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硯と墨、筆

(すずり[1])は、で磨り卸すために使う、等で作った文房具である。中国ではと共に文房四宝のひとつとされる。硯及び附属する道具を収める箱を硯箱といい、古来優れた工芸品が多数あり、一般に硯箱は、桐や花梨でできているものが多い。

概説[編集]

現代では、石等を研磨し平たくしたもので、墨を磨る為に表面に細かく目を立たせたものを用いる。墨を溜める為の薄い窪みを墨池(海とも言う)、墨を磨る為の少し高い部分を墨堂(丘とも言う)という。

この様な、現代に一般的に見られる、墨池と墨堂からなる硯の成立は墨より遅く、古代には乳鉢の様なもので墨を砥いで粉末状にして用いた。早くから様々な材質と形状の硯があったが、古くは陶硯が主流で、円形の皿を多数の脚で支えるものが代表的な形である。7世紀から使用される日本の硯もはじめは陶硯で、破損した陶器を再利用した転用硯も多かった。∩や冂の形をした硯は中国の六朝時代に登場し、六朝時代の終わりに石製の硯が登場した。代に石硯が高級品として登場し、くだって代に普及品市場も石硯が占めて現代に至る。日本で石製の硯は11世紀から見られるようになった。なお、日本での硯の使用自体は弥生時代にすでに認められている(福岡県糸島市島根県松江市で出土)[2]

職人が硯を作るときには、墨を入れる海ともりあがっている陸の間の、滑らかなカーブ状の場所を削るのが、最も苦労する場所となる。

硯の種類[編集]

硯には大別して唐硯(中国産)と和硯(国産)がある。唐硯、和硯ともに産地、材質、形式、彫刻の模様などにより様々な種類の硯があるが、中でも端渓硯(たんけいけん)、歙州硯(きゅうじゅうけん)、洮河緑石硯(とうがろくせきけん)、澄泥硯(ちょうでいけん)が有名で中国の良硯の四宝といわれる[3]。他にも松花江緑石硯紅糸石硯陶硯などが存在し、品質、価格とも様々だが上級品は墨の降り・発墨に優れており、高価に取引されるものもある。

代表的な和硯[編集]

日本の硯の材料産地は、山口県宇部市の赤間石、宮城県石巻市の雄勝石、三重県熊野市那智黒石山梨県早川町雨畑の玄晶石(粘板岩)等である。その中でも赤間石と雄勝石の二つは百年以上の歴史があり、国の伝統工芸品指定を受けている。しかし雄勝石は2011年3月の東日本大震災石巻市の旧雄勝町地域が大きな損害を受け生産が停止したため、入手は困難になった[4]

代表的な唐硯[編集]

端渓硯[編集]

中国広東省広州の西方100kmほどのところに、肇慶という町がある。この町は西江という河に臨んでいて、東に斧柯山(ふかざん)がそびえる。この岩山の間を曲がりくねって流れ、西江に注ぐ谷川を端渓(たんけい)という。深山幽谷と形容される美しいこの場所で端渓硯の原石が掘り出される。

端渓の石が硯に使われるようになったのは唐代からで、宋代に量産されるようになって一躍有名になった。このころ日本にも渡って来たといわれる[3]。紫色を基調にした美しい石で、石の中の淡緑色の斑点など丸みを帯び中に芯円を持つものを「眼」(がん)という。鳥の眼のような模様もあるこの紋は石蓮虫の化石といわれてきたが、石眼は一種の含鉄質結核体であることが実証された。つまり酸化鉄などの鉄の化合物が磁気を帯びて集まり形成されたものである。こうした含鉄質結核体が沈積し埋蔵されたあとも、岩石生成過程でたえず変化して鉄質成分を集め、暈の数が幾重もある石品を形成した。実用には関係ないものだが大変珍重される。端渓の石は細かい彫刻にも向き、様々な意匠の彫刻を施した硯が多く見られる。端渓硯の価値の第一は≪磨墨液が持つ撥墨の範囲の広さ・佳さ≫であり、第二、第三と続く価値は硯としての本質に直接関係しないがその視覚的美しさであり「眼」等々の石紋の現れ方、そして彫刻の精巧さ、色合い、模様などによる。第一の価値を除けばいずれも美術・芸術面からの価値であり、そしてこれらの作硯時代により骨董的な価値が加わる。

端渓硯には採掘される坑によって以下のようなランクがある。

  • 老坑:最高級の硯材。ここの一定の範囲から産出する硯材のみを「水巌」と称することが主である。
  • 坑仔巌:老坑に次ぐとされている。
  • 麻仔坑:かつては老坑に匹敵するという評価もされた。
  • 宋坑:宋代に開発開始。比較的安価。
  • 梅花坑:色合いに趣はあるが硯材としては下級とされている。
  • 緑石坑:現代物はあまり良質ではない。

歙州硯[編集]

端渓硯と並び称される名硯に歙州硯がある。この硯の原石は南京の南200kmの歙県から掘り出される。付近には観光地として知られる黄山があり、この辺りは奇怪な岩石の峰が無数に林立する山岳地帯である。歙県はその黄山の南に位置し、昔は歙州(きゅうじゅう)と言った。

歙州硯は端渓の女性的な艶やかさに比べ蒼みを帯びた黒色で、男性的な重厚さと抜群の質を持つ。比重は重く石質は硬く、たたくと端渓よりも金属的な高い音がする。へき開のために細かい彫刻には向かない。磨り味は端渓の滑らかさと違って、鋭く豪快に実によくおり、墨色も真っ黒になる。この硯は、うす絹を2枚重ねた時にあらわれる波のような模様、「羅紋」(らもん)が特徴である。

採石期間が短かったため現存する歙州硯は極めて少なく、端渓硯に比し約5%程度と思われる[3]

洮河緑石硯[編集]

北宋中期甘粛省洮県の洮河の深底から採石された。端渓硯を超える名硯とされるが河の氾濫により採石場所が不明となったため、短期間で途絶えた。現存するものは極めて貴重であり、入手はほぼ不可能である。現在販売されている端渓緑石、新洮河緑石などは全くの別物。

澄泥硯[編集]

澄泥硯については自然石を素材としたとする自然石説と、黄河の泥を焼成したとする焼成硯説が、且つては存在した。清代初期ごろまで作られていたとする焼成硯については、「当時の技術では焼成澄泥硯を作る高温を出せる窯は作れなかった」との疑問が古くから呈されてきた。澄泥硯を焼成物とするとき、当時の焼成技術では必要な高温窯の製作が不可能であったため、焼成澄泥硯の製法書とするものはあたかも魔術のような荒唐無稽な製造方法が述べられている。焼成法については現代でも解明されていない部分がある、とする向きもあるが「当時は存在し得ない製法」を文書にしたためているのだから、正に開明されるわけもなく「黒魔術的な内容」に終始する製法の羅列である。 さて、天然石「澄泥硯」はうるおいを含んだ素朴さを感じさせる硯石で磨墨感は石硯の比ではない(とする人たちも居る)。澄泥硯の最上のもの(との一説もある)鱔魚黄澄泥(せんぎょこうちょうでい)硯はベージュ(くすんだ黄色)が主色で、次いで緑豆砂澄泥(りょくとうしゃちょうでい)と名付けられた色調⇒「深い緑色。黒または青まじり)が佳いとする(部分もある)」の澄泥硯。更に、澄泥硯代表種のひとつに「蝦頭紅」と呼ばれる色調がある。蝦頭紅澄泥硯の色調はその名の通り「海老を茹でるか焼いた時の海老頭の渋い赤色」である。この「蝦頭紅、鱔魚黄、緑豆砂」等の硯を区分けする硯銘も、端渓の石紋等々への名付けと同様に「日本では聞き慣れない言葉」である。現地では、硯を見たとき直感的に感じる動物や、植物を含めた自然に存在する様々な対象、更には自然現象そのものの呼び方、そして現地で表現する色調の言い表し方をそのまま硯の模様や色の、そして硯そのものの名とする例が極めて多い。澄泥硯もそれぞれの色調と共に硯としての質差があり、また同様色調のものでも個体により質差があるのは端渓などと同様である。また、品質差は見る者の感性により影響を受け優劣が判断に繋がることもある。翻って現在の澄泥硯焼成説。現在では、例えば市販される「電気窯」。陶芸に多用され個人でもその対価を払えば誰でも入手でき、焼成「泥」を選べば「古来伝わる澄泥硯そっくり」な焼成澄泥硯をつくることが出来る。「佳硯」とされる硯、この硯の型取りをし、その「泥」を焼く。古来の銘澄泥硯の復元も、また可、の時代である。これとは直接の関係はない、と思うが1990年頃から中国大河支流の泥を「現代の焼き窯」で焼き流通している焼成硯=陶硯がある。これは※※澄泥硯と名付けられているようだ。硯の大元とされる「瓦硯」や「セン硯」。これは古代陶器である。素焼きの陶器である。陶器を焼き釉薬をかけなければ立派な硯「陶硯」=「セラミック硯」である。 追、1970年過ぎ、当時採掘跡が不明になっていた魚黄澄泥硯の坑が見つかり採掘が再スタート。この原石で作硯された澄泥硯は、早速その時の広州交易会に出品された。これにより一時期焼成もの説に押されていた「自然石説」が勢いを取り戻し、硯以外にも次々と澄泥硯原石による製品を交易会に出品した。この流れの出現に「澄泥硯焼成説」に傾いていた、当時の高名書家は「自然石説」に対抗し「これぞ焼成澄泥硯」「まがいなき本物の澄泥硯」と、自慢の澄泥硯を「科学検査」に出した。自然石説を払拭したかったのであろう。しかし、結果は「対象物に一切のガラス化も見られない」との検査報告。高温にされた形跡はない、と言うことで当時「焼成説」は完全に打ち消されました。しかし、しかし、一旦退治した筈の妖怪がいつの間にか復活するが如く旧時代の「澄泥硯焼成物説」が時の流れとともに復活するようである。[3][5]ref name="mori"/>[5]

松花江緑石硯[編集]

吉林省松花江上流域で採掘される。緑、黄色系の縞状の模様が特徴。清朝期に名品が多い。これは清朝が満州族によって建国されたため、父祖の地に近いところに良い硯石の産地はないかと調べた結果、吉林省で発見されたことに由来する。

紅糸石硯[編集]

山東省青州の黒山にて発見された。黄褐色に紅色の糸状の模様が特徴。宋代頃に良質の原石が枯渇したため衰退し、現存するものは少ない。現在この名称で安価に販売されているものは「土瑪瑙石」という偽物の可能性がある。

陶硯[編集]

硯のうち、陶磁器で作られたもの。磁器のものは磁硯と称する。制作の歴史は古く、出土品などからも発見される。実用面では石硯に及ばないが、彩色、形状に趣があるものも多いため、観賞用として飾られることもある。

近年の硯[編集]

以上の他、近年出回っている硯としては次のようなものがある。

  • 墨磨り機用の丸形セラミック硯
  • 人造硯 - 石粉をセメントによって固めたものや、石粉をプレス機で固め焼き入れしたもの(学童用として作られた)があるが、特に後者は砥石と同程度に軟らかいため、墨汁を用いる分には良いが、墨を磨れば硯も擦れて溝となってしまうので、墨との相性は悪い。
  • プラスチック製の硯 - 軽量化のために作られたもので、現在学童用として普及している。こちらも墨汁を用いる分には良いが、プラスチックのままだと墨を磨るのに適しているとは言い難く、研磨剤を混入させて墨を磨れるように加工しているものなどもあるが、それでも非常に軽いので左手でしっかり押さえておかないと墨が磨れない。

硯の手入れ[編集]

硯は半永久的に使えるものであるが、そのためには手入れが必要である。

鋒鋩を立てる

硯は使っているとだんだん磨り減って、ついにはツルツルになってくる。こうなると墨が磨れないので、硯用の砥石で硯面をとぐ。これを鋒鋩(ほうぼう、刀のさきの意)を立てるという。硯面に光をあてると鋒鋩と呼ばれるキラキラと光る細かい宝石のような粒が現れ、これで墨が磨れる。この鋒鋩が細かく密に、そして均一に散りばめられているほど墨色は美しく出る。また、鋒鋩が鋭く強いほど墨は早く磨れるが、あまり鋒鋩を立てすぎると、かえって良くない。立てすぎた場合は、磨墨の際に、金属音がする。

きれいに洗う

硯を使ったら脱脂綿などを使い、必ず隅々まで冷水(熱湯は硯が割れる恐れがあるため不可)できれいに洗う。宿墨(古い墨)を残しておくと新しく磨った墨も腐ってしまう。また磨った墨の断面を硯の上に立てて保管してはいけない。良い硯ほど墨が貼り付いてしまい、無理に取ろうとすると硯の面が剥がれてしまう。その場合は、接着面を水で濡らし、しばらくおいておくと、うまく剥がれることがある。 近年、鋒鋩を痛めず、経年溜まった墨を取り除くことができる書道用洗浄液(蒼龍泉など)が販売されているので、簡単に硯面を綺麗にすることができるようになった。

洗硯[編集]

本来、『洗硯』という言葉自体は文字通り硯を洗い清めることであるが、硯の場合、水中に浸すと石の紋様などが分かりやすいため、その鑑賞行為を特に『洗硯』と称し、愛好家などが行う硯の鑑賞会を『洗硯会』と称する。実際の洗硯会においても清水を張った水盆などに硯を浸して鑑賞する。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「墨磨り」が撥音便化を経て変化したもの。すみすり > すんずり > すずり
  2. ^ "弥生時代の国内最古級すずり出土 倭人伝の記述裏付け 糸島市"(西日本新聞、2016年3月1日記事)。
  3. ^ a b c d 森紀一 付記(古名硯)
  4. ^ BizスポNHK総合テレビジョン、2011年4月5日放送分による。NHKオンデマンドで視聴できる。
  5. ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「skcchan」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません

出典・参考文献[編集]

  • 森紀一 『文房四寶 -文房清玩趣味-』(大茜コレクション、1980年7月)
  • 劉演良 『ようこそ「端硯」の世界へ』(文芸社、2001年10月15日)