世界重要農業遺産システム

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世界重要農業遺産システム(せかいじゅうようのうぎょういさんシステム [注 1]英語: Globally Important Agricultural Heritage SystemsGIAHSジアス[注 2])とは、伝統的な農業と、農業によって育まれ、維持されてきた、土地利用(農地やため池・水利施設などの灌漑)、技術、文化風習、風景、そしてそれを取り巻く生物多様性の保全を目的に、世界的に重要な地域を国連食糧農業機関(FAO)が認定するもので、持続可能な農業の実践地域となる。世界重要農業資産システムとも訳され[注 3] 、通称世界農業遺産[注 4]。2002年に国連食糧農業機関により開始された[1]。 GIAHSイニシアティブによる認定サイトはアフリカ、ラテンアメリカ及びアジアの15ヶ国、合計で35サイトとなる。

基本理念[編集]

FAOは食糧危機を見据え農業の大規模化を推進し、緑の革命の考え方をうけ品種改良や肥料を大量に用いることでの生産性・収穫量の向上を是としてきた。その結果、一部の地域では環境破壊や企業参入による農業の工業化と寡占といった問題が生じてしまった。その反省を踏まえ、農業の原点を再確認し、農業就労者の減少と高齢化という問題も交えて考えていこうという取り組みが農業遺産の基本的姿勢である[10]

登録地[編集]

地域別・国名アルファベット順・登録年次順
アフリカ

アルジェリアの旗 アルジェリア
ケニアの旗 ケニア
  • Oldonyonokie/Olkeri Maasai Pastoralist Heritage Site (オルケリのマサイ族放牧):2011年登録、マサイ族による改良固有種の牧牛農業。
モロッコの旗 モロッコ
タンザニアの旗 タンザニア
  • Engaresero Maasai Pastoralist Heritage Area (エンガレセロのマサイ族の放牧):2011年登録、ケニアのオルケリマサイ族と社会的地理的に分断されたマサイ族の牧牛農業。
  • Shimbwe Juu Kihamba Agro-forestry Heritage Site (シンヴェジュキとハンバの混農林業):2011年登録、キリマンジャロ南麓で見られる標高別に果樹建材林・バナナ林・コーヒー低木・菜園の4層からなる有機循環混農林業。
チュニジアの旗 チュニジア
  • Gafsa Oases (ガフサのオアシス):2011年登録、農民の共同管理による灌漑農業。

ラテンアメリカ

チリの旗 チリ
ペルーの旗 ペルー

アジア

バングラデシュの旗 バングラデシュ
  • Floating Garden Agricultural Practices(浮遊農業システム):2015年登録、現地ではベイラ(baira)・ゲト(geto)・ダハップ(dhap)などと呼ばれる束ねた浮草上での水耕栽培
中華人民共和国の旗 中国
  • Rice-fish Agriculture (水田養魚/浙江省青田県):2005年登録
  • Wannian Traditional Rice Culture (万年の伝統稲作/江西省):2010年登録
  • Hani Rice Terraces (ハニ族の棚田雲南省)(世界遺産):2010年登録
  • Dong's Rice Fish Duck System (トン族の稲作・養魚・養鴨/貴州省):2011年登録
  • Aohan Dryland Farming System (アオハンの乾燥地農業/内モンゴル自治区赤峰市):2012年登録
  • Pu'er Traditional Tea Agrosystem (プーアルの伝統的茶農業/雲南省):2012年登録
  • Kuaijishan Ancient Chinese Torreya (会稽山の古代中国トレヤ()/浙江省紹興市):2013年登録
  • Xuanhua Traditional Vineyards System (宣化の伝統的ぶどう栽培/河北省張家口市):2013年登録
  • Jasmine and Tea Culture System of Fuzhou City (福州市のジャスミンと茶文化システム/福建省):2014年登録
  • Jiaxian Traditional Chinese Date Gardens (中国の伝統的な佳県ナツメ庭園/河南省郏県):2014年登録
  • Xinghua Duotian Agrosystem (伝統的な興化田農業システム/江蘇省興化市):2014年登録
インドの旗 インド
  • Saffron Heritage of Kashmir (カシミールサフラン栽培):2011年登録
  • Traditional Agriculture Systems, Koraput (コラプットの伝統農業/オリッサ州):2012年登録
  • Kuttanad Below Sea Level Farming System (クッタナドの海抜以下の農業システム/ケーララ州):2013年登録
イランの旗 イラン
日本の旗 日本
  • Noto's Satoyama and Satoumi (能登里山里海):2011年登録
  • Sado's satoyama in harmony with Japanese crested ibis (トキと共生する佐渡里山):2011年登録
  • Managing Aso Grasslands for Sustainable Agriculture (阿蘇草原の持続的農業):2013年登録
  • Traditional tea-grass integrated system in Shizuoka (静岡の伝統的な茶草場農法):2013年登録
  • Kunisaki Peninsula Usa Integrated Forestry, Agriculture and Fisheries System (国東半島宇佐の農林水産循環システム):2013年登録
  • The Ayu of Nagara River System(清流長良川の鮎里川における人とのつながり):2015年登録
  • Minabe-Tanabe Ume System(みなべ田辺栽培):2015年登録
  • Takachihogo-Shiibayama Mountainous Agriculture and Forestry System(高千穂郷椎葉山の山間地農林業):2015年登録
韓国の旗 韓国
  • Traditional Irrigation Management System of Gudeuljangnon Terraced Rice Paddies (青山島のクドゥルチャンノン):2014年登録、クドゥルはオンドルの別称、チャンノンは農地のような意味。オンドルに似せた石積み上に盛り土することで、雨水を排水しやすくする構造。古くは青山濾水とも呼ばれていた。
  • Jeju Batdam Agricultural System(済州のバトダム):2014年登録、直訳すると「畑積み」。済州島の溶岩を積み上げた石垣で、海風から耕地を守ってきた。その様相から黒龍万里と形容される。
フィリピンの旗 フィリピン

ギャラリー[編集]

一次産業の多様性[編集]

農業遺産は単一の伝統農業の保護から、地域全体における一次産業の相互補完による文化形成圏へと推移しつつある。例えば、能登の里山里海では棚田農業だけではなく、天日で稲穂を干す「はざ干し」、炭焼きや漆器輪島塗を支える栽培と漆掻きなどの林業、揚げ浜式製塩法、海女漁鯔待ち櫓漁など、能登半島全域における山と海の恵みを活かした一次産業を対象としている。

なお、能登の里山里海は2011年(平成23年)に認定されたが、二年後に宝達志水町が追加認定されており、制度的に認定範囲の拡張が可能であることが確認された。

世界遺産との差異[編集]

世界遺産は不動産有形物を対象とし厳正保護が目的であるのに対し、農業遺産は伝統的な農業手法の伝承(無形財産)とそれを行う農地や周辺環境(文化的環境環境財)の保護も目的とし、農業遺産認定ブランドとして産物を売り出す遺産の商品化も認めている。

一例を上げると、世界遺産のフィリピン・コルディリェーラの棚田群は登録範囲がバナウェを中心とした約200平方kmの遺存状態が良好な限られた箇所に絞られているのに対し、農業遺産のイフガオの棚田はイフガオ族が暮らしパヨと呼ばれる棚田があるイフガオ州11市175村に跨る約680平方kmと、世界遺産の三倍以上の広さになる。特に世界遺産では文化的景観という概念が適用されていることから、農作業における機械化農薬の使用なども制限され維持管理が難しいが、農業遺産では農民の生活向上も図るため各戸への電力供給なども推奨しており(娯楽用ではなく気象情報入手のためのテレビやインターネットの普及目的)、景観を阻害する恐れがある。また世界遺産では棚田の景観を重視するが、農業遺産では棚田周辺で行われる焼畑農地なども含んでいる。

問題点[編集]

国内[編集]

農業遺産は生産地の観光地化が目的ではないものの、登録地の宣伝効果と農業遺産の知名度の向上に伴い、観光客が増える傾向にある。その影響により、耕作地への立ち入りやプライバシー侵害が浮上しつつある(観光公害)。

農業遺産ブランドが浸透することで、海外で海賊版のような無断商標使用、或いは日本地名産地偽装品の流通に拍車がかかった。これまで日本には地理的表示保証制度がなかったため、「農林物資の規格化および品質表示の適正化に関する法律」の改正と「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」制定により、2015年平成27年)6月1日より『GIマーク』の導入を始めたが[11]、国外での取り締まりは困難である。

海外[編集]

農業遺産は効率向上のため工業化を認め、農家の生活向上を目指し副産物の製作も奨励しており、日本の6次産業化を注視しているが、中国においては加工工場への就労からルイスの転換点を向える本末転倒な事態も発生している。

農業=エコというイメージ・風潮があるが、生物多様性の観点からすると、人為的に単一作物を栽培することは連作障害などを招き環境負荷環境破壊ともいえる。循環型とされる焼畑農業インドネシアスマトラ島の野焼きがシンガポールに深刻な煙害(ヘイズ)を与えている[12]

また、アフリカなど途上国の農業においては、プランテーション化による搾取や児童労働の問題も潜んでいる。

たばこアメリカンスピリットの宣伝文句に「タバコは農業」とあり、キューバビニャーレス渓谷でのタバコ栽培地が世界遺産になっているが、社会悪となった煙草の栽培に対する批判は免れない(たばこ規制枠組条約では栽培は否定していない)。

展開/展望[編集]

FAOはWFP(国際連合世界食糧計画)やUNEP(国際連合環境計画)そしてユネスコなどと、農業遺産を中心に農業・環境・食について連携を深めており、民間運動との相互補完も視野に入れている。一例として、公的なものとしては創造都市ネットワークの食部門、民間ではスローシティ運動や世界で最も美しい村運動、身土不二運動などが上げられる。

また、農林水産省は独自に日本農業遺産制度創設を検討し始めた[13]。中国では重要農業文化遺産(中国重要农业文化遗产)、韓国でも国家農漁業遺産(농가유산・어업유산)を国内政策として推進している。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ FAO日本語版サイトではこの訳語を使用[1]。羽咋市や熊本県のサイトなどでもこの訳語を使用[2][3]
  2. ^ Globally Important Agricultural Heritage Systems の頭文字を取ってGIAHS(ジアス)とも呼ばれる[4]
  3. ^ 輪島市のサイト、北國新聞、日本経済新聞、中日新聞などではこの訳語を使用[5][6][7][8]。その他、世界重要農業文化資産と訳されたこともあった[9]
  4. ^ 一般の略称[4]。佐渡市では当初「世界重要農業資産システム」または「世界重要農業資産」の表記を使用していたが、2011年5月29日の意見交換会以降に「世界農業遺産」に変更・統一したとしている。

出典[編集]

  1. ^ a b 世界重要農業遺産システム(GIAHS)”. FAO. 2013年5月30日閲覧。
  2. ^ 世界重要農業遺産システム(GIAHS)認定”. 羽咋市 (2011年9月21日). 2013年5月30日閲覧。
  3. ^ 阿蘇を世界農業遺産へ~阿蘇の草原の維持と持続的農業~”. 熊本県 (2013年3月25日). 2013年5月30日閲覧。
  4. ^ a b 特集1 世界農業遺産(1)”. 農林水産省. 2013年5月30日閲覧。
  5. ^ 世界農業遺産「能登の里山里海」”. 輪島市 (2013年4月11日). 2013年6月5日閲覧。
  6. ^ “能登の里山「住みたい」 棚田の景観絶賛 世界農業遺産認定でFAO部長ら視察 羽咋市神子原”. 北國新聞. (2011年6月7日). http://www.hokkoku.co.jp/subpage/E20110617001.htm 2013年5月30日閲覧。 
  7. ^ “世界農業遺産に佐渡と能登登録 国連食糧農業機関”. 日本経済新聞. (2011年6月8日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08011_Y1A600C1000000/ 2013年5月30日閲覧。 
  8. ^ “「静岡の茶草場」を世界農業遺産に認定”. 中日新聞. (2013年5月30日). http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20130530/CK2013053002000077.html 2013年5月30日閲覧。 
  9. ^ COP10名古屋に向けて:里山と世界重要農業文化資産 (PDF)”. 国連大学高等研究所. 2013年5月30日閲覧。
  10. ^ 世界農業遺産:大規模化を反省 武内国連大学上級副学長に聞く 毎日新聞平成25年8月23日 東京版
  11. ^ 農水省、6月開始の地理的表示保護制度の登録標章「GIマーク」公表知財情報局
  12. ^ シンガポール・マレーシア:煙害(ヘイズ)に関する注意喚起 - 外務省海外安全ホームページ
  13. ^ 「日本農業遺産」創設へ=文化継承、地域振興に活用-農水省 時事通信2016年3月3日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]