螺鈿

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国宝 片輪車螺鈿蒔絵手箱、平安時代後期、12世紀東京国立博物館。(蒔絵も使われている)
国宝 八橋蒔絵螺鈿硯箱、尾形光琳作。江戸時代18世紀。東京国立博物館蔵。(蒔絵も使われている)
小紋螺鈿印籠。切金と切貝が施された杣田細工の印籠。江戸時代作、19世紀、東京国立博物館蔵。(蒔絵も使われている)

螺鈿(らでん)は、主に漆器や帯などの伝統工芸に用いられる装飾技法のひとつ。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。螺は貝、鈿はちりばめることを意味する。

使用される貝は、ヤコウガイ(夜光貝)、シロチョウガイ(白蝶貝)、クロチョウガイ(黒蝶貝)、カワシンジュガイ(青貝)、アワビアコヤガイなどが使われる。はめ込んだ後の貝片に更に彫刻を施す場合もある。

歴史[編集]

中国[編集]

螺鈿工芸は代に流行し[1]代に日本に伝わった。

日本[編集]

日本では、螺鈿は奈良時代から輸入され、琥珀鼈甲と組み合わせて楽器などの装飾に使用された。古い遺品としては正倉院宝物として伝来する螺鈿紫檀五絃琵琶、螺鈿紫檀阮咸(げんかん)などがある。平安時代になると、螺鈿の技術は急速に向上し、漆芸の装飾技法として蒔絵との併用が盛んに行われた。鎌倉時代になると螺鈿はの装飾として人気を博し、室町時代になると中国の高価な螺鈿細工の影響を受けた。

安土桃山時代にはヨーロッパとの貿易によって螺鈿産業は急成長した。この頃は螺鈿と蒔絵の技術を使って、輸出用にヨーロッパ風の品物(例えば箪笥やコーヒーカップなど)が多く作られた。これらの品物はヨーロッパでは一つのステータス・シンボルとなる高級品として非常に人気があった。日本ではこの頃の輸出用の漆器を南蛮漆器と呼んでいる。

江戸時代になっても螺鈿は引き続き人気を博したものの、鎖国政策によってヨーロッパとの貿易は大幅に縮小されたため、螺鈿職人は必然的に日本向けの商品に集中することとなった。江戸時代の螺鈿職人としては生島藤七青貝長兵衛杣田光正杣田光明兄弟などが名高い。

現在の日本では奈良漆器によく行われており、代表的な作家に北村昭斎樽井禧酔がいる。

他の伝統工芸と同じく、新たな用途開拓も試みられている。民谷螺鈿(京都府京丹後市)は貝片を貼った和紙を裁断したうえで糸で補強し、織物にする「螺鈿織」を開発。バッグなどを製造しているほか、欧米の大手ファッションブランド企業からも受託生産している[2]

琉球[編集]

螺鈿細工の原料となるヤコウガイは、かつて琉球弧の先史時代から古代(沖縄貝塚時代 - グスク時代)にかけて、日本本土との交易品として重要なものであった(「貝の道」の交易)。古代以前は単にヤコウガイなど貝殻を採取して日本や中国に輸出し交易するだけであったが、琉球が国として発展しはじめた15世紀頃から、琉球においても独自の螺鈿細工が作られ始める。近世琉球漆器の最盛期である17 - 19世紀頃は王府直属の貝摺奉行所が螺鈿細工を含む漆器職人を統括しており、中国や日本との職人技術交流など、独自の文化を築き上げた。

朝鮮[編集]

螺鈿工芸は唐代に統一新羅時代の朝鮮半島に伝わった[3]螺鈿漆花文箱などの作品がある。

技法[編集]

嵌入法
漆塗りを施した表面を彫り込み、その模様に合わせて切り出した貝片をはめ込み、さらに上からを塗ってからで研ぎ出し、ツヤが出るまで磨く。
付着法
木地固めをした上に貝片を漆で接着し、その貝の厚さに近い高さまでサビ(生漆に砥粉を混ぜたもの)を塗り、中塗り、上塗りを施して、貝を研ぎ出す。貝の表面の漆を小刀で剥がす工程を行う場合もある。

種類[編集]

使用する貝の厚みによって厚貝・薄貝の区別がある。

  • 薄貝」は、貝を薬品で煮て薄く剥がしたもので、厚みは0.2mmほどである。見映えを良くするため、裏に胡粉などを施すことが多い。
  • 厚貝」は、貝を研磨して切り出したもので、厚みは1.5mmから2mmほどである。薄貝に比べて貝の輝きが美しいが、製造工程上、面積の大きい材料を得ることが困難である。

日本国外の螺鈿細工の実例[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

関連項目[編集]