ヘボン式ローマ字

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ヘボン式ローマ字(ヘボンしきローマじ)とは、ラテン・アルファベットを使って日本語を書き表す方法のひとつ。特に固有名詞の表記において事実上の標準となっている。

概要[編集]

「ヘボン式」という名前はヘボンの『和英語林集成』第3版(1886年)に用いられたためにこの名がある。同書の初版・第2版のローマ字とは異なるため、修正ヘボン式とも呼ばれる。羅馬字会で制定されたために、古くは羅馬字会式、あるいは標準式などとも呼ばれた。

一覧[編集]

ヘボン式ではラテン・アルファベット26文字のうち、L・Q・V・Xの4字を除いた22文字を使用する。訓令式とくらべてC・F・Jの3文字が多い。

子音+短母音について、以下に五十音図風に示す。訓令式ローマ字とは14か所で違いがある。以下の表では異なる部分を太字で示す。

あ a い i う u え e お o
か ka き ki く ku け ke こ ko きゃ kya きゅ kyu きょ kyo
が ga ぎ gi ぐ gu げ ge ご go ぎゃgya ぎゅ gyu ぎょ gyo
さ sa shi す su せ se そ so しゃ sha しゅ shu しょ sho
ざ za ji ず zu ぜ ze ぞ zo じゃ ja じゅ ju じょ jo
た ta chi tsu て te と to ちゃ cha ちゅ chu ちょ cho
だ da で de ど do
な na に ni ぬ nu ね ne の no にゃ nya にゅ nyu にょ nyo
は ha ひ hi fu へ he ほ ho ひゃ hya ひゅ hyu ひょ hyo
ば ba び bi ぶ bu べ be ぼ bo びゃ bya びゅ byu びょ byo
ぱ pa ぴ pi ぷ pu ぺ pe ぽ po ぴゃ pya ぴゅ pyu ぴょ pyo
ま ma み mi む mu め me も mo みゃ mya みゅ myu みょ myo
や ya ゆ yu よ yo
ら ra り ri る ru れ re ろ ro りゃ rya りゅ ryu りょ ryo
わ wa

ヘボン式は表音的であり、標準的日本語で区別されない「じ・ぢ」「ず・づ」「お・を」などは書き分けない。

ガ行鼻濁音の子音は破裂音と区別せず、ともにgを使用する(訓令式・日本式でも同様)。

長母音は通常母音字の上にマクロンを置いて ō のように示されるが、ローマ字ひろめ会の標準式では訓令式と同様にサーカムフレックスを使うこととしている[1]

撥音は原則としてnで示されるが、後ろにp,b,mが続くときにはmで表記する(標準式ではこの場合でもnと書くことがあるとしている)。撥音の後ろに母音字またはyが続く場合は間をハイフンで区切る(標準式ではアポストロフィを使ってもよい)。

促音は子音字の1文字めを重ねるが、chについてはcchではなくtchとする。

アクセントは表記しない(訓令式・日本式でも同様)。

評価[編集]

ヘボン式の欠点としては、シをshi、チをchi、ツをtsuと書くなど冗長であることがあげられる。ダニエル・ジョーンズは、ヘボン式ローマ字が日本語では異音にすぎないものを英語のフィルタによって区別して書き表しているとして批判した[2]

拗音がシャ・ジャ・チャのみ子音+yではなく、sh/j/chという特別な形で表記されるのも、音韻論的に見て合理的ではない[3]

一方で、子音に関しては英語と同じ読み方でおおむね近似できるという利点を持つ。また、冗長であるためにティ・ディなどを容易に表すことができる。

ハロルド・E・パーマーは、日本のローマ字論が正書法・翻字・音声表記の3種類を混同していることを批判し、正書法としては日本式ローマ字を支持するが、外国人向けの表記としてはヘボン式、学者の音声表記としては国際音声記号を使うのが適当とした[4]

ローマ字かな変換では訓令式とヘボン式の両方が使えるようになっている(入力方式であるためにさまざまな違いは存在するが)。木村泉によると、シはヘボン式のshiよりsiの方が打ちやすいが、ジはjiの方がziより打ちやすく、チは場合によってはchiの方がtiより打ちやすいという[5]。またショもshoで入力している[6]

応用[編集]

鉄道の駅名は運輸省「鉄道掲示規程」(1947年7月26日 達398号、後に数回改訂)で改修ヘボン式を使うこととしている。長母音はマクロンを使用する。撥音はb/m/pの前でmを使用し、後ろに母音やyがあった場合にはハイフンを加える。JR以外の鉄道事業者もだいたいヘボン式を使っているが、長母音や撥音の書き方に多少の不統一が見られる。

道路標識は1986年10月25日の建設省「道路標識令」でヘボン式を採用している。長母音は短母音と区別されない[7]

日本地質学会は1952年にヘボン式ローマ字を使うことを決定した[7]

気象庁は1955年3月1日の通達で気象年報・月報の地名にヘボン式を採用している[7]

地質調査所は1984年4月17日の規程でヘボン式を採用した[7]

水路部は訓令式ローマ字を使ってきたが、1999年にヘボン式に移行した[7]

国土地理院は原則として訓令式ローマ字を使用してきたが、2004年11月11日の国土地理院長達34号でヘボン式に改められた。長母音は短母音と区別されない。撥音は常にnと書き、母音やyの前ではハイフンで区切る[7]

日本国旅券の名前表記のローマ字は、外務省旅券法施行規則」により、特別に申請しない場合、ヘボン式を使用する。撥音はb/m/pの前でmを使用し、後ろに母音やyがあった場合には何も加えない。長母音は短母音と区別しない[7][8]

日本郵便国際郵便のローマ字方式について特に規定していないが、郵便番号データファイルではヘボン式を用いている。撥音はb/m/pの前でmと記し、長母音は短母音と区別しない[9]

日本レジストリサービスの管理するLGドメイン名地方公共団体ラベルは都道府県または市区町村の名称をヘボン式ローマ字に直したものを用いる[10]

米国国家規格協会ではANSI Z39.11-1972 "System for the romanization of Japanese" においてヘボン式を採用した。ただしその後この規格はアメリカ情報標準化機構英語版によって撤回されている[11]アメリカ議会図書館のシステム(ALA-LC)はANSIと研究社新和英大辞典』第三版(1954)を参照している。長母音にはマクロンを使う。撥音は常にnと記し、母音やyが後続するときにはハイフンで区切る[12]

アメリカ合衆国でよく使われるエレノア・ジョーデンの日本語教科書では本文に訓令式ローマ字にわずかな改訂を加えたものを使用しているが、英文中の日本語(引用文を除く)ではヘボン式を使っている[13]

アメリカにおける標準的スタイルガイドである『シカゴ・マニュアル』では、日本のローマ字にはさまざまな方式があるが、明治初年以来もっともよく使われているのは修正ヘボン式であり、研究社の辞典ほか主要な和英辞典に使われているほか、日本以外ではほとんどこの方式のみが使われているとする。撥音に母音やyが後続するときにはアポストロフィで区切る。長母音はマクロンを使うが、よく知られた地名や英語化した日本語の単語では、正確な発音を示す目的以外ではつけないとする[14]

歴史[編集]

ヘボンは1859年に来日し、『和英語林集成』の初版を1867年(慶応3年)に、第2版を1872年(明治5年)に出版した。これらは日本語の見出し語や例文をローマ字で記していた。ヘボンはまたアメリカ聖書協会からローマ字で書かれたヨハネ福音書『Shin-Yaku Sei-sho. Yohane no fuku-in』を1873年に、『Warera no Shu Iyesu Kirisuto no Shin Yaku Zensho』を1880年に出版した[15][16]

1884年(明治17年)、外山正一は東洋学芸雑誌に「羅馬字ヲ主張スル者ニ告グ」を発表し、ローマ字国字論を唱えた。この呼びかけにこたえる形で翌年1月17日に羅馬字会が設立された。会員は外山正一、神田乃武矢田部良吉バジル・ホール・チェンバレンらであった。同会は機関誌『Rōmaji Zasshi』を発行し、2月19日につづり方を決定した[17]。羅馬字会の方式は『羅馬字にて日本語の書き方』[18]に記されている。この方式では助詞の「へ・を」をye, woとつづり、「クヮ・グヮ」は ka/kwa, ga/gwa のどちらを用いても構わないことになっていた[19]。ヘボンの『和英語林集成』第3版がこの方式によっているためにヘボン式と呼ばれるが、ヘボンが考案したわけではなく、ヘボンの第2版までの方式はそれ以前のジョン・リギンズサミュエル・ロビンス・ブラウンの方式とほとんど同じだった[20]

1905年(明治38年)にはローマ字論者の大同団結がはかられ、ローマ字ひろめ会が成立した。同会は機関紙『Rômaji』を発行し、また従来のヘボン式に多少の変更を加え、これを標準式と呼んだ。標準式では、長母音を ô のようにマクロンではなくサーカムフレックスで表し、また kwa gwa ye wo を廃止した[21][19][1]。これに対して日本式ローマ字を主張する田中館愛橘田丸卓郎らは1912年(明治45年)にひろめ会を退会し、1914年(大正2年)に東京ローマ字会(のちに日本ローマ字会と改称)を設立した[22][23]

鉄道省ははじめ駅名のローマ字表記に日本式ローマ字の採用を考えていたが、西園寺公望藤岡勝二ら、ひろめ会の会員6名が連名で建白書を提出して反対した[24]。1927年(昭和2年)、鉄道省は鉄道掲示規則(通達571号)でヘボン式を採用した。

1930年(昭和5年)から1936年(昭和11年)まで文部省で臨時ローマ字調査会が開かれたが、鉄道省や商工省地質調査所は標準式(ヘボン式)を、陸地測量部水路部中央気象台は日本式を主張した。1937年(昭和12年)内閣訓令第3号によって訓令式ローマ字が制定されたが[25]、この方式は日本式ローマ字に近いもので、日本式のうち発音上区別されない di du dya dyu dyo wi we wo kwa gwa などを除いたものだった[26]。長母音にはマクロンを使用し、撥音の後に母音やyが来るときにはハイフンで区切る。1938年(昭和13年)に鉄道省はローマ字を訓令式を使用するように改めた。

当時はヘボン式が圧倒的に優勢であり、訓令式が日本式に近い形に決定された理由について、柿木重宜はヘボン式の中心的人物であった藤岡勝二が1935年に没したことと関係するのではないかとしている[27]

1938年(昭和13年)、ヘボン式のローマ字論者の会である標準ローマ字会が設立された(1986年に解散)。

第二次世界大戦後、GHQは1945年9月3日に駅や道路標識にヘボン式ローマ字を使用する指令を出した[28]。アメリカから2回にわたって日本に派遣された教育使節団は、日本語の正書法として漢字仮名まじり文を破棄し、ローマ字を国字として使うように勧告したが(アメリカ教育使節団報告書)、方式については指定しなかった。使節団の勧告内容の多くは戦後の教育改革に採用され、国字としてローマ字を採用することは実現しなかったものの、1947年度からローマ字教育が導入された[29]

国語審議会ではローマ字調査分化審議会を開き、ローマ字のつづり方を統一しようとした。1953年(昭和28年)、国語審議会長の土岐善麿は「ローマ字つづりの単一化について」を発表し、第1表に訓令式を置いたが、日本式やヘボン式のつづりも「現実には通用している」ため読み方は知るべきであるとして、これを第2表とし、これ以上の統一はほとんど不可能とした[30]。この方式は1954年12月9日に内閣告示「ローマ字のつづり方」として発表された。1937年の訓令と異なり、長母音にはサーカムフレックスを使用し、撥音の後に母音やyが来るときにはアポストロフィで区切る。

脚注[編集]

  1. ^ a b 藤岡勝二 『ローマ字手引』 ローマ字ひろめ会、1906年
  2. ^ Collins & Mees (1998) p.361
  3. ^ 服部(1979) pp.225-226
  4. ^ 茅島(2000) p.230
  5. ^ 木村(1988) pp.19-22
  6. ^ 木村(1988) p.113
  7. ^ a b c d e f g 菱山剛秀「地名のローマ字表記」、『国土地理院時報』第108巻、2005年、 65-75頁。
  8. ^ 『パスポート:ヘボン式ローマ字綴方表』 東京都生活文化局、2016年2月23日http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/passport/documents/0000000485.html 
  9. ^ 『郵便番号データダウンロード:郵便番号データ(ローマ字)の説明』 日本郵便https://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/readme_ro.html 
  10. ^ 『LGドメイン名登録等に関する技術細則』 日本レジストリサービス、2014年4月15日https://jprs.jp/doc/rule/saisoku-1-lgjp.html 
  11. ^ “State of the Standards: 1999”. Information Standards Quarterly 11 (1): 14. (1999年). https://groups.niso.org/apps/group_public/download.php/6050/ISQ_vol11_no1_Jan1999.pdf. 
  12. ^ ALA-LC Romanization Tables: Japanese, The Library of Congress, https://www.loc.gov/catdir/cpso/romanization/japanese.pdf 
  13. ^ Jorden (1974) p.xlvi
  14. ^ The Chicago Manual of Style (15th ed.). The University of Chicago Press. (2003) [1982]. pp. 428-429. ISBN 0226104036. 
  15. ^ 茅島(2000) p.126
  16. ^ 『訓点聖書とローマ字聖書』 明治学院大学図書館 デジタルアーカイブスhttp://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/topics/kanyaku.html 
  17. ^ 『国語施策百年史』pp.207-208
  18. ^ 羅馬字会 『羅馬字にて日本語の書き方』、1885年
  19. ^ a b 服部(1960) p.675
  20. ^ 杉本(1989) pp.262-263
  21. ^ 『国語施策百年史』p.210
  22. ^ 『国語施策百年史』p.211
  23. ^ 柿木 (2013) p.135
  24. ^ 柿木(2013) p.152
  25. ^ 『内閣訓令第三號』1937年http://www.cityfujisawa.ne.jp/~roomazi/Tuzuri/kunrei3.html (ローマ字文庫)
  26. ^ 『国語施策百年史』p.215
  27. ^ 柿木(2013) pp.136-137
  28. ^ 茅島(2000) p.74
  29. ^ 茅島(2000) p.62
  30. ^ 『国語施策百年史』pp.417-421

参考文献[編集]

外部リンク[編集]