沼田頼輔

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沼田 頼輔(ぬまた よりすけ(らいすけ)、慶応3年4月7日1867年5月10日) - 昭和9年(1934年11月27日)は、日本の紋章学者、歴史学者である。

概説[編集]

相模国愛甲郡宮ヶ瀬村(現・神奈川県愛甲郡清川村)生まれ。山本喜三郎の二男。

1886年、神奈川県立師範学校高等師範科を卒業。同県鶴嶺村の小学校訓導を務め、同年9月に高座郡一之宮学校(現・寒川町一之宮小学校)校長兼訓導となる。

1888年、沼田ナカと結婚し、婿養子に入り山本姓から沼田姓に改める。

1890年、理科大学簡易科第二部を修め、ついで歴史科、地理科、植物科などの中等教員免許を得た。

1892年、尋常高等茅ヶ崎小学校(現・茅ヶ崎市茅ヶ崎小学校)校長兼訓導となる。

1897年、開成中学校教諭となり、そのかたわら文科大学史学科編纂係となり、1901年、鳥取県米子中学校教諭、1906年、西大寺高等女学校長を歴任、1911年山内家史編纂所主任となった。

編纂所に初めて出勤したとき、山内侯爵から山内家がなぜ桐の家紋を用いているのかその理由を質問されて、即答することができなかったことに発憤し、それ以来、紋章の研究に専心し、1925年、「日本紋章学」を完成し、翌年、帝国学士院恩賜賞を受賞し、1930年2月10日、文学博士[1]。また考古学会副会長、人類学会および集古会の幹事であった。

著書に、「鰓髯長」、「吉備女優」、「日満の古代国交」など。

脚注[編集]