甘楽町
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かんらまち 甘楽町 | |
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| |
国 |
![]() |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 群馬県 |
郡 | 甘楽郡 |
市町村コード | 10384-5 |
法人番号 |
3000020103845 ![]() |
面積 |
58.61km2 |
総人口 |
12,775人 [編集] (推計人口、2019年10月1日) |
人口密度 | 218人/km2 |
隣接自治体 |
高崎市、藤岡市、富岡市、 甘楽郡下仁田町 |
町の木 | アカマツ |
町の花 | ソメイヨシノ |
町の鳥 | キジ |
甘楽町役場 | |
町長 | 茂原荘一 |
所在地 |
〒370-2292 群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡161-1 北緯36度14分34.8秒東経138度55分18.3秒座標: 北緯36度14分34.8秒 東経138度55分18.3秒 |
外部リンク | 甘楽町の公式サイト |
ウィキプロジェクト |
目次
概要[編集]
群馬県の西南部を流れる鏑川南岸の町。中心地区の小幡は、もと小幡藩の城下町で、国指定名勝の楽山園、名水百選の雄川堰がある。昭和中期ごろまで養蚕が盛んであったが、昭和後期から平成にかけて野菜・果樹の生産量が増加し、キウイフルーツの特産地となっている。また城下町小幡さくら祭り「武者行列」も有名である。
2010年(平成22年)3月30日、城下町小幡を重点区域とする「甘楽町歴史的風致維持向上計画」が国から認定され、全国16番目の地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)に基づく認定都市となった。
歴史[編集]
沿革[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により北甘楽郡に小幡村・秋畑村・福島町・新屋村が成立。
- 1925年(大正15年)5月10日 - 小幡村が町制施行し、小幡町となる。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 北甘楽郡が甘楽郡へ名称変更。
- 1955年(昭和30年)3月16日 - 小幡町・秋畑村が合併し、小幡町となる。
- 1959年(昭和34年)2月1日 - 小幡町・福島町の東南部(西北部は富岡市に合併)・新屋村が合併し、甘楽町となる。
平成の大合併[編集]
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平成の大合併と呼ばれる全国規模の市町村合併ブーム期には、甘楽町も近隣にある富岡市、妙義町との1市2町合併を検討していたが、2004年に行った住民投票の結果、合併反対が多数を占めたため、当時の町長であった黒沢常五郎が民意を尊重するという方針をとり、議会もこれを承認した。このため、甘楽町は合併の枠組みからはずれ、自立の路を選択した。
2008年、近隣市町村では、富岡甘楽地域合併研究会(富岡市、下仁田町、南牧村による合併に関する研究会)が設置され、甘楽町にも参加を呼びかける予定となっているが、自立の路を選択してから間もないため、これに参加するかは不明である。
人口[編集]
![]() | |
甘楽町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 甘楽町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 甘楽町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
![]() ► 甘楽町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
姉妹都市・提携都市[編集]
日本国外[編集]
- 1983年4月、群馬県主催の「ふるさと巡回サロン」が甘楽町で開催された際、招かれたイタリア人作家カルラ・ヴァシオ (it:Carla Vasio) [5]が姉妹都市提携を提案した[3]。中学生や青年を相互に派遣しての研修などが行われている。
- その他の交流都市
- 正式の友好都市協定は結ばれていないが[3]、ハルビンとの間には1989年に甘楽町から視察団が訪問して以来の交流がある[7]。行政研修生や技能研修生の受け入れ[8]、相互の中学生の派遣研修などが行われている[7]。
日本国内[編集]
- 東京都北区との間には、1986年(昭和61年)に自然休暇村協定が結ばれた[11][9][13]。農村と都市の交流拠点として宿泊・農業体験施設「甘楽ふるさと館」(1988年)や「甘楽ふるさと農園」(2000年)が建設されているほか[9]、有機農業を通した交流(堆肥の受け入れと有機野菜の販売)も行われている[14]。
- その他の広域提携
- 江戸時代前期から中期まで織田家が小幡藩主を務めたことを縁として、甘楽町は織田信長にゆかりのある市町の集まりである織田信長サミット(1984年発足)に参加している[16]。甘楽町は第1回より参加しており[17]、第3回(1986年)[18]、第16回(1999年)、第25回(2013年)[19]サミットを開催した。
地域[編集]
警察[編集]
- 富岡警察署(富岡市)
- 小幡駐在所
- 福島駐在所
- 金井駐在所
消防[編集]
- 富岡甘楽広域消防本部 富岡消防署(富岡市)
- 甘楽分署
教育[編集]
- 小学校
- 中学校
交通[編集]
鉄道路線[編集]
バス[編集]
- 上信ハイヤー (乗合タクシー)
道路[編集]
- 高速道路
- 国道
- 県道
- 道の駅
観光[編集]
名所・旧跡[編集]
- 楽山園 - 織田信長の次男織田信雄が造った大名庭園。国の名勝に指定されている。2012年(平成24年)3月に復元工事が竣工。
- 小幡郷ゴルフ倶楽部
- 甘楽ふるさと館
- かぶらウォーターランド
- 歴史民俗資料館
- こんにゃくパーク
- 医王山今宮寺(三尊仏) – 上野。天台宗[20]
- 今宮神社 – 上野
- 連石山長嚴寺(長厳寺)(磨崖仏) – 小幡。天台宗
- 桃花山龍門寺 – 小幡。黄檗宗[21]
- 小幡山崇福寺 – 臨済宗妙心寺派
- 鷲山宝積寺 – 轟。曹洞宗[22]
- 小幡八幡宮(小幡八幡神社)[23]
- 宝勝寺 (群馬県甘楽町) - 縁起書は町の重要文化財。
祭事・催事[編集]
- 城下町小幡さくら祭り「武者行列」(4月)
- 甘楽町さくらマラソン大会(4月)
出身著名人[編集]
脚注[編集]
- ^ “学びと共生の時代:チェルタルド市との交流”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “姉妹都市イタリア・チェルタルド市”. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ a b c “姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “チェルタルド市との調印式(チェルタルド市)”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。甘楽町デジタルアーカイブでは「カルラ・バセイオ」と表記している。
- ^ “群馬ルネッサンス運動イタリア交流序章”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。甘楽町デジタルアーカイブでは「カルラ・バセイオ」と表記している。
- ^ “ハルビン市(中国)”. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ a b “国際親善交流中国ハルビン市”. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “学びと共生の時代:ハルビン市との交流”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ a b c “都市と農村との交流~東京都北区”. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “学びと共生の時代:北区との交流”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ a b “国内友好都市(群馬県甘楽町)”. 東京都北区. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “友好都市交流協定締結(東京都北区飛鳥山公園)”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “北区の自然休暇村調印へ”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。このページでは、協定締結を1985年(昭和60年)4月11日としている
- ^ “バイオマス関連事業について”. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “信長サミット”. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “第26回織田信長サミット”. 信長公居城連携協議会 (2014年4月1日). 2016年5月17日閲覧。
- ^ “第1回織田信長サミット”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “第3回織田信長サミットIN甘楽(小幡)”. 甘楽町デジタルアーカイブ. 甘楽町. 2016年5月17日閲覧。
- ^ “織田信長サミット”. 岐阜市 (2013年5月14日). 2016年5月17日閲覧。
- ^ 今宮寺の三尊仏
- ^ yaokami、藩主と共に移動した龍門寺
- ^ 群馬県甘楽郡甘楽町 桜の名所 曹洞宗・宝積寺
- ^ 公式
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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