>第2章 人口・世帯>2-1 人口の推移(Excel)1891~2019年の人口統計
昭和43年版犯罪白書>第三編 犯罪と犯罪者処遇の一〇〇年>第三編 統計表>III-10表 収容者年末人員(各年12月31日現在)1875~1945年
令和2版犯罪白書>第2編 犯罪者の処遇>第4章 成人矯正>第2節 刑事施設の収容状況>2 刑事施設の収容状況>2-4-2-1図 刑事施設の年末収容人員・人口比の推移1946~2019年
2020年矯正統計調査 20-00-03 施設別 年末収容人員2020年

日本の刑務所一覧[編集]

奈良少年刑務所2017年平成29年)3月31日で閉鎖されたことにより、日本の都道府県で奈良県のみ刑務所が存在していない[79]。また、2019年(平成31年)3月31日に 佐世保刑務所が閉鎖された[80]

札幌矯正管区[編集]

仙台矯正管区[編集]

東京矯正管区[編集]

名古屋矯正管区[編集]

大阪矯正管区[編集]

広島矯正管区[編集]

高松矯正管区[編集]

福岡矯正管区[編集]

医療刑務所[編集]

社会復帰促進センター(PFI方式で建設・運営する刑務所)[編集]

美祢社会復帰促進センター
島根あさひ社会復帰促進センター

不祥事[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 奈良県のみ刑務所がない。
  2. ^ 地方官官制制定まで囚獄所・懲役署・監獄所など道府県により名称のゆれがある。レファレンス共同データベース”. 国立国会図書館. 2018年8月1日閲覧。
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参考文献[編集]

外部リンク[編集]