海人族

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海人族(かいじんぞく、あまぞく)、海神族(わたつみぞく)は、弁護士である宝賀寿男(歴史学者ではない)が提唱した概念であり、弥生文化前期の主力を担ったもので、航海、漁労など海上において活動し、4世紀以降は海上輸送で力をつけることとなった集団ならびに氏族である。

系統と分布[編集]

海人族には様々な仮説があるが、研究は進んでいないことから明確ではなく、朝鮮南部海岸系、インド・チャイニーズ系、インドネシア系の3系統があるとする見方がある[1]

朝鮮南部海岸の海人系[編集]

朝鮮南部海岸には多くの加羅国式の船の残骸や青銅器が発掘されていて、巨大な勢力の海賊が存在したと推測されている。文献に記録されていないが、朝鮮南部海岸で漁業をしていた人々が勢力化し、海賊集団が結成され日本列島に渡ってきた可能性があるという[2]

インドネシア系[編集]

黒潮に乗って縄文時代に日本列島に渡ってきた南島系の種族の可能性がある[3]。日本列島では沖縄県鹿児島県宮崎県和歌山県南部・三重県愛知県静岡県南西部などの県に数多く住んでたと推測されている[2]

インド・チャイニーズ系[編集]

中国南部の閩越地方の漂海民に起源を持ち、東シナ海を北上、玄界灘にきたたと推定される。しかし、根拠はない[1]

越族近縁説[編集]

弁護士である宝賀寿男と心理学者である安本美典は、安曇氏和邇氏尾張氏三輪君系賀茂氏諏訪氏守矢氏宗像氏上毛野氏下毛野氏など)に代表される地祇系の氏族であり[4][5] アジアの江南沿海部の原住地から紀元前に日本列島に到来した種族であるとする説を提唱した。また、医学者である崎谷満も同じ説を支持している。

また、百越と日本語はオーストロアジア語族の言語との類似性が指摘されており[6][7]、百越がY染色体ハプログループ旧O2[注釈 1]系統に属していたとする見解がある。しかし、中国南部には旧O2bは非常に少なく、弥生時代の墓制も存在しないため、この説は今は拒否されている。[8][9]。主として筑前肥前の沿岸地域に居住し、水稲耕作農業を行い青銅器を使用し、倭国の弥生文化前期の主力を担ったものであり、航海・漁労に優れた能力をもつ人々と推測される[要出典]

氏族[編集]

海人族に属すと考えられる氏族としては安曇氏海犬養氏宗像氏などが代表的である。ほかに海部氏籠神社宮司家)や津守氏和珥氏も元は海人族であったとする説がある。

出典[編集]

  1. ^ a b 世界大百科事典 あま【海人】
  2. ^ a b 澤田洋太郎『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)
  3. ^ 次田真幸『古事記 (上) 全訳注』講談社学術文庫 38刷2001年(初版 1977年)ISBN 4-06-158207-0 p.192、コノハナサクヤヒメ伝説がバナナ型神話の類型とし、これが大和の『古事記』に導入された。参考・松村武雄『日本神話の研究』第二巻、大林太良『日本神話の起源』。
  4. ^ 宝賀寿男『和珥氏 中国江南から来た海神族の流れ(古代氏族の研究 1)』(青垣出版、2012年)
  5. ^ 宝賀寿男『三輪氏 大物主神の祭祀者(古代氏族の研究 7)』(青垣出版、2015年)
  6. ^ 安本美典『日本人と日本語の起源』東京:毎日新聞社、1991年。
  7. ^ 安本美典『日本語の成立』東京:講談社、1978年。
  8. ^ 崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す 新・日本列島史』勉誠出版、2009年。
  9. ^ 崎谷満『新日本人の起源』勉誠出版、2009。

注釈[編集]

  1. ^ 旧O3が現O2となり、旧O2は現O1のサブとなって現O1bとなる。これにより旧O2aは現O1b1、旧O2bは現O1b2となる。

関連項目[編集]