SUPER MONKEY'S

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SUPER MONKEY'S
出身地 日本の旗 日本沖縄県
ジャンル J-POP
ユーロビート
活動期間 1992年 - 1996年2018年[注 1]
レーベル 東芝EMI(1992 - 1996年)
USM JAPAN(2018年)[注 2]
公式サイト ユニバーサルミュージック合同会社によるページ
旧メンバー 安室奈美恵(1992年 - 1996年)
澤岻奈々子(同上)
天久美奈子(同上)
松田律子(1994年 - 1996年)
宮内玲奈(同上)
牧野アンナ(1992年)
新垣寿子(1992年 - 1994年)
中曾根梨乃(1992年 - 1993年)

SUPER MONKEY'S(スーパー・モンキーズ)は、過去に存在した日本女性ダンスアイドルグループであり、安室奈美恵MAXの源流のグループである。

歴史[編集]

  • 元々「SUPER MONKEY'S」は「沖縄アクターズスクール」内における20人ほどのトップ選抜グループの総称であり[注 3]、現kiroroの玉城千春も一時在籍していた。そこから新たなチームが編成され、最終段階では女子5人男子2人(そのうち一人は牧野アンナの実兄)のメンバーとなるが、デビュー前に変更されて女子5人グループとなる。
  • 名前の由来はスクールの校長であるマキノ正幸の「君たちはまだタレントではなく猿の段階、でもただの猿(モンキー)じゃかわいそうだから”スーパー・モンキーズ”にしよう!」の一言がきっかけであると当時の雑誌インタビューなどで発言している[1]
  • グループ結成から「TRY ME 〜私を信じて〜」がヒットする迄、何度かメンバーチェンジを繰り返している。以下にその歴史を段落分けして記述する。

「スーパーモンキーズスペシャル」時代(1991年〜)[編集]

  • 1991年、「SUPER MONKEY'S」から選抜された女子5人男子2人のメンバーでグループを結成。メンバー全員が琉球空手の初段で、デビュー前に琉球放送『HOT NIGHT沖縄アイランド』のオープニングで空手パフォーマンスを演じるなど地元番組に度々出演しており、それが東京のテレビスタッフの目に留まったことがきっかけで全国ネットのテレビ出演が決まる。

「SUPER MONKEY'S」時代(1992年4月 - 1993年4月)[編集]

  • 全国出演をきっかけに、安室奈美恵、牧野アンナ、澤岻奈々子(95年頃に「沢詩」に改名、後のNana)、天久美奈子(後のMina)、新垣寿子の女子5人グループとなる。
    • 又それに伴い、グループ名もアクターズ内選抜の「SUPER MONKEY'S」をそのまま代用。
  • 1992年4月より、TBS系『KATO&KENテレビバスターズ』のアシスタント(バスターズガール)としての出演や、ロッテ「シリアルアイス」のCMに初出演し、本格的に芸能活動をスタート。また同時期に、日本テレビ系バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に琉球空手少女として出演した。
  • 1992年9月、東芝EMIより「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でメジャーデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「OKINAWAからカリフォルニアが見える」。
    • 初代リーダーはマキノ校長の娘で既にアイドル歌手を経験していた牧野だったが、同年の12月に脱退し、沖縄アクターズスクールの講師に転身した[注 4]。また牧野と入れ替わる形で新メンバーの中曾根梨乃が加入するが、年明けに入院のためイベント出演も欠席するなど目立った活動はなかった。牧野脱退後、澤岻が2代目リーダーとなる。

「SUPER MONKEY'S 4」時代(1993年4月 - 1994年6月)[編集]

  • 安室、澤岻、天久、新垣の4人体制に移行。同時にメンバー全員が沖縄アクターズスクールを卒業し、上京する。
  • 1993年4月より、NHKの音楽番組『POP JAM'93』に番組のマスコットガール兼バックダンサー・“PJG(ポップ・ジャム・ガールズ)”としてレギュラー出演。
    • 同5月に発売された2ndシングル「ダンシング・ジャンク」は現在も続くNHKのテレビアニメ『忍たま乱太郎』の初代エンディングテーマとなり、番組終了間際のミニコーナーもメンバーが担当した。
    • 11月、シングル「愛してマスカット」をリリース。同曲でロッテ「マスカットガム」のCMイメージキャラクターに起用され、「新作ロッテガムキャンペーン」と題したイベントを各地で行う。
    • 大晦日の『第44回NHK紅白歌合戦』では、森口博子の楽曲「ホイッスル」のバックダンサーとして参加した。

「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」時代(1994年7月 - 1996年9月)[編集]

  • 名実共に安室メインの体制となり、1994年7月にリリースした「PARADISE TRAIN」以降は単独でボーカルを務めた。
    • 翌8月より、日本テレビ系『夜もヒッパレ一生けんめい』に準レギュラーとして出演するようになる。
    • 10月、新垣が沖縄アクターズスクールの講師となるためグループを脱退。新垣と入れ替わる形で松田律子(後のLina)、安室の同級生で同じ中学校に通っていた宮内玲奈(後のReina)が加入し、デビュー時以来の5人体制となる。
  • 1995年1月、MAX松浦プロデュースによるシングル「TRY ME 〜私を信じて〜」をリリース。ユーロビートのカバーでもある同曲は、初登場の49位からじわじわと上昇し、初のオリコンチャートTOP10入りを果たすと同時に累計でも70万枚を超える大ヒットとなった。その後も同路線で立て続けにヒットを生み出す[注 5]
    • 4月から日本テレビ系音楽バラエティ『THE夜もヒッパレ』にレギュラー出演。同時に安室を除く4人がMAXとして活動を開始する。
    • 但し、MAXのCDデビューや安室のavex移籍後も、安室のシングル「Body Feels EXIT」、「Chase the Chance」ではバックダンサーとして4人が参加しているほか、ライブもグループ名義で行われており、5人での活動は継続された。
  • 1995年12月、初の沖縄凱旋ライブを沖縄コンベンションセンターで行い、4000人を動員。念願の地元での初公演だったこともあり、アンコールの際のMCでは全員が感極まり涙を見せた。
  • 1996年3月〜5月にかけ、日本武道館大阪城ホール公演を含む初の全国ツアー「mistio presents AMURO NAMIE with SUPER MONKEY'S TOUR '96」を開催(ホール21公演)。
    • この時期になると、安室の一大ブームやMAXのブレイクなどから別々での活動が目立つようになり、テレビで5人が揃うことが減少していく。
  • 同年8月〜9月にかけ、野外ライブ「SUMMER PRESENTS '96 AMURO NAMIE with SUPER MONKEY'S」を開催。最終日である9月1日の千葉マリンスタジアム公演を最後にグループとしての活動を休止(実質上、解散)し、以後それぞれの活動に専念する。
    • 1997年9月に一度「スーパーモンキーズ再結成」という記事のもと、年明けからの5人での活動再開が検討されるが、安室の結婚・産休やMAXの多忙も重なり立ち消えとなった。また、2000年に放送されたテレビ番組の中で安室が「またMAXの皆と同じステージがしたい」と語ったが、5人でのステージも1997年放送の「THE夜もヒッパレ」を最後に実現されていない。

その後の活動については安室奈美恵MAXを参照のこと。

「安室奈美恵デビュー25周年」ベスト復刻版の再リリース[編集]

  • 2018年5月2日、グループ唯一となるベストアルバム『ORIGINAL TRACKS VOL.1』が全曲リマスタリング & 内装の完全復刻として、古巣である旧:EMIのレコード会社であるユニバーサル・ミュージックから再リリースがなされた。
    • 同アルバムは1996年にリリースされ、2000年代に入り廃盤となり入手困難となっていたが、安室のデビュー25周年に合わせ、高品質ディスクであるSHM-CDが採用されている。

エピソード[編集]

  • 芸能活動は1992年の春からスタートし、東京のマンションに5人揃って共同生活を行う。メンバーの中学卒業までは、金曜日に東京へ行って仕事をこなし、火曜日に沖縄へ帰るという生活をしていた。
  • 当初デビューするには『空手で初段取得』『バック転が出来ること』が条件として挙げられていたが、一番順応していた安室が右肘の靱帯を痛めてしまい「やっぱりアクロバットは危ない」ということになり引き下げられた。
  • 本格的に上京した際、リーダーの牧野が作ったルールに則り、ボイストレーニングやダンスレッスン以外にも朝起きてからの腹筋、背筋、ストレッチ、それが一通り終わると近くの公園までジョギング、到着すると空手の形(上段蹴り・中段蹴り・下段蹴り)などをするのを日課にしていた。また、羽根木公園に無料設置されていた器具で体を鍛えたりもした。
  • 当時デビューするために上京したアクターズの研修生は、寂しさから恋人を作ったり、または東京での遊びに目覚めてハメをはずし過ぎたことが原因で出戻りが多く目立った。そのためSUPER MONKEY'Sのメンバーも行動や発言を厳しく制限されており、恋愛禁止令・菓子は1ヶ月に1回・門限は夜6時とされた。他にスクールの代表としての自覚と責任を忘れないために家の玄関に生徒皆が写った集合写真を飾り、それに向かって毎朝「行ってきます!」と言っていた。
  • 下積み時代はあまり仕事がなく、交通費も自腹で食事も割り勘で洋服を買っただけでもお金が足りなくなるため、どこへ行くにもメンバー全員で行くことが多かった。どうしても足りない場合は電話で沖縄に居る家族に頼んでいた。しかし、それぞれの親からの仕送りの量がいっぺんに重なると部屋中が食料や沖縄名産品で埋め尽くされてしまい逆に断りの電話をしなければならないこともあった。

メンバー[編集]

活動終了時のメンバー[編集]

デビュー時からメインボーカルを担当。デビュー前、アクターズの仲間と一緒に出場した琉球放送のローカル番組「HOT NIGHT沖縄アイランド」内で行われた「ちびっ子カラオケ大会」(1989年8月1日O.A)でゆうゆの『-3℃』を堂々披露し優勝を果たす[注 6]。その後は学校へ行くのも惜しんで大好きな歌とダンスに没頭、スクールでの行事優先としその節約のために食べ物以外では水ばかり飲んでいた。自分からはあまり前に出ないが反面負けず嫌いでもある。ジャネット・ジャクソンポーラ・アブドゥルに強く影響を受けており、当時語っていた夢は「ダンサブルな歌手」[2]
  • 澤岻(→沢詩)奈々子(Nana
脱退した牧野に代わって2代目のリーダーとなる。デビュー前から沖縄ローカルの番組『沖縄クラブハートキャッチTV』のレギュラーや、新垣と共に沖縄の砂糖をPRする「沖縄砂糖真時代」のCM等に出演していた。デビュー直前に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に空手少女として出演した際、司会の高田純次と両者海辺で全身毛布グルグル巻きに棒一本で対決することになりあえなく敗れ高田に海に流された。海に浮いて身動きがとれない間、澤岻は「これが初めての芸能界での仕事なんだ…」と思ったとその当時を振り返っている。当時は歌とダンス以上に芝居が好きだったこともあり、オードリー・ヘプバーンやエマニュエル・ベアールをリスペクトしている。当時語っていた夢は「お芝居も踊りもできる女優」[2]
  • 天久美奈子(Mina
振りの覚えが最も早く、「ダンスの振付確認は美奈子に聞くのが一番確実」とメンバーも認めている。共同生活時代は洗濯・掃除・炊事の当番はあったが、炊事は天久の得意分野だったため、自然と皆の分やお弁当を作る回数が多く、他のメンバーにも作り方を教えたりと食事面でも頼りにされていた。テレビで安室や松田が言うように「美奈子の作ったご飯は美味しい」とのこと。幼少期から歌手志望で、同じ夢を持つ同級生の安室や新垣とは切磋琢磨し、ライバル関係でもあった。デビュー前、アクターズの定期公演で安室と「Dreamers」というデュオでステージに立ったことがある。当時語っていた夢は「人に夢を与えるほのぼのな歌手」[2]
  • 松田律子(Lina
脱退した新垣と入れ替わる形で、宮内と共に1994年10月に加入。それ以前からメンバーと同じライジングプロダクションに所属しており、当時人気だったC.C.ガールズのようなセクシーグループとして宮内含む3人組でデビューする予定であった。宣材写真の撮影やレコーディングをする等デビューに向けて着々と準備をしていたが、メンバーの辞退によりデビューが白紙となる。アクターズの頃からダンスを重視していたこともあり、新生SUPER MONKEY'Sの中でもキレのある動きを見せた。澤岻や新垣とはアクターズの同期である。
同上。上述のようにデビュー前からダンスレッスンを経験していた松田と違い、アクターズ時代は歌・芝居をメインにしていたため、上京後に初めて本格的なダンスを始めたと語っている。安室とは同じ中学校に通い、とても仲が良かった。

脱退したメンバー[編集]

グループの初代リーダー。他のメンバーより年上で当時は20歳である分、他人のお子さんを預かる身としての責任を自覚し常にリーダーとして他の4人を𠮟咤激励している。
グループ全体のレベルを上げるべく知識と教養を身につけるためによく5人で図書館に通った。また歌って踊ることに関してはまず歌をもっと好きになり知ることと考え、一例としてアン・ヴォーグの歌に皆で一生懸命聞き耳を立て「今は無理でも将来こういうこともやれたらいいね」とハモリやコーラスを練習してラジオで少し披露したりしている。
安室はこれに関して「もし今もグループでアン・ヴォーグの曲をカバーするなら『FREE YOUR MIND』にしたい」と語っている。牧野が当時の雑誌で語った夢は「芸能界のリーダーになりたい」[2]
当時のグループ内で一番の天然で爆弾娘だったらしく、門限6時を守らずに帰って来なかったために皆で探し回ったり、内緒で食べていたお菓子がばれて怒られたりもした。これに関しては他のメンバーもバレないようにNanaはジョギングの途中でコースをそれて買いに行ったり、安室は沖縄に帰ったときにこっそり食べていたと話している。
プリンセスプリンセスリンドバーグが好きで目標はシンディ・ローパー。当時語った夢は「シンディ・ローパーのような、見てるお客さんを圧倒させられる歌手」[3]
  • 中曾根梨乃
牧野脱退の直前に加入したアクターズ時代の仲間の一人である。1992年11月に行われた千葉ロッテマリーンズのイベントに参加しメンバーとして初パフォーマンスを行うが、年明けに虫垂炎で入院し、休養を余技なくされる。その後一度は復帰するが、諸事情により直後に脱退となってしまった。
早速宣伝に新メンバー紹介も兼ねて、色々な雑誌で今ではかなり貴重なインタビューも受けており、本人は急激な環境の変化に舞台で「緊張して頭が真っ白になった」と語っている。バスケットボールが大好きだが、中学では華道部だった。当時語った夢は「歌も踊りもできるアイドルフェイスのアーティスト」[4]
なお、K-POPアイドル等の振付けをしている仲宗根梨乃とは別人である。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 名義 発売日 タイトル c/w 規格 規格品番 順位 収録アルバム 備考
1 SUPER MONKEY'S 1992年9月16日 恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A. 8cmCD 29位 ORIGINAL TRACKS VOL.1 TV出演やプロモーション活動で歌われていたのは「ミスターU.S.A.」のため、実質メイン扱いだった。
2 SUPER MONKEY'S4 1993年5月26日 ダンシング・ジャンク レインボー・ムーン TODT-3018 68位 DANCE TRACKS VOL.1 英記で「DANCING JUNK」と掲載されることもある。
3 1993年11月5日 愛してマスカット わがままを許して TODT-3119 67位 元々はCM用に作られたもので、初CM時には歌詞も異なっていた。
4 安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S 1994年7月20日 PARADISE TRAIN 悲しきブロークンボーイ TODT-3275 137位 同曲を最後に新垣寿子が脱退。
5 1995年1月25日 TRY ME 〜私を信じて〜 MEMORIES 〜明日のために〜 TODT-3421 8位 この曲より松田律子、宮内玲奈が加入。
SUPER MONKEY'S参加シングル
# 安室奈美恵 1995年4月26日 太陽のSEASON ハートに火をつけて 8cmCD TODT-3446 5位 DANCE TRACKS VOL.1 裏ジャケットに"安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S"と記載。
# 1995年7月24日 Stop the music GOOD-NIGHT TODT-3523 4位
# 1995年10月25日 Body Feels EXIT Body Feels EXIT (X-TENDED MIX) AVDD-20107 3位 SWEET 19 BLUES バックダンサーとしてSUPER MONKEY'Sが参加。
# 1995年12月4日 Chase the Chance Chase the Chance (TRIP CLUB MIX) AVDD-20109 1位

アルバム[編集]

名義 発売日 タイトル 規格 規格品番 順位 備考
オリジナル・アルバム
安室奈美恵 1995年10月16日(廃盤) DANCE TRACKS VOL.1 CD TOCT-9100 1位 安室の単独名義ではあるが、SUPER MONKEY'Sの楽曲を含み、裏ジャケットやブックレットにメンバー全員の写真が載っている。
なお、デビューシングル「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」は未収録
ベスト・アルバム
安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S 1996年9月30日(廃盤) ORIGINAL TRACKS VOL.1 CD TOCT-9630 3位 東芝EMI時代の楽曲が全て収録されたベストアルバム。
2000年代に入り廃盤となり、長らく入手困難が続いていたが、安室のデビュー25周年を記念してオリジナルの復刻再発盤がUSM JAPAN(旧EMI)から高品質ディスクSHM-CDとリマスタリングにて再リリースされた。
2018年5月2日(現行再発) SHM-CD UPCY-7472 8位
参加アルバム
VARIOUS ARTISTS 1995年11月15日(廃盤) avex dance Matrix '95
TK DANCE CAMP
CD AVCD-11357 - 1995年8月26日東京ベイサイドスクエアで行われた小室哲哉主催の野外ライブの模様を収録したライヴ音源CD。
VHS、LDと同日リリース。
安室奈美恵 1998年1月28日 181920 AVCD-11624 1位 ソロ転身及び、avex移籍後初となるソロワーク第一弾の集大成ともいえるベスト・アルバム。
同グループ名義からは5thシングル「TRY ME 〜私を信じて〜」、6thシングル「太陽のSEASON」、7thシングル「Stop the music」の3曲が収録。
2017年11月8日 Finally 3CD+DVD AVCN-99055〜7 安室がデビュー25周年を記念してリリースされたオールタイム・ベストアルバム。
全52曲が収録されているアルバムで、このうち、39曲が再録・ニューレコーディングが施されている。同グループ名義からはデビューシングル「ミスターU.S.A.」、3rdシングル「愛してマスカット」、4thシングル「PARADISE TRAIN」、5thシングル「TRY ME 〜私を信じて〜」、6thシングル「太陽のSEASON」が再録・ニューレコーディングにて収録。
3CD+Blu-ray AVCN-99052〜4/B
3CD AVCN-99049〜51/B

映像作品[編集]

名義 発売日 タイトル 発売形態 品番 備考
VARIOUS ARTISTS 1995年11月15日(廃盤) avex dance Matrix '95
TK DANCE CAMP
VHS AVVD-90020 1995年8月26日に東京ベイサイドスクエアで行われた小室哲哉主催の野外ライブの模様を収録。
安室奈美恵 with SUPER MONKEY'Sは「TRY ME 〜私を信じて〜」、「太陽のSEASON」を披露[注 7]
LD AVLD-80006
安室奈美恵 1996年12月4日(廃盤) AMURO NAMIE FIRST ANNIVERSARY
1996 LIVE AT MARINE STADIUM
VHS AVVD-90029 1996年夏の野外ライブ「SUMMER PRESENTS '96 AMURO NAMIE with SUPER MONKEY'S」の最終・千葉マリンスタジアム公演の模様を収録。
このライブを以って安室奈美恵 with SUPER MONKEY'Sはグループとしての活動を休止する。
「Chase the Chance」以降の楽曲でSUPER MONKEY'Sの参加はなかったが、ツアー限定で「You're my sunshine」のバックダンサーを務めている。
2000年9月27日(現行盤) DVD AVBD-91023

タイアップ曲[編集]

タイアップ先
1992年 恋のキュート・ビート 日本テレビ系『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』エンディングテーマ
ミスターU.S.A. ロッテ「シリアルアイス」CMソング(フルメンバー出演)
1993年 愛してマスカット ロッテ「マスカットガム」CMソング(〃)
ダンシング・ジャンク NHK総合テレビアニメ『忍たま乱太郎』エンディングテーマ
レインボー・ムーン NHK総合テレビアニメ『忍たま乱太郎』挿入歌
1994年 PARADISE TRAIN ロッテ「マスカットガム&ブルーベリーガム」CMソング(フルメンバー出演)
毎日放送TBS系ドラマ『野々山家の人々』オープニングテーマ
TRY ME 〜私を信じて〜 95'「ミナミ」CMソング
1995年
太陽のSEASON ロッテ「クレープアイス」CMソング
日本テレビ系『GROOVY』オープニングテーマ
Stop the music フジテレビ系ドラマ『湘南リバプール学院』オープニングテーマ
Body Feels EXIT タイトーX-55」CMソング
Chase the Chance 日本テレビ系ドラマ『ザ・シェフ』主題歌

受賞歴[編集]

ライブ/ライブツアー[編集]

公演日 タイトル 日付・会場
1995年 7月16日 - 8月27日 安室奈美恵 with Super Monkey's Concert '95
〜ハートに火をつけて〜
12月27日 TVガイド PRESENTS
安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S FIRST LIVE in OKINAWA
1996年 3月20日 - 5月19日 mistio presents
AMURO NAMIE with SUPER MONKEY'S TOUR '96
8月27日 - 9月1日 SUMMER PRESENTS '96
AMURO NAMIE with SUPER MONKEY'S

イベント[編集]

出演[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

  • ロッテ(1992年 - 1994年)
    • ロッテアイス「シリアルアイス」、「クランチボール」
    • ロッテガム「マスカットガム」、「ブルーベリーガム」

ラジオ[編集]

ドラマ[編集]

映画[編集]

  • 学校II(1996年、松竹
    • 作中に登場する養護学校の生徒達が、安室奈美恵 with SUPER MONKEY'Sのライブを観に行くというあらすじのもと本人たち役でライブシーンで登場する。
    • 吉岡秀隆をはじめとする出演者が、実際にツアーの北海道公演に観客として参加して撮影が行われた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ グループ自体としての活動は無いが、安室奈美恵のデビュー25周年を記念して再発盤の販売に伴い、本名義が使用している為である。
  2. ^ 安室奈美恵がデビュー25周年を記念して再発盤リリースに伴い、本レーベルからリリース。
  3. ^ 前身は「クラブハート」、SUPER MONKEY'Sデビュー後は「B.B.WAVES」へと改名。
  4. ^ この流れはデビュー前から想定されていたとされる説もある。
  5. ^ 太陽のSEASON」、「Stop the music」は安室の単独名義ではあるものの、裏ジャケットにはメンバーの写真と「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」の記載があり、音楽番組などでも同クレジットで出演していた。
  6. ^ 準優勝は天久美奈子 (Mina) である。
  7. ^ ビデオには収録されていないが、この時にまだ未完成だった「Body Feels EXIT」を初披露している。
  8. ^ 沖縄アクターズスクール主催の舞台劇。主人公のピーターパン役を安室が務め、メンバーも全員出演した。またメンバー加入前の松田、宮内の他、後にデビューするSPEEDのメンバーや、知念里奈なども出演している。
  9. ^ 24時間テレビ内の企画
  10. ^ トラックステージで行われたデビュー告知イベント。
  11. ^ 当時SUPER MONKEY'SがロッテアイスのCMに出演していたことからゲスト出演
  12. ^ 第44回「さっぽろ雪まつり」内で行われたライブステージに出演。
  13. ^ みずいろ公園」のオープニングイベント内で行われたミニライブ。
  14. ^ 日清食品「世直しどん兵衛」の発売を記念して行われたイベント
  15. ^ 7号館1F・7102教室
  16. ^ 中庭ステージ
  17. ^ 「TRY ME」購入者全員対象
  18. ^ 「太陽のSEASON」購入者全員対象
  19. ^ Jリーグ静岡選抜vsJリーグ外国選抜
  20. ^ 同イベント内のサッポロワインコンサートに出演
  21. ^ 広島FMのラジオ公録後に行われたミニライブ。

出典[編集]

  1. ^ 「週刊宝石 92.9.10」より
  2. ^ a b c d 「微笑1992.5.16」より
  3. ^ 明星 92.6」より
  4. ^ Zipper 93.6」より