熊襲

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熊襲(くまそ)は、日本記紀神話に登場する、現在の九州に本拠地を構え、大和王権に抵抗したとされる人々、また地域名自体を表す総称である[1]。『古事記』には熊曾、『日本書紀』には熊襲と表記される。『筑前国風土記』では球磨囎唹という連称表記が見え、これを熊襲と同一視する意見もある[2]。ただし、熊襲を「球磨+曽於」と解することは語呂合わせであるとの批判もある[3]

諸説[編集]

肥後国球磨郡(くまぐん。現熊本県人吉市周辺。球磨川上流域)から大隅国曽於郡(そおぐん。現鹿児島県霧島市周辺。現在の曽於市曽於郡とは領域を異にする)に居住した部族とされる[1][2]。また5世紀ごろまでに大和朝廷へ臣従し、「隼人」として仕えたという説もある(津田左右吉ら)。なお、隼人研究家の中村明蔵は、球磨地方と贈於地方の考古学的異質性から、熊襲の本拠は、都城地方や贈於地方のみであり、「クマ」は勇猛さを意味する美称であるとの説を唱えている。

また、魏志倭人伝中の狗奴国をクマソの国であるとする説が、内藤湖南津田左右吉井上光貞らにより唱えられている。ただし、この説と邪馬台国九州説とは一致するものではない。

一方、熊襲の「クマ」は「熊(羆)」のトーテムを表し、神功皇后と戦った羽白熊鷲などは、その「熊」・「鷲」の名称や「...其の為人、強く健し。亦身に翼有りて、能く飛びて高く翔る...」といった記述から、「熊、鳥」をトーテムとする天孫族の末裔で、邪馬台国王族[注釈 1]の子孫とする説もある。この説では、津田左右吉らの学説に反論し、狗奴国は「狗(犬)」のトーテムを表し、犬狼信仰と犬狼獣祖伝説を持つ縄文人の国であると想定した。隼人は「吠え人」(狗のように吠える人)の意味で、狗奴国の末裔が隼人であるとする[3]

文献資料ではなく、土器の分布の面からは、免田式土器(弥生期から古墳初期にかけて)が熊襲の文化圏によって生み出されたものではないかと森浩一は考察している。

イサオ・タケル制[編集]

景行朝の記述として、熊襲は頭を渠帥者(イサオ)と呼び、2人おり、その下に多くの小集団の頭たる梟帥(タケル)がいたと記している。大和王権は武力では押さえられないので、イサオの娘に多くの贈り物をして手なずけ、その娘に、父に酒を飲ませて酔わせ、弓の弦を切り、殺害した(ヤマトタケルが弟彦(オトヒコ)という武人を美濃国に求めた神話においても、敵を酔わせて殺害する戦法を取っている)。

神話・伝承[編集]

国産み神話[編集]

古事記』・国産み神話においては、八島のうち、隠岐の次、壱岐の前に生まれた筑紫島(九州)の四面のひとつとして語られ、別名を「建日別(タケヒワケ)」といったとされる。

服属神話[編集]

皇祖神火遠理命とその兄の火照命が争い、敗北した火照命が弟に服属して隼人の阿多君の祖になったとする神話。

ヤマトタケル伝承[編集]

日本武尊と 川上梟帥。月岡芳年

『古事記』には、オウスノミコトによるクマソタケル(熊襲建、川上梟帥)の征伐譚が記され、『日本書紀』においては、それに加え、ヤマトタケルに先立つ景行天皇自身の征討伝説が記される。特に前者は、当時小碓命と名乗ったヤマトタケルが、女装しクマソタケル兄弟の寝所に忍び込み、これらを討ち、その際に「タケル」の名を弟タケルより献上されたという伝承で有名である。

景行天皇九州征伐伝承[編集]

『日本書紀』に記述される伝承(景行天皇#九州巡幸参照)。

隼人の反乱[編集]

続日本紀』に記述される大隅国の伝承。

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 宝賀は天火明命を邪馬台国王家、邇邇芸命伊都国王家、天皇家の祖神とする。
出典
  1. ^ a b 襲国日本国語大辞典 デジタル大辞泉
  2. ^ a b 熊襲 くまそコトバンク
  3. ^ a b 宝賀寿男「四 天孫族の列島内移遷」『代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道古』青垣出版、2018年。

関連項目[編集]